友人から「はんなり」って京都弁を教わりました。
上品でしっとり華やかな様子を意味する言葉、だそうです。
うーん、縁遠い言葉だ。
最近、女性層に一眼レフが売れてんだって。
デジタルになってフィルム代なくリーズナブルでなのか、お手軽なのか、ブログで発表する場ができたからなのか。
携帯で写真撮るのも圧倒的に女性って気がするのは、いつも女性ばかりを見てるからかな。
少し前の使い捨フィルムでも女性が多かったような気がする。
ブログを見てると女性の写真ブログが目につく。
男とは絶対的に感性が違うので、凄く新鮮だし上手い。
いわゆる「はんなりな写真」だよ。←使い方あってるのかな。
中にはどっちかわかんないのもいるけど。
イメージ先行で被写体を探してるのか、どんな被写体でもイメージ通りに撮っちゃうのか、とにかく真似してみるけど難しい。
先日、知人の奥さんのお母様が亡くなられたと聞いた。
80歳くらいなのかな。
そのお母様の趣味が写真だそうで、若い時からず~と撮り続けて海外に行ったり、いろいろな賞を獲られたそうだ。
フィルムは膨大な量があって、子供たちにはその価値がわからない。
で、破棄するらしい。
なんかセツない。
↑私のツボ。押すと私が気持ちいい。
戴けたりはしないのかしらね。
どの様なものを撮られていたのか気になるけども、
チョット大げさだけど貴重な文化遺産だよ。
「捨てちゃいかん!」って言ってよ。
私も祖父の日記が、大学ノートで腰の高さくらいまであります。
癖のある文字だし(旧仮名も混じっていたりして)
かゆくなりそうだし(虫が付いていそう。^^;)
いまだに悲しくなっちゃいそうでなかなか読めないんだけれど、取ってあるよ。
まぁ、老後の楽しみだわね。^^
(ずーーーっと先のこと、って意味よ♪)
膨大なフィルムの量と聞いて第一に思ったのは保存状態だよ。
一般家庭の保存状態は知れてるからね。
湿度によるカビがはえたり変色してる可能性がある。
色ムラがあると写真的価値が半減するけど、歴史的価値があるなら多少は大丈夫。
でもその量を誰が全部見て判断するかだね。
次に物理的な量を、その家に置いておけないから破棄するんだけど、それをデータ化すれば場所を取らない。
ただし、データ化するには相当の時間がかかる。
どこに保管して誰がデータ化するかの問題。
知人は最低必要限のPCソフトしかやれないから、多分できないと思う。
自分の写真は捨てられても良しとするけど、コレクショングッズは生前にどこかに寄付しちゃおかと思うよ。
あっ、売って飲めや歌えやだな。
空っぽのタンスの中に白い襦袢を縫って置き病院で亡くなった祖母は身辺整理をきちんとしてあの世に行きました。私もそうしたい。でもね、空っぽのタンスにまだあったものは私があげたハンドクリーム。銀色のメッシュの袋にでリボンがけしたラッピングは開けられてませんでした。思い出すと今でも目が潤みます。
そんなかっこいいこと書いても実際はごっちゃごちゃな現在の私。まだまだ死なない~。死ねない~。
日記を書く習慣がなかった。
人に見せることのできないものを何で書くのだろうか?
書くのはいいとしても、その時間やエネルギーは・・・。
宙ぶらりんの感じがするけど。
このあたりは書かない人からすると全く謎なんだけど。
ブログを日記のようにしている人もいるけど
これは公開前提だもんね。
写真だって公開できる物とそうでないものとがあるのはわかる。
公開できない物は、公開されて自分自身が恥ずかしいだけで、
その他に問題が発生するのだろうか?
いかなる写真もその時代を記録した貴重な資料だと思うのだけどね。
デビちゃんのいうように保管方法が心配だね。
色が落ちる程度ならいいけど、フィルム同士が密着してたらもう大変。
東京近辺だったら、江戸東京博物館に寄贈すれば、
喜んで引き取ってくれるような気がするけどね。
内容によるけれども。
綺麗に片付けられた箪笥の中に手付かずのプレゼントは、ある意味ダイイングメッセージだね。
父親が死んだときは気が遠くなるほどの膨大なゴミの山。
涙はでなかったけど、片付けで汗がでた。
後世に残すもの、残さないもの、考えておいた方がいいようだね。
▼デカちゃん
>フィルム同士が密着してたらもう大変
水に浸しておくと意外と離れるよ。
何とかって液を混ぜると浸透性もいいし。
名古屋にあります。
入り口には舞妓さんがいて、手招きしているからつい入ってしまう。
名古屋にお出での時は、お寄りになったらいかが。
あっと、呑めない人に飲み屋を紹介しちゃいけないね。
http://www.hannari.cc/
ここです。
アロエ・ゆば・胡麻・鶏・芋がちょっとね。
でも雰囲気いいね。