入院は終わりじゃなかった。すべての始まりだった。
母を置いて帰るのはすごく精神的に苦痛だった。誰だって自分の親を強制入院させたくはない。
弟とご苦労様を言いあい、それぞれのねぐらに向かった。隣同士だから。
夜、病院から電話があった。介護士さんから、お母さんが電話したいというのでかけさせました、とのことだった。
入院の際にこれは確認済みだった。
「幸道さんじゃないのでしょう。」
「えっ、だって私ですよ。」
「違う、声が違う、、。ねっ幸道さんじゃないのでしょ。」
家が乗っ取られて別のひとがいるのだと思っているのです。
しばらく、やりとりして看護師さんと交代した。
「大丈夫ですよ、落ち着かれたら寝られると思いますよ。」
その夜は電話は一回だけだった。
翌日、ちゃんと仕事に行った。
朝の打ち合わせで私は立ちあがって
「家庭のことですが、昨日母親を強制入院させました。これからもまだご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いします。」
目の前の席にいた美術の男性教諭のみうなずいてくれたが、、、。
ほかは何も言わない。じゃあ理解していないかと言うとそうではない。
放課後、部活があった。
その時もう一人の顧問から
「こう言っちゃあ何ですが、お母さんが入院したことだし、もういいでしょ。今度から土日も出てくれませんかねえ、私も子供が小さいので、、。」
怒りが頂点に達した、、、
要するに、お前は母親の世話をしなくても良いだろ、土日も部活をやれ、俺は休むから、という意味である。
「母親を日曜に連れ出しますし、まだやることは多いですから。」
この顧問は弟と同じ年だ、だが口のきき方を知らない。猫の毛を逆なでにするようなこと、神経に触るようなことを平気で言ったりしたりする。
ほかの教員は
「天野さんかわいそうに、こき使われて、、、。」
「あまり言うことをきかない方がいいよ、わがままなんだから。」
部活だけではない、校務分掌もみな同じにされている、例の無神経な女子教諭もそうだった。
後年、私が療休をとるとき、
「どうしてみな一緒にさせたのですか。校長は私だと年上で文句も言わず、御しやすいと思ったのではないのですか。」
と聞いたら、
「うーーーーん」
と腕を組んで黙ってしまった。
たぶんその通りでしょう、他の教師がみな陰口をきくようなトラブルメーカーとただでさえ苦しい思いをしているのに組ませるのか、、。
もちろん強制入院のことも校長や教頭に話した。
ご苦労様も言わない、「あっそ、、」
これほど無神経な管理職がいるものか!
同じ苦労でも、周囲に理解があればかなり楽だ。事実以前勤務したところは、もっとたがいにいたわり合っていた。
それがこの学校、、結局辞める羽目になった学校だが、、、、嬉しいことなどない。カリカリとして足を引っ張り、わがままを言う人間がのさばっていた。
部活をやらない女性教諭は、相変わらず文句ばかり言い、私は遠距離だ、病気だ、そのくせ大量に酒を飲んでいる。
部活の顧問は、木曜の午後が総合学習の授業なのだがその日になると、急にやってきて
「午後休むから教室に行ってくれ。」
と話してくる。
私にいいに来ているが、管理職に話してない。それは無断欠勤ではないか。
最初はきがつかなかった、今となっては学活、道徳、総合、みんな体よくこの教員は私にやらせていた。
逮捕されても良いから、殴りつけてもけりを入れても、飽き足らないやつらだ。
少なくとも事情を知った後、退職後私から抗議の手紙を見たら
「すみません」なりわびる気持ちや行為があってしかるべきだ。
体に変調をきたしたのもこの頃だった。だるさが治らない、、、。
7月29日、東京家庭裁判所に行く。
「成人保護者」の決定なのだ。
母の保護者に私がなるのだ。
精神衛生法では家庭裁判所で保護者に認定されないと、入院させることができない。
今思うと、病院が時間をずらして、そうしたのであろう。日付は家裁に行った日が「保護入院」になっているから。
福祉センターからは、「特別養護老人ホーム」の申込書と一覧を渡された。また老人保健施設の一覧も渡された。
特別養護老人ホームの意味はわかったし、入所できるまで待つのが大変だと言うことも知っていた。
しかし、老人保健施設については、甘く考えていたというか、よく理解できなかった。また保護入院が、三か月だと言うことも後で知った。
医者が説明不足と言うか、流れを図式にして渡すとかすればよいのに。
ネットとかで検索しても新しい資料と古い資料が交錯していた。
その後、母を特別養護老人ホームに入れるまでまた、戦いが始まる。
