忘れられない出来事
とりあえず就職活動をしていた時。
履歴書の「その他」の欄に
病気のことを書くかどうか迷いました。
もし就職したとしても、月1度の診察は絶対に必要だし、やはり健康な人よりは無理はできないので、最初から言っていた方がいいのかなと思い、正直に書きました。
面接の時に決まって聞かれるのは
「どんな病気なの?」「仕事して大丈夫なの?」というような質問。
「どんな病気」かの質問には簡潔に答えられるけど、「仕事をして大丈夫?」の質問には困りました。バイトもしたこと無いし仕事に就いたことなんてないから、実際に大丈夫なのかなんて、わからないに決まってるじゃないですか。
「病状は安定しているので大丈夫です!」と答えましたが・・・。
その後、質問は途絶えて面接は終了です。
隠して受けて採用してもらったのが某メガネ店でした。
それまで受けてきたところも単に私の実力がないだけで、
病気のせいではないと思いますけどね(^^;
でも初めて隠して受けたとたんに採用してもらったので、
「隠さなきゃダメなんだ・・・」とも思うのも事実です。
社会の厳しさが身にしみました。
★ ★ ★
大学4年生のころ、私が可愛がっていた後輩がいました。
サークルの新入部員。ピカピカの1年生。強気な性格の彼女は
少し私と似てるなぁなんて思っていました。
その彼女は、2002年に突然この世を去りました。
病名を私は知りません。
でも私は彼女が何らかの薬を飲んでいたことを知っていました。
部室でお昼を食べているときに薬をお茶で飲もうとしていたので
「おいおい。お茶で飲むなよな~」注意したことがあります。
何の薬なのかは聞きませんでした。
私たちのサークルは学園祭で
自らが旅に行ったことを展示して発表するのが恒例でした。
この年も2ヶ月ほど前から打ち合わせを始めて準備を進めていました。
学園祭当日の3日程前にやっと学内の教室での準備が許されます。
その時はまさに‘追い込み’作業。徹夜する部員も多々。
教室入りしてからは個人作業+全体作業のために集合時間は午前9時。
私を含め、数人の自宅通学組は深夜(早朝?) に家に帰って
またすぐ9時に間に合わせて学校へ・・・という感じです。
疲れが溜まっている中でこれが結構辛い・・・。
「どうしても遅れる場合は誰かに連絡する」
これが暗黙の了解のようになっていました。
皆の疲れがピークの頃、彼女は遅れるとの連絡をせずに
お昼を過ぎてからやってきました。
「えぇ連絡くらい、やれ~~(`´メ」
「だからよぉ~~(-ム-)」
と、みんな責められていました。
(そんなキツクではなく冗談まじりですよ)
「だって9時ってキツイッすよ!
もう朝、体調キツかったんですってば!」
と、彼女は何度も何度も明るく答えていました。
私もあの時は関節が痛くて地べたに座っての作業が
「嫌だなぁ~」なんて思う日でした。
口には出しませんでしたが、私は内心
「みんなキツイんだよ。私だって辛いっちゅうに。
君だけじゃないのに(怒)」・・・なんて思っていました。
数年後、彼女が亡くなったと聞いたとき、
そう思っていた自分が悲しくなりました。
彼女が何の病気だったのかは知りません。
でも、もしかしたらあのサークルの中で
私だからこそ、少しでも何か話を聞くことができたのではないか?
病気のことを理解してくれること、少しの気遣いをしてくれること、
それがどんなに救われるかってコトを私はよく知ってるはずなのに。
そんな後悔が胸に突き刺さりました。
この1週間程前に高校の同級生も病気で亡くなりました。
私が知らないだけで病気と闘っている人はたくさんいる。
私はなんて弱い人間なんだろう・・・と。
自分の甘さを感じた出来事です。
とりあえず就職活動をしていた時。
履歴書の「その他」の欄に
病気のことを書くかどうか迷いました。
もし就職したとしても、月1度の診察は絶対に必要だし、やはり健康な人よりは無理はできないので、最初から言っていた方がいいのかなと思い、正直に書きました。
面接の時に決まって聞かれるのは
「どんな病気なの?」「仕事して大丈夫なの?」というような質問。
「どんな病気」かの質問には簡潔に答えられるけど、「仕事をして大丈夫?」の質問には困りました。バイトもしたこと無いし仕事に就いたことなんてないから、実際に大丈夫なのかなんて、わからないに決まってるじゃないですか。
「病状は安定しているので大丈夫です!」と答えましたが・・・。
その後、質問は途絶えて面接は終了です。
隠して受けて採用してもらったのが某メガネ店でした。
それまで受けてきたところも単に私の実力がないだけで、
病気のせいではないと思いますけどね(^^;
でも初めて隠して受けたとたんに採用してもらったので、
「隠さなきゃダメなんだ・・・」とも思うのも事実です。
社会の厳しさが身にしみました。
★ ★ ★
大学4年生のころ、私が可愛がっていた後輩がいました。
サークルの新入部員。ピカピカの1年生。強気な性格の彼女は
少し私と似てるなぁなんて思っていました。
その彼女は、2002年に突然この世を去りました。
病名を私は知りません。
でも私は彼女が何らかの薬を飲んでいたことを知っていました。
部室でお昼を食べているときに薬をお茶で飲もうとしていたので
「おいおい。お茶で飲むなよな~」注意したことがあります。
何の薬なのかは聞きませんでした。
私たちのサークルは学園祭で
自らが旅に行ったことを展示して発表するのが恒例でした。
この年も2ヶ月ほど前から打ち合わせを始めて準備を進めていました。
学園祭当日の3日程前にやっと学内の教室での準備が許されます。
その時はまさに‘追い込み’作業。徹夜する部員も多々。
教室入りしてからは個人作業+全体作業のために集合時間は午前9時。
私を含め、数人の自宅通学組は深夜(早朝?) に家に帰って
またすぐ9時に間に合わせて学校へ・・・という感じです。
疲れが溜まっている中でこれが結構辛い・・・。
「どうしても遅れる場合は誰かに連絡する」
これが暗黙の了解のようになっていました。
皆の疲れがピークの頃、彼女は遅れるとの連絡をせずに
お昼を過ぎてからやってきました。
「えぇ連絡くらい、やれ~~(`´メ」
「だからよぉ~~(-ム-)」
と、みんな責められていました。
(そんなキツクではなく冗談まじりですよ)
「だって9時ってキツイッすよ!
もう朝、体調キツかったんですってば!」
と、彼女は何度も何度も明るく答えていました。
私もあの時は関節が痛くて地べたに座っての作業が
「嫌だなぁ~」なんて思う日でした。
口には出しませんでしたが、私は内心
「みんなキツイんだよ。私だって辛いっちゅうに。
君だけじゃないのに(怒)」・・・なんて思っていました。
数年後、彼女が亡くなったと聞いたとき、
そう思っていた自分が悲しくなりました。
彼女が何の病気だったのかは知りません。
でも、もしかしたらあのサークルの中で
私だからこそ、少しでも何か話を聞くことができたのではないか?
病気のことを理解してくれること、少しの気遣いをしてくれること、
それがどんなに救われるかってコトを私はよく知ってるはずなのに。
そんな後悔が胸に突き刺さりました。
この1週間程前に高校の同級生も病気で亡くなりました。
私が知らないだけで病気と闘っている人はたくさんいる。
私はなんて弱い人間なんだろう・・・と。
自分の甘さを感じた出来事です。
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