毎日、毎日・・・(;´д`)ゞ アチィー!!です。
地球温暖化やら、異常気象やら、ゲリラ豪雨やら・・・・
奈良時代や平安時代は、真夏とはいえ、今ほど暑くなかったんだろうな・・・・・
と、思ったら大きな間違いです!
実は平安時代の気温は、今より3度ほど高かった!らしい!
氷期と間氷期が約10万年の周期で、気候変動が起こっていることは知られていますが、
実は数百年の間隔で「温暖期」と「小氷期」を繰り返しているという説があります。
10世紀から14世紀の「中世の温暖期」と、14世紀から19世紀の「小氷期」です。
日本で言えば、奈良時代・平安時代・鎌倉時代と温暖期が続いて、
室町時代から昭和の初め頃まで、小氷期が続いたということです。
「この100年で、気温が上昇」と良く聞きますが、
気温が測定されるようになった昭和初期から見て・・・ということなのです。
時代劇や本などで見たことあると思います。
平安時代の貴族の家・・・壁・・・ありません。
↑ の写真は京都御所の清涼殿・・・つまり天皇が日常生活を送る殿舎。
この時代の建物の造りを「寝殿造り」といいますが、
柱のみで、壁がありません。
簾(すだれ)や几帳(きちょう)、襖障子(絹を垂らしたもの)、御格子(みこうし)で、
仕切られていたんです。
扇風機やエアコンのない時代・・・納得いく造りです。
つまり、夏は自然の風で涼を取り、
冬は火鉢や衣服などで、十分暖が取れたということですね。
というより、壁なんて必要ないって感じなんでしょうね。
貴族の邸宅は広いし、塀があり、警備はしっかりされてたから・・・
まぁ・・・・十二単衣なんて、布団を着ているくらいの厚み、ありますしね。
1181年、養和の飢饉が発生します。
原因は源平の争乱で疲弊していた上の、日照り・旱魃・・・です。
今の時代のように輸入品もなく、運は天任せの時代です。
天候が悪ければ、稲や作物が育ちません。
文献からみれば、日本は13世紀頃から、異常気象が起きていたようです。
1230年の寛永の飢饉。
冷夏で、7月に降雪の記録もあります。
室町時代では新田義貞の北陸落ち。
1336年10月、敦賀まで落ち延びる義貞一行は、
途中猛吹雪に襲われ、多くの凍死者を出したといいます。
この年は寒さが厳しい年だったことが、樹木の年輪から分かっています。
そして、奈良・平安時代に大流行していた疫病・天然痘。
多数の死者を出していた記録は、奈良・平安時代のみです。
それ以降にも疱瘡で亡くなった方はいますが、大流行・・・ってわけでもないんです。
また江戸時代には寛永(1640-)、享保(1732-)、天明(1833-)、天保(1782-)の大飢饉が発生。
冷害によるものです。
実際の体感温度は、奈良・平安・鎌倉時代の方が低いと思います。
やはり現在のコンクリートジャングルは熱を吸収しやすいのに比べ、
水分を含んだ土は気化熱を生み、涼しいですからね。
夏の打ち水は必要ですね。
そしてある時期を境に、小氷期に変り、昭和初期から温暖期に・・・。
この説から考えると、、まだまだ温暖期といわれる時期は続くということですね・・・・。
ともあれ、こう考えると案外、奈良・平安時代に現れる怨霊の正体は、
実はゲリラ豪雨・・・・だったかもしれませんね。
石川県金沢でも寛永2年5月18日(1749年7月2日)に夏雪を記録したことがある。政隣記によると、金沢下口三ノ坂遺に雪2~3寸(約6~9センチ)計降積と記されている。(石川県災異誌1971)今では夏に雪が降ると考えられませんね北海道では昭和戦前に雪が降ったことがあったね。昨年6月14日ではロシアで夏雪を観測した。この前日は最高気温30度を超える「真夏日」だった。
コメント、ありがとうございます。
真夏に雪。一度、体験してみたい気がします。
結構、夏の降雪の記録がありますよね。
びっくりです。
この記事を参考にいただきました。
平安時代のころは、気温が現在より3度高かったんですね。
びっくりですね。今ほど暑くなかったでしょうというのは間違いだと思っていいでしょうね。
例えると、金沢の年平均気温は15.8度(2004年)で、平安時代のころは3度高かったということになると、18度くらいあったのではないかという気がしますね。
1180年頃に藤原氏は原因不明の熱病にかかったという本に書いてあったのは見たことがあるので、ひょっとしたら1180年の夏が猛烈に暑かったのではないかと私は考えられます。石川県災異誌(1971年、p88)には1181年(養和元年)、前年夏炎旱此年兵乱飢疫(日本近世飢饉史)というものが記されています。
平安時代でも最高気温が35度を上回る猛暑日、40度を超える日数が多かったのでは?と私は思います。あの当時は温暖期でしたからね。
話変わりますけど、
気象庁として用語は扱われていないものですが、
最高気温40度を上回ることを「炎旱日」、「炎天日」というものをつけたらいいのではないかと私は思います。
昨年(2013)8月12日、四万十市では国内史上最高となる41.0℃を記録しているゆえに、炎天の日が続き、川の水量は例年より少なかったことが確認された。これは猛暑による干ばつであることは考えられます。ということで私自身は最高気温40度以上を「炎旱日」と名付けた。40℃といえば風呂の室内と同じ体感しませんか?私は実感したことがないのですが・・。
いいネーミングですね。
しかし40℃を超える夏・・・遠慮したい気温ですが(笑)
昨年の41℃を記録した四万十市にはFBに友人がおりますが、すばらしい暑さだったようです。
しかしかつての日本には打ち水など、土の社会ですから体感温度は今よりずっと低いものだったでしょうね。