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Rio's Photo Album "千景万色"

EOS 5D MarkIIとEOS 40Dを旅の道連れにして、訪れた場所の風景写真集です。

中国地方旅行記(25)~山口県、秋吉台

2006-08-04 | 中国地方
秋芳洞を突っ切り、黒谷口から地上に戻る。
洞内1kmと案内があったが、鍾乳洞から黒谷口までの地下道が、緩やかでひたすら真っ直ぐな上り坂で、やたらと長く感じる。
(そして、本Blogでの秋芳洞の紹介は、ひと月以上前の6/22。ここまで長かった・・・)


秋芳洞黒谷口。ここの入り口を利用する観光客は少ない。秋芳洞内の途中のエレベーターから秋吉台の展望台まで上がる人が多数のようだ(こちらの方が体力的には圧倒的に楽)。


(左)秋芳洞黒谷口から秋吉台展望台へ抜ける遊歩道入り口。(右)その遊歩道の途中。
このルートを通る人は他にはいなかったようだ。すれ違う人なし、前にも後ろにも人影なし。結局、黒谷口から数十分歩き続ける羽目になった・・・(疲れた)
ということで、秋芳洞では黒谷口に抜けることはせず、洞内で黒谷口への出口まで来たらいったん引き返し、エレベーターで上に上がることをお勧めします。


秋吉台の展望台からの眺望。見渡す限りカルスト台地が広がる。
天気がいいこともあって、絶景でした。


秋吉台自然研究路(距離1.5km、所要時間30分程度)のスタート地点。展望台のすぐそばです。
秋吉台に辿り着くまでにさんざん歩いたにも係わらず、さらに歩くことに。


ちょっと疲れたので、歩道からちょっとだけ外れて、原っぱでひと休み。
展望台付近は観光客がわらわらと群がっていたが(自分も含め)、ここまで来ると人口密度は激減。なんかすごく開放された気分で横になり(寝っ転がり)、しばらくのんびりした時間を過ごす。


見上げた青空。ひたすら青色。


カルスト台地で周りに石灰岩がごろごろ転がる小道で、ちょうどちっちゃな丘の頂上に向かうところ。小道の先に青空が広がり、なかなかいい感じ。


近くから石灰岩を見る。


カルスト台地のドリーネ(窪地)。
地面下の鍾乳洞の天井部分が落ちて地面が落ち込み、窪地となったもの。結構でかい(広範囲)。

<<秋吉台(あきよしだい)>>
    特別天然記念物
所在地:山口県秋芳町秋吉
その他:秋吉台は長径17.0km、短径7.5km、広さ約130km2、海抜200mの台地であって
    主に古生代の石灰岩から成るカルストである(秋吉台の看板より)。

(つづく)
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中国地方旅行記(24)~山口県、秋芳洞#2

2006-06-22 | 中国地方
秋芳洞の入口を入ってすぐにある青天井をすぎてしばらく進むと、秋芳洞の中でも有名な百枚皿に。


どうやって出来たのか、座布団サイズから畳サイズまでたくさんの「皿」が段々と続いている。みんな立ち止まって写真を撮っているが(自分も同じ)、半分くらいの人が通路から外れてこの百枚皿の段々と続く皿の上、それとも中(?)を歩いてみたい、などと思っているような気がする。一瞬、歩いてみたら面白そうだな、なんて思ってしまった自分・・・

出来た過程は、段丘上から流下した水の石灰分が波紋の形に堆積して成長したために、波紋の縁の部分が盛り上がって皿状になった。多くの「皿」が並んでいるために百枚皿と呼ばれるが、実際には500枚以上ある。



(左)洞内富士。名前の通り富士山のように裾野が広がる(写真は縦長のために広がっている裾野を写しきれていないが・・・。広角に撮ると人が多くて写真の中に入ってしまうのと、広角で撮ろうとしたらカメラを固定できる場所がなくブレまくりそうだったので、撮るのを諦めました)。洞内で最大の石筍らしいが、ここまで巨大に成長すると石筍にはとても見えない。(右)千町田。百枚皿と同様にして出来た「皿」が並ぶ。奥に見える人の列と比べるとひとつひとつの皿も意外に大きい(タタミ数畳分?)ことが分かる。


