挑戦のグレープフルー2(ツ)

ある日突然、自分が心筋梗塞に!更に大腸癌の発症。病気を通じて知った人の温かさ・冷たさ!私は決して、あきらめない。

私の病気と仕事とバスケット

2005-12-31 23:49:19 | 病気
6月15日に退院してから、度々私を襲う胸痛発作に耐えながら、
3つのプロジェクトのうち、1つめが無事終了。
ほっとした。会社というのは、こういうときに、私の抱える疾患
の事などどうでもいいのだな!?と感じた。会社にいれば、そんな
ことなどなかったかのごとく、上からの業務指示が下る。
ときたま、無理するなよ!と言われるが、言葉に気持ちは一切
感じられない。。。仕事量が減ることはなかった。。
こんな時勢に、仕事があることが幸せだ!また仕事ができる体に
とりあえずいられている現時点においては・・!そんなことで
自分を励ますしかなかった。

2つ目のプロジェクトは、1つ目の進化系であった。難題をクリアし
これも無事2週間遅れでスタートした。
体調が万全ではない時によくここまでやったな!
よくやるよ!私も・・・!

予期せぬことが起きた!
親会社(当社は子会社)のある上長から、この2つのプロジェクトで
完成した業務は、仕事として認めない!私のやったことを「犯罪者」
といって非難した。犯罪者???犯罪者とは、「公共の福祉に反した者」
親会社の上長といえど、この発言は許せなかった。私は上からの命令に
したがっただけ!私の上司はあなたではない!といった
この時ばかりは直属の上長も、私を援護した。親会社が遅いからこちらで
先にやっただけ・・!こころの傷が少しは癒えて感じがした。

会社というのはいろいろなやつがいる!自分は、どんなに道をはずしても
あのような人間にはなるまいと心に誓った。でも現実は、そいつは偉いやつ!
会社はそんなやつでも、上にする。なぜ!?会社が見抜けないのか?
それとも、私が単に「馬鹿なのか」!世の中というのは、本当に不平等に
できている!

でもいつか必ず、やつを超える。超えてみせる。それまで何とか体力が
もってほしい。いつもそう願っていた。

プライベートでは、バスケットのコーチ!子供達に激を飛ばしていた。
今までのように、走れないが、それでも子供達は私を慕ってくれている。
そんな素直で率直な彼らに接しているだけで、会社のいやこと・つらいこと
そして体調の不調など忘れてしまう。あのすばらしい子供達に私が伝えたい
ことは、一人ではない!ということ。人は一人では生きていけない。
人を思うことのできる人は、必ず人から思いやりを受けることができ、
そして思いやりを受けた人は、必ず人へ思いやりをもって接せられる。この
繰り返しで、人は成長していくと信じたい。スポーツを通じてそれを一番
伝えたい!子供達は短期間で着実に成長していた。その成長を見るのが
私の何よりの楽しみだった。

3つ目のプロジェクトが10月20日にスタートした。実はこの間も体調には
いろいろ変化があったが、我慢してがんばった。20日スタートが無事終えた
とおもったその時、突然私を例の胸痛がおそった。いつものことと、即薬をの
んだが、治まらない!ついに、ニトロを飲んだ!初めてのニトロだった。
全身の力が抜けたような感じがした。部下にたのみ、車で病院におくってもらう
ことになった。そこから約2時間はかかるが、高速を使って予定の時間より20
分早く到着!即緊急外来の手続きをして、診察をうけた。軽い狭心症であった。
あと1週間後に入院だ!75%閉塞の治療を受ける日が近い!それまで何とか
踏ん張らねばと思った!

私の病気⑦

2005-12-31 23:42:54 | 病気
6月15日(水)いよいよ退院の日だ!8日から入院して丁度8日目!
短いようで長かった入院だった。

心筋梗塞かあ!?

