~step by step~[ 側弯症ライブラリー]患者の皆さんへ

側弯症(側わん症/側湾症/そくわん)治療に関する資料と情報を発信するためのブログです

互いに矛盾する内容、これらの理論の不合理さ、あるいは真偽の疑わしい医学思想のせいで、多くの人に医学はあいまいで不確かで、ほとんど当てずっぽうと同じだと思わせることになった

2018-02-11 15:10:47 | 民間療法による医療事故
初回記載:2018年2月11日


追記:2018年2月14日
民間療法に関する主張は、新たに民間療法反対論(https://blogs.yahoo.co.jp/gcpmamoru)というブログに記載していくことにしました。




 「互いに矛盾する内容、これらの理論の不合理さ、あるいは真偽の疑わしい医学思想のせいで、多くの人に医学はあいまいで不確かで、ほとんど当てずっぽうと同じだと思わせることになった。」 これは、原書房「最悪の医療の歴史」伊藤はるみ氏翻訳の書籍にある、1847年、ニューヨークジャーナルメディシンにアメリカ医師会創立メンバーのひとり N.S.ディヴィス博士が寄せた言葉です。

私が書き連ねているこのブログは、(これまでも何度か示しておりますように)、民間療法を否定する、という立場で書いています。そのことで表現や記述内容にバイアスがかかっていることは私自身気にしつつも、しかし、民間療法の弊害を訴えるためには、仮にバイアスがかかっていたとしても、「否定する」というこの方針は変えてはいけない、と考えています。

おそらく社会には、「良い整体」「良いカイロ」と思われている民間療法者もおられると思います。一方、「良い」の対語としての「悪い整体」「悪いカイロ」も存在することを皆さんはご存知です。 ここで表現する「良い」「悪い」の定義は、皆さんの心の中に浮かんだ内容として捉えていただきたいと思います。 なぜなら、「良い」「悪い」を判断・評価する指標は、この社会に存在しないからです。存在するとしたら、それは皆さんの心の中にあるものだけです。

そして「評価・判断する指標」がないがために、あるいは規則や法律がないために、この社会は混沌を極めている。ということも皆さんは感じておられると思います。 

このStep by stepは「特発性側弯症」に関する情報・知識をご提供したい、という思いから開始したものですが、そこに大きく立ちはだかる壁が民間療法です。そして、これは特発性側弯症に限らず、端的な例でいえば「癌治療」にその際立った姿を見せていることも、皆さんがご存知のとおりです。

人が生き続けたいと考えるのは本能なのですから、死を目の前にして、それまで冷静に判断できた人であっても、「今の医学では治らない」「医者には治せない」「私が作り出したこの施術ですでに何千人もが回復した」、という言葉を目にしたら、その道に足を踏み出すことを誰が止めることができるでしょうか? その患者さんを誰が非難することができるでしょうか?

患者さんを非難はできません、その心情を誰も非難はできません。それを否定することは、その患者さんに死を受け入れなさいと命令する行為になってしまいます。誰にも死を命じる権利はありません。

でも、民間療法者を非難することはできます。否定することはできます。非難し、否定しなければ、いつまでもこの社会の混沌から抜け出すことができないからです。

科学する心を持つ人は、「科学」思考に基づいて考察するがゆえに、純粋であると同時にあまりに純粋すぎることが弱点になると私には見えます。民間療法にも「真実」があるのではないか? 役立つものがあるのではないか? なぜなら、否定しきれないと感じるものがあるとき、それは否定はできない、と帰結するのが科学する人の心だから。

でも、そこに侵入するのが「彼ら」です。全ての「彼ら」ではありません。それは「彼らの中の一部」なのでしょう。そして、その「一部」がやがて細胞分裂して巨大な塊を形成していく。あたかも癌細胞のように、あちらこちら転移し、そしてそこでさらに巨大化していく。 良性細胞もやがて、その悪性腫瘍に乗っ取られて見分けがつかなくなっていく。

「彼ら」は無償のボランティアでもなければ、我が身を与えるアンパンマンでもありません。ビジネスの世界で、同業他社との競争の世界に生きています。一旦始めたビジネスは、ビジネスの宿命として利益をださなければならない構造になっていきます。利益、つまり黒字でなければ廃業せざるえないわけですから。 

