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Rio's Photo Album "千景万色"

EOS 5D MarkIIとEOS 40Dを旅の道連れにして、訪れた場所の風景写真集です。

中国地方旅行記(15)~広島県縮景園

2006-05-29 | 中国地方
天気に恵まれた3日目。広島市内を歩く。


広島駅前。前夜とほぼ同じ場所から撮ってみた。
まずは縮景園へ。

<<縮景園>>
所在地:広島市中区上畑幟町2-11
築成:元和6年(1620)、広島藩主浅野長晟の命により上田宗箇が作庭。
様式:回遊式庭園
園の名称は、幾多の勝景を縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられる。園の中央の濯纓池(たくえいち)内に大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿を配置。


(左)縮景園の入口の冠木門。入ったところに赤い和傘が立ててあった。ちょっと風流な感じ。(右)清風館。入口から入って正面にある。数寄屋造りで西側は書院造りになっている。


園中央の濯纓池(たくえいち)にかかる跨虹橋(ここうきょう)を渡り、超然居を望む。


白龍泉の辺りから清風館、跨虹橋を望む。


(左)明月亭。(右)夕照庵。


(左)ボタン園。ボタンの花の上に鮮やかな色の傘がさしてある。


(左)悠々亭。(右)悠々亭の辺りから清風館、跨虹橋を望む。

園内をゆっくりと一巡りすると、意外に時間がかかってしまった。無駄に写真を撮ろうとしているせいだろうか。園内の案内板をじっくり読んでいたためだろうか。それとも園内をくまなく巡ってしまったためだろうか。
とりあえず、いい天気でツツジやボタン、他にもたくさんの花(名前が全くわからない)が満開であった。なかなか!

(つづく)
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中国地方旅行記(14)

2006-05-28 | 中国地方
2日目は、岡山市~高梁市~広島市と移動し、広島市泊(走行距離242km)。
備中松山城を比較的じっくりと回ったために半日以上を費やしてしまい、予定では広島へ移動する途中で福山城を見ようと思っていたのが不可能になってしまった(福山市を通過が日暮れ時だった)。
とりあえず、翌日に向けて英気を養うことにする。


広島駅前。携帯で撮ったらぼやけた感じになってしまった。

(つづく)
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中国地方旅行記(13)~備中松山城#3

2006-05-28 | 中国地方
近世城郭である備中松山城(小松山城)からさらに臥牛山を登ると大松山城という中世・戦国時代の城郭跡がある。


(左)備中松山城(小松山城)の裏手、水の手門跡から遊歩道を降りる。(右)小松山と天神丸・大松山を結ぶ「立橋」。基礎は石垣で組んである(ようだ)。


(左)途中の様子。ところどころで石垣が残されている。(右)相畑城戸跡。かなり開けていて明るい。周りを歩くと土塁や石垣が残されている。


(左)天神丸跡。臥牛山の最も高いところにある(標高478m)。(右)大池。天神丸と大松山の中間にある。ガイドで調べた写真には杉などの木々に囲まれた静謐な石垣作りの貯水池の風情であったが、昨年の台風で近辺の木々が根こそぎ倒れてしまい、今は無惨な光景が広がる。


大松山の山上にて。ここでも眼下に無惨に倒れた木々の姿が見られる。写真中央よりやや右側に下に紹介する吊り橋が見え隠れする。


(左)吊り橋。大松山の東側の谷に架かっている。大松山から吊り橋までの道には、倒木や地崩れなどが復旧されずに残されているためかなり危ない。が、先にも行き来した人の足跡があったため、微妙な安心感を持って行ってみる。(右)吊り橋の中ほどから開けた方向(南東方向)を望む。天気がいいため気分と見晴らしがとてもよい。ただし、風もかなり強かったため体と気持ちがぐらついてしまう。

ここまで来てほぼ備中松山城をほぼ見尽くしたので来た道を引き返す。


(左)帰路の看板「登城心得 本日の登城 大儀であった 城主」。(右)最後の看板「登城心得 またの登城 心よりお待ちいたす 城主」。
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中国地方旅行記(12)~備中松山城#2

2006-05-25 | 中国地方
備中松山城は、臥牛山(標高約480m)の北から大松山・天神の丸・小松山・前山の4つの峰の内、小松山の山頂(標高約430m)を中心に築かれた近世城郭を指す。

<<備中松山城>>
所在地:岡山県高梁市内山下1
築城者:秋葉重信(築城年:延応2年=1240年、鎌倉時代)
    :水谷勝宗(修築年:天和3年=1683年、現存する天守等の修築)
形状:山城
遺構:天守、二重櫓、三の平櫓東土塀、石垣(現存)
   :本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀(復元)

ということで、この大手門跡から先がいわゆる備中松山城の城郭部分になる。

(左)ニの平櫓跡から大手門跡(写真手前右側)、三の丸(写真中央から左側までの石垣上の平面)、二の丸(写真一番奥の石垣上の平面)を望む。写真中央やや右側に見える土塀の下の石垣は天然の巨岩上に築かれており、備中松山城の特徴をよく表わす。(右)三の丸から大手門跡を見下ろす。


