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まほまほろば

まほろばのように日々の思いを書き綴った日記

紙か電子か

2017-01-10 22:52:55 | 本(漫画、小説)
最近、kindleを買おうかどうか迷っています。

長い目で見たときにkindleの方が値段的にも安く済みますし、一つで何冊もデータとして何冊も持ち運べますし、軽く済んで何かと便利だと思われるからです。

欠点としては長時間の使用は目に良くなさそうなことでしょうか。

私はよく本を読むときには重要な部分や疑問に思った部分のページの端を折って読む癖があるのですが、kindleだとしおりをつけたり、線を引くことができて代わりになりそうです。


ただ、今までずっと読書は紙媒体の物で行ってきただけに戸惑いはあります。

買った後で買わなければよかったと後悔するのは嫌なので、もう少し調べようかと思います。

紙と電子の比較について、それぞれの利点・欠点は何か。

高い買い物をするときにあれこれ考えてしまい即決できないのが私の難点なところではありますが、しっかりと踏みとどまって考えているんだと楽観的に考えることにして結論をつけようと思います。





今年ももう少しで終わりということで

2016-12-26 22:38:59 | 本(漫画、小説)
今年もついに最後の週となってしまいました。

今年はどんな年だったかと振り返ってみると、自分の中ではいくつか新しいことに挑戦できた年だったと思います。

その中の一つとして読書についてがあります。


今年は新年に目標を立てたとおり、芋づる方式で本を読んでいきました。

ヴォルテールの「カンディード」から始まって、ルソーなど哲学書に行きつつ、古典小説から現代小説までなんだかかんだで掘り下げつつ、広がりを持つといった感じで読めたと思います。

その中で今年は読書会に再び参加するようになりました。

数年前に以前住んでいたところでは毎月のように参加していたのですが、引っ越してきてからは遠ざかってしまっていました。

内省といいますか、自分との対話をしっかりとしてみたいと思ったのが一番の理由です。

しかし、今年はもう少し外に目を向けて他の人と対話をすることも必要なのではないかと思って再び参加し始めました。

一口に読書会といっても色々なジャンルがありますが、よく参加しているのは哲学書などの思想系の古典を課題本とする読書会です。
哲学書は難解で何を言っているのかよくわからないので特定の哲学者を除いてあまり好んで読まなかったジャンルなのですが、読んでみると意外と面白いことがわかりました。

哲学は物事の本質をついています。なので例えば、あるニュースを見たときに単に感情論で終わるのではなく、一歩掘り下げて考えるときに非常に役に立ちます。

もちろん、抽象的なことを言っていてよくわからないことだらけですが、そんなときは現代に当てはめるとどういうことだろうと考えると意外にも意味がわからなかった言葉達がすうっと私の頭の中に染み込んでくることがわかりました。

これは読書会に参加し続けたことで発見した私なりの方法です。


さて、今年読んだ本の中で印象的だったのをいくつか列挙してみます。


1.「自由からの逃走」:エーリッヒ・フロム

2.「死に至る病」:セーレン・キルケゴール

3.「大衆の反逆」:ホセ・オルテガ

4.「人間の条件」:ハンナ・アレント

5.「20世紀とは何だったのか」:佐伯啓思

6.「西欧近代を問い直す」:佐伯啓思

7.「神を見た犬」:ブッツァーティー

8.「孤独な散歩者の夢想」:ルソー

9.「ねじまき鳥クロニクル」:村上春樹

10.「方丈記」:鴨長明



それぞれの詳しい内容はここに書くと時間が結構かかってしまいますので書きませんが、また改めて読んでみたいと思った作品です。


来年は引き続き芋づる方式が効果的だったのでこれを用いて読み進めていこうと思います。

テーマは「現代社会の闇を探る」です。

現代社会の闇とは何かといったことろを深く掘り下げていき、自分なりの思想(考え方)を確立できるようにし、そしてそれを形にするべく動いていきます。

言葉を紡ぐ

2016-01-21 21:20:38 | 本(漫画、小説)
今年は多読ではなく、一冊一冊を集中していこうと決めましたが、どんな本を読んでいこうかとふと考えました。

1人の作家の作品を集中して読んでいくか、あるいは去年途中までやっていたように、海外文学→日本文学(古典)→日本文学(現代)のサイクルで読んでいくか。

どちらもメリット・デメリットはあるかと思います。

優劣つけがたいので、そんなときは読む目的を念頭に置いて選ぶのが一番の近道ではないかと考えました。

私にとっての読書の目的はやはり自分の言葉・リズムで文章を書けるようになることです。

去年短編小説を書いてみた結果わかったのは、自分にはまだ話を広げる力がないということでした。日々わかりやすく簡潔にまとめる作業ばかりやっているせいなのか、いざ物語を書こうとすると話が広がらずにコンパクトにまとまってしまいます。
無理に広げようとするとかえってひずみが生じて、時系列が狂ったり、物語のバランスが悪くなります。

なので初めはとりあえず思いつくまま書きたいように書くのが一番いいのかなと感じました。

そして、それを行うためにはやはり種々の言葉を使えないといけないので、インプットだけでなく、アウトプットも必要であります。つまり、とにかく読んで書いてを繰り返すしかないのだと思うのです。

そう考えていくと、じゃあどんな本を読んだらいいのだろうかとなりますが、手広く色んなジャンルの本を読むのはあまり有効ではないのかと思います。なぜなら、インプットが種々雑多で多すぎるためにアウトプットがしづらくなるからです。

