Grazie mille!

美しさは日々の小さな積み重ねから。

春分の日

2012-03-20 13:00:11 | 日記

               



        今日は二十四節気の春分の日。
        お彼岸のお中日ですね。
        お墓参りには行かれましたか?
        お彼岸入りから本当に寒い日でしたが
        今日はまだ冷たさは残っているものの
        とても穏やかで、お墓参りにはもってこい日和になりました。

        歩くこと5分(笑)
        「ちかっ!!」若い子の言い方をすればこんな感じの距離です。
        見慣れた商店街を、見慣れたご近所の方達にご挨拶をしながら
        お墓参りに行ける幸せ・・毎回、感謝せずにはいられません。
         
        今日から昼の時間が伸びていきます。
        芽吹きが新しい季節を感じさせ、花冷えの季節ですけれど三寒四温と
        段々暖かくなることも実感致しますね。
        北海道におりました子供のころは、まだまだこの時期は雪景色でした。
        でもお彼岸の今頃、雪の中から必死に芽吹こうとする植物を見ると
        春の匂いに心が躍ったものでした。
        写真の絵は母が姪の子守をしていた時に書いた鉛筆画。
        スケッチブックに走り書きのように残っていたものです。
        北海道生まれの母らしい、「春よ来い、早く来い♪」そんな待ち遠しさを感じます。
        上手ではありませんが、母の温かさと大らかさを感じる大切な宝物です。
        
        耳を澄ませば、確かに感じる春の足音。
        雪の下で芽吹こうと準備をしている気配、風のささやきが優しさを増してくる気配、
        そんな自然界の生業を愛おしく感じますね。

             初花の開け初むる梢より
                    そばえて風の渡るなるかな   西行
        
        あと10日もすれば4月ですね。
        例年より梅も開花が遅かったので、桜も遅いようですね。
        今年の桜はどんな表情でしょうか・・楽しみに待ちたいと思います。


        

生き残った雄勝硯

2012-03-17 19:48:43 | 日記

                  


         昨年「東北の手仕事展」が東京の青山で開催されました。
         東北6県の職人の工芸品と一緒に紹介されていた雄勝硯は
         震災で津波の被害に遭った、石巻市雄勝町の特産品。
         室町時代から約600年の歴史がある伝統工芸品で、硯の一級品。
         ここ最近では中国産の安い硯に押されるなどして需要が減り
         職人さんも随分減ってしまっていたところに、あの大震災でした。
         あの日、海岸から約200m離れた倉庫に出荷を控えた硯が約一万個、
         その他在庫としての数を入れますと、3~4万個保管されていたそうです。
         津波で倉庫は土台を残すのみとなり、硯はもとより近隣の工場で使用されていた
         機械なども流されてしまいました。

         東北の手仕事を23年もの間丁寧にご紹介していた田中陽子さんが
         職人さんの所へ出向き、何とか被災した硯を販売する方向へ持っていけないかと
         提案したことがきっかけで、流された硯の「命」の復活につながりました。
         何とか拾い集めた硯が一万個。そのうち、使えるものが3~4千個だったそうです。
         震災直後、雄勝硯協同組合の組合長さんはこの悲惨な状態に全ての希望を失い
         「硯なんかいらねえ!拾わなくていい」と言っていたそうです。
         でも、地域の住民の方達が一生懸命泥の中から拾い集めてくれたそうです。
         雄勝町の誇りだったのですね。
         「せっかく残った硯だから・・。」と泥を掘り起こして必死に集めてくれた・・
         その硯に「命」の光を見出していたのではないでしょうか。胸がいっぱいになります。

         1970年代に200人ほどいた組合人の方達も数十人となり、震災後は
         40人ほどいらした硯職人さん達の2名が亡くなり、30人以上がこの地から離れ
         残った職人さんは4名になりました。
         田中さんは何とかこの生き残った硯を販売する手立てはないものか・・と
         職人さんたちに問いかけました。
         「硯を洗い、面をもう一度墨で仕上げ、周囲(底と側)を再仕上げして販売に向けての準備を
         してもらえないだろうか。」
         職人さんたちは復興に向けて頑張る意志を表し、この硯に「命」を吹き込んだのです。
         田中さんは京都・東京と巡回し、雄勝硯の復興支援の為に販売されました。