とにかくこれから暑くなるから、脱水症状には決してならないように!
これが注意点だった。

事務の係りの人が、清算の為病室にきた。請求書をもって・・!
金額約60万円!!た・高い!覚悟はしてたが・・・!
妻が清算するため、貯蓄を前もって切り崩していた。
病気をしなかれば・・!この金はかからなかったのに・・他の
ことに使えたのに・・!家計に多大な迷惑をかけた!
高額医療費請求の対象になるから73000円以上は返還される!
ただし支給は4ケ月は先の話だ!
国なのか県なのか市なのか村なのか不明だが、こういう点をもっと
はやく支給してくれるような配慮を考えてほしいものだ。
サラリーマンにとって60万円は大金だ!
しかも、ベット代の差額と食事代は個人負担だしこれはもどって
こない!こういう時に入院保険がカバーするんだな!と今頃わかっても
遅すぎる。(私個人ははいっていなかった!
妻が特約で私をつけていたので、少々はカバーできた)
妻や子供が入っていてよかったが、肝心の自分が入っていなかった!
これは悔いてもどうにもならん!

支払いが済み、担当の先生・婦長さん・それと2名の男性看護士の方に
挨拶をしてた。
10月にまた入院なので、その時はお世話になります。とりあえず
それまではがんばりますので・・・!と私は言った。
無理はしないでくださいね!何かあったら直ぐ病院へ・・・!
はい!挨拶を交わしてふかぶかと頭をさげ、エレベータで1fへ!

久しぶりに外にでた。とてもいい天気で、太陽がまぶしかっ
た!
家では、父と母が待ちわびていた。「大丈夫か?」と父!
診察券を首からさげていた私を見て父が、「お前までこうなるとはな」
「とにかく、ゆっくりしなさい」
妻は、この後会社にもどった!

自分の部屋に戻るやいなや、パソコンに直ぐ電源をいれた。メールを
確認!私は個人でwebメールを契約しており、会社関係者及び取引
先にはこちらを教えていた。これなら携帯からの確認も可能だし
スケジュールとも連動できるためだ。たくさんのメールが届いていた。
一つ一つに目を通し、返事を書く!
「あすより出勤します」
さて8日分の遅れを取り戻さねば・・!意欲に燃えていた。

夕方軽い食事をして、薬を飲んだ!19:00頃、薬のせいか又は
安心したせいか、眠くなった。きづいたら22:00だった。
トイレに行こうとしたその時、いきなり胸元に違和感を感じた!
とおもったら、手に汗・背中が冷たい・動悸あの男性看護士をコール
した時と同じ症状がでて、私はパニックを起こした。
隣部屋にいる妻を大声でよんだ!
「どうしたの?」

「くるしい!息ができない!即病院へ!」私は必死で訴えた。
妻が「分かった!仕度する」
「はやく!はやく!」もうどうにもならなかった。
妻の車にのり、病院へ!夜間なので20分くらいでつける距離!
病院に到着!緊急夜間診療を受診した。

心電図・血液検査を実施した。宿直の先生は別の専門医だったが、すぐ
担当の先生と連絡をとってくれた。さらに宿直の看護士は私がお世話に
なった病棟の婦長さんだった。「あら○○さん!今日退院したばかり
なのにどうしたの?」
症状を婦長さんに話しをした。宿直の先生は、今計測した心電図と
私の過去のデータを見比べていた。担当の先生は、今の心電図を自宅に
faxしてほしいと宿直の先生にお願いしていた。まつこと10分くらい!
血液検査の結果も上がってきた。両方をみて、宿直の先生がいった。

「全く問題はありません」

私は「・・・・・」「しかし、なんでこんなに苦しいんでしょうか!?」
「退院がはやかったのでは?」

宿直の先生は「主治医の先生が退院できるといったら、それは安全
ということです」
横にいてやさしいまなざしで、私を見ていた婦長さんがいった。

「○○さんね!私だっていつ倒れるかわかりませよ!」
「○○さんの場合は、心筋へのダメージもほとんどなかったし、
 再狭窄の心配も今はほとんどきかないし、第一、普通なら
絶対にみつからなかった疾患を、あの先生は見つけたのよ!」
「私達もあの先生を信頼しているし、先生がそういわれるなら大丈夫よ」
「それは大変な病気をしたから、かなり心配でしょうけど、心配が心配
を呼び、余計に悪くなることもあるんですよ」
「気持ちをリラックスしてがんばってください」

