青柳様
長い間、ご無沙汰してばかりでしたのに、ずっと温かくお仲間に加えていただき、
本当にありがとうございました。
ビリーは、この7月14日、虹の橋を渡りました。
すでに後ろ足が曲がらず、おそらく痛みもあったかと思います。
我が家の入り口にある15段ほどの階段の上り下りも、辛かったと思います。
それでも、1段1段、ゆっくり下りては、スローなお散歩に出かけておりました。
一時は、粗相を繰り返しましたが、最近はおむつも必要ないくらいだったのです。
肝臓機能がかなり低下し、2度ほど意識が無くなる危険な発作がありましたが、
亡くなる直前はとても元気で、私は山梨大学の次女のアパートを訪ね、
渋滞に巻き込まれて、深夜に横浜の自宅に帰宅したら、
主人が、外で待っており、「ビリーが死んだかもしれない。」と意味不明なことを言います。
身近な死に向き合った経験のない主人(普段はしっかりしていて厳しい人なのに)は、
散歩の後の急変におそらくパニックになっていて、おろおろ・・・
私が帰るまで、3時間も必死に心臓マッサージをしていたようなのです。
私が、主人を責めると思ったのかもしれません。
「そう。仕方ないよ。ビリーはいつどうなってもおかしくなかったもの。
心臓マッサージしてくれてありがとう。ビリーもきっと感謝してると思うよ。
ビリーには、よく今日まで生きてくれたし、家族に負担のないように連休の初日を選んだのね。」
そう話すと、ようやく主人はようやく落ち着きを取り戻しました。
血も吐くことなく、入院もせず、静かに眠るように息を引き取りました。
主人は気付かなかったのか、すでに身体は冷たく硬くなっていました。
暴れん坊のビリーとよくBDNに書き込んだビリーが、とても懐かしく思い出されます。
でも、我が子のように我がままで、太陽のように明るくて、家族が喧嘩するのが大嫌いで、
何度も夫婦喧嘩や親子喧嘩を喰ってくれました。
「ありがとう。」と家族全員が思っています。
いろいろご指導いただいた皆様、そして青柳様には、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
本当は、またビアディを飼いたいのですが、
ビリーに引っ張られて、何度か抜けた肩を考えると、53歳の今からは少し無理だと思います。
そこで、次はビリーを小型にしたシーズーを飼うことにしました。
10月になったら、里親に書き込まれていた荒川の方に子犬を譲っていただくことになっています。
ありがとうございました。
会員も、一応削除をお願いします。
私は、当時、慶應大学の購買のおばさんでしたが、
今は、県の非常勤で、横須賀市、三浦市、葉山町、鎌倉市、逗子市の畜産農家の窓口係として、
畜産振興や技術の普及を担当しています。
毎日、片道2時間×2と通勤は大変ですが、やりがいのある仕事です。
口蹄疫や鳥インフルエンザの発生などの防止と、葉山牛ブランドなどをもっともっと育てていきたいと思っています。
ビリーは逝ってしまいましたが、これからもよろしくお願い致します。
写真は、最後になった少し前のビリーの写真です。
食欲は、最後まで旺盛で、私の見てない間に猫と協力して、ドッグフードの袋を開けて宴会し、
最後は袋を被って抜けなくなってました。
また、寝ている写真の向こうのドアの下部にも白木になった部分が見えますが、
雷が鳴る度にドアや柱を噛み砕いて、
我が家のすべてのドアの凹凸はぐしゃぐしゃに噛まれた跡が残っております。
これらは、リフォームくらいでは直らないそうです。(苦笑)
相川ビリーママ=相川久美子