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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

ふだんざくら【不断桜】

2013年10月01日 | は行
伊勢の白子観音にある桜。天然記念物。

「サトザクラの一品種で年中開花し、春秋の花は花柄が長く冬のものは短い。また、冬も葉を残す」のだそうだ。

 ほんとうか? とネットで検索すると、画像入りで解説しているサイトがいろいろ出てきた。ほんとに咲いている。

 開花期の長い桜はほかにもあるようで、春から秋まで花をつけているのだが、白子の不断桜は冬でも咲いている。しかもこの不断桜、江戸時代から咲いているそうで、天然記念物に指定されたのも大正時代だ。ソメイヨシノは100年ぐらいが寿命と聞いたことがあるけど、不断桜はどのくらい生き続けるのだろう。実生はあるのだろうか、接ぎ木はできるのだろうか。いろんな疑問がわいてくる。

 そもそも、どうして一年中咲いているのだろう。鈍感なのか、それともすごく優れているのか。

 染色に使う伊勢型紙は、不断桜の虫食いの葉から思いついた、という伝説があるそうだ。わが家では骨董店で買った古い伊勢型紙を額装して掛け物にしているのだが、こんなところにルーツがあったとは。まあ、伝説だけど。

 とにかく、不断桜をいちど見に行かなくちゃ。


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ふじゅくにち【不熟日】

2013年09月30日 | は行
その日に播種・植付をするとよく実らないといわれる日。


「1月子・2月午・3月酉の日をいい、4月以後は3カ月ごとにこの順を繰り返す」のだそうだ。『大辞泉』では、東日本でいわれることと書かれている。

 どうして1月が子の日で、2月は午の日なのか。季節が悪いという理由ではなさそうだ。

『世界宗教用語大事典』によると、厄日のひとつで、友引や三隣亡、二百十日などと同じらしい。この日は災難にあうから忌み慎まなければならない、と陰陽道では考える。

 友引は「友を引く」から、この日は葬式もしないし、火葬場も休みになる。ところが『広辞苑』によると、これは俗信で、もともと暦の考え方では「相引で勝負なし」という日。朝晩は吉で昼は凶。つまり、葬式はいけないというのは、「友引」の字面からの連想のようだ。

 三隣亡は、この日に建築すると、火災を起こして近隣三軒が滅んでしまうというから怖い。でも、どういう根拠があるのかというとよくわからない。

 厄日だの厄年だのというのは、人を脅かして暦を売りつけたりおはらいさせたりする陰謀じゃないの?


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ふうじゅ【風樹】

2013年09月29日 | は行
(1)風に吹かれて揺れる木。風木。
(2)既に死んだ親を思うこと。風樹の嘆。


「風樹の嘆」とは、孝行をしたいときには親はなし、ということ。「樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たざる也」という韓詩からだそうだ。詩の前半は、とかくこの世はままならぬ、ぐらいの意味だろうか。

 ときどき散歩の途中できれいな花を見つけると写真に撮る。ところが草花というのは、ちっとも静止していない。風がないと感じるようなときでも、かすかな風で揺れている。シャッターを押すのがむずかしい。風は目に見えないけれども、空気は常に動いている。

 木も揺れたくて揺れているわけではない。風が吹くから揺れるのだ。でも、その風によって花粉が飛び、自分の遺伝子を残すことができるのだから、木にとって風は大切なものだ。世の中の思い通りにいかないことの数々も、長い時間が経てば、結果的にはその人にとって貴重な経験となることが多い。

 孝行をしたいときに親はなしというけれども、親が元気なときは孝行をしようなどと思わない。親のありがたさは、亡くなってからじわじわと感じる。


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びょうげつ【杪月】

2013年09月28日 | は行
年末の月。冬の月。


「杪」は末という意味だそうだ。『新漢語林』を見ると「すえ」「こずえ。木のさき」「はし。さき。終わり」などの意味が並んでいる。「歳杪」は年末のことで、「杪春」は晩春のことだ。

 一年を物体のようにとらえ、その端の端という感覚がおもしろいし、いくぶん哀しさも感じる。

 ぼくのお茶の先生は、「誕生日がきても、ちっとも嬉しくないわ。死ぬのが少しずつ近づいているみたいだもの」といっていた。90歳を超えて、もっと生きたい、もっと楽しみたいと考えているようだった。しかし、どんなに元気で好奇心いっぱいでも、いつか死は確実にやってくる。よく、高齢になると枯れるとか達観するとかいうけれども、ほんとうだろうか。人生が「杪」に近づき、こずえの端の端に至り、もう先がないという現実に直面して、そう落ち着いていられるだろうか。

 1年という時間の区切りは人間がつくったものでしかない。地球は回り続け、公転し続ける。大晦日の次は元旦だ。でもそれは新しい1年で、今年と同じ時間が反復されるわけではない。過ぎ去った時間はもう取り戻せない。


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ひゃっかのそう【百果宗】

2013年09月27日 | は行
梨の美称。

「あらゆる果物中の主たるものの意」なのだそうだ。

「宗」には「みたまや。転じて、もと。おおもと。祖先」「最もすぐれた人。祖に次いで有徳の人」という意味がある。「百」は「百種類」じゃなくて、たくさんということを強調した表現。「たくさんの種類の果物の中で最もすぐれたもの」ということか。

 中国から来た言葉らしい。中国でいちばんの果物は桃だと思っていたのに梨だったとは。桃の立場はどうなる?

 百科事典を見ると、梨は日本梨(和梨)、洋梨、そして中国梨(支那梨)の3つに大別できるようだ。いずれもバラ科。

 中国梨は和梨と洋梨の中間ぐらいの形をしている。二十世紀や豊水のように真ん丸ではなく、上のほうが少し細くなっている。食感は和梨のようにシャリシャリしていて、ジューシーで香りがいい。

「梨の皮は乞食に剥かせ瓜の皮は大名に剥かせ」という言葉があるそうだ。梨の皮は薄く、瓜の皮は厚く剥くとおいしい、という意味らしい。なんてすごい言い方。



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