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寄り道しながら前へ

 思いつくまま気の向くまま
ゆっくりいろんなことを考えてみよう。

 

こわいネット

2012-07-10 19:36:10 | 

 テレビや新聞は、報道に偏りがあると思っていた。だから、インターネットから幅広く情報を仕入れればいいと思っていた。
    だけど、どうもそれだけではないらしい。

次のように紹介されている

あなた好みの情報を自動的に取捨選択して見せてくれる、近年のネット社会のフィルタリング技術。その裏に潜む、民主主義さえゆるがしかねない意外な落とし穴とはーーー。

 

最近のインターネットは、いつのまにか、自分が興味を持っていることや自分の意見を補強する情報ばかりが見えるようになりつつあるらしい。

 インターネットの世界にはあらゆる情報が存在しているが、その情報と我々との間にフィルターが置かれ、そのフィルターを通過できる一部の情報だけが我々に届く状態になってきている。しかもこのフィルターは、一人ひとりに合わせてパーソナライズされている。つまり、いま、我々が見るインターネットは一人ひとり違っていることになる。

 フィルターを作って設置しているのはグーグルやフェイスブックといった企業だ。その背景にあるのは広告。ユーザーの興味関心が正確に把握できれば、それに合わせた広告が提示できる。グーグルやフェイスブックを使うと、これらの企業に膨大なデータが蓄積されていく。これらのデータには法外な価値が生ずる。

 フィルターバブルの中に入るというのは、自分が目にする選択肢をその会社に選ばせることを意味する。

そういえば、自分が検索したり、ネットで買い物をしたら、その関連の物ばかり、ネットの広告で見かけるようになった。 

 便利だと思う半面、様々なものが隠されて一部の物しか目にできなくなるというデメリットもあることに気づかなければいけない。

 

 有名人でもないから誰もこんなちっぽけな個人の情報など欲しがらないだろうと思って安心してはいけないのだ。

 SFの世界が現実に迫ってきた。

 たとえば、2002年公開のSF映画「マイノリティ・リポート」では、道を歩く人にパーソナライズされたホログラムの広告が話しかけるシーンがある。

 1万人の写真が収められたデータベースと顔のスキャン結果から通行人の年齢と性別を判断し、若い女性がいると判断すれば、そういう人物に適した広告を提示する。このようにパーソナライズされた世界初の屋外広告版が東京のNEC本社ビルに設置されているのだそうだ。

 クラウドの時代がやってくるとすると、もっと簡単に把握され、コントロールされるのではないかなあ。


「潮騒」の舞台、神島へ

2012-06-03 10:42:02 | 

一日は読書会の年1回の文学散歩で、お出かけをしてきた。

三島由紀夫著「潮騒」の舞台、「神島」へ。

事前に、「潮騒」を読む。本では、歌島となっている。

42年ぶりに再読したが、全然覚えてなかったなあ。

 

神島は、三重県鳥羽市なのだが、地理的に近いのは愛知県で、

伊良湖から観光船が出ている。私たちはこちらから行く。

この船に乗るかと思いきや、これは鳥羽行のフェリーだった。

乗るのはこちらの小さな船で20人くらいしか乗れないように見える。

15分の船旅。往復2500円。

1日4便、10時の船で渡った。

今日は海が穏やかであまり揺れなくて良かった。

 

案内板を見ていたら、近くにいた人が道順を教えてくれた。

それなのに、小さな道しるべを見つつ、通り過ぎ、

行き会ったおばあさんに挨拶すると

「ここから先には何もないよ」と教えられ、頼りない道しるべに従うべきだったと知り後戻り。

まずは灯台へ。

途中、道が分かれ、神社経由で灯台へ行けるのでまずは神社へ。

なんとすごい石段。3ぶんの2程あがったところから写す。

私は足腰には自信があって、かつてバスケ部の時は、

神社の石段が鍛錬の場所だったんだから・・・・・・と思ってはみるが・・・・・

八代神社「綿津見命)にお参りした後、ずうっと上りが続く。

 

伊良湖水道を一望できる白い灯台。

 

『恋人の聖地』プレートがある。

神島はプロポーズにふさわしい場所として「恋人の聖地」に認定されている。

文庫の177ページに灯台についての文章があると、案内板に文章が表示されていた。

 

この後、長く延々と続く木製の階段、幅が微妙で歩きにくいったら。

 

眺めのいい場所に、監的哨(かんてきしょう)があった。

「潮騒」のクライマックスの場所。

映画でも一番有名なシーン。

実は戦時中試射弾を監察したところ、今は崩壊の危険があり入れなくなっていた。

主人公になりきるのは無理で、外から中を見ただけ。

ここはカルスト地形(石灰岩が固化してできたもの)で、

白い岩肌があまりにも見事だったが、この写真は、道から眺めながら撮った。

本当にもっと真っ白で美しい眺めの場所は、道から柵を超えてちょっと怖い思いをしないと見えない場所だった。

 

