goo blog サービス終了のお知らせ 

青い空のもとで(日記)・・・・青い空の下で

「メインのHP」は左下のブックマークから(人生の目的・哲学・キリスト教と科学・医学。命の木と善悪の木。青い空の下で)

「国家財政を考える会」について(記録用)

2010-06-08 02:40:34 | 日記
(以下、記録用です)

「国家財政を考える会」について、岸本周平氏(民主党 衆議院議員)
のブログより引用

***
(以下、引用)

日々!国家財政を考える会
2010年05月26日 23時05分56秒 | Weblog   (国家財政を考える会の模様。左端が講師の伊藤元重教授、右端が周平。)

 今日は、議員連盟「国家財政を考える会」の第1回勉強会が開催されました。玄葉光一郎財務金融委員長が代表世話人。理事の私が事務局を担当しています。

 このブログでも何度も書いてきましたが、日本をギリシャにするわけにはいきません。財政規律を取り戻さないとこの国はたいへんなことになるという危機感を共有する勉強会を立ち上げました。

 議員本人の出席が115人、代理の秘書さんが65人、合わせて180人の参加となりました。

 講師は伊藤元重東京大学教授です。伊藤先生には20年来、ご指導をいただいています。新進気鋭の助教授時代からです。最初に出会ったのは、松下政経塾での勉強会だったと記憶しています。

 今日も、鋭い語り口で財政再建の必要性を語ってくださいました。以下、伊藤先生の講演概要です。

・ギリシャの教訓:市場が国債を引き受けなくなったとき、政府にできる対応策は限られる。増税や歳出削減を行おうとしても、国民がそれを容認しようとしない。

・国債バブル:金融機関は国債リスクを心配している。実際に国債価格が下がり始めるリスクが出てくれば、償還までの期間の短い国債に乗り換えることでリスク回避しようとするだろう。

・金融政策でできることには限りがある。デフレは財政再建の上で大きな障害ではあり、穏やかなインフレが好ましいが、金融政策だけでそうした状況を作り出すことが可能であるかどうかは疑わしい。

・国債に大量の資金が流入していることが国債金利を低く抑えている背景にある。ある意味で景気低迷が日本の財政運営を楽にしていると言ってよいだろう。しかし、景気が拡大していくと、大量の国債の存在が市場金利を引き上げる重要な要因となりかねない(クラウディング・アウト)。

・財政状況の厳しさが、結果的に医療・介護などの社会福祉の本格的な改革を起こらせている。そうした状況を国民が不安に感じ、結果的に国民は過剰な金融資産を保有している。つまり消費が抑えられている。GDP比の(ネットでの)家計金融資産比率は、ドイツやフランスが200%、英米で300%であるのに対して日本は400%である。NIRA(総合研究開発機構)の試算によると、日本人が老後の生活などを維持するのに必要である以上にため込んでいる過剰貯蓄はおおよそ100兆円となっている。

・基礎収支の黒字化を中期目標に:明確な財政健全化プランを提示することで市場を沈静化させる

・増税は必ずしも景気を悪くするものではない:ケインズの均衡財政乗数の理論(A円の増税と同額の歳出増は有効需要をA円だけ増加させる。乗数は1となる)。
・戦略的な増税のあり方:タイミング、規模など

・将来不安を解消することの景気刺激効果

・日本の成長戦略と整合性を取れる税の設計が重要:北欧のような社会民主主義国家でも法人税は引き下げて国際競争力の強化を図っている。また、地方所得税はフラットな30%前後になっており、消費税も非常に高い。一方で所得再分配や貧困対策は歳出(社会保障、教育)で行っている。

以上、今日の先生の配布資料からの抜粋です。

(引用終わり)

学会で広島へ

2010-06-02 18:52:41 | 日記
JR北陸線が糸魚川付近で不通のために、広島から東京周りで帰りました。
(都内の上野近くの某蕎麦屋さん。蕎麦もおいしいが、ちくわの天ぷらが美味。)

【ただ生ける神に頼る】

2010-03-23 19:56:09 | 日記
【KFCにてのルークさんのメッセージ・レジメより】

(以下、引用)

2010.03.21

【ただ生ける神に頼る】

私たちは霊においては再生され、新しい霊と新しい心を得た神の新創造です。しかしこの体は依然として古い創造に属しており、物質的な世界と関係しています。そしてこの身体には諸々の必要があるのです。

