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クリエイティブが大好きなのに、なぜか商社マンになってしまった私のマニアバース!

武蔵の城跡めぐり ~ 沢山城 (三輪城)!

2020-03-21 10:22:00 | 日本の城、日本の寺
我が家の近くには、たくさんの城跡が存在する。横浜市青葉区から東京町田市の一部、そして川崎市麻生区の一帯は、古墳なども多く見つかっており、縄文、弥生時代から実は結構栄えていたエリアであったことが分かっているのだが、室町時代、戦国時代にも多くの城が建設されたらしいのだ。



以前ご紹介したものとしては、僕がきなこの散歩で頻繁に訪れる生田緑地にあった枡形山城址、港北にある小机城址、茅ヶ崎城址、恩田川沿いの成瀬城址、つい先日紹介した荏田城址、そして王禅寺エリアにあった亀井城。これらの城は全て自宅から10-20分圏内にある城跡ばかりである。つまり、ひと駅毎に城があったのではないかという距離感に城が多く存在していたということである。この武蔵の国の城は、天守閣が残っているものは無く、神奈川全体まで広げてみても、立派な天守が残る、又は再建されているものは小田原城くらいのものだ。その意味では、立派な城跡が多く残る関西に比べると、武蔵の国の城跡は遺構が僅かに確認出来る程度の城も多く、かなり地味である。しかし、城好きも僕のレベルに来ると、むしろこう言った地味な城跡を散策する方がむしろ楽しめるような気がしてきたから、既に病気の域に入ってきた(笑)。



前置きが長くなってしまったが、今回紹介したいのは『沢山城』、叉の名を三輪城。この城跡も、自宅から車で10分程度で、田園都市線青葉台駅と小田急線柿生駅の間にある、三輪町にあったお城だ。沢山城と書いて“さわやまじょう”かと思えば、これは“たくさんじょう“と読むらしいから面白い。




沢山城の詳細は謎が多いが、北条氏からの朱印状に記載があったようなので、小田原城の支城としての役割を担っていたものと思われる。

沢山城は、現在の緑山近くにある、沢谷戸自然公園という公園の裏の小高い丘に存在した城。このエリアはちょうど鶴見川が流れており、支流との合流するャCントでもある。戦国時代には、恐らく鶴見川も今よりは幅の広い川だったような気もするので、大きな川の近くに城を建てるのは王道のやり方である。防御という観点と生活用水を確保するという意味でも川のそばに城を構えるのは理に叶っているのだ。



鶴見川を挟んで北側に位置するのが、亀井城跡。柿生から市ヶ尾を抜ける横浜上麻生道路の亀井橋前という交差点にもその名を残しているが、亀井城は以前ブログでも取り上げたように、こちらも多くは無いものの、一部土塁や堀切などの遺構を残す城跡だ。戦国当時はちょうとお互いに向かい合うように城を構えていたのではないかと思われる。




沢山城は現在私有地となっており、この土地の地主さんである荻原さんの所有となっているが、ご厚意により、一部沢山城の遺構を観賞することが出来る。






沢谷戸自然公園の西側入り口の左脇にある狭い階段を上がっていき、公園の北側を進んで行くと、土塁や堀切と思われる遺構を見ることが出来る。そしてこの公園裏のエリアは七面山と言われているが、小高い丘の上に七面神社が建っている。沢山城の頃は、ここに櫓か小天守が建っていたのではないかと妄想する。








沢山城には少し開けたエリアもあり、今は畑になったりしているが、ここも戦国時代当時は二の丸、三の丸的な居住スペースだったものと想像される。






沢山城の北側には、横穴式古墳などを見ることが出来る。



また北側には高蔵寺というお寺がある。



また西側には熊野神社がある。



やはり城のそばにお寺はつきものである。どのお寺も大きくは無いが、それぞれに味があってよい。熊野神社には巨大な切り株が祀られていた。



そして沢山城の南側には、廣慶寺(こうけいじ)というお寺もあって、ここには干支にまつわる碑がたくさん飾られたちょっとした参道があって、なかなかユニークで面白い。






社の飾り彫は結構古そうで味わい深い。また、境内入り口には可愛い眠り猫が飾られていた。




そして廣慶寺の隣には、東京都指定史跡となっている“西谷戸横穴墓群”がある。



このように、このエリアは城跡あり、たくさんのお寺あり、横穴古墳ありと、地味ながら密かに歴史の息吹を感じることが出来るエリアで、深堀していくとかなり楽しい。今回はまず表面を舐める程度だったが、またこれから何度か足を運び、更に地元の歴史を勉強してみたい。


家から最も近い、荏田城跡へ!

