なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

あれから1週間

2020年03月17日 | 志織のあしあと
あれから1週間。

暗い記事ばかりですみません。
まだ平常心に戻れません。

日が経つのがとても早く感じます。

検診を待つ1週間は
とてもとても長く感じたのに。

でも手術してからの1日は長く感じます。

なんか矛盾してます。


移植する前は
今回の移植がダメでも落ち込まないようにしよう。
凹んだら上昇するのはツライから
できるだけ笑っていよう。

そんな風に誓っていました。

でもやっぱりダメです。
想像以上にショックが大きすぎです。


ベビーベットを置くならベットの配置変えないとなーとか。

キャスター付きのベビーベットにして
リビングにも移動できるようにしょうかなーとか。

胸も張ってきたから
そろそろマタニティブラ買おうかなーとか。

アジャスターベルトもう一つ買おうかなーとか。
(採卵時のホルモン注射を打って
 お腹がパンパンになった時に買ったものを
 まだ取ってありました)

温度調整できるャbト買おうかなーとか。

コープの宅配を利用再開しようかなーとか。

ベビーカーとベビーシートは
レンタルかリサイクルでもいっかーとか。


まだまだ先のことなのに
生まれた後のことばかり考えていました。

楽しかったなぁ。

今までの閲覧履歴から広告が表示されるので
ネットを開くたびに悲しくなります。。。。


今回の移植での
妊娠への思いが特別強かったのは

凍結受精卵が最後ということも
もちろんあるけれど

父のガン再発のこともありました。

昨年、転移性肝がんの手術をしたのですが
年末に再発しました。

高齢なので放射線治療はできず、
再手術するにも前回の手術から早すぎて難しいとのこと。

今は抗がん剤の投薬治療のみです。

義母には心拍確認できてから報告しようと
旦那と決めていましたが

実両親には胎嚢確認ができた時点で報告しました。

私の妊娠で生きる気力が強くなってくれればと。

父が今までよりもより元気になろうと
頑張っているのはわかりました。

でも、余計に心配をかけてしまう
結果になってしまいました。

SLEになってからも
ずーっとずーっと心配ばかりかけてきて。

ほんとに親不孝な娘。



稽留流産、そして掻把手術

2020年03月15日 | 志織のあしあと
※流産後の記事です。


自分の気持ちを吐きだして、
気持ちを整理したいので
今までの経過を書き出そうと思います。




9週6日 診察日

赤ちゃんは育っていませんでした。

そこにはホワイトリングも胎芽の姿もなく
変形した真っ黒な楕円形の姿だけ。

「うーん・・・・」

先生はなにも言わずに内診終了。
内診室から出てすぐ診察室へ移動。

「残念だけど、動いてないねぇ。。。

 このままだと袋が破裂して
 大出血を起こす恐れがあるから
 手術しないといけないのね。

 来週の始め頃に日程調整して来てね。

最後にもう一度確認してみるからね」

時間が止まりました。

先生が何を言ってるのかよくわかりませんでした。

看護師の手術の説明も
何を言ってるのかよくわかりませんでした。

泣いちゃダメ。まだ泣いちゃダメ。
待合室には治療を頑張ってる人がたくさんいる。
泣いてる人を見ると自分も辛くなるのはわかるから。

院内ではあまり考えないように。
会計が終わるまで
ただただ旦那の手を握りしめていました。

思考が停止したまま車に乗りました。

朝から飲まず食わずだったので
旦那が心配して何か食べたら?と
コンビニに寄りました。

何を食べていいかわからず、
普段は買わないレジ横のアメリカンドックと
スメ[ツ飲料を買いました。

車の中で一口かじったら涙がツーっと頬を流れて
止まらなくなりました。

家に入った途端、泣き崩れてしまいました。

ずっとずっと泣いて涙が止まらなくて。
もう枯れてくれればいいのにと思うくらい止まらなくて。

帰宅途中の車窓も何も全然覚えてない。
家に着いてからどう過ごしたのかもわからない。

ベットに入ってからも、ただただ涙がとまらなくて。

私が泣きつかれて寝るまで
旦那は手を握ってくれていました。




10週0日~10週2日

それから手術までの3日間。
現実を受け止められなくて淡々と過ごしました。

ただ、今になってつわりが酷くなりました。
今まで吐き気はあったものの嘔吐したことは無かったのに
初めて朝食後に吐いてしまいました。