二の丸から城下を望む。周りの山々も眼下に見下ろせてしまう。


二の丸から本丸・天守を望む。写真中央に五の平櫓、その左方が六の平櫓、これらに挟まれた本丸南御門がある(すべて平成9年に復元)。
その右奥に見えるのが天守。


備中松山城天守(望楼型、木造本瓦葺二重二階、国指定重要文化財)。天然の巨岩の上に石垣を築いて天守台としている。正面の唐破風付き出窓など装飾性が高い天守である。


(左)本丸東御門。本丸の勝手口にあたり、引戸の門である。(右)腕木御門。本丸の裏門にあたり、下りていくと搦手門に出る。


(左)天守より本丸を望む。中央の建築物が五の平櫓、その右が六の平櫓、間の門が本丸南御門(本丸の正面玄関)。(右)天守より二重櫓を望む。


後曲輪より二重櫓(現存、二重二階櫓、重要文化財)を望む。後方に天守も見える。二重櫓も天守同様に天然の巨岩の上に石垣を築いて櫓台としている。

これら城郭の石垣の下は、すべて断崖絶壁。難攻不落の城であっただろうことがよく分かる。この城を築いた人(職人さん)は凄い!というか、こんな断崖絶壁の山上にこれだけの石垣を作る石(岩石)を運び上げたのも凄い。
この城を眺め、眼下の高梁市街と周りの山々を眺めると、天気の良かったことも相まって、山道を登り登ってここまで来てよかったなぁ、なんて思いました。

(つづく)
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中国地方旅行記(11)~備中松山城#1

2006-05-24 | 中国地方
岡山市から国道180号で北を目指し、高梁市へ。
高梁川沿いを遡ること1時間くらい、だろうか・・・(そろそろ記憶があやふやに)。高梁市街の先、市街地北東に見える臥牛山の山上に城郭が見えてくる。
備中松山城は、日本国内で最も高いところにある天守の現存する山城である。結構な山道を登らないとならない。


臥牛山ふもとにある御根小屋跡(現在は高梁高校)。石垣の脇をJR伯備線が走る。
松山城主の平時の居館、政務執行の場として用いられた。一方、山上の備中松山城は戦時の城塞であり、かつ平時は城主の権威の象徴であった。

今回はマイカーで城見橋公園駐車場まで行き、そこからシャトルバスで鞴峠まで上がった。バスで上がった峠道の下はかなりの断崖絶壁。あまり自分では運転したくない道だった。


(左)鞴(ふいご)峠駐車場、シャトルバスを降りたところ。(中)鞴峠駐車場から備中松山城への山道。かなり険しい・・・。(右)山道にあった看板「登城心得 あわてずゆっくり歩むべし 城主」。
 

(左)中太鼓丸、右奥に見える石垣が中太鼓丸櫓跡。(右)看板「登城心得 この辺りがちょうど中間地点である。しばし休まれよ 城主」。


中太鼓丸櫓跡を下から仰ぎ見る。


中太鼓丸櫓跡から城下を臨む。既に結構な高度である。こんなところにある城を誰が攻めるんだ!?


(左)中太鼓丸から更に山道を登るとじきに大規模な石垣が見えてくる。それが大手門跡とその背後の三の丸の石垣である。(右)大手門手前にかかる看板「登城心得 よくぞまいられた 城主」。
ホントによくぞまいったよ、自分!!

ということで、次回は備中松山城三の丸、二の丸、本丸(天守)を紹介します。
(つづく)
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中国地方旅行記(10)~備中高松城址

2006-05-15 | 中国地方
2日目は備中松山城のある高梁市を目指し、岡山市内から国道180号で北西へ。
まずは、その途上にある羽柴秀吉の水攻めで知られる備中高松城址に寄り道。

三の丸(池ノ下丸か?)から本丸・二の丸を臨む。写真奥の右側の山が羽柴秀吉の本陣があった龍王山。

この備中高松城は北・東・南の三方を山に囲まれ、その西には足守川が流れる。周辺の土地は田んぼが多く、水面との比高がわずかに4mしかない。
そのため高松城は深田・沼地で囲まれ人馬の進み難い要害の城であった。秀吉はこれを逆手に取り、3kmに及ぶ堤を築き、折しも梅雨時で増水した足守川の水を流し込み、高松城を人造湖中に孤立させた。


(左)間堀と本丸、(右)石碑「史蹟 高松城址 附 水攻築堤址」。


(左)高松城主 清水宗治の首塚、(右)宗治の辞世の歌。
宗治は、秀吉の水攻めにあい、主家(毛利家)の安泰と高松城内に取り残された部下5千人を助命することを条件に切腹することを承諾し、水攻めで出来た湖上に小舟を浮かべ、秀吉から送られた酒肴で最後の盃を交わし「浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して」と辞世の歌を残して自刃した。


