酒馬鹿三兄弟、次男の岸壁はしご酒

酒は飲んだら飲まれましょう、しかし仲良く。拙い酒と乱暴ポエトリ月夜の酩酊ランデブー

三聖吸酸   

2020-02-21 14:58:56 | 

 

 

 

 

 

 

この世は、苦しむものだと
重い荷を背負って
坂道を登るとか
誰が決めたのかね
 
この世の蜜も 酢も 甘い
 
だのに
苦しんで生きろと
生きると言うことは 苦しみの
連続だ と
 
あいつは言ったんだ
木の下で座り続けて
悟ったというが
 
そいつは貴族の生まれで
生きるために飢えていたわけでも
 
人を殺さなきゃ自分が
生きられなかったわけでもないだろう
 
不幸の刺繍でチクチクした、 上流人間
って思えなくもない
 
そいつは苦悩を生来って言って美徳に
したが
 
本当に苦しみ
生きるものは
ただ笑えることさ、と、
 
苦み走りながらでも
求めるものだ

 

あの

沖縄の

おじいや

おばあのように

 

 

 

出典

≪三人の男が、大きな酢桶をかこんで立っている。それぞれの指に酢を浸して、味見をしたばかりだ。ひとりひとりの表情に、三人三様の反応があらわれている。絵は寓話的なものだから、このひとたちがただの酢の味ききではなく、中国の「三教」の代表だということ、そして味を見ているその酢が人生の本質(エッセンス)を象徴していることを心得ておくほうがいいだろう。三人の導師(マスター)とは、孔子、仏陀、そして現存する最も古いタオイズムの著者、老子だ。一人目はすっぱそうな表情を浮かべ、二人目は苦い顔、なのに三人目はほほえんでいる。

 孔子にとって、人生は、どちらかというとすっぱいものだった。現在は過去と足なみをそろえていないし、地上の人間のまつりごとは、宇宙のまつりごとである<天の道>と調和していないと考えていたのだ。だから彼は<先祖>をうやまうことを、皇帝が<天子>として無限の天と地を仲立ちする、古来の典礼や儀式と同じくらい重視した。儒教のもとでは、整然とした宮廷音楽、定められた立居振舞と言いまわしを用いる非常に複雑な儀式制度がつくりあげられ、それぞれ特定の目的で特定の時に使われていた。孔子について、こんな言葉が記されている。「敷物がまっすぐでなければ、師はお座りになろうとしなかった」。これで、儒教のもとで諸事がどのように行われたかおわかりだろう。

 絵の中の第二の人物、仏陀にとってこの世の生活は苦しみを招く執着や欲望に満ちあふれた苦々しいものだった。この世は罠をしかけ、妄想を生みだし、あらゆる生き物をを苦しめる際限のない輪廻であるとみなされた。心の平安を見出すには、この「塵界」を超え、サンスクリット語で文字通り「無風」状態を意味するニルヴァーナ(涅槃)に達するしかない、と仏教徒は考えた。発祥の地インドから中国に渡ったのち、仏教は本来楽天的な中国人のおかげでずいぶん変わったけれど、それでも敬虔な仏教徒は、日常生活の苦い風にニルヴァーナの道をさまたげられる感じることがしばしばだった。

 

 

老子にとって、そもそものはじめから天地のあいだにあった自然の調和は、だれもがいつでも見出しうるものだった。といっても、儒教のきまりにしたがっていては無理だ。『道徳経』にもあるように、地は、その本質において天を映しだしており、おなじ法則によって営まれている----人間の法則によってではない。これらの法則は、遠い惑星の回転ばかりでなく、森の鳥や海の魚の活動にも影響をおよぼしている。老子によれば、宇宙の法則によってつくりだされ、支配されている自然のバランスに人間が介入すればするほど、その調和は遠のいてしまう。無理をすればするほど、問題が大きくなる。軽重、乾湿、遅速にかかわらず、万物はその内に独自の性質をもっており、それを無視すると面倒が起こらずにはすまない。観念的で一方的な規則が外から押しつけられれば、どうしても軋轢が生じる。人生がすっぱくなるのはそのときだけだ。

 (中略)それから何世紀ものあいだに、老子の古典的な教えは、哲学的、求道的、民間宗教的な諸形態にわかれて発展していった。これからすべて大きくひとまとめにして、道教(タオイズム)と呼ぶことができる。けれど、ここでとりあげているタオイズムの基本は、あらゆる日々の営みの真価を充分に認め、それから学びとり、それとつきあっていく、ひとつの特別なやり方にすぎない。タオイストの見方では、この調和のとれた生き方がおのずから幸福をもたらす。明るい落ちつきこそ、タオイストの人格のいちばん目立つ特徴といっていい。それに微妙なユーモアのセンス。

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