goo blog サービス終了のお知らせ 

青い空のもとで(日記)・・・・青い空の下で

「メインのHP」は左下のブックマークから(人生の目的・哲学・キリスト教と科学・医学。命の木と善悪の木。青い空の下で)

苦難と神(その2)

2011-03-23 13:17:23 | 聖書 Q&A (詳細)
(「苦難と神の関係についての試論」・・・その2)

***

【Q】「神を信ずるキリスト者でも、幼くして子供が死んだりする不幸が訪れることがありますが、
なぜですか?」


【A】「あくまでも、一つの試論ですが、次のように考えることはできないでしょうか?
世の終わりに、神の前に立った人の弁解を封じるためかもしれないと
考えられます。つまり『私は、もしキリスト者の深い信仰を見たならば、その神を信じたで
しょう。例えば、自分の幼い子供が不幸にして死んでしまっても、それでもなお神の愛を疑わず、
神をあがめて生き続けるような、そういう深い信仰です。しかし、そういう深い信仰を見ることも
聞くこともできなかったので、私は、神を信ずる機会がありませんでした。』・・・
という弁解です。」

(注:ヨブ記には似た記事がある。)

苦難と神

2011-03-23 13:15:57 | 聖書 Q&A (詳細)
地震の直後で恐縮ですが、地震の後 黙示録を読んでいてあることを考えたので、
忘れないうちにアップしておきます。

***

「なぜ、神がいるのに、この世に苦難があるのか?」
については、2000年以上も議論がなされてきた。
(かつて、このHPでも触れたと思う。)

最近、これまで聞いたことがない「試論」を考えついた。
(or 与えられた)

***

【Q】「神がいるのに、この世ではなぜ苦難があるのですか?」

【A】「以下、あくまでも、一つの試論です。世の終わりに、神の前に立った人の弁解を封じるためと
考えられます。つまり『私は、地上では幸せで、何も問題がなかったので、神もキリストの十字架の
救いも信じませんでした。もし、不幸だったなら、神に心を向けることができたでしょう。』・・・
という弁解です。」

タラントのたとえ話

2007-04-05 23:33:46 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】
マタイ福音書、25:14~30のイエスのたとえ話で、1タラントを渡された人が貯金をしないでいた事が、なぜいけなかったのでしょうか?


【A】

まず、聖句を解釈する時に、最も重要なポイントの一つは、

①「第一の戒め(心をつくし、精神をつくして主を愛すること:マタイ22:36)」に照らし合わせて考える」ということと思います。
(←これは、意外に盲点となっているかもしれませんが、非常に大切なことであると、最近つくづく思います。)

さらに、同じマタイ22章の、
②「自分を(愛する神が、心をこめて作って下さった自分として)愛すること」(←実は、これも入るはずであると思います。なぜなら、自分を愛せない人は、隣人も愛せないと思うからです。)
③「隣人を愛すること」
にも照らし合わせて解釈するのはもちろんですが、なんと言っても、
「心をつくして主を愛すること」が、最大の土台です。

「主を愛していない人は、自分をも、隣人をも、本来の愛し方では愛せない」と思いますので。。。

***

以上をもとにして考えてみると、1タラントをもらった人は、

④主を「酷な人」(口語訳です)と思っており、「主を恐ろしいお方と、恐れていた」のですから、完全に①の「最も大切な第一の戒め」に反しています。
(つまり、「人間の行動の原理・土台として最も大切なこと」に反しています。)
しかも、「与えられた才能・潜在能力・賜物」を、自分を生かすためにも、隣人のためにも使おうとしていないのですから、上記の②③にも、反しています。

***

つまり、こういう生き方は、「イエスが最も大切なこと」と言われた、
「①②③のように、主・自分・隣人を愛する生き方」とは、全く「正反対」の生き方と言わざるをえないでしょう。

したがって、神はこういう生き方は適切ではない(つまり、こういう生き方では、幸せにはなれない)と注意を喚起されたのではないでしょうか。

***

以上のように考えてみましたが、いかがでしょうか。。。

キリストの救いを知らずに世を去った魂はどうなるのか?

