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青い空のもとで(日記)・・・・青い空の下で

「メインのHP」は左下のブックマークから(人生の目的・哲学・キリスト教と科学・医学。命の木と善悪の木。青い空の下で)

【聖書Q&A】  偶像礼拝について

2008-10-25 09:19:23 | 聖書(Q&A)
(MIXIというサイトでのご質問をもとに、書かせていただきました。)

Q:

偶像礼拝とは何ですか?また、どうして、いけないのですか?

***

A:

もし、聖書に自身を啓示している創造主が、本当の神であるならば、その創造主が、私たちをこの世に送り出した「本当の親」になります。

***

例えば、私たちが、この世の両親に対して、「あなたたちは、本当の親ではない。あのおじさん夫婦が、私の親だ。」といったら、「親不孝」になります。

同じように、「自分という人間を造ってくれた、本当の神」以外のものを神として認めることを「偶像礼拝」と言います。
ですから、偶像礼拝は「親不孝」だから いけない・・・・ということになります。


人生の目的

2008-09-29 18:59:08 | 聖書(Q&A)
MIXIというサイトで頂いた情報などをもとに、次のようなものを書いてみました。(正確を期すために、使命と目的を分けてみました。)

***

Q:「人間の使命は、何ですか?」

A:「創造主である神を知り、神を愛し、神をほめたたえ、神と共に歩んで、神の栄光を表わすことです」

***

Q:「人間の人生の目的は、何ですか?」

A:「神を知り、神を愛し、神をほめたたえ、神と共に歩んで、神の栄光を表わす」という使命を行なうことと、「神に愛されること」です。

ただし、
「善悪の平面(これは、キリスト者として、していいか悪いか・・・・といつも考えている生き方)」
で生きると、この目的は「義務・重荷」となります。

「命の平面(キリストの命で、いきいきと生きる生き方)」で生きると、この目的は「喜び」になります。・・・このように、ちょっとした「コツ」が必要です。



罪を犯し続けること

2007-05-27 02:28:37 | 聖書(Q&A)
ルークさんのHP(左下からリンク)から、重要と思われたので引用させて頂きました。(一部編集させて頂いています)

【Q】
「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません」ヘブル10章27節
これは救いを受けた者が罪を犯し続ける状態において厳格に適用させるべきでしょうか。この箇所を読むと非常に厳粛な気持ちになるります。

【A】
ここのキーワードは「ことさらに」、英語では"willfuly"です。あえて、意図的に、罪を犯し続けることです。私たちは肉の弱さのゆえに時々に罪を犯しますが、「ことさらに犯し続ける」のはけっこう大変なことですよ。内なる霊は喜ばないからです。

と言うわけで、これは特殊な霊的状態と言うか、自分の過ちを決して認めない病的に頑なな状態と言えるのではないでしょうか?00さんのように心配になったり、厳粛な気持ちになる人は該当しないと思いますよ。

神が創った人間が、なぜ悪事を働くのでしょう?

2006-11-06 21:42:20 | 聖書(Q&A)
【Q】神が創った人間が、なぜ悪事を働くのでしょう?

【A】

人間は、「神に似せて」(創世記1:26)、良いものとして造られましたが(創世記1:31)、尊い「自由意志」という、人間の「尊厳」にとって重要なものを与えられました。

人間は、その「自由」によって、「自分の意思で」(悪の根源である、サタンに誘惑されて)神にそむく選択をしてしまったのが、人間の「悪」の始まりであると考えます。

神は、人間を「機械的に、強制的に、良い事しかできないような ロボットのような存在」には造らなかった、という事であると思います。


「聖書Q&A」をお読みくださる方へ

2006-10-21 12:14:21 | 聖書(Q&A)
【前提となる事項】

次のことがらを、念頭において頂けますと幸いです。

①私が神を信じたのは、「聖書に関する疑問が すべて解決したからでは無い」という事です。(詳細は、HPの「創造主に出会うまで」)