いつの間にか「息苦しさ・めまい・動悸」はなくなっていた。
「今日はとにかく、寝てください!」と宿直の先生!
「あした会社?無理だよ!見たところ責任感が強そうだから、
さぼったこととか今までないんじゃない!?さぼったら・・
すこし」と婦長さん!
ありがたかった。とても・とても!
気持ちが楽になった。
確かに婦長さんのいう通り、馬鹿正直に全力でかけてきた今まで。
さぼったことなど1度もなかった!

時間は2:00を回っていた。妻もあした(というより今日だ)
会社だ。「すまん」と一言わびて、妻の運転で家に帰った。

しかし、このあと10月の入院までに緊急外来を受けた数10回!
そのうち、狭心症の発作であった症状は2回!あとはすべて
精神的なことからくる胸痛発作であることが分かった。

新しい薬が処方された。私に狭心症・急性心筋梗塞のほかに新しい
病名がカルテに記された。病名「パニック症候群」「不安神経症」
であった。

私の病気⑥

2005-12-31 23:38:56 | 病気
6月12日(日)入院して5日目の朝を迎えた。
体は点滴もはずれて、自由となっているが、体調
があまりよくないので動く気になれない。

カテーテルによるステント治療後より、心臓の薬
を処方され飲みはじめて4日目、まだ副作用の
ような、頭痛・熱・吐き気に悩まされた。
とにかく、気持ちが悪い!

検温と血圧を測りに、看護士の方がきた。熱は37・5度
ちょっとあった。血圧は正常!

マイク放送で、「朝食の準備ができました。ご自身で運べる方
はナースステーション前までご協力お願いします」
とのアナウンスに、少し気分が悪いが、食事を取りにいった。
案の定、半分以上残す。

また、専用のワゴンに食事を返却にいった。
そこには、お年寄り・お若い方・子供までがたくさんいた。その人
達に一人一人声をかける看護士の方達。「お味はどうでしたか?」
「きれいにたべましたね」「運んでくれてありがとう」
私もそこに恥ずかしそうに入り、「ごちそう様でした」といって、
返却ワゴンに戻した。「ありがとうございます」元気のいい声が
帰ってきた。落ちこんでいる気分が少々晴れた気分だ。

病室に戻り、テレビをつけるが、集中できない。考えるのことは
やはりこれからのこと。先生には2ケ月は、とにもかくにも
安静にする。事務仕事オンリーならokそれ以外はすべてだめ。
その後は、また状況をみてきめましょうとのこと。

今大事なプロジェクトの真っ最中だった。それは10月にスタートする。
10月といったらそう75%の閉塞の部分の治療の日と重なる。
さて、どうしたらいいか!?考えられることを、もってきた
ビジネス手帳に書きとめた。書き留めたすべてを見たとたん、いても
たってもいられなくなった。一刻も早く退院して仕事に着手しなくては
みんなに迷惑がかかる。気持ちだけが異様にあせっていた。

元気なところを見せれば、1日でも早く退院できたりして・・!

多少調子が悪くても、「大丈夫です」といい続けた。つくづく馬鹿な
男だな!自分でそう思う!会社はそれ程私を評価しているわけでも
ないのに・・・!いれば助かる程度なのに・・・!分かっていても
迷惑をかける相手が部下となるとどうしても、弱いところは見せたく
なかった。

15:00頃だったか、突然息苦しくなった。あの時にことが、フラッシュ
バックした。(救急車と呼んでもらったときの発作)
まさか、75%の閉塞が完全に詰まったのか???
即ナースコールボタンを押す!「どうしましたか?」と担当看護士が
飛んできてくれた。男性の看護士だった。この病棟には2名の男性看護
士の方がいた。入院当初から、一人の男性看護士の方が担当だった。
本当によくやってくれていた。今日は別の方だった。