         女性の黒髪のようなつやとすべりが特徴の雄勝硯。
         待つこと2ヶ月半。
         私の手元に貴重な3個が届いたのは12月半ば過ぎでした。
         ずっしり重く、小さな私の手では両手でしっかり持たないと持ちきれません。
         艶やかな黒光りに、ほんの少し傷がうっすら見えることがことのほか嬉しくて
         何度も何度も撫でました。「命」をひとつ頂いた感じでした。
         大好きな友人の父上が修行寺のご住職なので、1個はその父上に。
         そしてもう1個は、天台宗の千日回峰行を成し遂げた上原行照大阿闍梨様に寄贈させて頂き
         日々被災地への祈りを届けて頂いております。

         3月11日に初めて墨をすり、写経を致しました。
         格別な想いがこみ上げてきて本当にこの硯と出逢えて心から幸せだと思いました。

         4名の職人さん達の想いと田中さんの情熱、そして何と言っても地域の住民の方の
         「誇り」がこの「命」の復活に繋がっていったのだと思います。

         
         
 
         
         
     

春の装い

2012-03-12 16:42:25 | AVANTI通信
春の装い


         今日はとっても風が冷たい日になりました。
         先ほどは雪がチラついたりして・・
         なかなか 洋服の入れ替えが出来ませんね。
         それでも春物のコートだけはいつでも着られるようにスタンバイ。
         ちょっとのお出かけならば インナーに冬物を着て
         せめて見た目くらいは春の訪れを感じたいですね。

         合着ってとても大切な季節物。
         最近、この合着という洋服を作らない会社が多くなりました。
         いきなり夏物。いきなり冬物。
         素材感も季節素材というのが無くなりつつありますね。
         私としては かなり寂しい感覚です。
         
         確かにその作らなくなった理由には
         春・秋というあの曖昧な美しい季節がこの数年ない・・という事もあります。
         着数がそんなに売れない合着には慎重にならざる得ない・・のでしょうね。
         「粋」という言葉もそのうち無くなってしまうのかしら。
         そんな心配をしてしまいます。

         「装いにはその人の人となりが映し出される」
         高いとか安いとかではなくて、佇まいが「凛」とする装いには品格を感じます。
         立ち居振る舞いの美しい女性は、自信というオーラが輝いていますよね。
         女性の装いには「思いやり」が欲しいと私は思っているのです。
         思いやりの一番は自分のボディに対して。美しくボディメイク出来るかどうか。
         二番は心に対して・・自信が持てるかどうか。
         三番にTPOに適っているかどうか・・これは他人に対しての思いやり。
         これが満たされたら 必ず美しく装いができる・・というのがAVANTI流です。

         景気が悪かろうが良かろうが、戦争中だろうが荒廃した戦後だろうが
         常に女性達が笑顔で盛り立ててきたのです。
         戦中にはモンペの裏地に上等の着物生地をあしらったり、
         戦後の何も無い時代でも、何かお洒落なことをみつけては楽しんだ・・
         そんな話しを祖母や伯母達、母から聞きました。逞しいですね。
         新しいものが買えなくても、今お手持ちのお洋服だって十分新鮮に蘇ります。
         まずは、クローゼットの整理から。お手持ちの洋服達に語りかけてみて下さい。
         必ず、自信の後ろ盾になってくれるはず。
         女性にとっての装いってそのくらい絶大な力があるのです。

         お手持ちのお洋服で私にお手伝いできることがありましたら
         何なりとお申し付け下さい。これでも、35年のキャリアあり!


       
         

小さな慰霊祭 3月11日 記憶に刻もう

2012-03-11 16:36:15 | 日記

                


         今日は震災から一年目のご命日です。
         亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りすると共に
         被災された方が一日も早くお元気になられますようお祈り申し上げます。

         私の住む前橋市千代田町に鎮座されている熊野神社で
         14時20分から氏子会による「東日本大震災慰霊祭」が開催されました。
         商店街なのでほとんどの方が商店主。
         お店をちょこっと閉められて集合されていました。
         勿論私もメッセージを掛けて抜け出しました。