ここでこの体の欲望をめぐって私たちの葛藤が生まれます。その欲望自体は罪ではありません。問題はその欲望をいかに満たすかです。神の定めた方法以外で、自分の方法で満たそうとすること、すなわち神からの独立が罪なのです。


神は私たちのすべての必要をご存知でいてくださり、それを満たす手段と時を定めておられます。ここで問われることは、私たちの神への信頼、信仰です。

パウロの言う肉(flesh)とはこの信仰と対立し、御霊から独立して、自分の方法と時に従って身体の必要を満たすことです。これには大脳辺縁系が関係していますから、身体の贖われるときまでは現実的には100%の完全はあり得ませんが、身体が贖われるときには、まさに100%の栄光が現れます。ここに私たちの望みがあるのです。

私たちにはどれほどの地上の生活が残されていることでしょうか?問題は短かろうが、長かろうが、その日々の中でいかに主を知るかです。

あらゆる環境や問題において、神の御手を見ることができれば幸いです。

神は真実であり、不義な行為には裁きを、義の行為には報酬をくださいます。混乱の世に起きる事柄も、病んだニッポンキリスト教に起きる事柄も、すべては神の公義と真実を見る機会とすべきです。

神は生きておられます。そして私たちの人生に積極的に介入されることを願われるのです。喜んで介入していただきましょう。



仕分けについて

2010-03-20 19:08:44 | 日記
(以下、ネット記事より)

「今回の民主党による事業仕分けショウの仕分け対象事業は、財務省が337事業を選定してマニュアルと共に仕分け人に渡しています。レンホー様も枝野様も、振り付けどおりに台本を読んでいるマペットという理解が正しいかと思われます。

最終的に何が言いたいかと申しますと、事業仕分けをやって予算を削りに削ったけれども、やはり財源が足りない。ついては増税するから、民意を受けた民主党に絶対服従しなさいね、という結論が見えていますよ、ということでございます。」

参考になる見解です。

大雪

2010-02-10 09:38:18 | 日記
新潟市としては、大雪でした。
下記のニュースの現場は、家の割と近くです。http://news.goo.ne.jp/picture/kyodo/nation/CO2010020701000121.html
この日、帰宅途中、地吹雪を久々に体験しました。埋まるほどではなかったのですが、けっこう前の視界が悪くなり、運転は危ないです。

***

もともと、新潟県の山の方で生まれ、また、5才から3年間は高柳町の山の方にいたので、その頃はもっと豪雪でした。毎年、12月から3月までは、地面が見えなかったと記憶しています。(毎年2メートルは積もっていたと思います。)でも、新潟市では30センチ積もっただけでも、特に朝の通勤が困ります。(ふだん、30分のところが、1時間半くらいかかる)

新年

2010-01-04 12:32:47 | 日記
皆様、(少し遅くなりましたが)新年あけましておめでとうございます。
昨年は、いろいろとコメントを下さり、ありがとうございました。
本年も、つたないブログですが、どうぞ、よろしくお願いいたします。

(ことしも、思いつくままに書くだけになるかと思いますが・・・・^^)

(最近、腰椎ヘルニアのためか坐骨神経痛気味で、整形外科に通っています。
あらためて、「お医者さんや薬ってありがたい」ものだと、感じています。)

(しかし、毎日のアクセスが感謝なことに数10もあるのですが、これには、「迷惑メール」のような「迷惑コメント」の出しどころを、自動でサーチしているアクセスも入っているのだろうか??)

【ポップスの曲と聖書と神】(4)

2009-12-31 09:33:41 | 日記
【ポップスの曲と聖書と神】(4)

【「アメリカン・パイ」という曲について(その2)】

「アメリカン・パイ」(ドン・マクリーン)の歌詞をあらためてよく読むと、以下のような内容がメインであるように思えてきた。
(私が中一のころに好きだった曲が、実は、神と救いに関する内容だったとは驚きである)

「以前、音楽こそが自分に生きる支えを与えてくれていた。しかし、ある記事を読んでから、音楽は死んでしまった、つまり、音楽は「死すべき人間」を救えるような神的なものではないとわかった。
しかし、音楽の代わりに、教会が自分を救ってくれるかというと、自分にとってはそうは思えなかった。教会の鐘はこわれており、自分が一番あこがれていた三位一体の神、父・子(キリスト)・聖霊は、海岸に行く列車に乗って、離れたところへ行ってしまったように思える。」

