オスカルが通った18世紀フランスの陸軍士官学校って、どんな感じだったのだろう?
↓ こちらはパリにある陸軍士官学校。「ベルばら 新作エピソード2」で、ジャルジェ将軍が11歳のオスカルに入学を勧めた。
↓ 将軍によると「…ポンパドゥール夫人の提案で創設された王立陸軍士官学校は、どちらかといえば貧しい貴族の子弟のためのものだ。」
↓ 「将来、お前の部下となるだろう士官候補生たちが、何を考え、どのように暮らしているか、近衛隊に正式入隊する前に、直に触れあって学んで来るがよい。」と、非常にリベラルな考え方を示している。
↓ そんな父の血を受け継いだオスカルは、ためらうことなく将軍の提案を受け入れる。将軍はまたアンドレに、オスカルのそばにつき彼女を守るよう命令する。男子だけの世界に飛び込んでいくオスカルを、アンドレは不安でたまらなかったのか、力強く返事しつつも額に汗を浮かべている。オスカルが学校で学んでいる間、アンドレはどこで何をしていたのだろう?
1751年、ルイ15世がパリに設立した王立陸軍士官学校(Ecole Royal Militaire)は、貧しい貴族の子弟でも、幹部候補生になれることを目的とした。そのため奨学金制度を設け彼らが学べる環境を整えたが、実際は裕福な貴族の子たちが特権を独占した。入学が許されたのは、8歳から11歳の少年。(オスカルは例外!)しかも父方・母方を合わせた4人の祖父母がすべて貴族でなければならない。カリキュラムは8年で、 卒業後は中尉になれる。
1776年、入学受け入れ年齢は14歳に引き上げられ、士官・将校になれるのは貴族それも生粋のフランス人に限られた。ジャルジェ夫人はロレーヌ国の出身だったので、もしオスカルがあと10年遅く生まれたら、近衛隊に入れなかったかもしれない。数学で優秀な成績を修めた卒業生は、砲兵隊に進んだ。(ナポレオンもその一人)士官学校では、数学を重点的に指導した。
オスカルはとてもマルチな軍人に育った気がする。ラテン語を含む複数の外国語に通じ、ヴァイオリンを奏で、ダンスは男女どちらのパートでも踊れる。書物を好み、乗馬や銃、剣の腕前は男性にまったくひけをとらない。その原点はジャルジェ将軍の教育方針にあったのかな?
読んでくださり、本当にありがとうございます。
思春期の二人って、いろいろ想像できますよね?士官学校では、オスカルとケンカして勝てる子は、いなかったのでは?親や先祖の七光りではなく、実力で周囲を納得させていったように思えます。時には暴走し、アンドレが慌てて仲裁役を務めたかもしれません。そんな二人もまた微笑ましいですね。
ロレーヌ公国はオーストリア継承戦争の後に、フランスに併合される含みを持ってルイ15世の舅にいったん与えられ(フランソワには代わりにトスカーナ大公国が与えられた)、1766年にフランスに併合されてますから、ロレーヌの貴族はフランス貴族に準じる扱いができたのではないでしょうか。
大砲の操作は数学必須ですよね。
ですが、近衛隊は世界一の定評があったフランス騎兵の華麗さを見せる方が重要だったかな?
>ロレーヌの貴族はフランス貴族に準じる扱いができたのではないでしょうか
きちんと調べてなくてすみません。メダカとトクサさまがおっしゃるように、18世紀後半でしたら、ロレーヌ公国出身の貴族の子弟も、陸軍士官学校に入学する権利が与えられていたかもしれませんね。当時のフランスには傭兵など外国人駐留部隊がいるなど、日本的感覚からすると「へぇ~」と思うことが多々あります。
>近衛隊は世界一の定評があったフランス騎兵の華麗さを見せる方が重要だったかな?
ジェローデルが「近衛隊に入隊するには、整った容姿も必要」と語っていますので、容姿端麗で見目麗しく、しかも良家の家柄出身の近衛隊は、さぞ目福だったのではと思います。タイムスリップできるのなら、ぜひフランス近衛隊を見てみたいです。