某の日々是好日

本来無一物。身一つあれば何とでもなる

信玄塚

2019年05月15日 10時45分00秒 | 史跡めぐり


信玄塚。
     
信玄塚・宝篋印塔の由来
◆信玄塚
武田信玄は、三河国野田城(愛知県新城市)攻略中に肺肝を患い、田口、津具を経て甲斐国へ引き返す途中、天正元年(元亀4年・1573)4月12日、53歳にて、ここ「ねばね」の上村において他界された。(甲陽軍鑑より)
その折、風林火山の旗を横にしたのでこの地を横旗という。信玄公が葬られているとされる信玄塚は村史跡に指定されており(昭和56年指定)、現在の国道153号線沿いの風林火山騎馬隊の大壁画の東方国道敷に埋没されている。
     
◆宝篋印塔
寛文年間(1661~1673)の頃、信玄公百年目の遠忌に際し、供養のため、武田家ゆかりの人々によって建立されたと伝えられているが、塔の形式等から室町末期と推測されている。花崗岩製で高さ1.84m、塔身に四仏を表す梵字が刻まれており、塔の規模、様式から見て城主、大名級のものであるとされている(案内板より)。






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