何日か前の話。
テレビでの放映を録画したのを、やっと見た。
戦争の場面が残酷だったら嫌だなとか、
陰湿な場面ばかりは嫌だなとか、
外国人と日本人が混ざって映画に出たのを見る時のいつもの違和感はもっと嫌だな、
とかいろいろなことが頭に浮かんであまり気が進まなかったのだ。
嫌になったらすぐやめよう、と考えて見始めたら、嫌にならなかった。
乾いた感じがした。
日本人が作ったらこういう映画にはならないんだろうとも思った。
クリント・イーストウッドは、若い頃から好きな俳優だったが、
映画監督としても素晴らしい。
ただ、何を訴えたかったのか、わかりかねた。
ーーイーストウッドは戦争の悲惨さを訴えるつもりがないらしい。そんなあたりまえの事は、ことさら強調するまでもないというわけだ。
では、何を?
他のブログの批評などを読ませてもらってわかったことがある。
ーー栗林日本軍は乏しい弾薬と物資だけで、米軍の予想を数倍も上回る長期間持ちこたえたーーが、そうした栗林中将の英雄的な側面、日本軍の奮戦ぶりを本作に期待してはならない。
ーー英雄と称される元五輪金メダリストのバロン西(西竹一中佐)と共に、その人となりは確かに人格者として描かれてはいるが、天才戦略家としての顔は、大きくカットされている。
ーーバロン西が敵戦車部隊から強力な武器を奪い、さらなる大打撃を与えたというような有名なエピソードも触れられる事なく終わる
意図的にそうした描写を避けたのだろうという。
日本とアメリカのどちらにも公平に勇猛さや残虐さ人間らしさを描いているので、いわゆるいつものいや~な感じにはならなかった。
映画を見た人が、いろいろと感じ、戦争について考えをめぐらせる事がいいのだろう。
※※
このあとに書いたことが消えてしまった。

とりあえずは、このままで。