2007-01-14 18:40:23 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】
キリストの十字架に対する信仰が、「永遠の命の条件」だとすると、
キリストの福音を聞かずに世を去った魂はどうなるのですか?

【A】
この問題につきましては、次のサイトの、久保有政師の考えが参考になるかと思います。(ただし、内容の一部には、反対意見もあるようです。)http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/seiseco.htm

なぜ脳生理学を研究されていた管理人HSさんは,キリスト教を信じているのでしょうか?

2006-11-11 11:43:36 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】あるところで,工学・脳科学・心理学では,心も魂も実在せず,脳がつくった幻想であることが実証され常識となっていると,00さんが言ってました。
わたしキリスト者ですが、この唯物論者の科学者の意見に同意できません。
なぜ大脳生理学を研究されたHSさんは,キリスト教を信じているのでしょうか?
(投稿頂いた ご質問より)

【A】

「実証」はされていないと思いますが、それらの分野のほとんどの人は、無神論者であり、(死後も残るような)「魂」は無いと考えていると思いますので、そういう意味では「常識」と言えるかもしれません。

>なぜ大脳生理学を研究されたHSさんは,キリスト教を信じているのでしょうか。

(正確には、大学の5年生の時に信仰を持ち、そのあとで、卒後4年間、院生として、脳生理学を学びました。)
私の出身大学関連では、実は、医師の中には、けっこう キリスト者がいるようです。しかし、一般的に、科学者には「すぐには、神を信じない」傾向はあるかもしれません。
その理由を考えてみました。

①科学は「実証」されたこと以外は、受け入れないというのが原則であるから、そういう思考パターンになっていると思われるから。

②「神が全てを造られた」としてしまうと、その時点で、思考停止になってしまう(←実際は、そういうことは無いのですが)・・・と、敬遠されているのではないか。(別の言い方をすると、「科学の研究が、面白くなくなってしまう」)

③私がそうであったように、「進化論」と合わないキリスト教は間違いである、と考えている科学者は多いと思われる。
(ちなみに、進化論を信じているキリスト者もいるので、実は、この問題には、必ずしもこだわらなくても良いと、今は考えていますが・・・)

④科学者でなくても、日本人の多くは「神は本当におられる」と言うと、「そんな、ばかな」と反射的に思ってしまう傾向があるのではないか。

さて、ご質問を「なぜ進化論を信じ、「進化論」と合わないキリスト教は間違いであると考えており、大脳生理学を研究したいとその頃考えていたHSさんは,キリスト教を信じているのでしょうか。」と少し変えさせて頂くと、お答えは次のようになります。

①「進化論」を捨てられないまま、神と出会ったから。(詳細は、HPの「創造主なる神と出会うまで」に書いた通りです。)

②(「神」なしでは、「何のために生きるのか」の答えが、「原理的に」出せないと思っていますが、)「何のために生きるのか」の答えなしでは、生きられなくなったから。

簡単ですが、こうとしか、説明できないようです。

「超能力」についてどう考えますか?

2006-11-03 09:40:20 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】「超能力」についてどう考えますか?

【A】

私も以前、「超能力」というものに、大きな興味を持っていました。UFOとかにも・・。
しかし、聖書の神と出会ってからは、考えが変わりました。

聖書信仰からすると、超能力と称されるもの(の一部)は、
聖書にあるように「この世を惑わす、良くない霊的存在」が関与する可能性があるので、注意が必要だと思っています。

人は、知識欲や好奇心のために、超能力的なものや不思議なものに、惹かれる傾向があると思いますが、是非、聖書の中の


「不思議で、すばらしく、ある意味神秘的な」


創造主なる三位一体の神にも、興味を持って頂ければと思います。

(福音書のなかで、キリストが「神の力」という超能力で、不思議なわざを多く行なわれたように。)

「自殺」と「特攻隊・自爆攻撃」の違い

2006-11-01 07:02:40 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】キリスト教では、現実逃避的な自殺は禁じられているとして、神風特攻や自爆テロといった自殺的行為はどうですか?