小学校と中学校があり、そこまでは海岸沿いに歩いていたが、道標に従い中の方へ向かう。

この道でいいのかと不安に思うほど、植物が生い茂った細い道を行く。

ぐるっと2時間ばかりかけて一周した後は、

山海荘」で昼食、たっぷり歩いたのでおなかもすいたし、のども乾いた。

ビールだ~と言っている間に、自分では写真を撮り忘れたので、山海荘の案内写真を拝借。

自分たちが食べた時は、煮魚が2尾も入っていた。

刺身の大盛りも別にあり、大いに満足。

タコがとれるので、刺身も酢の物もタコだし、タコ飯がおいしかった。

男性の一人はお酒を頼み、

私を含む女性3人はビールを頼み渇いたのどを潤した。

お土産の店には、蛸壺が売られていた。

帰りは14時の船。

船から神島を振り返り、あそこを縦走したんだなあ、と港の周りの家々にも親しみを感じた。

山の中腹、ほんとに中ほどの高さの所に、白い灯台が見えた。

あんなにしんどい思いをして登ったのに、まだ頂上じゃなかったんだ~。

 

水平線まで、な~んにもないので、思わずシャッターを切る。

瀬戸内海に育った私には、向こうに島がないのがすごく不思議な感覚。

この近くで生まれ育った人にそれを話すと、

何にもなくて水平線が見えるのが当たり前なのに、と

育った環境が違うと、ベースになるものが違うね、と言い合った。

 

翌日は筋肉痛の予感。

 

 

 


観光のまち

2012-02-27 09:29:59 | 

県庁おもてなし課  有川浩 著

 

 

表紙だけでなく裏まで合わせたこの眺めは、太平洋だな。

なかなか良い。

 

現実におもてなし課があるのは高知県。

観光立県をめざして手始めに、県の出身者を観光特使に任命し県のPRをしてもらおう…とする。

作者の有川さんの所にも依頼があったことから、この作品につながるのだ。

お役所の時間の流れのじれったいこと!

お役所とのやり取り、役所の若手の未熟ながらの頑張りと成長が、有川さんらしい世界で表現されている。

 

高知県って、こんな魅力があったんだなあ、と気づかされながら、

翻って、わが故郷はアピールできているのかと心配にもなった。

 

 

 


断捨離 を 読む

2011-08-27 16:50:33 | 

あの、有名な 断捨離の本をやっと読んだ。

「ようこそ 断捨離へ」 やましたひでこ 著

2007年から2009ねんまでWeb上に綴ったブログをまとめたもの、

ということなので、ブログでは読んでいたし、新鮮味はないかなあ、

と思っていたのだが、充分読みごたえがあった。

 

モノは、入り口でストップの「断」
いらないモノは、捨てるの「捨」
モノから離れて、片づけから自由になるの「離」

 

あとがきから拝借

断捨離は、時間の軸を今に戻し、重要軸を自分に据えていく。
それは、今のわたしにふさわしいというモノ選び。
そして、モノから始める、コト、ヒト、全て、自分との関係の問い直し。
断捨離は、片づけであって、片づけにとどまらない。
自分をもてなすための、自分で取り組む、自分自身の居場所づくり。
断捨離は、心地よさの取戻し。
自分にとっての要・不要を見極め、快・不快を感じぬいていく。
断捨離とは、入れかえ。
澱みを流れに変えていく、そのための手段。
こんなプロセスが、暮らしと気持ち、そして人生に、変化をもたらす。
驚くほどの多くの気づきと変化を。

 

元々、私はあまり買い込む方ではない。

結婚するときだって、いわゆる婚礼組布団と座布団一式、という真っ先に断捨離されそうなものは持ってこなかった。

服も、新しいモノを買わなかったので、母から1着くらいは新しくしなさいよ、

と言われて新婚旅行に着ていくショートコートを1着買っただけだったりしたから、家の中がもっとスッキリしていてもいいはずなんだけど。

新しいモノを買わない代わりに、古いものを捨てにくいという執着が邪魔をしているらしい。

人にはいろいろなタイプがあるようだ。

そんなことも、わかりやすくたっぷり例をあげながら書かれていた。

 

単なるお片付けではないからこれほど影響力があるのだろう。

読んでいると、あれやこれや、私の周りで漂っている澱のようなものが頭に浮かんでくる。

行動しなくちゃ、と思えてきたのだ。

 

 


ミーハーですが

2011-07-15 19:46:07 | 

大河ドラマで「おごう」について放送しています。

そこで、わが読書会では、おごうについての本を読みその関わりの地を訪ねよう、という趣旨でバス旅行を企画しました。

と言っても、日帰りですが。

夫は、そういうミーハーなのが最も嫌いだ、というのですが、まあ、いいじゃん!