***

まず、「アメリカン・パイ」という題名は、同名の小説?から取られているのであろうか。
下記のサイト
http://www22.ocn.ne.jp/~kuroneko/T_amepai.htm
には、それを舞台化した記事がある。
そしてそこにはこう書いてある。

***

(以下、引用)

御仕舞いまで歌わない、歌えない「アメリカン・パイ」は、原作を読んだ者にはもの哀しく映った。医師により死を宣告された少女の気持、「まだ何もしていない、何処へも行っていない」と言ったリューの回想の台詞は、心に沁みた。

子供の頃、毎年春先と秋口の喘息のシーズンには眠ってしまったら
息が継げないから死ぬと信じていた自分とダブった。「死にたくない。まだ何もしていない何処へも行ってはいない。」それが何日間か続いて力尽きて意識が遠のく。朝方悪夢にうなされながら生きていたことを自覚する。そしてそれは生きていていいシーズンの始まりともいえた。

歌を歌うこと、みんなの心に残ること、自分の心に残ること、精一杯生きたことへ
の満足、精一杯でなくてもいいから生きていたいことへの未練、そんなことをイッパイイッパイ舞台を見ながら思い出していた。
(引用終り)

***

このように、「バイバイ ミス・アメリカン・パイ」という歌詞の意味は、とは「私は、まだ、死にたくない。まだ何もしていない。何処へも行ってはいない。・・・・しかし、自分の音楽は死んでしまった。この少女と同じだ。」ということを言いたいのだろうか?

***

さて、アメリカン・パイの歌詞を見てみる。
(http://www.eigo21.com/03/pops/26.htmから引用させていただきました)

「あの未亡人の記事を読んだとき
泣いたかどうかも覚えていない
でも何かがボクの深いところで感じるものがあった
音楽が死んだ日が来たんだ」

・・・・自分は、音楽を生きがいとして来たが、ある新聞記事を読んだ時に、心の奥で何かを感じ、自分の中では音楽も死んでしまった(=音楽が、自分の絶対的なよりどころではなくなってしまった)。



「王が下を向いたすきに
道化師は王のトゲだらけの王冠を盗んだ
裁判は延期され
評決は答申されなかった」

・・・これは、ピラトのもとでのキリストの裁判を思い起こさせる。
王とはキリストであり、「トゲだらけの王冠」とは「いばらの冠」のことであろう。




「ボクにとって神聖な店に降りていった。
ここで昔音楽を聞いたんだ。
でも店長がいうには音楽はもうかからないと言った。」

・・・この「神聖なる店」とは教会のことだろうか?「教会で昔 賛美歌を聴いて心が癒されたが、今の自分は、教会で賛美歌を聴いても癒されることはなくなってしまった」という意味か。(これは、『教会に行っても、そこには、自分にとっての救いはない』ということを象徴的に言っている?)


「教会の鐘は全部割れていて
ボクが一番あこがれていた3人の男達
オヤジ,息子,聖霊は
海岸に行く列車に乗って行った」

・・・「オヤジ,息子,聖霊」とは「父なる神、子なる神=キリスト、聖霊」という三位一体の神のことである。
この歌詞は「教会は、自分にとっての救いは提供してくれない。神も、自分から離れていってしまったように感じられた。」という意味に思える。

***

繰り返しになるが、マクリーンが「教会」という組織ではなく、「聖書自身に啓示されている、生きた神の救い」や「救い主である、キリスト自身」に出会って、本当の救いと出会ってくれれば良かった。

そのポイントは「命の木の平面での、素晴らしい生き方」と出会うかどうかにかかっていると思う。

(もちろん、「いのち」に満ちた、良い教会もありますが・・・。ちなみに、聖書的には教会とは「キリストの体である、本当の信徒の集合」であり、従って、それは「目に見えないもの」です。)

【ポップスの曲と聖書と神】(3)

2009-12-27 23:23:06 | 日記
【ポップスの曲と聖書と神】(3)

また、同じくジョージの「マイ・スィート・ロード」
は、曲名自体が「私の 優しい主(≒神)よ」である。

しかし、その「主」とは、傾倒していたクリシュナという人のことらしい
が・・・・

いずれにしても、ジョージが「キリスト教会」において、聖書の神と出会えなかったことは、残念である。やはり、教会は、律法主義的な固苦しいイメージから、恵みによる生き生きとした生き方へのの変革が必要であろう。誰もが魅力的と感じる「命の木の生き方」、すなわち、「生き生きとした健やかな生き方」を世に提示すべきであろう。

