昨24日ときょう25日の両日、
京都の本願寺の方へ、
“念仏奉仕団”に行って参りました。
一応、主催は仏教婦人会なのですが、男性の方も
参加されました。
24日は朝7時にバスで自坊を出発し、12時に本願寺に
到着し、午後からの奉仕活動に参加しました。
そして25日は、晨朝にお参りをし、その後は正午まで、
午前の奉仕活動をします。
閉会式を終えて、2時まで門前町界隈の自由散策をして、
帰路に着きました。
24日は夜半から雨で、出発直前まで降っていましたが、
バスに乗りこむころには雨も止んでくれました。
私は、自称“雨おとこ”。
一方、仏婦の会長さんは、これまた自称“晴れおんな”。
両者のせめぎあいは、結局痛み分けで、両日ともに、
雨も降らず、そんなに照りもせず。
もしも、私が“晴れおとこ”だったら、
“晴れおとこ”に“晴れおんな”で、もう完璧に
カンカン照りだったと思います。
ところが、きょうの帰路は、広島県に入ったあたりから、
低く垂れ込めた雲になって、とうとう、
降り始めてしまいました。
最後の最後で、“雨おとこ”の面目躍如。
たくさんのお土産をいっぱいに抱えて、雨の中、
みなさんは帰路に着かれました。
“申し訳ありませぬ”(笑
きょうも来てくださって、ありがとうございます
京都の本願寺の方へ、
“念仏奉仕団”に行って参りました。
一応、主催は仏教婦人会なのですが、男性の方も
参加されました。
24日は朝7時にバスで自坊を出発し、12時に本願寺に
到着し、午後からの奉仕活動に参加しました。
そして25日は、晨朝にお参りをし、その後は正午まで、
午前の奉仕活動をします。
閉会式を終えて、2時まで門前町界隈の自由散策をして、
帰路に着きました。
24日は夜半から雨で、出発直前まで降っていましたが、
バスに乗りこむころには雨も止んでくれました。
私は、自称“雨おとこ”。
一方、仏婦の会長さんは、これまた自称“晴れおんな”。
両者のせめぎあいは、結局痛み分けで、両日ともに、
雨も降らず、そんなに照りもせず。
もしも、私が“晴れおとこ”だったら、
“晴れおとこ”に“晴れおんな”で、もう完璧に
カンカン照りだったと思います。
ところが、きょうの帰路は、広島県に入ったあたりから、
低く垂れ込めた雲になって、とうとう、
降り始めてしまいました。
最後の最後で、“雨おとこ”の面目躍如。
たくさんのお土産をいっぱいに抱えて、雨の中、
みなさんは帰路に着かれました。
“申し訳ありませぬ”(笑
きょうも来てくださって、ありがとうございます
念仏奉仕団 一度経験したからもういいや!では 駄目なんですね!きっと!
宗教の必要性が わかりかけている と 言うのを はばかるくらいの知識しか持っていない私が 何となく納得したのは人間を超越した何か 手を下すことのできない世界があるんだと 思えるようになりました。
現実から 逃げるためではありません。
仏教 お釈迦様 とたどってきて 生まれてすぐに 七歩歩かれたと 素直に 受け取れますか?
やっぱり わからないことだらけです。
釈尊という聖者に対する伝説(釈尊伝)として、ご理解されたら、いかがでしょう。
「七歩歩む」ことは、迷いを超えて、「六歩を超えた」悟りの世界のことを象徴的に表していると、いわれています。
「六歩」=「六道」のことと、私は理解しています。
かえって、難しくなったかもしれませんね。
「六道」(ろくどう)=「六趣」(ろくしゅ)
道も趣も、そこを走っているという意味で、私たちは、六つの迷いの世界を走り続けているという意味です。
天人・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄
最後の三つ「畜生・餓鬼・地獄」を「三悪道」とか「三悪趣」といいます。