
大学に無事、推薦入学しました。
とにかく私は大学では「サークルに入りたい!」と思っていました。
病気になってから部活などの活動に縁遠くなっていたので、大学に入ったら「絶対入る!!」と決めていたんです。大学に入学する時には病状もとても安定していて、全く普通の人、いや、普通の人以上に体力も腕力もあった気がします(笑)
サークルは新入部員勧誘の掲示板で、B'zの稲葉さんの実家(化粧品店です)に行った方の写真が貼ってあるサークルがあり、「おおっ!」と興味をひかれたことと、一緒にいた友達の押しに負け、旅関係のサークルに入りました。
サークルでは泡盛好きで泡盛をストレートで飲んでも平気な酒豪になっていました(笑)今、思えば無謀です。よく唐黷ネかったものだとf(^^)
飲み会好きで旅行も好きで。とにかく毎日が楽しくて楽しくて。
サークル内ではここで書いたらHPの容量を超えるんじゃないか?と
思うくらい、大変なことは多々ありました。
それでも私は楽しくて辞めようとは思いませんでした。
勉強の方も楽しくて仕方ありませんでした。
私の通った学科では2年次から専門課程演習のゼミがあり、
さらに専攻した福祉コースでは夏休みも実習やら何やらで
4年間通してとても忙しかったです。
2年生の時には北欧へ福祉研修にも行きました
(『志織の放浪記』参照してくださいね♪)
もちろん主治医にも相談しました。
主治医は「いいよ、いいよ~行ってきなさい~」と言って、
むこうで何かあったときのための英語の診断書をくれました。
(診断書はギッシリ3枚。心配だっただろうな・・・^^;)
海外へ行く!なんて勇気があったのも、
旅関係のサークルに入ったおかげです。
さらに欲張りな私は教職課程も3教科取ることにしたので、その講義数はとことん多くなりました。もちろん教育実習もいきましたし、ちゃんと教員免許もとることができました。
教育実習先の母校は実習最終日に陸上競技大会が恒例です。
大会の最後に実習生を交えたクラス対抗リレーがあります。
私は最初「先生、走るの遅いからダメってば!(笑)」と
参加しないつもりでした。でも教え子たちの押しに負けて
出場することにしました。
最初「軽くかけ足すりゃいいか」と思っていたのですが、
いざ走りだすと気持ちよくて。つい全速力で走ってしまいました(笑)
発病前までは、結構、走るの速かったんですよ(^^)
でも、走っている途中、左足の付け根あたりに
突然なにかに掴まれたような激痛が私を襲いました。
なんとかアンカーにバトンを渡しましたが、それからは歩くたびに涙が出るほどの激痛が走りました。教え子たちには「なんでねぇ先生。最初はスゴイ速かったのに~」と言われましたが「歳だからさぁ(笑)」と笑ってごまかしていました。
ちょうど大腿骨あたりの激しい痛み。
プレドニゾロンの副作用「大腿骨壊死」が頭をよぎりました・・・。
「もしかして骨が弱くなってたとか?やってもうた・・・」と
あの時は「もう一生走れないな」と覚悟しましたね(=)
実習が終り、しばらく様子を見ていてもよくならず、
家の近くの整形外科に行きました。
レントゲンを撮った結果、骨に異常はありませんでした。
でもなにやら
「別に心配はないけど骨盤と大腿骨が発達未熟のままですね」
と説明を受けました。なんだそりゃ??って感じです。
その後、しばらく足を引きずって
大学に通いましたが自然と治りました。
今考えれば、全速力で走るなんて何年ぶりかのこと。
準備運動もせずにそんなことをしたから
肉離れでも起こしたのだろうなぁ~なんて思います(笑)
でも、走ったときのあの気持ち良さは忘れられません。
朝1の講義から夜間の最後の7講義目までぶっ通しで受けるので、
ほんとに一日中大学にいる日もありました。
友人のSちゃんと「卒業単位200超え!」なんて話をしていたら、
ほんとにそうなりました。
4年次には少し空いた講義の時間を使って、
ホームヘルパー資格もとろうと資格の学校に通いました。
無事に取得することもできました。
私は、ただ興味のむくまま福祉を勉強しただけだったので、福祉職に就くという意欲は特にありませんでした。とりあえず就職活動をしていたら、中小企業の某メガネ店に内定を頂きました。
大学時代の私は目だって体調を崩したことはありませんでした。
日常生活で疲れやすいのはいつものことで、冬には風邪や気管支炎・肺炎で熱を出し、2~3日救急センターに入院してはいました。関節が痛いなぁ~て思う日もありましたが、毎日、楽しかったです。
(↑十分、体調崩してる??笑)
大学は週1回講義が午前中だけしかない日があって、
その日はサークルのミーティングの日と決まっていました。
ちょうど主治医が担当する曜日と重なっていたので、
講義を休まなくてはいけないことはありませんでしたが、
ミーティング終了後に「皆で遊びに行こー!」なんて話がでた時には
泣く泣くあきらめました・・・(-。-)
とても充実した毎日でした。
病気のことは誰にも言っていませんでした。
大学の友人には言う必要はないと思っていました。
ただ高校時代からの友人のSちゃんには詳しくは教えてませんが、
何か病気を抱えていることは知っています。(知ってたよね??笑)
だからSちゃんには遊んだ帰りに運転してもらったりと、
結構甘えていたとは思います(^^;)
そして当時付き合っていた彼氏には病気のことを話しました。
当時は彼だけが理解してくれればいいと思っていました。
遠距離恋愛で年に数回しか会えず、
毎日の電話とメールが互いを繋いでいました。
私の病気のこともあるので障害があればあるほど燃えるというか。
何よりも互いにB'zFANでB'zがきっかけで付き合い始めたというコトが惹かれあう最大のャCントだった気もしますけど(^^;)
でも結局は病気が別れるきっかけも作ってしまいましたが・・・。
大学での思い出は私にとってかけがえのない一生の宝物です。
★★★入院生活で★★★
発病してから大学卒業までの中で、
入院が「こどもの日」や「ひなまつり」などの行事と重なることが多く、
年中行事の入院食をほとんど食べたことがあります(^^;
私は小児科での入院だったので、こどもの日にはお菓子、ひな祭りには雛あられ、クリスマスにはブーツ型のお菓子の詰め合わせなどなど・・・遠慮なくもらいました(笑)
病院で年を越したこともありました。(確か高1年生の頃)
30日くらいから熱を出して、そのまま個室で1人年を越しました。
初めて一人で年を越しました。
病棟は10時消灯で、当時の病院は各ベットにテレビもついていませんでした。カーテンの隙間から差す月明かりだけの薄暗い病室で、0時を告げる時計の針を見ながら「今日から新年なんだ・・・」と思ったことを覚えています。あの時はホント寂しかったです(TT)
年明けの元旦の入院食が、ちゃんと重箱のような食器にお節料理だったのにはビックリしましたけどね。おいしかったし(笑)
でも「もう2度と病院で年越しなんてしたくない!」と思います。