蟷螂の独白

世に背を向けた蟷螂です。喜怒哀楽を綴って18年、モットーは是々非々の団塊世代です。

8月15日 野分

2023-08-15 13:42:32 | 徒然

今年もこの日がやってきました。

正午きっかりに1分間の黙祷をしました。

蟷螂はこの日前後に、必ず昭和版日本のいちばん長い日を鑑賞することを半ば義務のように心がけていて、今年も体調がイマイチの中、観ました。
いつ、何回見ても胸を打つ迫真の演技の続出で、瞬き厳禁です。
横浜警備隊長を演じた天本永世の、非常呼集時の迫真の演技は秀逸でした。
国土を守り抜く気概が、号令の一言一句に表現されています。
学生の尻ポケットに差し込まれていた『出家とその弟子』も深く心に刻まれます。
最早日常になり果てた戦時下の非日常の生活を送る学生の葛藤を、微塵にも表情に出さない忠誠心が、その演技からヒシヒシと肌に伝わってきます。
三船敏郎は汗塗れ、畑中少佐役の黒沢年男の眼は完全にハイ状態、戦争を始めるのは簡単だけど、やめる時が一番難しい。
 
今のウクライナとまったく同じだと思います。
プーチンはどのように戦いをやめれば自分が生き延びられるかを、策謀しているに違いありません。
 
日本ではこれから怒涛の80周年が続きます。
でも、果たして終戦80周年まで蟷螂の命が保つかどうか。
ここ数日ですっかり衰弱してしまい、自信が持てません。
 
蟷螂の母方の真ん中のオジキは中央大学在学中に出陣、南方作戦で輸送戦で戦場へ運ばれている最中に敵潜水艦の魚雷攻撃を受け、あっけなく沈没、丸太に仲間の兵隊と一緒にしがみつき、なんとかたどり着いた島はもうアメリカ軍の占領下にあり、槍を持って浜を見張っていた土人にオジキが思わず『ギヴミーワラ』と話しかけたら、『コイツはアメリカとカンケイのあるヤツカモシレナイ』と思われて命は助かりましたが、他の丸太仲間はオジキの眼前で、全員槍で突き殺されたそうです。
戦後、捕虜収容所から引き揚げてきた時は、背中に『PW』と書かれた衣服を着せられていて、街を歩くとオジキに向かって手を合わせる人もいたそうです。
しかし過酷な体験を目の当たりにしたためか、脳みそのネジが少し緩み、言動におかしなところが散見されるようになりましたが、97歳で死去しました。
煙草は冠動脈のバイパス手術を受ける直前の95歳まで1日2箱吸っていて、亡くなった後の部屋はヤニ臭く、後片付けに際しては閉口しました。
書架には戦争関連の書籍が並び、ノーマンメイラーの『裸者と死者』は愛読していたようです。
 
★わたつみに 深く水けし兵士らの 故国憂う声 海嘯に聴く
                           蟷螂
 
 

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