大黒柱。天井から垂れ下がる鍾乳石と、石筍が連結して出来た石柱。


黄金柱。天井の方から流下した水によって出来た石灰華柱で、表面に細かい模様があってレースのカーテンをたらしたような華やかさ。


石灰華の滝。これも石灰華柱だが、段を重ねて幾重にも折り重なった様が滝のように見える。
この写真はややピンボケか。ちょっと微妙。


五月雨御殿(だったと思う)。なんかパッと見、何がなんだか分からん写真だ。
写真の右端にカメラを構えている人の左手が見切れているので、そことの対比で鍾乳石のサイズが何となく推し測れる。
名前通りにデカい。


マリア観音。石筍だが、表面が滑らかで外見が観音様のように見える。
この辺りまで来ると、秋芳洞もほぼ終点。
そのまま通り抜けると秋芳洞の黒谷口に出るのだが、鍾乳洞を抜けて緩やかに登って地上に出る地下道が意外に長かった。
また、外は晴れていて暑いくらいであったが洞内はひんやりと涼しかった。ただ、湿度は高かったような気がする。
さらに、場所によっては天井から水滴が落下してきているので、たまにカメラに「ぴちょん」と来ることも・・・。
そういうときにはちょっと焦ります。

<<秋芳洞(あきよしどう)>>
所在地:山口県秋芳町秋吉広谷
     秋吉台の地下にある。
その他:国内最大級の鍾乳洞。
     総延長10kmのうち約1kmが公開されている。
     洞内には多量の地下水が流れており、石灰岩の溶食作用は現在も進行中。
     洞内の温度は17℃前後。

(つづく)
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中国地方旅行記(23)~山口県、秋芳洞#1

2006-06-20 | 中国地方
毘沙ノ鼻から国道191号を再び南下し、下関をかすめて小月から中国自動車道で美弥へ。中国道を降りてからは国道435号で北上して、都合2時間弱の行程。
渋滞もあまりなく、秋芳洞入口あたりで若干込んだかな、といった具合。


意味も無く秋吉台、秋芳洞の観光図(看板)。


(左)秋芳洞観光案内所、秋芳洞の入口の改札所のそばにあった石碑。かなり控えめに建っている。(右)秋芳洞観光案内所~秋芳洞入口までの小道。小道の左側に流れるのが秋芳洞、洞窟内から流出する川。暑めの一日でしたが、この辺りから涼しげな雰囲気が。


秋芳洞の入口。巨大な岩盤の裂け目に入り込んでいく感じ。丁度洞窟の出口が小さな滝になっていて、そして滝壺部分は青白く輝いて妙に綺麗だった。


その滝壺。碧色に乳白色がかっているというか何と言うか。何と言うの?こういう色は。


滝壺のふち。底の岩が透けて見えるのと、魚がいっぱい泳いでいるのが見える。なかなか綺麗な眺め。


秋芳洞に入った先から秋芳洞入口の方を振り返る、の図。中は広い。


秋芳洞に入ってすぐにある青天井。メチャクチャ広いうえに天井もばか高い。どうやったら岩盤を溶かしてこんな広いスペースができるのか。そして中はあんがい冷んやりとしている。ま、洞窟内だから当然か。
そしてこの辺りはまだ人が少なかった・・・

ということで、つづく。
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中国地方旅行記(22)~毘沙ノ鼻、本州最西端

2006-06-15 | 中国地方
門司から関門トンネルを抜けて下関に戻り、日本海沿いを国道191号で真北へ。
30分ほど走り続けた後に国道191号から海岸線の方へ外れ、たまにある看板を頼りに集落や畑などの間を抜けると(この間、道を間違えていないかとても不安を感じる)、毘沙ノ鼻(びしゃのはな)に辿りつく。


(左)毘沙ノ鼻の駐車場にある看板。駐車場には車を20台以上駐めれるスペースがあったが、いたのは2台だけ。まあ、まだ朝8時台であったのも一因だとは思う。(右)駐車場から毘沙ノ鼻へ続く歩道。左手には日本海が広がりなかなか気分が良い。が、その先には産廃かなんかの埋立地があり×。また、季節柄か蜂が元気に飛びまくっており、目の前を何十回も飛び交われてしまい、これには閉口した。というよりも、ちょっとびびった。


先ほどの歩道の先が岬、毘沙ノ鼻である。ちょっとした広場になっている。ここにも蜂が・・・


毘沙ノ鼻の看板。

<<毘沙ノ鼻(びしゃのはな)>>
本州最西端の地。
所在地:山口県下関市
     北緯34度6分38秒、東経130度51分37秒
その他:下関市環境センター吉母管理場の敷地内にあるらしい。