【A】

さて、まず申し上げておきたい事は、私は、「これは、神が禁じられている行為かどうか?」という考え方は、あまりしないです。

「キリスト教は、これはいけない、あれもいけないと言っている」というような誤解に対して、私自身、大きな疑問を持っています。

正しい聖書信仰は、「戒律」を強調するのではなく、
「人間が、真に自由に生きるためのもの」です。

***

私は、「ある行為が適切か否か」を考察する際に、「神の禁止事項かどうか」と考えるのではなく、イエスの言われた「最も大切なこと」である、

「心をつくし、精神をつくして、主なる神を愛する」(マタイ22:37)

ということに、一致するか否かを基準に考えています。

***

さて、「神風特攻」については、そもそも、
「背景となる第二次世界大戦そのものについて、神がどう考えておられたか」
という問題が先であると思いますので、なかなか、回答が難しいです。
(自爆テロも同様です。)

ただ、次の聖書の言葉が、一つのヒントになるかもしれません。

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」
(ヨハネ福音書、15:13)


(ちなみに、人類の罪を背負うという目的を持って、十字架に自らかかったキリストの行為も、「広い意味」では自殺に含まれてしまうかもしれませんが、上記の聖句が、解答になるかと思います。)

***

自殺にしても、何にしても、「心をつくし、精神をつくして、主なる神を愛する」という最重要事項に、一致するか否かが、「その行為は、神の御旨にかなっているかどうか」すなわち、「神の栄光をあらわす行為かどうか」を判断する上で、大切なことだと思います。


したがって、三浦綾子氏が事実に基づいて書いた小説、「塩狩峠」の主人公の
行為

・・・・脱線寸前の、暴走列車の車輪の下に飛び込んで、乗客の命を救った行為・・・・

は、「神を愛し、人を愛した結果の行為」なので、「自殺」であるにしても、「神の栄光を表わす行為」であると考えられます。


聖書を研究することについて

2006-10-25 07:01:49 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】内村鑑三の「余輩は、聖書に盲従せず。」についてどう思いますか?

【A】
これは、人間には理性が与えられているので、当然であると思います。

ただ、聖書の研究には「知恵」が必要です。「知恵」がないと聖書が警告
しているように「愚かな議論」になってしまう恐れがあります。

(基本的には、私は、いわゆる「正統的信仰」のように、
「聖書は『信仰の規範となる神のことば』である」と考えています。)

「聖書が示すゆえに真理なりと言わず」について

2006-10-25 07:00:28 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】内村鑑三の『余輩は聖書が示すゆえに真理なりと言わず、真理なるが故に真理なりと言う。』という言葉を、どのように受け止めますか?

【A】

この言葉には同感です。

私たちには、神から与えられた「理性」もありますので、聖書に書かれたことが「真理か否か」、または、「そのように真理であるのか」を吟味することは、信仰者にとっても、間違った事ではないと思います。

「私たちは、霊によって霊のことを解釈するのである。」とコリントⅠ、2:13にあります。
つまり、「私たちは、最終的には、自分の霊によって、神の霊のこと、つまり、神のみこころ(御心)(=真理)を解釈するのである。」と言うことだと思います。

つまり、「聖書に書かれた「文章・文字」に、いたずらに こだわるのではなく、
その背後にある「神の、本当の意図・真意」を理解することが重要である。」と思います。

ロボットに魂は発生するか?

2006-10-21 12:38:44 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】人間と同等以上の自由意志を持つロボットが実現可能だと思われますか?
そのロボットは、人間が作ったことになるのでしょうか?神が創ったことになるのでしょうか?
ロボットには魂はあるのでしょうか?