即、自分の状態を説明。ナースステーションに戻り、誰かに電話をしている。
指示を仰いでいる様子だ。また、即もどってこれられた。
「脈が速いですね」「心電図は異常なしです」「先生に相談しましたら、
これを飲んでくださいとのことです。」といって小粒の白い錠剤を私に
渡した。「これは・・?」と聞くと、「これは鎮静剤ですね。これを飲むと
動悸が治まります」「このままだと、心臓がつかれてしまいます。約20分
後に効いてきますので・・・」静かにうなずいた。

言われたとおりに飲み、寝る体制を横にして、我慢した。このまま退院でき
なかったりして・・・!悪い方悪い方に考えてしまう。そうこうしている
うちに、うそだったかのように、治まった。「ふーーーーう」
「どうですか?」と看護士の方。「大丈夫、向こうでみてますから、
(ナースステーション内の機械)異常があったら飛んできます!」
力強いことばだった。無理して大丈夫という言葉は、さすがにでなかった。
「よろしくお願いします」私は弱弱しくこたえた!

それから約1時間ごとに「どうですか?」「どうですか?」と声をかけて
くれる看護士に、安心感を覚えた。体がリラックスしていった。
しかし、この発作は度々私を襲った。
結果はすべて、正常!すべて通常より動悸が速くなるだけ・・・!

看護士の方に聞いた。「私みたいな疾患を抱えた方は、即社会復帰できて
いるのでしょうかね?」別の男性の看護士にした質問と同様だ。
すると、「ええ!がんばってますよ。仕事だけでなく、ゴルフいかれたり
中には山登りに挑戦した方もいます」
「えーーー!本当ですか?私もゴルフできるようになりますかね」
「勿論ですよ。まだお若いし、今言った人達はすべて○○さんより年上です
よ」自分よりお若い方に、若いといわれるのは照れくさいけど、若いうち
にこの大病が見つかってよかったのかな!?という気持ちになりかけた。

「ところで○○さん」と看護士の方。「随分風呂はいってないから頭
かゆくありません?洗髪所案内しますからどうですか?」
実際かゆくてたまらなかった。入院してから6日目1度も風呂に入れ
るはずもなかっため、もう限界だった。「え!?いいですか?」
「どうぞ!」「洗うの手伝いますよ」と看護士のかた。
「とんでもない!この上そんなことまでして頂いたたらばちがあたりますよ」

洗髪後、とってもすきりした。「本当にありがとうございました」
いえいえ!と看護士の方。健康時にやっていた当たり前のことが、一つ一つ
新鮮にありがたい!と思える。これも、なるべくしてなったことなのか?
運命なのか!?神様がいるとしたら、何を私にさせようとしているのか?
いろいろ考えた。

しかし、すごいのはこの看護士集団!私も事務職とはいえ、激務の毎日。
自分だけが、なんでという被害者意識を直ぐだす場面があったが、
彼らをみていて、それが恥ずかしくみえた。夜昼問わない労働!2交代という
厳しさ。それでも、患者に対するあの笑顔と対応!並の精神力ではできない!
私は立派な仕事の一つとして、この看護士を上げたい!と思った。
私の息子も是非、看護士をとも思った。医学的知識がみにつくし、なんといっ
ても、大病をみることで、自分も周りにも健康ということに
気遣いができるようになる。
私と父のようにならないためにも・・・!

だんだん、また働く勇気がわいてきた。病気と闘う姿勢が出てきた。

私の病気⑤

2005-12-31 23:35:45 | 病気
6月10日午後16:00頃、胸にたくさん付けられた
心電図がはずされ、無線対応型心電図計測装置?へきり
切り替えられた。このことで、点滴を点滴車?をおして
だが、自由に歩くことを許可された。自分でトイレに
いけるということが、こんなに嬉しいことだなんて
思わなかった。健康というのは本当に大事なことだと
はじめて深く認識した日のはじまりだった。

