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岡崎平野を中心とする 植物 と カメラの対話

梅の咲く - 蓮華寺

2024-01-28 15:00:00 | みんなの花図鑑
蓮華寺は家の近くにある曹洞宗のお寺です。


wikiには「寺伝によれば、728年(神亀5年)、僧行基が諸国を巡る途中この地に和志王山薬王寺を建て、自ら薬師像を彫り施薬したのが始まりとされる。」とありますから、このあたりでは無茶苦茶古いお寺です。
(729年が「天平元年」ですからその一年前です)




蓮華寺は洪積台地の縁にあります。昔は稲作をする百姓は洪積台地の縁に住居を構え、すぐ下の氾濫原の水田でイネを育てたと言われています。




(2009年4月 蓮華寺)
実は私たち一家は私が子供のころ、この蓮華寺の借家に住んでいました(´∀`)
今ではお寺の周りは家ばかりですが、そのころは名古屋からコメの買い出しにくるおばさんたちがときたま立ち寄る昼なお暗い坂道の途中の「ポツンと一軒家」でした !(^^)!




当時は蓮華寺の若奥さんが村の娘たちに裁縫を教えていました。



境内には貯水池があり、横に植えてある松の花(棒状の雌花?)をポキッと折って池に浮かべて遊んだものです。







蓮華寺に隣接して前方後円墳の和志山古墳があります。

(2009年4月 和志山古墳)
墓は第12代景行天皇の80人いたと言われる皇子のひとり「五十狭城入彦皇子墓(いさきいりひこのみこのはか)」として宮内庁が管理していて中に入ることはできません。





景行天皇の皇子ということですから、五十狭城入彦(いさきいりひこ)は あの日本武尊と義理兄弟ということになります。




入彦(いりひこ)という名は(婿入り皇子)という意味らしく、朝廷から地方平定に当たった景行天皇の皇子らがそのまま地方豪族の娘を嫁にしてその地方にとどまったことを示唆しています。








(2009年4月 和志山古墳)
4月、御陵の前方部のまえの祭場にもタケノコが生えてきます。




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