それは、医療機関(病院等)も同じ。でも、医療機関と「彼ら」とには多くの違いがあることも、ご存知のとおりです。
大枠でいえば法律。医療機関、医療従事者、医薬・医療機器関連企業/業者に対する法律の数々。罰則をともなう規則。監視し指導する行政機関の存在。あるいは「医学会」という存在。あるいは業界団体....例えば、医薬品メーカーは業界団体として患者救済のための資金提供が義務づけられているとか... 利益を求める組織であり、“医療”によって利益を得ている組織であるがゆえに、そこには一方的に利益を得るだけではなく、違法行為には厳罰をもって対処されるというシステムが存在します。

投薬も含めて、患者さんの身体に治療行為を行う、侵襲を加えるということの「責任」がそこには厳然として存在します。

仮に「民間療法」のどこかに1%でも価値があるのなら、あるいは、その可能性もあるのではないか? と考えるのが「科学する心」だと思います。でも、その前提には、「彼ら」が「科学する心」をもっていて初めて土俵の姿が垣間見えるのではないでしょうか? どこにその心が見えるのでしょう?

昨日からずっと明治大学の「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」の中のカイロプラクティックに関する説明を読んでいるのですが、その中に登場する「体性反射、体性内臓反射、内臓体性反射」ということについて検索していました。まだ何かを自分の意見として述べられる段階にもありませんが、しかし、ネット上にあふれるこの科学用語を利用した「民間療法者」のサイトを見ると、ああまた彼らにいいように利用されている。という思いばかりが募ります。 科学する心を持つ人は、その心に純粋であるがゆえに、この混沌の全体像に目が届かないのかもしれません。 ゲスな表現になってしまいますが「水は低きに流れる」という人間社会の深層が存在することにも注意を払って欲しいと感じていました。

続けて言葉遊びになってしまうかもしれませんが、「悪貨は良貨を駆逐する」というのが代替医療と言われる分野の現実の姿のように思えます。 誰にもどれが悪貨で、どれが良貨かの区別すらつかない、というのが実態だと思います。

言葉に関連して言えば、どなたが命名したのかは知りませんが「代替医療」という用語が、その方の意図とは反して、誤解、錯誤、そして医療もどきビジネスを生み出している元凶になってしまっているのでは? と思ってしまいます。

この混沌をどうすれば少しでも解決に導けるのでしょう?

正答かどうかは、私にはわかりませんし、またもしかすると患者さんのベネフィットに反する意見になってしまうのかもしれませんが、私に見えるのは「インターネット上の民間療法業者の広告宣伝を禁止して下さい」ということです。 民間療法者を廃止にはできないとしても、その広告宣伝に禁止事項を設定し、そしてその取り締まりをもっと徹底するだけでも、少しは「良し」「悪し」が進むのではないでしょうか。 そのような動きもあるように聞こえるのですが、ぜひとも実施していただきたいと願うばかりです。


最初に掲示した「互いに矛盾する内容、これらの理論の不合理さ、あるいは真偽の疑わしい医学思想のせいで、多くの人に医学はあいまいで不確かで、ほとんど当てずっぽうと同じだと思わせることになった。」
この言葉を初めて読んだとき、頭に浮かんだのは「整形外科・脊椎外科(SRS)」と「理学療法(SOSORT)」との関係でした。ひとつの原因不明の病気を巡って、ふたつの医学組織が対立する思想を提示し、その思想の正しさを自己主張する為の報告書を発表する。 それが患者の利益になるのでしょうか? ということについてです。
部門外の一個人が何かを言ったところで意味も持ちませんが、この「対立」から生まれたのは、上記にも例を示したような、「彼ら」の拡大再生産に思えます。

患者さんが望んでいることからはズレていると思うのです。


   コメントをいただいた内科医の先生へのご返答として書かせていただきました。
   今後とも、ご意見をお願い申し上げます。
   先生がたから、お叱りも含め、ご指導いただけることで、ぜひとも患者さんがたのお役に立ちたいと
   切に願うのものです。

   august03



 

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