主治医の先生が、問診にこられた。「大丈夫?胸の痛みは
ないですか?」特にはなかった。しかし、私の心臓の血管には
網の金属が入っている!看護士の人が、多少の違和感を最初は
感じるかもしれない。とその前に教えてくれていたが、別に
そのようなことは今のところなかった。
それよりも、私は大丈夫!健康です!先生はやく、退院させて
ください。という気持ちが前にでていた。
先生は「大病をしたんだから、あせらずゆっくりなをしていき
ましょうね」といってくださった。大病?やっぱり大病だよな!
その言葉がショックだった。

先生から詳しい今回の治療の経過報告をするため、家族の人を
呼んでほしいといわれた。とっさに「そんなに悪いんですか?」
と私は先生にお聞きした。「いや、経過の報告です!それとこれから
のことね」これからのこと?これもまた気になる。

18:00から妻と私と先生で、特別な面談室に入った。担当の看護士
の人も付き添った。

パソコンでまず、治療前の心臓の様子が写しだされた。詰まっている
冠動脈の位置が説明された。本当に完全に詰まっていた。しかし
なぜここまで詰まっていて、あの程度の痛みで治まったのか?それが
疑問だった。私の場合はゆっくりと何年もかけて詰まっていったせいで
その足りない血量と酸素を心臓が補おうとしてたくさんの毛細血管
をつくったらしい。このため、自覚症状た小さかったと考えられる
とのことだった。しかし、激しい運動には耐えられないため、階段の
上り下りでも息は切れていたはず!といわれた。実際その通りだった。
いつも、胃が突き上げられる感じがし(2ケ月前位)、会社のトイレが
1Fにあるため、2Fの事務所の自分の席につくやいなや、はーはー
状態であった。自分の仕事が事務仕事であることが幸いした。

今回の治療をしなかった場合、はっきり言って、今年の年を越せたかどうか
分からなかった!と担当の医師は言われた。

沈黙!
妻も黙っていた!

「ここで死んだら、私はうかばれない!」先生にそうお伝えした。
「大丈夫です。今回の治療は本当にしてよかった!」と先生は言われた。
「ラッキーな人です。あなたは・・・」そうじゃない!私は
「先生が助けてくれたんです」と答えた。ありがとうございました。
「これを契機に体をお大事に・・」  「はい」

しかし、左冠動脈も75%詰まっている。こちらは緊急ではないようで
10月上旬にやりましょう!とのことだった。
今回は気に留めなかったが、この75%の閉塞があとあと精神的に自分を
苦しめることになる。

私の病気④

2005-12-31 23:31:55 | 病気
6月9日9:00にはじまった治療は、異常がなかった場合
9:00~10:30の予定だった!しかし、まさか・まさか
自分が急性心筋梗塞だったとは・・・!
そのため、終了時刻は14:00だった。

治療室からでた時、婦長さんが「娘さんかな?がきてますよ!」と
私に声をかけてくれた。娘さん?私にま娘はいない!だれだろう?
それは妻だった!銀行の制服のままきたため、若くみえたのか?
私と同じ年なんだが・・・!心配そうに私に声をかけた!「ずいぶん
ながかったね!」まだ病名は伝えられていないようだ!

「急性心筋梗塞だって」私がそう伝えた!「え?」まさか!という表情だった。

42歳のこの年!スポーツで鍛えた過去の体はどこへやら!気がつけば
標準体重を7kg以上オーバー。それでも、自分は絶対に大丈夫!私が
病気などになるわけがない!そう思っていた。自分は病気とは無縁の人間!

昨年、父が心臓の大きな手術をしたばかり!父のため、遠くの病院まで
往復!何度繰り返したか!父はバイパス手術をした。病院にいく度に
同じ心臓疾患の患者さんを見てきた私は、自分があのような人達の仲間入り
をするなど全く予測してなかった。
悪いところは似てしまうのかな?
そうであれば、私の代で終わりにしなければ・・!息子には行きませんように
・・・!祈った。

病室にもどった。個室に入り、それもナースステーションの隣の室。異常の
事態に備えるものなのか??
たくさんの心電図をとるためのプラグがつけれらた。それと点滴と・・!
「今日は1日うごけません。食事もできません。がんばってくださいね。」
看護士の人がいった。食事は食欲など全くないのでよいが、1日動けない
というのは苦痛だ!しかし、どうにもならない!

