熊 今日はどこに出没!!

今日はどこへ行こうかな 

九州山行・市房山と五木の子守唄

2015年11月24日 | 登山

二日連続の雨降りです。6:30に起床して出発準備。

7:00からお膳弁当風の朝食を美味しくいただきました。

 

7:30に旅籠の様な宿を出発。登山口まで40kmを雨中走行します。

【11/9、人吉市-登山口-市房山神社-市房山-登山口-五木の里-五家荘泊り】

8:30に市房山神社登山口に到着。

  

心配した林道は舗装されており、三合目登山口まで走行して 8:50に登山口-590mに到着。

   

登山口駐車場まで舗装されておりほっとしました。雨具を着用し、9:00に出発。

水平道を進み、まもなく参道三合目に合流。

三合目の八丁坂を進みます。今日は高低差1130mのピストンです。

大きな段差の石道はズルズルとよく滑ります。

   

新夫婦杉の巨木を通過。旧夫婦杉の切り株はヌルヌルで危うく転倒でした。

9:15に四合目の市房山神社-820mに到着。

お参りして登山と交通安全を祈願。

  

ここから木の根、崩れた木の階段、大石で構成された荒れた登山道になりました。

  

雨中の厳しい登山道で、四足でクライミングです。

赤テープを見つけないと木の根登りに苦労します。

9:50に六合目で小休止。雨とガスで展望はありません。

   

   

七合目を過ぎると左手に進む緩やかな稜線になりました。ヤレヤレです。 

10:45に八合目の大岩で休憩。雷さえ無ければ299座目を登れそうです。

  

風雨が吹き抜ける稜線です。寒さはありません。

 

最後の登りになりました。どうやら今日の登山者は居ないようです。

11:15に200名山・市房山-1721mに到着・・・!!200名山完登!!

市房山(いちふさやま)は、九州山地の南部にある200名山のひとつ。標高は1,720.8m。
熊本県水上村・宮崎県椎葉村・西米良村にまたがる。「米良三山」のひとつであり、球磨・米良地方
における信仰の山である。水上村湯山の市房神社では旧暦3月15日に「お岳参り」が催される。

   

山頂周辺の視界無し。小腹を満たし11:30に下山開始。 

スキップしたい気持ちですが、荒れた下山路が気になります。

出だしの緩やかな稜線を下ります。 

急坂の荒れた登山道に入り、捻挫注意でゆっくりと下ります。

12:25に六合目に到着。落としたボールペンは見つかりませんでした。

ジャングルジムの様な嫌な登山道を下ります。

暗い樹林帯では黄色の落ち葉が明るく感じられます。

ファミリー向け登山道への改修は厳しい市房山ですね

五合目辺りから普通の登山道になります。

13:00に市房山神社に到着。奥社があるようです。

  

ここから広い参道を下ります。

立派な大木と石段参道は熊野古道の風情を感じます。

しかし滑りやすい石段は避けて歩くほうが無難でした。

林道への分岐点を左折します。

フカフカの落ち葉を踏みしめて200名山・市房山を終了。

13:25に林道終点・駐車場に帰着。樹林帯に助けられた
高低差1130m、4時間25分、15000歩の中降り山行でした。

雨が激しくなり、靴を履き替えて13:40に出発。次の五家荘(八代市)まで75kmを走行します。

途中の道の駅「子守唄の里」に立寄り。

五木の子守唄(いつきのこもりうた)は、熊本県球磨郡五木村に伝わる子守唄である。現在では熊本県を代表
する民謡としても知られる。ここに出てくる「かんじん」とは、「三十三人衆」と呼ばれる地主層に対しての「勧進」
(小作人)という意味で、ここでは「物乞い」「乞食」という意味で用いられている。歌の意味は「私は乞食のような
ものだ。(それに比べて)あの人たちは良か衆(お金持ち、旦那衆)で、良い帯を締めて立派な着物を着ている」

  

となる。伝承によれば、治承・寿永の乱(源平合戦)に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に定着したので、鎌倉
幕府は梶原氏や土肥氏など東国の武士を送って隣の五木村に住まわせ、平氏の動向を監視させたという。その
後、これら武士の子孫を中心として「三十三人衆」と呼ばれる地主層が形成され、「かんじん」と呼ばれた小作人
(名子小作)たちは田畑はもちろん、家屋敷から農具に至るまで旦那衆から借り受けて生計を立てた。娘たちも
10歳になると、地主の家や他村へ子守奉公に出された。五木の子守唄はこの悲哀を歌ったものである。

花はなんの花 ツンツン椿 水は天からもらい水 おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて憎まれる
 ねんねした子の 可愛さむぞさ おきて泣く子のつらにくさ つらいもんばい 他人の飯は 煮えちゃおれども のどこさぐ

家族の食いぶちを減らすために娘達は家を離れ、両肩にかかる背中の子の重さや、他人の飯を食べる辛さに
耐えなければなりません。この中で生まれた子守歌は、我が身の不幸を訴え、子守りの辛さを唄っています。

川辺川ダム建設で水没する五木の里。周辺には移転した小中学校や施設が見られます。

 

すれ違いが厳しい国道を抜けて16:20に平家落人伝説の秘境・五家荘の宿に到着。

温風機で雨具類を干し、古風な家庭風呂に入浴。

   

最後の300名山・国見山に登る麓の宿です。女将さんに聞くと登山口まで舗装されたとの事。

18時から食べきれない程の夕食をたらふく頂きました。

追加料理も出て食べ残してしまいました。料理目当ての常連さんも宿泊しています。

  

朝食は7時のため、ゆっくりと23時に就寝。どうやら三度目のパンクは避けられそうです。

明日も三日連続の雨予報ですが、特に問題無く 300座完登を目指します。


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