某の日々是好日

本来無一物。身一つあれば何とでもなる

岩倉城跡

2020年02月15日 15時00分00秒 | 史跡めぐり


岩倉城跡。
    
岩倉城は文明十一年(1479)頃 織田伊勢守系の兵庫助敏広が築城した。敏広はこの城によって、尾張上四郡(丹羽・葉栗・中島・春日井)を支配し、下四郡(愛知・智多・海東・海西)を支配する清洲城の織田大和守敏定に対し武威を示し、当時の尾張では清洲城と並んで、もっとも重要な城であった。
城跡は東西約91m、南北約171m、標高10m台地上にあって、内外二重堀があったといわれ、城跡の南側には外堀とか丸の内といった地名も残されている。
岩倉城は引治三年(1557)織田伊勢守信安が末森城主織田信行(信長の弟)と同盟を結んでいたということで、信長に攻められ、その後、永禄元年(1558)の浮野合戦で敗れ、翌二年三月遂に落城した。
本丸跡の「織田伊勢守城址」の碑は安政七年(1860)に建てられたものである(案内板より)。






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