紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

『私鉄沿線』熟考。

2008-09-16 23:37:17 | ラジオ
 カーラジオから、野口五郎のヒット曲『私鉄沿線』が流れて来た。郷ひろみ、西城秀樹と並ぶ「新御三家」のひとり、野口五郎が、切々と失われた恋を歌う。

 高校生の頃、出席番号が近かったため親しかったクラスメイトが「私、野口五郎、好きやねん、とくに『私鉄沿線』!」と言っていたっけ。『ちりとてちん』の糸子さんが、愛する五木ひろしを「ひろし(ハート)!」と呼ぶように、彼女は「五郎(ハート)!」と呼んでいたっけ。

 秋口に相応しい切ないハートブレイクな歌詞なのだが・・・なんだか妙な違和感が。いったいどうしてこの二人が別れたのか、その理由が全く説明されていないのだ。「彼女」はまるで蒸発したみたいに忽然と消えている。
 歌詞中にも「ぼくたちの愛は終わりでしょうか?」「きみの帰りを待ってます」とか、どのような別れがあったのか、はっきりしないフレーズが現われる。もしかすると、彼はさりげなく振られたのではないか?という疑問も残る。

 しかしである。歌の出だしは
♪改札口で君のこと いつも待ったものでした♪
 なのだ。

 つまり、待ち合わせの場所はいつも男の住む町の私鉄の改札口で、けっこう同じ喫茶店にいきつけているらしいのだ。
 デートにバリエーションを付けるサービス精神は彼には無いのか? というか、自分がデートに電車賃を使わなくてすむように、相手に自分の街まで来させるような、せこい男かも?と、つい、うがった見方をしてしまうじゃないですか!

 でも、もしかしたら松田聖子が『赤いスイトピー』でかばっているように、「ちょっぴり気が弱い(この場合はケチだ)けど、素敵な男性(ひと)」なのかもしれない。けれど、歌詞が2番になっても、やはり「彼」に対するフォローはなく、「彼女」がなぜに彼の前から姿を消したのかはナゾのままだ。

 しかし歌も終盤にさしかかる頃、センチメンタルな想いに沈みつつ、彼はついに、最大のヒントをリスナーに投げかけてくれたのだ! これが問題の箇所である。

♪ぼくの部屋をたずねてきては
いつも聡怩オてた君よ♪

彼女はある日、ふと気付いたのだ。

「私、彼と会うのは、いつも彼の街で、
彼と会う日は、いつも部屋の聡怩オてるじゃない!
これってデートなのかしら? デートにしては地味すぎないかしら?
こうして彼といたら、私は一生を聡怩ナ費やすのではないかしら?」

 そして彼に何の説明も無く、ふっと消えてしまったのだ。彼女には「説明」なんて無駄なことが、よーく判っていたのかもしれない。賢明な判断である。

 「(最近見かけないけど)彼女、どうしてるの?」とマスターに聞かれるのをさけるために、恋人といきつけの喫茶店はほとぼりが醒めるまでは回避すべきだと、私は思う。だが彼は、ひとり「思い出」の濃い喫茶店にわざわざ出向き、しかもできることならば最後にもういちど会うための場所として、お誘いしているのだ。なんというか、自分のハートブレイク・ストーリーに酔っているのだ。
 こういう男からは問答無用でさっさと逃げるに限る、と私の中の「女の勘」は赤いライトを回しながら、けたたましくサイレンを鳴らしている。

 なんにしろ、手遅れにならないうちに逃げることができた彼女に「ルネッサンス!」(乾杯!)である。
コメント
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