Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

アントワネットに関する誤解

2015-11-03 00:01:16 | つぶやき

 11月2日はマリー・アントワネットの誕生日。

 アントワネットの発言としてよく引用されるのが「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない。」。「ベルばら」を読んだことはなくても、この言葉を知っている人は多いのでは?「何て嫌味なことを言う、世間知らずの王妃さまなのだろう。」と反感を覚える人もいるはず。しかし実際彼女はこのようなことを一言も言っていない。これは彼女を妬んだ貴族の作り話。けれどそんな話がまとこしやかに語られてしまうくらい、当時のアントワネットは多くの人の恨みを買っていたことになる。こじつけ話が独り歩きを始め、ついにはそれが真実であるかのように人々の脳にインプットされる。

 アントワネットのスリーサイズ。身長154cm、裁縫師のエロフ夫人の日誌によると、ウエストは58~59cm、バストが109cmで、当時のモードに合った体型。小柄な割に豊かなバスト。この数字、信頼してもいいのだろうか?王妃のお抱え画家だったルブラン夫人は、「顔つきは整っていなかったが、肌は輝かんばかりに透き通って一点の曇りもなかった。思い通りの効果を出す絵の具が私にはなかった」と述べている。「顔つきは整っていなかった----」とは何とも正直なコメント。けれど彼女をモデルに肖像画を描く時は、修正を加えながら後世に残る傑作を何枚も仕上げた。さすがルブラン夫人。

 革命が勃発しヴェルサイユ宮殿を離れ、タンプル塔内に国王一家は幽閉される。それでもまだ入浴やハープを弾くことはできた。マリー・アントワネットは作曲もし、少なくとも12曲の歌曲が現存している。彼女の作品の多くはフランス革命時に焼き捨てられ、ごく一部がパリ国立図書館に収蔵されているのみである。ああ惜しい。混乱のどさくさに紛れ、彼女が作曲した楽譜が処分されてしまったとは!次はWikiからの引用。

 マリー・アントワネットが幼少期を過ごしたオーストリアには当時から入浴の習慣があった。母マリア・テレジアも幼い頃から彼女に入浴好きになるよう教育している。入浴の習慣がなかったフランスへ嫁いだ後も彼女は入浴の習慣を続け、幽閉されたタンプル塔にも浴槽が持ち込まれたという記録がある。

 入浴をする習慣は、体臭を消すという目的が主だった香水に大きな影響をもたらした。マリー・アントワネットは当時のヨーロッパ貴族が愛用していたムスクや動物系香料を混ぜた非常に濃厚な東洋風の香りよりも、バラやスミレの花やハーブなどの植物系香料から作られる軽やかな香りの現代の香水に近い物を愛用し、これがやがて貴族達の間でも流行するようになった。もちろん、このお気に入りの香水もタンプル塔へ持ち込まれている。

 アントワネットが植物系の香りを好む----彼女らしいなと思う。タンプル塔では、幽閉生活とはいえ家族でチェスを楽しんだり楽器を演奏、またビリヤードをしたり、子供の勉強を見るなど、束の間一家団らんの時があった。10皿以上の夕食、30人のお針子を雇うなど待遇は決して悪くなかった。現在パリのカルナバレ博物館に、当時国王一家が実際に使ったトランプ類、勉強道具が展示されている。次は同博物館内に再現されているタンプル塔での生活の様子。ヴェルサイユ宮殿と比べれば遥かに地味で質素な部屋だが、家族の暖かみや笑い声が聞こえてくる気がする。もしかしたらここで暮らした時が、一家は一番幸せだったかもしれない。

 次もWikiからの引用。

 通常はギロチンで処刑の際に顔を下に向けるが、マリー・アントワネットの時には顔をわざと上に向け、上から刃が落ちてくるのが見えるようにされたという噂が当時流れたとの説もあるが、これは真実ではない。

 こうして書いているとアントワネットがいかに、人々の憎悪や反感の対象になっていたかがわかる。民衆だけでなく、彼女の寵愛を得られなかった貴族たちからも大いに恨みを買い、あることないことが次々とデマとして宮殿から下町に広がり、やがてそれらが真実であるかのように根付いていく。本当の彼女の姿は伝わっていない。人の不幸は蜜の味----人々はますますアントワネットを奈落の底に突き落とす。