②私は、「疑問が すべて解決する前に」、神が存在すると確信するに至りました。
 従って、聖書Q&Aは、「神が存在する」という前提で、記述することとなりますので、ご了承下さい。(←このため、読む人によっては、「言いわけ」に聞こえる可能性があると思います。)


②神の御旨を「真理」とすると、私の作業は、「モデルを作ること」と言えます。
つまり・・・「こう考えるならば、いくつかの事実が説明できそうである。」
という作業を、私はしているのであると思っています。

人間は「神の考えを、この世では、完全には理解できない」という限界を
わきまえる必要があると思います。
これは、聖書も主張していることです。(コリントⅠ、13:12)


ちなみに、これは、「ニュートンの法則や相対性理論も、それらが真理かどうかが問題なのではなく、現象を説明するための『モデル』となるかどうかが問題なのである」・・・という考えと、ほぼ同じであると思います。


こんなに愚かな人類を造る神はいるのでしょうか?

2006-09-18 14:40:01 | 聖書(Q&A)
(あるお方との意見交換をもとに、まとめさせて頂きました。
感謝します。)

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【Q】戦争をくり返すなど、このように愚かな人類を創る全知全能の神は、
本当にいるのでしょうか?

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【A】確かに、人類は「愚かなこと」をします。

よく考えると、この「愚かな行為」とは、「自己中心的(≒自分勝手)な事をしてしまう行為」と言い換えることができるように思います。

(以下、「進化論」ではなく「創造論」の立場(創世記の記述に基づく立場)で、話を進めます。)

「愚かな人類」とは、「神の教えに従わず、自分勝手な行為をしてしまう人類」ということができると思います。

(「神の教え」とは、旧約時代では「十戒」を初めとする「律法」であり、
新約時代では、それを、内面から裏打ちした「子なる神・キリストの教え」です。)


「神の教えに従わず、人類が自分勝手な行為をしてしまう」のは、
「(人間の尊厳にとって、必要不可欠な)自由意志」が、人に与えられたからであると思います。

神は人を、「神の教えに必ず従う」ようなロボットのようには、造らなかったと言えます。

ですから、人には、「神の教え(=愛のある行為)」に従うか、
神の教えを選択せず、「自己中心的な行為」を選択してしまうか、
のどちらかを選択する「自由意志」が与えられています。

ですから、「どちらを選択するかは、『個人の責任』である」ように思います。


*****【まとめ】*********************************************

①人には「自由意志」が与えられている。

②神が、どんなに、人を「良いもの」として造ろうとしても、
いや、もしかすると、「良いもの」として造ろうと思えばこそ、
「自由意志」は不可欠であった。
なぜなら、「自由意志」がなければ、「人間」とは言えないからである。

③人が「自由意志」で、神のルール(≒神の教え)を選択せず、
自分勝手な考えを選択したときに、結果として「愚かな行為」となってしまう。

④どちらを選択するかは、「人間の責任」と考えられる。

(参考「創世記1:31」)

フツーの日本人には分かりにくい「罪」とは一体何か?

2006-09-13 23:47:46 | 聖書(Q&A)
【Q】聖書のいう「罪」とは何ですか?

【A】罪については、日本人にはとくに、わかりにくいかもしれませんね。私は次のようにまとめています。

①「罪とは、人間として、本来の姿ではないこと」と考えると、わかりやすいと思います。

②まず、私たちを愛して、生まれさせてくれた本当の親である神さまを認めないことは、よく考えると「親不孝」の罪といえます。
・・・これを、その人は「罪の状態」にあるといいます。

③次に、その結果、私たちは、「本来すべきではないこと」(つまり、愛の足りない行ないや悪いこと)をしてしまいます。
・・・・これを「罪の行ない」と言います。

(イエス・キリストは、私たちを、この「罪」の状態から救うために来られた
「レスキュー隊」のようなお方です。)