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私版漢字一字は「思」

2013-12-30 23:07:15 | 世界の中の日本

 

リタイア後こそ大事な「思」
 2013年の漢字一字は『輪』だが、私版漢字一字は『思』である。今の自分、今の世相を考ると『思』の一字が浮かびあがってきた。
 現役を離れて10年以上になり、毎日、毎日に“今日、何かをしなければならない”ということが少なくなっただけに、うかうかすると1日が意味なく過ぎてしまう日が多くなりがちになる。それだけに、「今日、何をするべきか」「何をしたいか」などと『思う』ことが昔より大事なことになってきた。

無為の毎日から抜け出す原動力は「思」
 毎日、毎日を無駄を意識しながらものんびりと過ごせるのがリタイヤー後の特権とも言えなくはないが、それも程度問題。撮り溜めたビデオの編集、写真の整理を始め、残された時間にやり終えておかなければならない宿題が山ほどあるのが判っていながら、手が付かないままに時間が過ぎて行くも辛く、焦りを感じる日もあるが、と言って、何もしないで1日が終わる日もしばしばになる。その惰性から抜け出す言動力が「思」である。言わば老後生活の必需品である。

《おもてなし》も「思いやり」あってこそ
 『思』は「思いやり」の思いでもある。2020年の東京オリンピック招致で再認識された格好の日本の魅力《おもてなし》も、「思いやる心」が欠けていたのでは、形だけの鼻持ちならない気取り屋の仕業になる。
 数年前伊豆の旅館にお世話になったことがある。“おもてなし”が売り物の旅館という触れ込みもあり、それなりの期待もあった。夕食前、露天風呂で伊豆の海の眺めを楽しみながら上がってくると、風呂の出口に抹茶を立てるコーナーが設けてあり、それらしくしている。そのあたりまでは良かったが、朝風呂に入り、丹前姿で部屋に戻る途中、廊下ですれ違った女中から“イラッシャイマセ”と今到着したばかりの客に言うような調子で挨拶され,妙に違和感を感じたことがある。挨拶はしないよりは、する方が良いが思いを乗せていない挨拶は空々しく聞こえる。この場合“オハヨウゴザイマス”なら問題は少なかったのだろうが、挨拶は思いの込め方がすべてだ。

「思い込み」の怖さ
 また、《思うて学ばざれば…》の『思』でもあり、「思い込み」の『思い』でもある。安倍首相の靖国参拝も“痛恨の極み”から“思いあまって”のことだろうが、少し考えれば、それが“国益”を害し、“国民の安全”を損ねる行為になりかねないことを学べたはずである。《思いて学ばざれば、則ち殆し》で、一国のリーダーたるもの“思い”だけで行動するのは、愚かであり危険極まりない話である。
 

日々の生活に『思』で楽しく
  “…モノや思うと人の問うまで”などの頃もあったが、あれから60年近くすぎても、思うことが多く、それが毎日を楽しくしている。食べること、着ること、見る事、聞くこと、それぞれ、毎日のことだが、そんなことの一つ一つに思いをよせてみると結構楽しい。人が言うほど“面倒”でもない。
《吾思う、ゆえに吾在り》と誰かも言っている。


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