6月の読書会では、関連本を読んで勉強しあい(私は実家にいてあいにく出席できなかったのですが)

7月にバス旅行となりました。

7月12日、マイクロバスを借り切って一路滋賀県へ。

読書会会員は11人なので知り合いの方たち、コーラス部や、俳句の会等々をお誘いし19人となりました。

今日のテーマは「浅井三姉妹のルーツを訪ねる」というのですが、

せっかくですから、ちょっと関係ないところにも寄っていこうと、白洲正子関連で、渡岸寺観音堂の十一面観音像を見学しました。

なかなか素晴らしい観音様で、どなたかの企画で立ち寄ったのですが、思いのほかよかったのでした。

そのあと、バスの中から小谷山を見て、浅井歴史民俗資料館を見学し、駆け足ながらも説明を聞かせていただき、小谷山について、NHKは炎上するシーンを放送していますが燃えてなんぞいませんよ!と強く教えられたりしました。

彦根に行き、ランチに近江牛をいただきました。

食後の散策に夢京橋キャッスルロードを見て回るはずが、何と定休日のところが多く、あらあら~。

 

そして安土城跡の石垣が少しずつ復元されているというのを、ほんの少しだけ眺め、あちらにもこちらにも土台の石垣があるということは、その上にお城以外のたくさんの建物があったはずで、壮大な一画が想像できて、当時は凄かったんだろうと思いました。

もう一つ、安土城天主、原寸大の安土城天主 信長の館 が、考古博物館で見ることができて、きらびやかさに驚かされました。これは、スペインで復元展示されたそうです。

安土城考古博物館を見た後帰路につきました。

考古博物館のある所は、とても敷地が広く変わった建物が多く、意外な感じでした。

     

ミーハーだからって、きっかけはともかく、いろいろと勉強になった1日でした。

  ******

予習として私が読んだのは

「美女たちの日本史」    永井路子

「乱紋」             永井路子

「お江  戦国の姫から徳川の妻へ」  小和田哲夫

 


定年前リフォーム

2011-07-06 21:49:39 | 

私が読んでいるのを見て、夫が  「好きだなあ」

とあきれたように言う。

確かに、テレビでビフォーアフターを見るのが好きだから、リフォームに関心は深い。

 

でも、この本はそれとは少し違う。

 

読者対象は、50代のサラリーマン、または退職したばかりの60代の男性。

プロローグにこう書いてある。

ーーー主な活動の場所を会社から我が家に移すことになるその時、家の中に自分の居場所があると、確かな自信を持って言い切れるだろうか。来たるべきその日のために、何をどう準備したらいいのか、-----

---「家」は関わり方次第で、寝るだけの場所にもなれば、自分のやりたいことを実現する最高の「居場所」にもなる。「家」で「誰」と「どう」暮らすかを考えることは、自分の新しい人生を計画することでもあるーーー

 

キーワードは4つのF

1  FAMILY   「家族」との関係を見直すーーー妻の城である家に居場所を作る 他

2  FUTURE  「将来」を考えるーーー個室を趣味室に・ハウスシェアという暮らし方 他

3  FOUNDATION  安心できる「土台」をつくるーーー「老い」を恐れない家に・地域とつながる機能を持たせる 他

4  FAILURE  親世代の「失敗」を活かすーーー段差、手すり、介護保険の落とし穴、バリアフリーにしたつもり、施主も賢く

 

そうして、「住み替える」という選択もあると教えてくれる。

「上がり」の先もあるーーーアパートや社宅・官舎――賃貸マンションーー一戸建て・マンション購入ーーと、ライフステージの変化とともに住む形態が変わっていくのを「住宅双六」と呼ぶそうである。その上がりの一軒家でゲームを終えずさらに先がある。

都心に近いマンションに移り住む、有料老人ホームに入る、田舎暮らしを始める、リタイアメント村に入る、夫婦で海外に移住する、等々第2の人生をどこでどう暮らすか、選択肢が多様化しているらしい。

 

今の家では車いすの生活はできそうもない、病院は近くにない、など考えなければならないことがいっぱいある。

 

著者は、バリアフリー住宅の設計・リフォームを専門にしているだけあって、具体的でわかりよい。

読みながら、いろんなことに気づかされた。

 


今度は老前整理

2011-05-18 19:38:08 | 

『断捨離』の次は『老前整理』だ。

文字通り

年齢を重ねるごとに溜まった荷物を整理する体力は衰え、モノを片付けることが難しくなる。体力がついていかない。だからこそ、将来に備えて元気に動けて気力、体力とも充実しているうち、すなわち老いる前にきちんと整理することが大切だ

ということだ。  今のうちに!