         宮司さんが祝詞を唱え、榊を捧げ
         この震災後の復旧には国民一人一人の力が必要なんだ・・というお話しをされ
         2時46分に神社の鐘を10回鳴らして、心静かに黙祷を捧げました。
         すぐ近くには「大蓮寺」という浄土宗のお寺があり
         神社の鐘の音とお寺の鐘の音が何とも言えない絶妙のハーモニーを奏で
         思わず涙がこぼれました。

         今頃、友人もあの地へ行きご両親の為に手を合わせ
         今だ癒されない心で胸が締め付けられる想いをしているのか・・・
         大勢の被災者の方の想いを感じ・・心からご冥福をお祈り致しました。


                      
           最初宮司さんが参道を清めながら            その後ろから氏子さん達

                       
                                   津波で流された瓦礫の一部              参拝記念のおやき


         この一年間は仕事にも影響がありましたので色々と考えさせられました。
         考える度に「もし被災者だったら・・」と、その想いだけが頑張れる力でした。
         家も仕事も家族も・・全てがある自分。
         幸せ過ぎる自分は、全てを失った方達から本当に多くのことを学ばせて頂きました。
         「持ち物が多すぎると与えるものは何も無い。何も持たないからこそ与えられる。」
         マザーテレサの言葉がよぎります。
         何も持たないからこそ、究極のもの「愛」を贈れるのですね。
         私にとっての「愛」の表現は・・それを今日、決心出来たように思います。

         一年経った今日からが、本当の支援の開始です。
         しっかり仕事をして貢献せねば





         




           

3月11日にむけて<2>

2012-03-09 15:54:18 | 日記
                 


         我が家でも心ばかりの慰霊祭を・・
         お雛様を片付けてからもう一度流し雛を。
         亡くなった子供達への供養です。
         そして「南無阿弥陀仏」と書いてある五色の散華と、東大寺の散華を散らし
         大勢の方の霊魂が成仏されますことを願いたいと思います。



                   


                    


         このお地蔵さまのようなお二人、可愛いでしょう。
         これは「合掌童」と言います。京都でご活躍の仏師、松本明慶先生の作品です。
         いつもはお仏壇の中で両親と阿弥陀様と一緒に笑ってくれています。
         我が家に来てから今年で八年目になるこのお二人、お顔が変わってきています。・・不思議ですね。
         このお二人を眺めていると、「手」を合わせることの大切さを感じ
         日々の丁寧な生活こそが「祈り」であるということも実感できるのです。
         誰かの為に自分の身体を使えるということこそ、「動」の祈りである・・
         マザー・テレサは常にそう仰っていました。
         あの震災後、日本中はまさに「動」の祈りで絆を深めましたよね。
         小さな事でも一人一人が自分の出来る事に心を込めて出来たなら
         必ず大きな力になっていく・・そう私も自分に言い聞かせて過ごしています。

                    


         戦いの仕度をしているお雛様には頑張るという想い、黄色のフリージアには五常の「信」を込め
         桜の絵には被災地の春を願いました。
         「復興」を信じる、自分自信が貢献出来る事を信じる、自分の頑張りを信じる。
         この黄色を見る度にそう言い聞かせたい。


                          


         7日にいつも伺う、四谷のイグナチオ教会でイエス様とマリア様に祈りを捧げ
         メダイとマザー・テレサのカードを頂いて参りました。
         震災の復興に何か貢献したい・・そんな想いを抱いている友人達に差し上げます。
         それにしても・・何て多神教なのかしら・・と呆れられていますか?
         ウフフ、そうなんです。
         何処でも、どなたにでも「手」を合わせずにはいられない・・私。
         父は、苦笑いしながらこう申しておりました。
         「最も日本人らしい。まさしくお前は八百万の神様を信仰している。」と



         
         
         


     


     


         


         

3月11日にむけて <1>

2012-03-08 15:05:43 | 日記
         
         各地で3月11日にむけてのイベントが開始されていますね。
         前橋市の千代田町に鎮座されている熊野神社でも当日慰霊祭を行います。
         その記念祭に間に合うように参道の整備工事が開始され、
         御影石の素晴らしい参道が出来上がります。
         工事に携わった方が石巻市の瓦礫撤去のボランティアの際に
         大事に持ち帰った瓦礫をこの参道脇に埋めたそうです。
         何て素晴らしいことを・・。

