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かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

人が死ぬにも十月十日

2012-04-23 17:00:58 | 日記
人は受胎から十月十日(とつきとうか)かけて
生を完成していく。
ならば、死も・・・・

先日の某新聞のコラムに、五木寛之さんのエッセイが引用

されていました。私の書棚にその本があったので、そこの

部分を掲載してみました。

「誕生するのに十月十日が必要であるのなら、死去するにも
同じくらいの時間がかかるのではあるまいか。
人びとの記憶から遠ざかり、社会的な影響も失い、家族や
友人のあいだにおいても誰もがその人の死を納得するように
なったときに、その死者の死は本当の死として完結するのだ。」

コラムは、これを引用して、さらに、

「別れがあまりに突然で、理不尽だったとしたら。
さらなる歳月が必要かもしれない。」

そして、10日前に起こった、京都祇園の暴走事故にふれて

いました。

今日の朝、亀岡市でまた、児童・保護者の列に、自動車が

突っ込みました。


運転していたのは、18歳の少年。

そして、無免許。

無免許ですから、免許不携帯ではないのでしょう。

もともと、免許を持っていないということです。


日本が「車社会」に突入した頃、

車は、「走る凶器」「走る棺おけ」といわれました。

そんな意識や危機感がもう、今の社会では、死語化し、

風化してしまったのでしょうか。

整然と歩道を集団登校し、保護者も付き添っていたのに、

少年は、後から、次々と跳ね飛ばしたようです。

重体が4名と、ニュースで聞きました。

あまりにも、理不尽です。


どうやって、私たちは自分の命を守ればいいのでしょうか。


広島ブログ いつも、ありがとうございます


五木寛之さんのこのエッセイは、別の記事にしたかったんですが、

今日の事故を見て、こういう記事になってしまいました。


ある人が提言されていました。

免許証を認知しないと、エンジンがかからないようなシステムを

作らないと。。。。

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