妻にも「今日はとりあえず帰ってくれ」「父と母にはとりあえず黙っててくれ」
「それと子供にも・・」

妻は「分かった・・」とうなずいた

ベットの上で考えた。こんな時間をすごすのは何年ぶりかな?
考えてみれば、携帯電話が鳴らない日はここ10年なかったな!
休みの日でも携帯は鳴っていた。今携帯は?やっぱり気になる!
いつの間にか電源を切られている。院内では携帯は禁止だった。
心電図波形に異常をきたすからだ!携帯の電源が切られている
ことに異常な不安を感じた。こん身のちからで携帯に手を伸ばし、
電源をいれた!怒られるかもしれないが・・・!バイブにして、
かばんの中にいれ、外から見えるようにした。悲しいな!携帯が
いつの間にか、体の1部になっていたなんて・・!電源切れる=
=仕事できない!と自然にそうなっていた。勿論、仕事なんか
できるからだではないが、まだ自分の状況を信じきれていない
自分がいた。

何でこうなったんだろう?何で今なんだろう?そして
何で私なんだろう?
今まで一生懸命働いて!会社のために・家族のために・部下の
ために・・・・!気づいたら、体がボロボロ状態!命に別状はなかったことが
幸いしたが、正直どちらかというと、自分は常に2番目・3番目にして
人のことを常に1番に考えていた私だと思っていた。会社で貧乏くじを引いた
ことはしょっちゅうで、それでも、自分にそれをこなす力があるからだと
自分にそう言い聞かせた。なんの悪いこともしていない私が何で
こんな目にあわなければならないのか・・・!気持ちが沈んだ!
悪いことだが、この目にあわなければ
ならない人間は私の前にたくさんいる(会社に)そうも思った。
弱った人間をとことんいたぶるやつ!その時の気分で仕事をして
みんなに迷惑をかけているやつ!えらい人間にうそをつき、
実際は自分では何もしていない。みな下に責任を転嫁するやつ。
あいつも・あいつも・あいつもだ・・・!
そこまで、落ちた私も!
直ぐむなしいことと理解した。

でも、眠れなかった!悔しくて・悔しくて!
答えなどでるはずがない自問自答で,1夜が終わった。

私の病気③

2005-12-31 23:28:49 | 病気
6月9日(木)カテーテルの日
緊張していたためか、朝6:00に目が覚めた。

朝のみじたくを整え終えたあとに、担当の看護士の人
がやってきた。腕から行うため、腕周りのチェック及び
消毒と手術服のようなものに着替えさせられて、車椅子
にのりいざ手術室へ!9:00開始であった。このとき
は朝食は抜き!

こんな大きな検査の経験は初めて!室内の看護士の人・担当の先生がた
数の多さにびっくりした。(これは検査というより手術?ちょっとそんな
予感が・・)

それでは、麻酔を腕に注射します。ちょっと「ちく」っと
しますよ!いよいよだ!緊張してきた。

私の心臓の音が、スピーカーを通じてはっきり聞こえた。
今のところは痛くも・痒くもない!

造影剤を流すとの説明がされ、体が熱くなる!と先生が言われた。
確かに「か!っ」となった瞬間!今まで、比較的、リラックス
されながらやっていたかに見えた先生方の体が一瞬膠着した
かに私には見えた!「○○先生!」と一人の先生が驚いたような
強い口調でいった。
私はいったいどうなってしまったんだろう!と不安がよぎった!
え!何だ!何だ!はっきりいってくれ!心でそう思った!

主治医の先生が、周りにいろいろ指示をはじめた。慌しい雰囲気が
手術室内に漂った。先生がいった!