2020-02-06 18:50:00 | 日本の城、日本の寺
東急田園都市線の江田駅の近くに、“荏田城”というお城があった。歴史は古く、平安時代に遡るが、江戸時代には小机城の支城という位置付けで、規模的にはそう大きくなかったようだ。

城跡好きとしては、かなり前からこの地元の荏田城跡が気になっていたのだが、基本的に殆ど遺構が残っていないらしく、行っても見るものがないと思って諦めていたのだが、先日思い切ってきなこを連れて行ってみることにした。



荏田城跡はまさに江田駅から徒歩2分くらいの小さな丘にあり、外から見ると現在は立派な貞Mとなっている。ちょうど国道246号線と東名高速が交差する場所。遺構として一部空堀などがあるらしいのだが、残念ながら現在は私有地になっており、敷地内には入れないので、その遺構らしき場所を見ることが出来ないが、246側から周わり込むと、かなりの貞Mエリアが広がっていることがわかる。





北側からみると、斜面に僅かではあるが、堀切のような場所も見てとれる(ような気がする)。


本当はいけないのだが、一部荏田城跡の西側の細い道を通ってみた。ここはもともと城のど真ん中であった筈なのだが、東名高速の建設により、大幅に削られてしまい、遺構がたくさん失われてしまったらしい。とても残念なことだ。特に遺構らしきものは確認できなかったが、貞Mはかなり立派だ。




このエリアは江戸時代に大山街道として江戸に伸びていた大事な街道であり、荏田は荏田宿という宿場町として栄えていたらしいのだ。今でも所々に看板などがあって、当時を少しだけ偲ぶことが出来る。



荏田城は残念ながら、あまり遺構を確認出来ず、城跡としてはかなり物足りない気もするが、一応自宅から一番近い城跡でもあり、今回見える範囲でとりあえず押さえることが出来て、何だかすっきりした。



2019年夏 信州/上田へのお城旅! (2日目)

2019-08-18 16:42:00 | 日本の城、日本の寺
上田観光2日目の朝、別所温泉を後にして、再び上田電鉄で上田市内に移動。



まずは原町という商店街を通り、一路上田城へ。上田城の敷地はかなりの規模で、美しいお堀も残された城址公園となっている。まずは二の丸橋を渡って二の丸東虎口から入り、市立博物館を見学。別館もあり、こちらにも多くの貴重な資料などが展示されており、とても勉強になる。




続いて上田城で最も有名な東虎口櫓門へ。ここは北櫓と南櫓の間に櫓門が新たに平成になってから復旧されており、まさに多くの写真などに出てくる上田城の顔。天守閣の無い上田城ではこの門がその代わりを立派に果たしている。



暑い中、真田幸村に扮した武将が観光客をお出迎えしており、写真撮影などにも快く応じていた。



入り口には真田石と呼ばれる巨石が石垣に残されており、ここも良い撮影ャCント。



北、南櫓は内部を見学出来るようになっており、櫓から見る内堀もなかなか見事。また櫓の2階から見降ろす芝生広場の眺めもなかなか素晴らしい。






本丸には真田神社が建立されており、ここも人気スャbトで、多くの観光客がお守りやおみくじを購入していた。



また、真田の家紋である六文銭の大きな兜が。



西虎口には、西櫓が残っているが、こちらは江戸時代から現存するもので歴史的価値は最も高い櫓。中を見学することは出来ないが、外側から見る古い櫓の作りを楽しむことが出来る。



城内を東虎口から出たところにお土産もの屋があるが、その奥に千本桜という人気のお蕎麦屋さんがあり、ここの名物である六文銭天ぷらそばを注文。ちくわで六文銭を模ったデザインの天ぷらはかなり大きく、食べ応え充分。蕎麦は前日刀屋で食べた腰の強い蕎麦とは違い、比較的一般的な蕎麦であったが、なかなか美味しかった。



ランチの後は、上田で人気の観光スャbト、柳町へ。大通りから1本内側に入った通りで、そんなに長くないが、柳町というだけあって、所々に柳があり、とても江戸情緒が満喫出来る古い街並み。有名な地元のパン屋さんルヴァンや、お蕎麦屋さんのおお西、雑貨屋さんのコトバヤ、オシャレなカフェ、岡崎酒造、はすみふぁーむワイナリー直営店、武田味噌直営店など素敵なお店が立ち並んでいた。






この中でまずは武田味噌直営店へ。ここは武田家に所縁のある方が昭和初期に創業した味噌の工場があり、直営店も併設されていてお味噌や味噌せんべいなどを販売していた。同じ武田姓として妙に親近感を持った為、この店に立ち寄り、お味噌せんべいをお土産購入。店主の武田さんと少しだけ会話する機会も出来たが、とても印象深い訪問となった。





また、立ち寄った本・雑貨屋さんの“コトバヤ”はとても可愛いお店だったが、2階では地元上田市在住のイラストレーター3名の展示会が開催されていた。どの作家の作品も可愛い作風で、自分の作画においてとても刺激になった。こういった地元アーティストを知る機会にも巡り合うことが出来るのも、僕にとっては旅先での大きな楽しみの一つだ。