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母を置いて帰るのはすごく精神的に苦痛だった。誰だって自分の親を強制入院させたくはない。
弟とご苦労様を言いあい、それぞれのねぐらに向かった。隣同士だから。
夜、病院から電話があった。介護士さんから、お母さんが電話したいというのでかけさせました、とのことだった。
入院の際にこれは確認済みだった。
「幸道さんじゃないのでしょう。」
「えっ、だって私ですよ。」
「違う、声が違う、、。ねっ幸道さんじゃないのでしょ。」
家が乗っ取られて別のひとがいるのだと思っているのです。
しばらく、やりとりして看護師さんと交代した。
「大丈夫ですよ、落ち着かれたら寝られると思いますよ。」
その夜は電話は一回だけだった。
翌日、ちゃんと仕事に行った。
朝の打ち合わせで私は立ちあがって
「家庭のことですが、昨日母親を強制入院させました。これからもまだご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いします。」
目の前の席にいた美術の男性教諭のみうなずいてくれたが、、、。
ほかは何も言わない。じゃあ理解していないかと言うとそうではない。
放課後、部活があった。
その時もう一人の顧問から
「こう言っちゃあ何ですが、お母さんが入院したことだし、もういいでしょ。今度から土日も出てくれませんかねえ、私も子供が小さいので、、。」
怒りが頂点に達した、、、
要するに、お前は母親の世話をしなくても良いだろ、土日も部活をやれ、俺は休むから、という意味である。
「母親を日曜に連れ出しますし、まだやることは多いですから。」
この顧問は弟と同じ年だ、だが口のきき方を知らない。猫の毛を逆なでにするようなこと、神経に触るようなことを平気で言ったりしたりする。
ほかの教員は
「天野さんかわいそうに、こき使われて、、、。」
「あまり言うことをきかない方がいいよ、わがままなんだから。」
部活だけではない、校務分掌もみな同じにされている、例の無神経な女子教諭もそうだった。
後年、私が療休をとるとき、
「どうしてみな一緒にさせたのですか。校長は私だと年上で文句も言わず、御しやすいと思ったのではないのですか。」
と聞いたら、
「うーーーーん」
と腕を組んで黙ってしまった。
たぶんその通りでしょう、他の教師がみな陰口をきくようなトラブルメーカーとただでさえ苦しい思いをしているのに組ませるのか、、。
もちろん強制入院のことも校長や教頭に話した。
ご苦労様も言わない、「あっそ、、」
これほど無神経な管理職がいるものか!
同じ苦労でも、周囲に理解があればかなり楽だ。事実以前勤務したところは、もっとたがいにいたわり合っていた。
それがこの学校、、結局辞める羽目になった学校だが、、、、嬉しいことなどない。カリカリとして足を引っ張り、わがままを言う人間がのさばっていた。
部活をやらない女性教諭は、相変わらず文句ばかり言い、私は遠距離だ、病気だ、そのくせ大量に酒を飲んでいる。
部活の顧問は、木曜の午後が総合学習の授業なのだがその日になると、急にやってきて
「午後休むから教室に行ってくれ。」
と話してくる。
私にいいに来ているが、管理職に話してない。それは無断欠勤ではないか。
最初はきがつかなかった、今となっては学活、道徳、総合、みんな体よくこの教員は私にやらせていた。
逮捕されても良いから、殴りつけてもけりを入れても、飽き足らないやつらだ。
少なくとも事情を知った後、退職後私から抗議の手紙を見たら
「すみません」なりわびる気持ちや行為があってしかるべきだ。
体に変調をきたしたのもこの頃だった。だるさが治らない、、、。
7月29日、東京家庭裁判所に行く。
「成人保護者」の決定なのだ。
母の保護者に私がなるのだ。
精神衛生法では家庭裁判所で保護者に認定されないと、入院させることができない。
今思うと、病院が時間をずらして、そうしたのであろう。日付は家裁に行った日が「保護入院」になっているから。
福祉センターからは、「特別養護老人ホーム」の申込書と一覧を渡された。また老人保健施設の一覧も渡された。
特別養護老人ホームの意味はわかったし、入所できるまで待つのが大変だと言うことも知っていた。
しかし、老人保健施設については、甘く考えていたというか、よく理解できなかった。また保護入院が、三か月だと言うことも後で知った。
医者が説明不足と言うか、流れを図式にして渡すとかすればよいのに。
ネットとかで検索しても新しい資料と古い資料が交錯していた。
その後、母を特別養護老人ホームに入れるまでまた、戦いが始まる。
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