右の冠動脈が完全に詰まっている!それと左もかなり細い!
いまから、治療します。時間がかかるけど、がんばってくださいね!
私は全身から力が抜けたように感じた。と同時に、もうだめかも!と
いう感じも受けた。

治療開始!腕からとったせいで、治療が難航!(通常は足の付け根から)
血管内は油でどろどろ!吸いだしながら、詰まった箇所に「ステント」
をいれる!と先生がたは会話している。会話からもそうとうひどい状態
であることが伺えた。

苦しい!なんだかこの苦しみは??そうだ、あの時の救急車で運ばれた
時もこの苦しさだった。血管内の油を吸いだすのに、血管をせき止める
ために苦しくなるようだ!しかし、こんなに苦しいとは・・・!

先生!苦しいです!痛いです!思わず叫んだ!

酸素マスクがかけられた!あまりに私がさわぐため、痛み止めもして
もらった。この苦しみが1時間はつづいたか?

汗でびっしょりになった私に、これまたそれ以上に汗まみれになった
先生がマスクをはずし、「うまくいきましたよ!お疲れ様でした」

病名は急性心筋梗塞だった!

私の病気②

2005-12-31 23:25:25 | 病気
6月8日(水)
 8:00に昨夜の病院。検査を受ける。
 午前中の検査は、昨夜と同様、異常なし!
 安心した。きっと仕事の疲れがたまってたんだ!
 それとも、風邪の前兆だったのかな?とも思った。

 看護士の方が、私の名を呼んだ!午後も引き続き、検査
 をしますとのこと!え!?またやるの?
 今度は運動負荷検査(トレットミル)を行うとのこと!

 14:00運動負荷検査実施!これが事務仕事をしていた
 私にとっては結構きつい!息が切れる!
 医師から「胃が突き上げられるような感じは?」
 と聞かれた!
 私はまさにその感じ中だった!「あります」と即答!
 医師と看護士が一瞬顔を見合わせた。

 15:00再度心電図をとる!数人の医師が、「この波
 があがってこなくない??」とごく微量の波形の乱れを
 指摘した。これは私も聞いた!

 16:00担当の医師となる先生が、待合室にきて
 私に言った!カテーテル(心臓造影検査)をやりましょう!
 正常なら3日間の入院で済む!
 と告げられた。
 
 丁度仕事が忙しい最中であったため、来週ではだめか?聞いてみた。
 医師は早い方がよい!告げた先生の目は、ただならぬ予感を感じる
 かのごとく真剣だった。「わかりました」

 即会社に電話!部下にこのことを告げる!「検査入院するから
 3日間だけ時間を頂戴!その間なんとかしのいでほしい」
 仕事のことより、部下は私が検査入院とはいえ入院すること
 に驚いた!

 全然苦しくもない!昨日の夜襲った呼吸困難や脂汗は、単なる疲労
 から来た一時的なものと思ったが、思わぬ展開に戸惑いは隠せなかった。

 カテーテルは2日後にやります。担当の先生が言った。
 今日から3日間もこの病院に泊まるのか!?そんなことと
 仕事のことばかり考えていた。

 妻にたのんで、宿泊の用意をしてもらい、病院にもってきてもらった。
 細かいものは、ちょうど病院前がコンビニなので、そこで調達した。

 食事は明日の朝からだから、夕食は適当に!との看護士からの説明が
 あったので、病院前のラーメン屋さんで、ラーメン定食をたらふく
 たべた。これからしばらく・・大好きなラーメンが食べられなくなる
 ことも知らずに・・・!

私の病気その①

2005-12-31 23:20:00 | 病気
平成17年6月7日(火)
 21:00まで仕事をして帰宅。妻は、会社の飲み会で留守。母が作った
 カツ丼を食べる。
 22:00何か変だ!異様なむかつき感を感じる。
 水を1杯のみ、いったん治まったが、またむかつき感を感じた。
 22:30胃薬を置き薬からさがしている時、今度は呼吸が苦しくなった。
 これは異常だと気づき、息子に救急車を呼んでもらった。
 23:00 救急指定病院に到着
       症状より、急性心筋梗塞の疑いあり、緊急検査!
  1:00 血液・心電図ともに異常なし!軽い狭心症の疑い
       ありとのことで、日中に診察の予約をとって帰宅。