岬から見た日本海の風景。(左)本州に沿って南方向。(中)ほぼ西方向。(右)本州に沿って北方向。天気が良かったので眺めが良かった。

よくよく調べてみると(実は事前に調べていたので知ってはいたが)、この場所は「真の」本州最西端ではないらしい。本州最西端の石碑はこの場所の下、吉母管理場の敷地内の波打ち際の岩場に建っているらしい。

(つづく)
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中国地方旅行記(21)~門司、和布刈公園

2006-06-12 | 中国地方
4日目は、まず門司港を見下ろす和布刈(めかり)公園に行ってみる。
早朝であったためか、人影もまばら。


和布刈公園の入口。ツツジの花が満開で見事。ちょっと先には関門大橋の橋脚が見える。


和布刈公園から古城山(標高175m)を10分ほど登ると門司城跡に辿りつく。門司城跡といっても写真にある石碑のみが残されているだけで、他に遺構は残されていない。

<<門司城>>
別名:門司関山城・亀城
所在地:北九州市、古城山上
築城:紀井通資(築城年:平安時代末期?、平知盛の命令で源平の合戦に備えた)
歴史:室町時代末期(戦国時代)、門司半島は大友氏と大内氏、大内氏滅亡後は変わって毛利氏が激しい争奪戦が広げられ、門司城はその渦中に置かれた。江戸時代に入り(元和元年=1615年)、一国一城令で廃城となりその歴史を閉じた。


古城山上(門司城跡)から関門海峡を望む。古城山上からは周辺の景色が一望でき、非常に眺めが良い。


古城山上の砲台跡。これは旧日本軍によるもの(だろう)。コンクリート製の掩体はそのまま遺されている。左奥にあるのが門司城跡の石碑、その先に関門大橋が見える。
関門海峡を見下ろせる古城山の山上はいつの時代も軍事上の要衝になるのだなぁ、と思えてくる。


古城山山上からすぐ下にある旧日本軍の軍事施設跡。多分、弾薬庫であったと思われる。


めかり公園から壇之浦を望む。


めかり公園の第2展望台そばにある壇之浦合戦壁画。かなりでかい。


(左)めかり公園第2展望台から門司港方面を望む。(右)同じ場所から真下、関門大橋を望む。


関門大橋を見上げる。でかい。

この後、めかり公園を後にして関門トンネルを通って下関に戻り、中国地方に復帰。山口県の名所をピンポイントで巡ることにする。
(つづく)
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中国地方旅行記(20)

2006-06-11 | 中国地方
夕方に岩国城下町を回った後は下関/北九州方面に慌しく移動。
ということで、3日目は広島市内~岩国~下関~北九州と移動し、北九州市泊(走行距離245km、多分。トリップメーターの記録をしっかりつけてなかった)。
広島城(天守閣内の展示)をゆっくり見過ぎてしまったせいと、フラワーフェスティバルをしばらく見ていたせいと、宮島口近辺での渋滞のせいで、思った以上に時間をかけてしまい、夕方~夜が余裕のないスケジュールになってしまった。
まあ、移動ばっかりの旅行だから仕方がない部分もあるのだけど。
ということで、翌日に備えて休みをとるのだが、そろそろ疲れも溜まってきていた3日目でした。

(つづく)
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中国地方旅行記(19)~岩国城下町

2006-06-09 | 中国地方
錦帯橋を渡り、吉香公園周辺を散策する。


(左)吉香公園内。山上には岩国城天守閣が見える。(右)吉香公園内。大噴水などがある水場。子供たちが遊んでいた。吉香公園は岩国藩主吉川家の居館跡を公園に整備したもの。


(左)香川家長屋門。岩国藩家老香川家の屋敷。(右)ロープウェー。残念ながら乗ることが出来なかった。


内堀と錦雲閣。吉香神社の境内の南隅にあたり、もともとは三階櫓があったが、明治18(1885)年に居館跡が公園になった際に、現在のこの絵馬堂が建てられた。


(左)錦雲閣を裏手から望む。(右)錦雲閣内。


吉香神社、鳥居。


(左)吉香神社、神門。(右)吉香神社、拝殿。

<<吉香神社>>
(国指定重要文化財)
造営年:享保13年=1728年(明治18年=1855年に現在地に移築)
外観:鳥居、神門、拝殿、幣殿、本殿が南から北に一直線に並ぶ構造