(左)蛙鼻築堤跡、(右)築堤跡の脇に立つ高松城跡・築堤の高さ表示板。
水攻めの際に築かれた堤は、堤底22m、上幅11m、高さ7m、長さ3km超もあった。蛙鼻築堤跡はその堤の最下流部に位置し、現存している。


最上稲荷の大鳥居。伏見・豊川と並ぶ日本3大稲荷らしいが、今回はパス。
高松城址、蛙鼻築堤跡に行く道が意外によく分からなかったが、国道180号からこの大鳥居をくぐれば高松城址はすぐそこだった。
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GW・中国地方旅行記(9)

2006-05-14 | 中国地方
ようやく旅行1日目の分が終了。岡山市泊(走行距離254km)。
この日(5/1)は天気がむちゃくちゃ良くて、全国各地で最高気温が夏並みになってて、場所によっては30℃を超えていたらしい。
お城などを歩いている時間が結構長かったので、日焼けと歩き疲れが合わさって、ホテルに着いたらどっと疲れが・・・
翌日のことを考えて早めに眠りについたのでした。


JR岡山駅。
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GW・中国地方旅行記(8)

2006-05-14 | 中国地方
岡山城です。



<<岡山城>>
別名:烏城(うじょう)
所在地:岡山県岡山市丸の内2-3-1
築城者:宇喜多秀家
築城年:慶長2年=1597年(完成)
形状:梯郭式平山城(標高低く平城に近い)
岡山城HP:http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/okayamajou/index.htm
かなり充実しています。


廊下門(左)、不明門(右)、ともに明治期に取り壊し、昭和41年頃(1966)外観復元(コンクリート造)。


本丸本段から見た天守閣(左)、天守閣六階から見える金鯱(右)。
天守閣は昭和20(1945)年に戦災消失、昭和41(1966)年に外観復元(コンクリート造)。


天守閣六階から後楽園を臨む。写真ほぼ中央に唯心山(木々に隠れている)、写真中央左側に沢の池が見える。


(写真左)本段東側の高石垣。高石垣では写真の左から4分の1くらいのところで石垣(石)の積み方が変わっているのが分かる。
宇喜多秀家が築いた石垣の隅角を小早川秀秋が石垣を継ぎ足して改修した跡。秀家は安定性の高い大型の石材をきちっと積んでいる(左側)のに対し、秀秋は丸みの強い石材を粗雑に積んでいる(右側)。
(写真右)本段石垣と天守閣。岡山城天守閣は、天守台が不等辺五角形であり、天守閣も一階部分が同じく不等辺五角形である。写真では、天守閣一階部分と、二階部分以上とで(平面)階の形状が異なることが分かる。


月見櫓、本段下の段から見上げる(左)、本段中の段から臨む(右)。
月見櫓は現存建築物(江戸時代前期建築)、二重二階地下一階。そのために外観二重櫓だが、本段中の段から見ると三重櫓になっている。唐破風出窓や出窓格子が多用されていて、数ある二重櫓の中でももっとも優美な姿をしていた。
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GW・中国地方旅行記(7)

2006-05-13 | 中国地方
岡山後楽園を南門から出ると、旭川とその向こう岸の岡山城天守閣が目に入ってきます。


月見橋越しに、旭川と岡山城天守閣を臨む。
と、いうことで次回は月見橋を渡っていよいよ岡山城に・・・

GWが明けて1週間。今週はとてつもなく長かった。げっそりです 
今日はなんかGWボケの疲れと、1週間の仕事疲れのピーク。
ふらふら、くらくらしながら部屋に帰っていったんベッドに横になり、TVを点けてぼんやり見ながら、うつらうつらと2時間。
とりあえず、と頑張って起きだしブログを書き始める。しんどい時は簡単な文章を考えるのもしんどいな・・・

毎日更新している人って、エライ。

と思いつつ体力の限界に・・・
今日はここで終了です

(つづく)
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GW・中国地方旅行記(6)

2006-05-11 | 中国地方
引き続き岡山後楽園です。


沢の池とその中にある砂利島(写真中央;白砂青松が美しい島)、御野島(写真中央左側;釣殿がある島)、沢の池の向こう岸に唯心山(写真中央やや右側;園内を見渡せる築山、赤いツツジが咲く)が見える。


唯心山のふもと。
赤いツツジが見事。中央の園路を挟む2つの曲水(水路)には高低差がつけてある。ちょっと違和感というか、なんか「あれっ?」って感じがして気になった。


(左)唯心山から延養亭を臨む。(右)唯心山から沢の池(砂利島、御野島、中の島)を臨む。


(左)曲水と八橋(やつはし)。(右)烏城(岡山城の別名)とカラス、ツマンないシャレです・・・

次から岡山城の紹介です。
(つづく)
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