 

だけど、この本は、モノをどのように収納するかというテクニックや片付けのノウハウを教えるのが主な目的ではない、とはじめに書かれている。
       では、何をするのが目的かというと、これからどういう自分になりたいのか、どういう生き方をしたいのかを考え、何が必要かを自分で決め、不要なものをそぎ落とし、新しい生き方、暮らし方をする、そのための道筋をつけるのを手助けしてくれる本だという。

もう、わかっていることばかりだからできていてもいいのに、なかなかそうはいかない。

だから、なんどもこういう本のお世話になる。

読んでいる時に、あれこれ、処分しようかなあ、と思えるものが頭に浮かんできた。

実行するのみ!

 なかなか進まない。

それでも、意識の変革が少しずつは進んでいくだろう。


宇宙兄弟を再び

2011-01-23 20:21:37 | 

昨夜、娘が、『宇宙兄弟』12巻を持って帰って来た。

今日は、朝から、少しでも時間があれば読んだ。

途中、出かけたけど、家にいる間はずうっと読んだ。

止まらなくなって12巻まで全部読んでしまった。

著者 小山宙哉(こやまちゅうや)

笑いが止まらないほど面白い部分もあれば、涙ぐんでしまうところもある。

絵もうまいし話もいい。

 

向井万起男 著 「君について行こう」  

この本がきっかけとなって「宇宙兄弟」が生まれたのだそうな。

確かに向井氏の本を読んだ時、宇宙飛行士の訓練の内容や、家族の気持ちや家族をサポートする支援システムなどまで詳しく書かれていた。

子どもの頃から、私も宇宙が好きだったので、少しは宇宙に魅せられた人達の物語がわかる気がする。

 


「宇宙兄弟」を読む

2010-12-31 23:02:47 | 

娘が、買い物に行ってマンガを買ってきた。

お母さんに買ってきてあげたよ

って、娘が面白いからと、すすめてくれたのは、

「宇宙兄弟」

 

内容は、

幼少時代、星空を眺めながら

約束を交わした兄・六太と弟・日々人。

2025年、弟は約束どおり宇宙飛行士となり、

月面の第一次長期滞在クルーの一員となっていた。

一方、会社をクビになり、無職の兄・六太(ムッタ)。

兄は、再び宇宙を目指し始める。(1巻)

表紙の帯に

今一番、泣ける漫画

として紹介してある。

うん、たしかに泣ける部分もあったけど、笑ってしまう部分の方が多かった。

宇宙飛行士が、どれぐらいすごい訓練をしているかや

家族支援プロジェクトが行き届いていることなど、

あまり知られていないことまで描いてあって興味深い。

宇宙飛行士、向井千秋さんの夫・万起男さんらしい風貌の人も登場する。

 

娘が買ってきたのは、今のところ2巻だけだが、

少しずつ買い足すらしい。

子どもの頃から宇宙のことが大好きだった私。

早く続きが読みたい!

 

大晦日の忙しいはずの時に、

マンガを2冊も読んでしまった~。


放射能の怖さ

2010-11-29 20:01:32 | 

実家にいます。

歩かなくては、と思って少し足を伸ばして古書店に入り見つけたのが、

「危険な話」 広瀬隆 著  新潮文庫   ¥100

チェルノブイリ事故で、世界中に死の灰が拡散し、降り注いだ。

放射能の影響は、植物にも動物にも蓄積されていくので、

時間の経過と共に、じわじわと恐ろしい状況が広がっていく、と警告している。

事故の3年後に書かれた本だが、

今は24年経って、放射能の影響についてはあまり報道されないので私は忘れがちになっている。

最近は世界的に原発建設の動きが復活しているようなので少し不安も感じられる。

 

本を読んで、放射能汚染のことが気になっていたら、

昨夜は、ちょうど、南海テレビ製作の

「葬送の海」を放送したので見てみた。

ーーーーー56年前、ビキニ環礁で米国の水爆実験によって、マグロ漁船が被爆、

一人が犠牲となった第五福竜丸事件。

 25年前、高知県の高校生や教師が、同船以外にも多くのマグロ漁船が被爆していたことを突き止めたことがあった事実、被災者のその後の取材。

 米原子力委員会の機密文書を発見したこと。放射性降下物が日米に及んでいたことがわかったこと。

 映画「第五福竜丸」を製作した新藤兼人監督が思いを語っている。ーーーーーー

 

 四国にも伊方原発があるのだが、原発は、あってはいけないものかもしれないと、

本を読んで思うようになった。

 私が株券を持っている会社が、原発を受注したら株価が上がるかも・・・・

なんて、のんきなことを考えている場合ではないのかもしれない。