【A】

難しい問題ですが、今回も、聖書の記述に基づいて返信させて頂きます。
(なぜなら、私は科学の知見も尊重しますが、「聖書は、基本的には、そのまま『神のことば』として考察するほうが、いろいろな点で『聖書全体の整合性』を保てる」と考えるからです。
また、もし、創造主がおられるなら、魂についても「その創造主自身の啓示の書である聖書に聞くのが適切であろう」と思われるからです。)


★さて、聖書に、
「母の胎のどの時期に、神が(胎児に)魂を入れるのか、私にはわからない。」
とあります。

これを、直接引用するならば、「神が魂を入れない限り、ロボットに魂は無い」ということになります。

★ただし、次のような問題が出てくるように思います。
それは、動物の「意識」との関連です。

私の考えでは、「ネコや犬のような動物」にも、「おぼろげながらの意識」かも知れませんが、「意識」はあるようにも思えます。
(ただし、人間と違い、(神から与えられた) 「霊」はないと思います。)

そこから類推するならば、「脳の発達に伴って、自然に、動物の意識も生じたのではないか」という考えが出てきます。

もしそうなら、(脳は物質から構成されるので)、物質から構成される「ロボットの電子頭脳」からは、絶対に意識が生まれないと断言することが、果たしてできるだろうかという気もします。

★今回の質問は、いろいろな問題点を含んでいる難しい問題ですので、この位の回答が限界です。とりあえず、今のところは、以上のような考え(というより、印象程度のもの)を持っています。

神は何故、人が自殺することができるように造ったのですか?

2006-10-21 12:31:55 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】神は、なぜ、人が自殺することができるように造ったのですか?

【A】
「なぜ人は自殺することができるのか?」については、「人は、神によって自由意志が与えられたから」ということに、なると思います。

「自由意志」は「人と神が、人格的な関係を持つ」ためには、「必須」であると思います。「自由意志は、人間の尊厳のためには、必須のものである」という言い方もできると思います。
(もし、人に自由意志が無いとすると、人は「ロボット」になってしまうと考えられます。)


聖書の翻訳や誤訳についてどう考えますか?

2006-10-09 06:48:48 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】

聖書の、翻訳による原典とのニュアンスの違いや、翻訳上の誤訳などはどう考えますか?

【A】

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって」と聖書にあります。
(テモテⅡ 3:16)

まず、次のことは「きわめて重要である」と思います。

それは、(私の考えでは)

「神の真理(=神の みこころ)」を「人間の使う言葉」に表現した時点で、
そこには、すでに、原典であっても、「厳密性」という視点からは「あいまいさ(≒ゴミ)」がついてしまう」

という事です。

(つまり、「原典」であっても、そこには、「複数の解釈が生まれ得る」ということです。)

たとえ、「ヘブル語やギリシャ語の原典」であっても、
「人間の言葉である以上、そこには、「言葉の持つあいまいさ」が入ってしまう可能性がある。」
と思います。

(例えば、「ちから」という言葉から浮かぶイメージは、人によっては「完全に同じではない」という事です。「ほぼ」同じではあるでしょうが・・・)

つまり、私が言いたいのは、

「聖書の字句」(←これも、もちろん大切ですが)にこだわるのではなく、
「聖書を通して、神が言いたい「真意」を「悟る」ことが、最も大切なことと思われる。」

ということです。

キリストが「聞く耳のあるものは、聞くがよい」といわれた通りです。

***

例えば、新約聖書のコリントⅠ、2:10~15の中で、

13節に「この賜物について語るにも、私たちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、
御霊(=聖霊なる神)の教える言葉を用い、【霊によって霊のことを解釈する】のである。」とあります。

(「聖霊なる神の教える言葉」とは、私の解釈では、コリントⅠ、14:2などの、「(地上では使われていない、神の国の言葉も含むとされている)異言」であると思いますが、詳細は省きます。)

***

【以上からのまとめ】

①「聖書の原典」は、もちろん大切なものです。
②同時に、正確な翻訳も大切です。
③「翻訳の誤り」は極力避けるべきですが、もし、「一部に」誤訳があったとしても、私にとっては、本質的な問題になることはありません。

④それは、「聖書全体を通して、神のイチバン言いたいこと」を「悟る」ことが、重要だと思うからです。
(聖書は「行間を読みなさい」と言われています。)