***

(以下、サイトhttp://musicfan.exblog.jp/10836697/より、引用させてい
ただきました。)

My sweet lord   私の 優しい主(しゅ)よ
Hm, my lord   私の主
Hm, my lord   私の主よ

I really want to see you   私は本当に あなたに会いたい
Really want to be with you   本当に あなたと共に居たい
Really want to see you, lord   本当に あなたに会いたい、主よ
But it takes so long, my lord   でもそれには とても長い時間がか

かります、我が主よ

My sweet lord   私の 優しい主よ
Hm, my lord   私の主
Hm, my lord   私の主よ

I really want to know you   私は本当に あなたを知りたい
Really want to go with you   本当に あなたと共に行きたい
Really want to show you, lord   本当に あなた(の姿)を拝みたい

、主よ   
That it won't take long, my lord   それは そんなに長くはかから

ないでしょう、我が主よ
(hallelujah)   ハレルヤ(神を讃えよ)

My sweet lord    私の 優しい主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)
Hm, my lord    我が主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)
My sweet lord    私の 優しい主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)

I really want to see you   私は本当に あなたに会いたい
Really want to see you   本当に あなたに会いたい
Really want to see you, lord   本当に あなたに会いたい、主よ
Really want to see you, lord   本当に あなたに会いたい、主よ
But it takes so long, my lord    でもそれには とても長い時間が

かかります、我が主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)

My sweet lord   私の 優しい主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)
Hm, my lord   私の主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)
My, my, my lord   私の、私の、私の主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)

I really want to know you   私は本当に あなたを知りたい
(hallelujah)   (ハレルヤ)
Really want to go with you   本当に あなたと共に行きたい
(hallelujah)   (ハレルヤ)
Really want to show you, lord    本当に あなた(の姿)を拝みた

い、主よ
(aaah)
That it won't take long, my lord    それは そんなに長くはかから

ないでしょう、我が主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)

Hmm
(hallelujah)   (ハレルヤ)
My sweet lord   私の 優しい主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)
My, my, lord   私の、私の、主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)

(間奏)

Hm, my lord    私の主よ
(hare krishna)   (ハーレ、クリシュナ)※
My, my, my lord   私の、私の、私の主よ
(hare krishna)   (ハーレ、クリシュナ)
Oh hm, my sweet lord   私の 優しい主よ
(krishna, krishna)   (クリシュナ、クリシュナ)
Oh-uuh-uh
(hare hare)   (ハーレ、ハーレ)

Now, I really want to see you    今、私は本当に あなたに会いた


(hare rama)   (ハーレ ラーマ)
Really want to be with you   本当に あなたと共に居たい
(hare rama)   (ハーレ ラーマ)
Really want to see you, lord   本当に あなたに会いたい、主よ
(aaah)
But it takes so long, my lord   でもそれには とても長い時間がか

かります、我が主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)

Hm, my lord    私の主よ
(hallelujah)   (ハレルヤ)
My, my, my lord    私の、私の、主よ
(hare krishna)   (ハーレ、クリシュナ)
My sweet lord    私の 優しい主よ
(hare krishna)   (ハーレ、クリシュナ)
My sweet lord    私の 優しい主よ
(krishna krishna)   (クリシュナ、クリシュナ)
My lord    私の主よ
(hare hare)   (ハーレ、ハーレ)
Hm, hm
(Gurur Brahma)   (グール・ブラフマー)※
Hm, hm
(Gurur Vishnu)   (グール・ヴィシュヌ)
Hm, hm
(Gurur Devo)   (グール・デーヴォー)
Hm, hm
(Maheshwara)   (マヘーシュワラハ)
My sweet lord    私の 優しい主よ
(Gurur Sakshaat)   (グール・サークシャート)
My sweet lord    私の 優しい主よ
(Param Brahma)   (パラム・ブラフマ)
My, my, my lord   私の、私の、私の主よ
(Tasmai Shree)   (タスメー・シュリー)
My, my, my, my lord    私の、私の、私の主よ
(Guruve Namah)   (グラヴェー・ナマハ)
My sweet lord    私の 優しい主よ
(Hare Rama)   (ハーレ ラーマ)
My sweet lord    私の 優しい主よ
(hare krishna)   (ハーレ、クリシュナ)
My sweet lord    私の 優しい主よ
(krishna krishna)   (クリシュナ、クリシュナ)
My lord    私の主よ
(hare hare)...   (ハーレ、ハーレ)