         宮司さん不在の熊野神社は地域の氏子さん達で運営しています。
         勿論、行事の際には宮司さんがいらして祝詞をあげて下さいますけれど
         毎日の朝、昼、夜のお勤めはこの地域の方が神社の前を通る度に
         お参りをすることでまかなっております。
         氏子さん一人一人が宮司さんなのです。
         我が家からなんと3分。
         朝は毎日、早朝にお参りさせて頂き新鮮な「気」を頂いている幸せな私です。


                        


                       


                          


         とっても小さな小さな神社ですけれど、私共の商店街、町を見守ってくれている
         素晴らしい神社です。
         以前、何かの本で宮司さん不在の神社は清められていない・・と
         そんな文章を読んだことがありました。
         どんな方が書いたのでしょうね。
         日本人の神様に「手」を合わせるという精神を考えましたら
         そんな理に合わないことを、よくまぁぬけぬけと書けたものだわ!と
         呆れてしまいました。

         そこにお社が建てられたその時から既に神様が降りていらっしゃる。
         お社を感謝しながら清掃し、お参りし、節目の奉りごとを皆でして
         住民の心の拠り所となっていたら、それはもう立派な聖地です。
         
         ご近所のお年寄りの方の参拝していらっしゃる背中を拝見する度に
         熊野神社はこの方達の祈りで聖地となっているのだなぁ・・と思います。

         3月11日の震災慰霊祭、ご報告致しますね。
         きっと想いが伝わると信じています。         


     

雛祭

2012-03-04 11:02:21 | AVANTI通信
雛祭



         昨日はお雛様でしたね。
         我が家では2月3日の節分が終わると毎年、お雛様を飾ります。
         55回目のお雛様と22回目、19回目のお雛様をあちらこちらに
         飾り付けるのが私の楽しみ。
         旅行先で集めた郷土雛人形などを含めるとかなりの数なので
         毎年順番に何体かづつ出すようにしています。
         古いお雛様を拝見するのが大好きで、尾張徳川家のお雛様や
         虎屋さんのお雛様などを拝見すると日本文化の素晴らしさを実感します。
         根津美術館で今「虎屋のお雛様」が展示されていますので、
         又、拝見しに行こうと思っています。

         古代中国「上巳節」が日本に伝わってきたのが雛祭りの原型。
         三月の最初の巳の日に「踏青」といって、災厄や穢れを祓うために
         青い草を踏み酒を酌み交わして川に入って身を清める禊をしたそうです。
         日本では毎年日にちが変わるのは不便だとして、奈良時代に三月三日と決めました。
         「ひとがた」に穢れを移して流す「流し雛」の思想が本来の雛祭り。
         今でも鳥取の流し雛は有名ですね。
         一方、宮中のお姫様達の間では「ひいなあそび」というままごと遊びをしていたんですね。
         素晴らしい国宝級のままごと遊び・・羨ましいですね。
         源氏物語や枕草子に登場していますよね。

         「ひとがた」に願い事を書いて初めて厄除けをしたのは、日光の二荒山神社。
         何だかとても「穢れ」を祓える有難さを感じました。
         両親が亡くなってから、雛あられを川に見立てて奉書で人型を作り
         「流し雛」を飾るようになりました。
         今年は、震災で亡くなられた方を思って飾らせて頂きました。
         鎮魂を込めて3月11日まで飾っておこうと思っています。

         2010年の三月三日に埼玉市に「二木屋」さんという国有形文化財のお料理屋さんで
         お雛様の懐石料理を頂いたことがありました。
         1000体ほどあるお雛様を公開していてそれはそれは素晴らしかった。

      
官女が犬を連れています。         二木屋さんのお庭での流し雛                   二木屋さんにて


         毎年この時期はお雛様だけの無料公開もしています。
         できればお料理も一緒に頂くことのほうが「直会」なのでお薦め致します。
         お雛様の懐石料理も本当に美味しかったです。

         お雛壇を飾るという事の始まりは徳川家康の孫、東福門院が我が子の為に作らせのが最初。
         一般的に浸透していったのは19世紀半ばと言われています。
         親が子の幸せを願う・・・その想いを形に残せるのは幸せなことですよね。
         私のお雛様はわずか5cm。ケース入りの五段飾り。若かった父が何としてでも自力で・・
         そう思ってやっと買ったと聞いています。
         どんな高価なものよりも私にとっては一番の宝物。
         毎年、毎年、両親の愛情を実感致します。