そこで、今年試してみたいと思った読み方が芋づる方式です。
つまり、研究論文と同じようにベースをまず決めて、それに関係する周辺の本を読んでいくやり方です。
例えば、中村文則をある程度読んだら次はその背景にあるドストエフスキー関連の本を読んでいくといったことです。

これの最大のメリットは頭の中で体系化されため、インプットもそうですが、アウトプットもしやすくなることにあります。
アウトプット、つまり自分の言葉で文章を書くというのが目的であるので試してみる価値はありそうです。


とりあえずスタートとしては、ヴォルテール著の「カンディード」を読んでみることにします。
というのも、去年12月に集中して読んでいた亀山郁夫著の「新カラマーゾフの兄弟」の物語の中でこの「カンディード」が頻繁に引用されていたため興味を持ったからです。

その次はどうなっていくかはまだわかりません。哲学方面に行く可能性もありますし、あるいはミステリー方面に行く可能性だってあります。
方向が未知なだけにある意味楽しみです♪

正弦曲線

2015-06-08 21:34:54 | 本(漫画、小説)
堀江敏幸著の「正弦曲線」を読みました

そもそもこの本を買ったのは、タイトルが気になったからです。

正弦曲線って何だっけ?
どこかで聞いたことがあるが、思い出せない…

とりあえず気になったので買ってみました♪


この本は短編のエッセイ集でして、1番最初の項目に「正弦曲線」がありました。
それを読んで全てを思い出しました。

正弦曲線、またの名をサイン・カーブ。
高校の数学の時に習った、山と谷がうねうね続いていく山脈のような曲線です。

10年ぶりにこの単語を聞いたように思います。


さて、この本を読んで私が感じたのは、日常の中に潜む余分なものにたまには目を向けるべきではないかということです。

正弦曲線は単調な曲線が永遠と続く。プラスとマイナスが交互にやってきたとしても振幅が決まっている。つまりこれは日常を表している。

何をやっても一定の振幅に収まってしまうが、それをふがいなく思わず、むしろその窮屈さに可能性を見出し、夢想をゆだねてみてはどうか。


この本には数十個のエッセイが書かれていますが、基本全て日常生活の中で見落としがちな点に焦点を当てていました。

堀江さんの作品に特徴的な、何気ない物を目にしたりしてふと回想シーン(考え事)が始まる点もふんだんに盛り込まれていて、普段から相当アンテナを張り巡らしながら生きているんだなぁと感じました。

そして、あとがきには総論として、ノイズに関して一言述べられていました。
音には必ずノイズが混じっている。だが、このノイズは邪魔者として、排除される運命にある。果たしてこれはどうなのだろうか。ノイズも音のうちとして受け入れてはどうだろうか。


これを読んだ後、私は普段の通勤経路を思い返しました。
通勤経路は大きく分けて3通りあります。いつもは一番最短なルートしか通りません。
理由は単純に他のルートに行くと余計な時間がかかって無駄だからです。

でも、効率ばかりを求めていていいのだろうか、たまには遠回りをしてみてもいいのではないか。いつもとは違った風景が見られ、違った車・人を眺められるのではないか。余分な時間かもしれないが、いつもより考え事ができるのではないか。気分転換ができるのではないか。


明日はいつもとは別のルートで通ってみようと思います

父と子

2015-04-13 21:46:27 | 本(漫画、小説)
ツルゲーネフ著「父と子」を再読しました。

この本は主人公バザーロフにニヒリストなる新語を与えて当時のロシア社会の情勢を表した作品です。

物語の中ではこのバザーロフは何事にも否定的な人間として描かれており、会う人会う人に喧嘩をふっかけては問題を起こすトラブルメーカーのような存在でした。

彼は破壊を信念としており、古い考えを否定し、新しいものを打ち立てることにやっきになって行動していくのですが、ある1人の壮麗な貴婦人オジンツォーワとの出会いをきっかけにして心が揺らぎ始めました。すなわち、自らがバカにするように否定していた愛という感情をこのオジンツォーワに抱いてしまったのです。

この矛盾をどう解決したらいいのかわからないバザーロフは結局故郷に逃げるように帰って家族と過ごすのですが、途中でチフスにかかって症状が激しく悪化しました。死の間際にオジンツォーワが見舞いにやってきたときはバザーロフは自分に対して素直になり、愛の告白をし、そして息を引き取りました。



私がこの本を読んで感じたことはここで言うニヒリストというのは初期のニヒリズムではないかということです。
ニヒリズムとは絶対的な価値が崩壊した状態のことを意味しますが、そこに至るまでは全てを否定するという過程が必要です。この物語ではまさにこの過程を表していたのではないのでしょうか。

余談ですが、このニヒリズムについて深く考察した哲学者の代表例としてニーチェが挙げられます。
ニーチェはこのニヒリズムに陥ってしまった場合にとりうる態度を二種類に分類しました。

①受動的なニヒリズム:全てに絶望し、流されるままに生きていく
②能動的なニヒリズム:全てが無価値であることを認めたうえで前向きに生きていく

ヨーロッパ社会は行くつく先はニヒリズムである。そして、ニヒリズムに陥った場合にどのように生きていけばよいのかをさぐっていったわけですが、私はこのニヒリズムという現象は現代社会にも蔓延しているのではないのかという疑問を数年前から感じるようになりました。そして、これを突き詰めていくのは面白そうだと感じて現在物語にしようかと考えています。現代社会に潜むニヒリズムとはどういったものなのか、そして、それを克服するすべはあるのかなど今の社会がどのように変遷していくのかを予想するのに非常に興味があります。

もう少し具体化できたら紹介していきます。