今日は私の初恋の話しです。仕事・バスケ・病気なし!
長い話になりますよ。(^^)
私が小学校2年生(8才)のときですね。札幌オリンピックがありました。
絶対に勝てないといわれた日本スキージャンプ陣、笠谷選手・青地選手・今野?選手が金銀銅を独占したあの札幌オリンピックです。
あの時に流れたいた曲は、トワエモアさんの「虹と雪のバラード」だったんですね。
私のクラスに隆代(たかよ)さんというかわいい人がいました。明るくて頭が
よくて、いつも僕のはしゃぎにわらってくれていたのを覚えています。
その彼女が突然、札幌に引っ越すということになりました。転校です。
私は、頭の中が真っ白になったのを覚えています。札幌とはいったいどこ
なんだろう!?友達がいいました。今、オリンピックをやっている場所だよ。
え!?あんな寒くて、雪ばかり降っているところにいっちゃうの?といった
記憶があります。トワエモアさんの「虹と雪のバラード」を聴くと
彼女を思い出したものです。
それから、10年が経ち、私も高校3年生。大学受験の勉強中でした。彼女の
記憶もだんだん薄れてきた時に、私の知人のそのまた知人のそのまた知人から
間接的に彼女が東京に住んでいる!という情報をつかみました。
私はその知人へそしてその知人へまた知人へ聞きまくりました。彼女が本当に
東京にいるのかを確かめるために・・・!
事実でした。東京は港区、麻布でした。今の六本木ヒルズがある場所から直ぐ
そこです。
やっとの思いで、彼女の家の電話番号をつきとめ、電話しました。
「もしもし、グレープです。覚えてる??」
言葉に詰まった彼女が言いました。
「う!うんよく覚えてるよ」
「今君の家のそばにいるんだ!」
「え??」彼女がびっくりした声でいいました。
そうです。私は彼女の住所を教えてもらい、彼女の家の近くの公衆電話
からかけていたのです。冬でとても寒かったです。
周りは高級住宅街。私とは全くすむ世界が違う集団と思いました。
彼女がびっくりして、玄関から飛び出てきてくれました。
すっごく、きれいになっていました。でも、私の冗談やしぐさを笑ってくれた
あのやさしい瞳は、かわってませんでした。
大粒の涙が、私のほほをつたいました。彼女も同様でした。
「家にはいって、お茶でも飲んで言って」
優しくいってくれたのでした。
うなずいて、きれいなお家にいれてもらい、彼女の入れてくれた
温かいコーヒーを飲み、冷えた体が次第に温まっていきました。
15分間の短い会話でしたが、私は隆代さんを忘れなかった!という
ことを言いました。
しかし、好きだ!とはいえませんでした。なぜか?わかりません。
それから、彼女とは連絡をとっていません。これで終わりです。
私が心筋梗塞で倒れる1年前に、トワエモアさんが再結成して、
あの札幌オリンピックの「虹と雪のバラード」が入ったCDが
発売になりました。インターネットで即購入し、曲を聞いた瞬間、
彼女のあのやさしい瞳を思い出しました。
会いたい!どうしても会いたい!そう思いました。
しかし、その後私は急性心筋梗塞で倒れました。その痛さ、苦しさ、
から恐怖症となり、パニック症候が発病、同時にその治療もしたのでした。
3度の治療のあと、落ち着いた去年の今頃、東京出張の帰りに、
私が一人でむかったのは、彼女の家のある方向でした。いってみましたが
見つけることができませんした。時間をかければ、あるいは?だったんですが
今の私の体では無理でした。
きっと、幸せに暮らしているだろうな!元気でいてほしいな!そんな想いを
もって、自宅にかえってきました。
もう時効なのですが、ひとつだけ後悔していることがあります。
「好きだ!」いえなかったことです。勿論、彼女の気持ちは他にあったと
思っています。しかし、その想いを伝えることができなかったこと、
悔いが残っています。
もし、万が一、これから、会えたとしたら、感謝の言葉を伝えたいです。
隆代さんのおかげで、学校が楽しかった。
転校した時さびしかった。でもずっと好きでした。隆代さんを想うだけで
やさしい気持ちになれました。
高校3年生の時、会えてすごく嬉しかった。
あのとき、「好きだ!」と言いたかった。
今でも隆代さんを思い出すたびに、心が優しくなれる。
初恋の人ですと!