⑤そして、「神の真意に最も近づくための重要な方法のひとつ」は、上記のコリントⅠ、2:13にあるように、

「霊によって霊のことを解釈すること」であると思います。

つまり、人間の言葉を超えて、「(神から各自に与えられた)霊」によって、「神の霊」のことを「ほぼ直接的に」解釈することだと思います。
(これは、前述のように、「御霊の教える言葉による祈り」によって、深められる領域と考えます。)

⑥このように、聖書と信仰の世界の深いところには、「聖書の字句」を超えた世界があり、それは、(あえて申しあげるならば)一部の誤訳に影響されることは無いと考えます。

⑦また、神は「聞く耳のある者は、たとえ、一部に誤訳が生じても、それによって、本質的な影響は受けない」と判断されたので、「人間の手で聖書を書く」ことを、容認されたのではないかと思います。

神が殺すことを命じたらどうするのですか? ②

2006-10-09 05:04:08 | 聖書 Q&A (詳細)
(続き)
②【旧約時代の戦争について】

これも正直に言って、当然、私も疑問に感じるところです。

いくつかの、仮説を含む説明を考えています。

(1)聖書の啓示は「漸進的な啓示」と言われていますが、これも、この「戦争」の問題を考えるポイントであると思います。(「漸進的な啓示」とは、「少しづつ、ページをゆっくりめくるように」神のみこころが、「段階的に」人類に示されてゆく、というものです。)

旧約時代の、神の目的のひとつに、
「人類は、放っておくと、多神教になってしまう傾向を持っているので、徹底的に 神は唯一である、ということを、教育する」ということがあったとされています。
(→当然これは、いずれは、神の子キリストに関連してゆきます。)


この「神は、ただひとり(←三位一体の神)である」ということを、まず、
「人類のモデルケースとして選んだ、イスラエル民族」に教えるために、
「他の民族との戦争」も用いられた、

のでは無いかと、考えています。(・・・私の、考えでは、「これを用いるしか、方法がなかった。」のではなかろうかと思います。←何故なら、これは、人間の「自由意志」を犯さないという条件のもとでの方法、であるので。)


また、「相手の民族は」は「はなはだしい罪に満ちていた」ことも、重要なことであると思います。
(旧約聖書を実際に読むと、敵の民族の中の「真の神に、立ち返る者」を、神は救われている場面もあります。)


(2)他に、旧約時代の戦争は、新約時代の信仰の戦いの「教科書」的な意味があるという考えなどがあります。

***

現代は、「キリストの十字架の救い」が宣べ伝えられている時代(新約時代)」であるので、旧約時代と異なり、「「殺しなさい」と神が命じること」は無いと考えられます。

神が殺すことを命じたらどうするのですか? ①

2006-10-09 04:54:57 | 聖書 Q&A (詳細)
【Q】神が殺人を命じたらどうしますか?

【A】

①【神が、アブラハムに『息子のイサクを、いけにえにせよ』と、言われた件について】

これは、「アブラハムと神の特別な関係の、『特殊例』であった」と考えるのが、良いように思います。

ちなみに、意外に、知られていないことですが、

「アブラハムは、神が、イサクを、よみがえらせて(=生き返らせて)くれると、信じていたと考えらる。」

といわれています。(創世記、22:5、ローマ4:17他)

***

いずれにしても、後の時代に、『神は何故、アブラハムにこんな、殺人の命令をしたのか?!』という「つまずき」を与えかねない ことを全能の神は、知っておられたはずです。

それにも かかわらず、こういう記事を、聖書にのせた神は、逆に、「すごいおかたである」というのが、私の感想です。

***

それだけ、神は

「私たちに対して、聖書を通して、何かをどうしても知らせたいと『本気』である」

ということだと思います。

***

そして、聖書に啓示してある世界は、まさに、キリストが言われたように、

「聞く耳のある者は、聞くが良い!」という世界であり、
「私たちが、真理を求める姿勢を、本気で試される世界」なのであると思います。

(続きます)