続いて、長野県内で“はすみふぁーむ”という小さなワイナリーの直営店で、メルローのワインを1本お土産に購入。どうやらこのワイナリーの社長は、アメリカで高校・大学を過ごした後に大リーグ球団職員を経て、帰国後栃木のワイナリーに勤務したのちに自分のワイナリーを立ち上げて独立しようと、長野に移住した方のようで、なかなかユニークな経歴の持ち主のようだ。




柳町を後にして原町商店街に戻り、今度は池波正太郎 真田太平記館を見学。こちらも池波正太郎に関する資料が多く展示されており、あまり知らなかった僕にとっても勉強になった。さいとうたかをが描く“鬼平犯科帳”の漫画なども展示されていた。



そして最後に、地元で有名な“みすゞ飴”のお店でお土産を購入。飴と言っても、ちょっと硬めのフルーツグミという感じでなかなか食感が良い。ビルは古き良き大正ロマンを感じさせる創りで、中は多くの観光客で賑わっていたが、ここで会社、自宅用に幾つか購入した。




旅行中に地元の土産物屋、雑貨屋などを周るのが好きなのだが、いつも何か旅の記念になりそうなもの(ぬいぐるみや置物など)を買うようにしている。今回も立ち寄った“若林陶器店”でとてもキュートな犬の置物を見つけ、一目惚れしてしまって即買い。どことなくきなこに似ているようで、ちょっとうつむいた表情が何とも可愛い!こういった動物の置物は通常猫が多く、可愛い犬の置物が意外に少ない為、今回はかなりの掘り出し物、そして良い思い出の品を見つけてしまった。



最後に上田市内のご当地マンホールをまた発見。こちらもカラー版と普通版を見つけることが出来て、これでまた僕のマンホールコレクションも増えた。




こうして楽しい上田城ツアーは終わった。夏真っ只中の暑い時期の旅行となったが、とても有意義で充実した城旅となった。今回真田本城跡と上田城の2か所を見学し、これで訪れた城の数は53箇所となった。



2019年夏  信州/上田へのお城旅!(1日目)

2019-08-17 12:56:00 | 日本の城、日本の寺
今年の夏休みは、お盆の週後半に念願の長野県上田市を訪れた。上田と言えば、あの人気戦国武将、真田一族の里としても有名な土地である。上田は北陸新幹線で軽井沢駅の2駅先なので、東京からも2時間以内で行けてしまう距離感にて意外に近い。しかし、一大人気リゾートの軽井沢に阻まれて、わざわざ上田を訪れようという人も少なかったかもしれないが、NHK大河ドラマ『真田太平記』や記憶に新しい『真田丸』の大ヒットによって一気に活気付いたらしいが、現在は落ち着きを取り戻している。



そんな上田は、昔から訪れたい町であった。なぜなら、ここに僕がまだ訪れていない関東の城、“上田城”があるからだ。上田城には天守閣が無いのだが、それでも立派な櫓が3棟、そして見事な堀などが残されたスケール感のある城址公園となっており、また歴史上あの徳川軍を2度も撃退した難攻不落の名城としても戦国史にその名を刻む城だ。

今回、そんな念願を叶えるべく、ついに上田夏の陣に出陣したのである。まずは北陸新幹線で上田駅に降り立つ。駅前は比較的こじんまりとした雰囲気ながら、地方都市のターミナル駅としては平均的な規模感か。ロータリーの正面には早速真田幸村公騎馬像がお出迎え、気分を盛り上げてくれる。



駅から徒歩15分程度の場所にある上田城は2日目に行くことにし、初日は真田エリアと呼ばれる、上田から車・バスで20分ほどの山間を周ることに。

スタート地点は、ゆきむら夢工房という観光案内所から。入り口には真田幸村のゆるキャラ、“ゆきたん”がお出迎え。




ここで電動自転車を無料でレンタルし、まずはお決まりのコースとなっている真田歴史館へ。ここには真田一族の歴史に関する展示品なども多くディスプレイされていてとても勉強になった。



そして続いては真田氏館跡へ。ここは公園のように整備されているが、昔真田一族が屋敷を構えていた場所として、今は神社が祀られている。当時門があったであろう場所に石垣の跡なども残されている。




そして次に1日目最大の目的地、“真田氏本城跡”へ。ここは上田城が出来るまで真田氏がお城を構えていた場所で、上田の町を見下ろせる丘の上にある山城だ。堀切や虎口など残された遺構もあって、城跡好きには見応えのある城であった。