ストレスのせいもあったかもしれません。

なんで今さら…とトイレで泣きました。



10週3日 手術当日

「最後にもう一度だけ確認しようね」
手術前に最後の内診。

「んー・・・・変わってないね。。。
 今から消毒して準備するからね。大丈夫??」

でも画面には前回のような真っ黒な胎嚢じゃなくて
またホワイトリングと胎芽のような見えた気が。

えっ・・・まだ居るんじゃない?
もうちょっと待ってもいいんじゃ…・??と
一瞬思いましたが。

そこに映っていた姿は
あまりにも小さ過ぎて。
とても10週とは思えない姿でした。

そもそもこの大きさで8週に心拍確認できてない時点で
本当は稽留流産と診断されてもいいはずなのに。

ギリギリまで待ってくれたのは
先生の優しさだったのかもしれません。

子宮口を広げるラミセルの処置。
消毒薬がやけに冷たく感じました。

それから看護師に案内されて病室へ。
子宮収縮剤の点滴アトニン。

手術はお昼頃予定。それまで2時間ほど待機。

病室はリカバリー室のフロア。
周りは産後のママばかり。

私はナースステーションのすぐ前で
カーテンで仕切らてはいるものの
周りから聞こえてくる
「赤ちゃんに会えますか?」とか
「退院までの日程を説明しますねー」とか。

私もそんな会話をしたかったな…と
羨ましくて仕方ありませんでした。

11:40頃、ナースが来ました。
「行きましょうか?気分わるくない?大丈夫?」と
手術室へ案内されました。

途中、胚移植した処置室が目に入り、
涙が出そうになりました。

診察台にのぼり、足をベルトで固定され、
右人差し指にパルスオキシメーターを付けられ、
左腕に血圧計がまかれました。

血圧が高かったのか
看護師「緊張してる?」と聞かれました。
私「…高いですか?」
看護師「んーちょっとね。浮「?」

自分では泣くな泣くなと感情を抑えていたのに
身体は正直なんだと思うと
我慢できなくなって涙が出てきてしまいました。

看護師「あ、ごめんごめん。泣かせてしまった。
    (ほかの看護師に)ティッシュとって。
    ごめんね。辛いよね」

それから看護師さんが
ずっと腕をさすってくれてました。

手術室の電話がなってDrから「数分遅れる」と連絡。

診察台で足固定されたまま。
ひんやりした空気の中で
私の鼻をすする音だけが響きました。

看護師「今は外して降りておこうか・・・」と
足のベルトを外そうとしたら
電話から数分もたたないうちにDrが入室。

看護師「あれ?数分じゃなくて数秒だったね…w」と。

少し緩んだ空気に
私も思わずクスッとしてしまいました。

看護師「すぐに麻酔が効いて眠くなるからね」

酸素マスクをつけられ、
目を閉じたらいつのまにか眠っていました。

気付いたらベットの上でした。

一瞬、なんでここにいるのかわかりませんでした。

少し早く麻酔が覚めてしまいました。

看護師から麻酔が覚めるのに
2時間くらいかかると説明されていた旦那は
お昼を食べに外に出ていました。

旦那に「終わったよ」とLINEしました。

旦那の顔を見るとホッとしました。

しばらくしたら看護師から
術後の注意事項を説明してくれました。

「30~40日後に次の生理が来ます」

閉経してしまっている私。
その説明を聞きたくありませんでした。。。

現実感が無いまま家に帰りました。

ベットに入っても、
この日は何故か涙はでませんでした。

旦那は私が眠りにつくまで
ずっと手を握っていてくれました。

「動いてないねー」と言われた日の方が
泣いた気がします。

ずっと頭がボーっとして
まるで夢をみているような一日でした。




6週~8週

2020年03月15日 | 志織のあしあと
※流産後の記事になります。


自分の気持ちを吐きだして、
気持ちを整理したいので
今までの経過を書き出そうと思います。 





6週0日 診察日

判定日から2週間後。

無事に胎嚢確認できました。

しかもなにやら2個見える???

先生「んー2つあるみたいだねぇ~わかる??」

えっ??2つ?まさかの双子!!!!

でも大きさが一つは6㎜、もう一つは4㎜。
平均値だと15~27㎜くらいあって欲しい時期。

中には胎芽が確認できたり、
心拍確認できる人もいるくらいの時期。

先生曰く「この時期は大きさより見えるかどうかが大切」と。

hcgは「109」しかなかった。

先生は「基準内だから問題なし」と言ったけど。

でも双子だったらもっと高値になるんじゃないの???