吉香神社内の藤棚。薄暮れ時で彩が少ないので載せてみた。


(左)岩国のシロヘビ観覧所。残念ながら営業時間が終わっており見ることは叶わなかった。ご利益が欲しい!!ちなみに岩国は世界的にも稀なシロヘビの繁殖地らしい。(右)佐々木小次郎像。吉川英治著「宮本武蔵」では武蔵の宿敵、佐々木小次郎は岩国に生まれ錦帯橋の畔の柳や燕を相手に「燕返し」を編み出したとされている。


錦帯橋を渡ったすぐ先にある食事処/アイスクリーム屋。(左)「佐々木屋小次郎商店」(右)「むさし」。ともに100種類を超えるソフトクリームを販売しており、沢山の人が集まっている。両店は隣り合っており、やはり店名からもライバル店なのだろう。
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中国地方旅行記(18)~岩国市錦帯橋

2006-06-08 | 中国地方
広島市内で遅い昼食をとり、予定通り山口県岩国市を目指す。目的地は、岩国城・岩国城下町・錦帯橋である。
広島-岩国間の距離、時間帯を見て国道2号、西広島バイパスを使うことにするのだが、この判断が大失敗。
なぜか?

広島市を抜けるまでは、相当に順調。「この手のバイパスは流れがいいねぇ、天気もいいし気分がいいや」と言っていたのが、廿日市市に入ってしばらくすると車の流れがハタと止まり、大渋滞。まったく先に進まない状態に!!
2車線のバイパスが1車線に合流してバイパス区間が終了するため、かと思いながらも、隣の車線を爆走する車を横目に見ながら「知らない土地の合流地点で我を張るのは危険、自重だ自重」と我慢を重ねるがちっとも車は進まない。ナビもない車のこと、どういった種の渋滞かも想像付かないまま、我慢すること1時間強。この間に進んだ距離はわずかに3キロメートル!
ようやく渋滞が解消された場所はなんと、「宮島フェリー乗場」の入口。大渋滞は、フェリー待ちの車列によるものだったのだ
そりゃGWの始まりで、めちゃくちゃいい天気で、行楽日和で、みんなお出かけしたくて、そりゃ自分もお出かけしてるし・・・
でも、こんな渋滞、回避しようがないじゃないか!?
宮島口を抜けると、これまでの大渋滞がウソのよう。恐ろしく車の流れが良くなる。

と言うわけで、目論見が大きく外れ、岩国城下についたのはPM5:00目前。車を川原の駐車場に置いて錦帯橋へ急ぐ。
岩国城に登るロープウェイはGW中は5:30までらしい。が、錦帯橋を渡るための入橋券を買い求めた際に、窓口のおばちゃんに聞いてみると、ロープウェイは下りのタイムリミットが5:30らしい。「今日はもう無理ですよ」と言われてしまう。残念

気を取り直して、錦帯橋と城下町を楽しむことにする。


川原の駐車場より(下流側から)錦帯橋を望む。左手の城山山頂には岩国城が見える。


デジカメのポジ写真モードで撮ってみる。空の青色がめちゃくちゃ強調されてきれい。

<<錦帯橋>>
所在地:山口県岩国市、錦川上に架橋
架橋者:橘川広嘉(完成:延宝元年=1673年)
橋長:193.3m(橋面に沿って210m)、橋幅:5m、橋台:高さ6.6m
外観:五連のアーチ(反り橋)で構成。
    中央の3つの反り橋の経間35m
その他:日本三名橋のひとつ


(左)橋上から城山・岩国城を望む。(右)橋上から次の反り橋を見る。GWになってさすがに日が長くなってきたとはいえそろそろ日が傾いてきている。


錦帯橋の全景。5つの反り橋が頑丈そうな橋桁に乗っかっている。


上流側から錦帯橋を望む。太陽が城山の陰に入りかかり次第に薄暗くなってきていた。

錦帯橋を真下から見上げる。下から見ても橋は美しいカーブを描いている。


錦帯橋の構造部。


橋上から下流部を望む。かなり広い川原と穏やかな水の流れが見える。この水の流れが台風時などには濁流が川原を沈め、橋が落ちるくらいの勢いになるというのだから、自然というのは凄まじい。


