
弘道館昇殿。正庁の玄関・・・・・・

ではなくその脇にある出入口で靴を脱ぎます。
まずは正庁【国指定重要文化財】から。

この部屋は諸役会所といい、おもに来客者の控えの間として用いられました。
玄関から見えた力強い「尊攘」の書。
徳川斉昭が水戸藩の藩医・松延年に書かせた安政3年(1856年)の作ですが、ものすごいインパクトです。
斉昭自身もかなり豪快な筆づかいの書を遺していますが、この書はそれをも凌駕する、光圀から起こる水戸学が積み重ねてきたエネルギーが込められているかのようです。
館内の釘隠しは三つ葉葵の御紋が施されています。

そして軒先からも梅を愉しむことができます。

武芸の試験場であった対試場も、前庭にあります。

正庁の最奥にある正席の間です。
この日は老年層を中心に観光客が多い日だったので、じいさまがそのまま写っています。

24畳敷きの部屋で、藩主や重臣が臨席して文武の試験を行い、諸般の儀式を挙げたところです。
外の対試場は至近にあり、藩主らはこの部屋から観覧したそうです。
この部屋の掛け軸は、弘道館の建学の精神「弘道館記」の拓本です。
「弘道館記」は藤田東湖が考案し、徳川斉昭が作成したもので、漢文で書かれています。
これを石碑に刻み、その拓を掛け軸にしたものです。

弘道とは何ぞ。人能く道を
(「弘道」とはいかなる意味だろうか。それは人が「道」を広め、人が「道」をもとに生きることができるという意味である)
道とは何ぞ。天地の大経にして、生民の
(では「道」とはいかなる意味だろうか。それは自然界の大きな秩序を立てているものであり、生きている人間がしばらくもそれを離れてはならないものである)
このような問答形式で「道」が天孫降臨以来どのように変遷してきたかを述べ、建学の精神を記しています。
そしてところどころに不自然な改行があったり、不自然な空白があったり、行頭がそろっていなかったりします。
行頭の飛び出している部分の文字は「皇」「神」「王」などで、「東照宮(家康を表す)」にも不自然な改行、「義公(光圀)」「威公(初代藩主・頼房)」「国家」「祖宗」などに不自然な空白があります。
このような記述をすることで、皇室や偉大な先祖に敬意を表しているそうです。
予習はしてきているのですが、やはり弘道館は難しい(?_?)
次は離れの至善堂【国指定重要文化財】です。
正庁が藩士の勉学、試験の間であるのに対し、至善堂は藩主一家の勉学の間でした。
藩主の子息は、二の間・三の間・四の間で勉学に励み、その中には最後の将軍となった徳川慶喜もいました。

そして最奥の御座の間は、藩主の休息の間として用いられていました。
のち戊辰戦争で朝敵とされた徳川慶喜は、この部屋で恭順の意を表して謹慎していました。
右上に「至善堂」の扁額が懸っています。
そして左の掛け軸は要石歌碑の拓本です。

行末毛 富美奈太賀幣曽 蜻島 大和乃道存 要那里家
(ゆくすえも ふみなたがえそ あきつしま やまとのみちぞ かなめなりける)
太古の昔から我が国に伝わる大和の道はいつまでも変わらない大いなる道であるから、これを固く信じ迷い惑わされることなく、信念をもって正しく歩むように、という教えを記した徳川斉昭の和歌で、歌碑には万葉仮名で刻まれています。
斉昭の文字は豪快ですねぇ。

中庭の梅は終わっていましたが、花はなくても十分素晴らしい!
弘道館内の資料展示館を拝見して外に出ました。
ううぅ、やはり弘道館は難しい(?_?)
水戸学をまとめるのも難しいよ(?_?)
いや、こんなぼやきブログごときが水戸学とか高尚な学問を扱うべきじゃないんだよ、きっと。
うんうん、このブログはあくまで旅日記ですからねぇ。
時間があったらまとめますわ。



遅咲きの梅が盛りを迎えていました。
梅は学問を表す花・・・・・・もう少し水戸学について学んでみようかな、と考えました。
しかし難しいなぁ。
◆参考文献
『弘道館』 http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kodokan01.html
『弘道館記』 http://www.j-texts.com/kinsei/kodo2.html
『常盤神社』「烈公の名文」(安見隆雄氏) http://www.komonsan.jp/mitogaku/cat34/post_277.html