私の不安をよそに、先生は全く心配していない感じ。
先生の言葉を信じるしかありませんでした。

家に帰ってから、どうしても気になって
ついついネットを検索してしまいました。

でも不安になる記事ばかり。。。

この日からネットをみないように
PCを開くことを辞めました。


7週3日 診察日

胎嚢は1個しか見えませんでした。

「小っちゃい方は吸収されちゃったかもねぇ…
 でも双子だと大変だからね」と。

私も双子となるとさすがに色々不安だったので
少しホッとしてしまいました。

もうひとつ胎嚢はやっと15mmくらいの大きさに成長。

そして胎嚢の中にはくっきりとホワイトリングが。

初めて卵黄嚢を見ました。
そして胎芽の姿も。

でもやっぱりこの時期にしては
小さな小さな卵黄嚢と胎芽。

胎芽の大きさはわずか2㎜しかありませんでした。

平均値でいうなら5週くらいの大きさ。
2週遅れの成長速度ってあるんだろうか?
体外受精だから週数がズレることは無いはず。

とにかく不安、不安、不安しかない。。。

初めて見る小さな小さな我が子の姿。
嬉しさよりも不安が勝ってしまって
素直に喜べない自分がいました。

でも先生は全く問題ないように
 「このくっついてるのが赤ちゃんね。
  次はこれが1㎝くらいになって
  心拍も見えてくるからね」と。
 
ただただ祈るしかない日々。
赤ちゃんの生命力を信じるしかありませんでした。

少しずつですか確実に
つわりも重くなってきていました。

食べたら気持ち悪くなる。空腹でも気持ち悪い。
胸焼けも酷くて横になるのもキツイ時があったり。
胸も張ってきて特に起床時が痛い。

妊娠してから後鼻漏もひどくて
咳やくしゃみが頻繁に出ていたのですが、
くしゃみをするとお腹に響くので
「ごめんね。ごめんね。」と
くしゃみをする度にお腹をさすっていました。

ココに居るんだって。守ってあげなきゃって。

旦那もお腹をさすりながら
「大きくなれよー」って話しかけていました。

とても、とても穏やかで
幸せな日々でした。

8週4日 

朝、起きたときになんか変な感じでした。

胸の痛みが無い。
吐き気はあるけど、なんだか違う。

胸焼けもいつもより少ない。

妊娠してから朝食後に新聞を読む習慣も
身体が重くて出来なくなっていたけど。
横にならなくてもなんだか平気。。。。

大丈夫かな。大丈夫かな。。。。
やっぱりダメなのかな、、、、不安になるばかり。

不安を消したくて残っていた妊娠検査薬を使いました。
陽性ラインにクッキリ線が浮かびました。

それも判定ラインより陽性ラインの方が
クッキリ出る逆転現象を初めて見ました。

大丈夫。大丈夫。
つわりなんて全然平気だから
頑張って。頑張って。大きくなって。

毎日毎日、お腹に呼び鰍ッていました。




8週6日 診察日

胎嚢の大きさは変わらず。
形が真ん丸ではなくひょうたん型に。

ホワイトリングは見えましたが
小さな胎芽の姿が見えませんでした。

そして前回は見えなかった
もうひとつの胎嚢の姿が再び出現。
でもそれはとても小さくて真っ黒な袋のみ。

先生「この時期は60~80%くらいで
   心拍が確認できるはずの時期なのね。

   1週間後にまた見てみようか。
   次は99%は心拍が見える時期、
   見えていないといけない時期だからね」

違うよね…先生。
ホントはもう今の時期で99%くらいだよね…

頭が真っ白になりました。
でも涙は出ませんでした。
現実を受けとめられなくて。信じたくなくて。

旦那「逆に言えば40~20%は
   まだ大丈夫ってことだよね?
   大丈夫だよ。大丈夫!!」

旦那の前向きな言葉に救われていました。

私が信じてあげなきゃと
今まで通りに毎日お腹に話かけていました。

ストレスが大敵だから
今まで通りに深く考えないで過ごすことにしました。



ベビーリングを作りたかった

2020年03月14日 | 志織のあしあと
※流産後の記事になります。

 
急に涙が溢れ出る。
お風呂では泣いてしまう。

もう涙が枯れて欲しい。

外に出るのが浮「です。
人に会うのが浮「です

日中はまだ気を紛らわせられるけど
夜はベットに入ると
抑えきれなくて泣いてしまいます。

私が眠りに付くまで
旦那はずっと手を握ってくれてます。

こんなんじゃダメなのに。

ベビーリングというモノの存在を知って
赤ちゃんが産まれたら作ろうと思っていたけど
作る必要が無くなってしまいました。

でも確かにココに居た証が欲しくて
指輪を作ってしまいました。

ベビーリングは小さいのでネックレスにして
身に着けたりするようだけど。

普段、ネックレスはしないので指輪にしました。

指輪なら結婚指輪と重ね付けして
いつでも一緒に居られる。

移植日から手術した日までの
お腹にいてくれた期間を刻印しました。

3月の誕生石アクアマリン。

そして僅かな期間だけど双子だったから
小さな天然ダイヤも添えました。

ホントに短い期間だったけど
ママにしてくれてありがとう。

産んであげられなくてゴメンね。
何年も寝かせてしまってごめんね。

採卵して凍結してからの4年。
あなたが居たから頑張れた。

やっと迎えてあげても不安な毎日だったけど
すごくすごく幸せだった。

一緒に過ごしたこの数か月のことは
きっと一生、忘れません。


そして今日はホワイトデー。

旦那から私の大好きなケーキ屋さんのお菓子を貰いました。
いつ買いに行ったんだろう。

ごめんね。ほんとにゴメンなさい。
こんな泣いてばかりだと旦那だってツライよね。

でもお腹の赤ちゃんと一緒に貰いたかったな。

気持ちがまだバラバラ。