夕暮れ時の錦帯橋。太陽は山の向こう側に隠れてしまい、山陰にあたる錦帯橋のあたりは薄暗くなっている。しかし、遠くを見渡すとまだまだ明るい。

(つづく)
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中国地方旅行記(17)~広島市街

2006-06-05 | 中国地方
広島城をちょうど出るとき、空から爆音が・・・


空を飛ぶアクロバット機。二機編隊でそのうち一機からスモークを出しており、真っ青の空に白いスモークが映える。機種名はさすがに分からない。

<<フラワーフェスティバル>>
第30回ひろしまフラワーフェスティバル
~広島と世界を結ぶ平和の花の祭典
5/3~5/5にかけて広島市中心部で開催され(5/3には花の総合パレード、5/5にはきんさいYOSAKOIパレード)、GW期間中の各地の祭りで最大級の100万人以上が集まる。


平和大通り会場での花の総合パレード風景。
しばらくパレードを眺めていたが、当日の移動スケジュールが差し迫っていたため早々に立ち去ることに。雰囲気だけは味わった、という感じ。

公式ガイドを見返すと、ゲストには神園さやか、南一誠、森本ケンタ、假屋崎省吾、長州小力、MAX、misono、ミヒマルGT、マギー審司、レイザーラモン、まちゃまちゃ、等が来ていたようだ。ナマ長州小力を見てみたかった、かな。

広島市民球場。


(左)広島の市電。味があります。(右)同じく市電。こいつの行き先は宮島口。このあと「宮島」に祟られることに・・・

(つづく)
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中国地方旅行記(16)~広島城

2006-06-03 | 中国地方
縮景園から西方向へ歩くこと5分。広島城に到着。

<<広島城>>
別名:鯉城(りじょう)
所在地:広島県広島市中区基町21番1号
築城者:毛利輝元(築城年:慶長4年=1599年)
形状:平城
遺構:石垣(現存)
   :天守閣(外観復元、コンクリート造)、二の丸表御門・太鼓櫓・多聞櫓・平櫓(復元、木造)


(左)二の丸を内堀越しに望む。左手から御門橋、表御門、平櫓(写真中央)、多聞櫓、太鼓櫓(写真右側)。(右)御門橋、表御門を正面より望む。二の丸の建物は原爆によって全て失われたが、平成6年に復元(木造)。


(左)二の丸より中御門跡を望む。(右)本丸内から天守閣を望む。手前に見える石群は昭和の天守閣復元時に原型のまま移された天守礎石群。


(左)天守閣を正面から望む。五重五階で壁は黒塗りの下見板張。(右)天守台石垣と天守閣下層。石垣の隅部は算木積で毛利時代に築かれたもので、かなり巨大な石が使用されている。また、手前の隅部の天守閣一階部には石落しが見える。


天守閣五階(最上階)より南西方向を望む。写真中央よりやや右側の丸い屋根の建物が広島グリーンアリーナ、写真中央よりやや左奥に広島市民球場、その向こう側に原爆ドームのドーム部が見える。


天守閣の鯱。カラスがとまっていたのがちょっと癪。それにしても雲ひとつないめちゃくちゃいい天気だなぁ。どの写真も空は青一色だ。
今回の旅行は基本的に天気に恵まれていた。日頃の行いが良かったのか?と変な自画自賛をする。


(左)本丸東面の石垣を望む。左奥に見えるのは二の丸の太鼓櫓。石垣の突起部に二重二階櫓が築かれており、防御を固めていた。(右)裏御門跡。

広島城は内堀に囲まれた本丸・二の丸が残されており、面積も広くないために中を巡るのは楽(前日の備中松山城はキツかった・・・)。素早く観光して立ち去るつもりが、天守閣内部の展示物をじっくり見てしまったせいで意外に時間を食ってしまう。
しかし、天守閣五階からの眺めはなかなか。周りには高いビルが並ぶが、意外に遠くまで見渡すことができた。江戸時代では天守閣以外の高層建築はないために城下をくまなく見渡すことが出来たのだろう。

二の丸ではGWに開催されるひろしまフラワーフェスティバルの会場となっており、テントが立ち並んでいた(写真撮影ではテント群を無理やり避けた)。人出が多かったはずだが、ここにUPした写真を見ると、ほとんど人が入っていない!写真撮影時にはうまく人ごみが切れていたのか、ちょっとだけ辛抱強く人ごみが切れるのを待ったのか・・・

(つづく)
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