幸せになっていてほしいと心から想っています。
おわり。
長い話になりますよ。(^^)
私が小学校2年生(8才)のときですね。札幌オリンピックがありました。
絶対に勝てないといわれた日本スキージャンプ陣、笠谷選手・青地選手・今野?選手が金銀銅を独占したあの札幌オリンピックです。
あの時に流れたいた曲は、トワエモアさんの「虹と雪のバラード」だったんですね。
私のクラスに隆代(たかよ)さんというかわいい人がいました。明るくて頭が
よくて、いつも僕のはしゃぎにわらってくれていたのを覚えています。
その彼女が突然、札幌に引っ越すということになりました。転校です。
私は、頭の中が真っ白になったのを覚えています。札幌とはいったいどこ
なんだろう!?友達がいいました。今、オリンピックをやっている場所だよ。
え!?あんな寒くて、雪ばかり降っているところにいっちゃうの?といった
記憶があります。トワエモアさんの「虹と雪のバラード」を聴くと
彼女を思い出したものです。
それから、10年が経ち、私も高校3年生。大学受験の勉強中でした。彼女の
記憶もだんだん薄れてきた時に、私の知人のそのまた知人のそのまた知人から
間接的に彼女が東京に住んでいる!という情報をつかみました。
私はその知人へそしてその知人へまた知人へ聞きまくりました。彼女が本当に
東京にいるのかを確かめるために・・・!
事実でした。東京は港区、麻布でした。今の六本木ヒルズがある場所から直ぐ
そこです。
やっとの思いで、彼女の家の電話番号をつきとめ、電話しました。
「もしもし、グレープです。覚えてる??」
言葉に詰まった彼女が言いました。
「う!うんよく覚えてるよ」
「今君の家のそばにいるんだ!」
「え??」彼女がびっくりした声でいいました。
そうです。私は彼女の住所を教えてもらい、彼女の家の近くの公衆電話
からかけていたのです。冬でとても寒かったです。
周りは高級住宅街。私とは全くすむ世界が違う集団と思いました。
彼女がびっくりして、玄関から飛び出てきてくれました。
すっごく、きれいになっていました。でも、私の冗談やしぐさを笑ってくれた
あのやさしい瞳は、かわってませんでした。
大粒の涙が、私のほほをつたいました。彼女も同様でした。
「家にはいって、お茶でも飲んで言って」
優しくいってくれたのでした。
うなずいて、きれいなお家にいれてもらい、彼女の入れてくれた
温かいコーヒーを飲み、冷えた体が次第に温まっていきました。
15分間の短い会話でしたが、私は隆代さんを忘れなかった!という
ことを言いました。
しかし、好きだ!とはいえませんでした。なぜか?わかりません。
それから、彼女とは連絡をとっていません。これで終わりです。
私が心筋梗塞で倒れる1年前に、トワエモアさんが再結成して、
あの札幌オリンピックの「虹と雪のバラード」が入ったCDが
発売になりました。インターネットで即購入し、曲を聞いた瞬間、
彼女のあのやさしい瞳を思い出しました。
会いたい!どうしても会いたい!そう思いました。
しかし、その後私は急性心筋梗塞で倒れました。その痛さ、苦しさ、
から恐怖症となり、パニック症候が発病、同時にその治療もしたのでした。
3度の治療のあと、落ち着いた去年の今頃、東京出張の帰りに、
私が一人でむかったのは、彼女の家のある方向でした。いってみましたが
見つけることができませんした。時間をかければ、あるいは?だったんですが
今の私の体では無理でした。
きっと、幸せに暮らしているだろうな!元気でいてほしいな!そんな想いを
もって、自宅にかえってきました。
もう時効なのですが、ひとつだけ後悔していることがあります。
「好きだ!」いえなかったことです。勿論、彼女の気持ちは他にあったと
思っています。しかし、その想いを伝えることができなかったこと、
悔いが残っています。
もし、万が一、これから、会えたとしたら、感謝の言葉を伝えたいです。
隆代さんのおかげで、学校が楽しかった。
転校した時さびしかった。でもずっと好きでした。隆代さんを想うだけで
やさしい気持ちになれました。
高校3年生の時、会えてすごく嬉しかった。
あのとき、「好きだ!」と言いたかった。
今でも隆代さんを思い出すたびに、心が優しくなれる。
初恋の人ですと!
幸せになっていてほしいと心から想っています。
おわり。