※ hare krishna :この辺りから、ヒンドゥ教の神々を讃えるマントラ
(賛歌)が入ります。 クリシュナ(ヴィシュヌ)やブラフマーはヒンド
ゥの神々の名。 「ハーレ」は(その神の)エネルギーを意味するとか。

『霊魂は、たとえ今は物質との接触という眠りによって圧倒されていても
、「ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハ
レ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ」
というこの超越的な音の振動によって蘇らせることができます。「ハレ・
クリシュナ」とは、単に至高主と主のエネルギーを指し示したものです。

「ハレ」はエネルギーを意味し、「クリシュナ」は至高主の名前です。し
たがって、ハレ・クリシュナを唱えるとき、私たちは次のように言ってい
るのです。「おお、主のエネルギーよ、おお、主よ、どうか私を受け入れ
てください」』
「クリシュナ意識の単語帳・第12段落」より→

http://ammolite4.exblog.jp/7680307/

※ Gurur :「グル」はヒンドゥーの伝道師、霊的な師のこと。インドで
は神と同じ存在として敬意が払われている。 意味としては、「ブラフマ
ー(ヒンドゥーの神:仏教の梵天)はグルであり」、「ヴィシュヌはグル
であり」・・・ ということがマントラで歌われている。
これ以下は「グルー・ディヤーナム」に全て出てくるので、以下を参照。
gurur brahma gurur vishnuhu  グル・ブラフマー グル・ヴィシュヌ
gurur devo maheswaraha  グル・デーヴォー マヘーシュワラハ
gurus sAkshAt param brahma  グル・サークシャート パラム・ブラフ

tasmai shrI gurave namaha  タスメー・シュリー グラヴェー・ナマハ

『グル(霊的な師)はブラフマーであり、グルはヴィシュヌであり
グルはシヴァであり、彼自身が至高の神です。
尊敬するグルに敬服いたします。』 ―という意味とか。

(引用終り)

【ポップスの曲と聖書と神】(2)

2009-12-27 23:22:39 | 日記
【ポップスの曲と聖書と神】(2)

また、ジョージ・ハリスンの曲「ギヴ・ミー
ラヴ」にも、「神」を求める内容がある。


Give me love Give me love
Give me peace on earth
Give me light Give me life
Keep me free from birth
Give me hope
Help me cope, with this heavy load
Trying to, touch and reach you with,heart and soul

OM M M M M M M M M M M M M M M M M My Lord . . .

PLEASE take hold of my hand, that
I might understand you

Won't you please Oh won't you

【ポップスの曲と聖書と神】(1)

2009-12-27 23:21:05 | 日記
【ポップスの曲と聖書と神】(1)


昔流行したポップスの曲には、神に言及したものも少なくない。
例えば、ドン・マクリーンのアメリカン・パイという曲には、次のような
歌詞もある。

***

(アメリカン・パイのサイトより引用させていただきました。一部改変。
http://www.eigo21.com/03/pops/26.htm)

Did you write the Book of Love
And do you have faith in God above
If the Bible tells you so
Do you believe in rock 'n roll
Can music save your mortal soul
And can you teach me how to dance real slow

愛の書なんて書いたことある?
天の神様なんか信じてる?
もし聖書が言う通りに天に神様がいたらの話だけど
ねえロックンロールを信じてる?
音楽は死すべき人間を救うことができるかな?
ゆっくり踊るにはどうしたらいいか教えてくれる?



And in the streets the children screamed
The lovers cried, and the poets dreamed
But not a word was spoken
The church bells all were broken
And the three men I admire most
The Father, Son and the Holy Ghost
They caught the last train for the coast
The day the music died

通りでは子供達が泣いていた
恋人達も声を上げていた, 詩人は夢を見ていた
でも一言も言葉はない
教会の鐘は全部割れていて
ボクが一番あこがれていた3人の男達
オヤジ(=父なる神),息子(=子なる神・キリスト),聖霊は
海岸に行く列車に乗って行った
音楽が死んだ日に

***

「教会の鐘は全部割れていて
ボクが一番あこがれていた3人の男達
オヤジ(=父なる神),息子(=子なる神・キリスト),聖霊は
海岸に行く列車に乗って行った」とあるが、作者は「教会」に失望したの
だろうか?だとすれば、とても残念なことである。

教会が人を失望させないためには、ただ一つ、「善悪の木の平面で生きる
こと」を教えるのではなく、「命の木の平面で、生き生きと、人間らしく
生きることの尊さ」を伝えるべきであろう。