山城だけに、結構急な斜面を自転車で昇って行ったが、電動自転車じゃなければ厳しい傾斜であった。しかし本城跡からの眺めは抜群で、頑張って登ってきた甲斐が充分あった。




続いては、真田氏の菩提寺、長谷寺(ちょうこくじ)へ。ここには真田幸村の祖父となる幸隆、父の昌幸のお墓がある。



そして最後に、真田の里で有名な山家神社に立ち寄った。派手さは全くないが、境内に真田神社を備え、とても厳かな雰囲気が漂う神社であった。



さて恒例のご当地マンホール探し第一弾! 真田の町で、真田十勇士のマンホールなどを発見!カラー版と普通版があった。




ゆきむら夢工房で自転車を返却し、バスで再び上田市内へ。そして信州となれば、やはり蕎麦と考え、上田市内で有名なお蕎麦屋さんの“刀屋”に向かった。ここは、“真田太平記”を執筆した池波正太郎が好んで訪れていたという地元の有名店。お昼にはかなりの行列が出来ていた。



定番のざるそば(中)を注文したが、中サイズでもかなりの量!普通の蕎麦屋だと大盛りくらいの量はあろうか。そして麺が何とも太くて腰のあり、癖になる歯ごたえと美味しさであった。



お昼の後は上田駅からローカル線の“上田電鉄”に乗り、この夜宿泊する別所温泉に向かうことに。上田電鉄は幾つか異なるタイプの車両があるようだが、乗ったのはシルバーとネイビーの比較的現代的な車両。ワンマン電車にて途中駅はほぼ無人駅。車内で整理券を受け取って、バスのように降りる際に支払う仕組みはローカル線にはつきものだ。30分に1本くらいのペースで運航している。国内旅行では、こういったローカル線の旅も味わい深くて楽しい。2年前に松江から出雲大社に移動した際に利用したローカル線や、伊賀上野城を昔訪れた際に乗った伊賀線などが懐かしく思い出される。



途中、下之郷という駅で下車し、武田信玄の書状が残るといる生島足島神社を訪れた。なかなか立派な神社で、竜宮城のような朱色の建物や鯉がたくさん泳ぐ池が印象的であった。




境内には“歌舞伎舞台”と呼ばれる古い建物があり、中には武田信玄の直筆の書状が展示されていた。




再び上田電鉄に乗り、終点“別所温泉駅”まで移動。



そして別所温泉郷の中でも大正ロマンを感じさせる“旅館花屋”にチェックイン。レトロ風というよりは、本当に古い、歴史のある木造建物が何とも趣があり、素晴らしい温泉旅館。別所温泉は全く派手さが無いが、真田幸村も当時頻繁に好んで利用していたらしく、風情のある愛すべき温泉町であった。



2日目はいよいよ本旅行のメインイベントとなる上田城へ(続く)。




関東の城址、『深見城跡』を初見学!

2019-05-12 12:11:00 | 日本の城、日本の寺
昨日訪れた『ほしのや』に行く途中246を走っていると、横浜町田インターを少し過ぎた辺りに、『城山史跡公園』というのがあるのをカーナビで発見して気になってしまい、自宅に帰って調べてみると、ここには深見城という中世のお城址であることが判明。あまり有名では無いようにも思うが、自宅からも30分くらいのこんな近い場所に、まだ知らない城跡があったこと自体も驚いたのだが、まずはどんな城址かを確かめる為、今朝きなこの散歩がてら行ってみることに。

深見城址は、城山史跡公園の場所の向かいにある場所で、手付かずで保存されている森林エリア。公園の近くにある駐車場で車を停めて、早速森林浴散歩に出発。




駐車場から、城山史跡公園を左手に見ながら細い路地を進んで行くと、深見城址が見えてくる。近所には大きな地元の家などが見える。






入り口には深見城址に関する案内版が。どうやら発掘調査により、16世紀の戦国時代に築城された城らしい。藤原氏の末裔と言われる山田伊賀守経光によって築かれたと言われているが、あまり資料も残っておらず定かではない模様。



縄張りの図もあるが、境川を背に、なかなか興味深い構造になっていたようだ。



城址の敷地に入っていくと、両側には土塁らしき形状もあり、ちょうど空堀の底が通路になっているかのような古道が境川に向かって引かれていた。途中には天竺坂と書かれた碑が建っており、どうやらこの空堀の道と交差する南北方向の道は鎌倉古道と呼ばれていたようだ。





途中には多くの空堀・土塁跡も残っており、城址を思わせる遺構として確認出来た。







古道を抜けると境川に到着。ここは歩道なども整備されている。



そして城址をぐるっと一周してみたが、大和市のマンホールを発見したので、恒例のマンホール紹介として2種類載せておこう。




深見城址はなかなか小粒な城址だったが、僅かながらも遺構が確認でき、自宅からも近いこの元相模国、武蔵国には古戦場も多く、今は遺構が確認出来ない城址も多く残っていると思われ、なかなか奥が深い。