 ハプスブルク家に生まれなかったら、そこそこの貴族の娘であったら、フェルゼンと難なく結ばれ幸せな人生を歩めたかもしれない。そうさせてあげたかった。

 読んでくださり、ありがとうございます。 



10 コメント

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Unknown (まい)
2015-11-08 19:32:08
アントワネットは類まれな美貌の持ち主だったと長い間思ってきたのでルブラン夫人の言葉は意外でした。肖像画を見る限りポリニャック夫人やルブラン夫人の方が顔立ちは美しいかも、と薄々思っておりましたが。
一番衝撃的だったのは刑場に向かう時の様子を咄嗟に描いたというスケッチ画でした...。刃の邪魔にならないようにと乱暴に切られたであろうボサボサの髪を帽子から出し、少しムスッとした表情の太めの中年女性の絵を見て、どうしても美しかったと思っていたアントワネットとは結びつかなくて...。
背筋はピンと伸ばしていたから王妃としての威厳を最後まで失わなかったのでしょうが、コンシェルジュリーからコンコルド広場までの道のりはさぞ屈辱的だったでしょうに。
わざと仰向けに身体を投げ出され刃が上から落ちてくる恐怖を味わわされるほど憎悪の対象だった、と私も以前に別の資料で読んだときは衝撃を受けましたがこの話が真実でないことを祈ります。
退廃的でやや贅沢な生活を送った時があったとしても国家全体の赤字額からしたら微々たるものだったようですね...装飾品の金額も実際より多くかかったように見せかけれ.憎悪の対象に仕立て上げられ革命の生贄のようになってしまい可哀想でしたね。

(先ほど最新記事を拝見しました)
ヴェルサイユ宮の天井が観光客の熱気で傷んでいるのですか(・□・;) 公開されなくなったら残念ですのでやっぱり早めに再訪しておかないと、って思いました。何しろ四半世紀以上前に行ったきりですから・・。
いつも情報をありがとうございます!
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まいさま (りら)
2015-11-08 21:50:42
 コメントをありがとうございます。

>アントワネットは類まれな美貌の持ち主だったと長い間思ってきたのでルブラン夫人の言葉は意外でした

 ハプスブルク家の人々は、昔から受け口の人が多く、口元や顎のラインがあまり美しくなかったようです。だから宮廷画家は当然、修正して描いていたはずです。でも世の中には決して美人ではないけれど、人柄でカバーして周囲に魅力を振りまく女性っていますよね。

>一番衝撃的だったのは刑場に向かう時の様子を咄嗟に描いたというスケッチ画でした...。少しムスッとした表情の太めの中年女性の絵を見て、どうしても美しかったと思っていたアントワネットとは結びつかなくて

 中野京子さんの著書「怖い絵」に、この絵の解説が書かれています。アントワネット最後の姿のスケッチ画を描いたのは、数多くのナポレオンの肖像画を手掛けたダヴィッド。彼は革命推進派で、王家を憎んでいましたから、当然アントワネットを描くにあたっては、実物より醜く描いたのではないか。あのスケッチにはダヴィッドの主観が入っており、それがずっと今日まで、あの日のありのままのアントワネットであるかのように伝えられてきてしまったのではないか---そのようなことを中野さんは書いており、「なるほど。」と思いました。確かに描く人の気持ち一つで、対象を美しくも醜くも描けますよね。

>コンシェルジュリーからコンコルド広場までの道のりはさぞ屈辱的だったでしょうに。

 まるで見世物ですよね。そして公開処刑。でも彼女はじたばたせず、じっと耐えたでしょう。「この苦しみさえやり過ごせば、もうあとは何もないから。」と。

>憎悪の対象に仕立て上げられ革命の生贄のようになってしまい可哀想でしたね。

 首飾り事件、革命後の裁判でも、きちんと真実が明らかにされぬまま、事が進んでしまいました。「何もここまで----」と思ってしまいます。

>公開されなくなったら残念ですのでやっぱり早めに再訪しておかないと、って思いました

 そうですね。ふとダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵を思い出しました。あの絵はもともと食堂に描かれたため、蒸気や油などでずいぶん劣化してしまったとか。修復され現在は予約しないと入場できません。ヴェルサイユ宮殿ももしかしたら将来、そういう措置を取るかもしれませんね。
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繰り返される誤解 (mugi)
2015-11-10 21:59:44
 ベルばらでアントワネットは愛らしく描かれていますが、子供時代、アントワネットの肖像画を見て、これが美人?と感じました。ルブランの肖像画は美化しすぎていたのかもしれません。

 ベルばらにも描かれていましたが、アントワネットは処刑の際、「はしご車」で刑場に連行されました。これは農民が使うもので、荷台についた梯子にクッションもなく座らされて、まさに「市中引き回し」状態。ルイ16世は馬車に乗せられていたのだから、少なくとも群衆の目からは遮られました。

 アントワネットの胸に去来する光景も描かれていて、パリ市民の熱烈な歓迎を受けた王太子妃時代との対比はすごいものでした。フェルゼンはもちろん、オスカルと踊ったことも回想していたのは嬉しかった。このことからも決してアントワネットは、市民に寝返ったオスカルを憎んでいなかったと思います。アニメ版のように、ロザリーから話を聞いて涙を流していた…と願いたいですね。

「パンがなければお菓子を…」は、未だにアントワネットの言葉だと思っている人が多いようです。私の好きなある女性歴史作家もアントワネットを指して、「「パンがなければお菓子を食べればよい」と言った女」と表現していました。この方はイタリア史専門ですが、昔のNHKバラエティ番組でも、「パンがなければ…」をアントワネットの言葉と紹介していたことがあります。こうして“誤解”は続くのです。
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mugiさま (りら)
2015-11-11 09:38:22
 コメントをありがとうございます。
 王侯貴族の肖像画は、現代で言うお見合い写真の役目も果たしていたことを思うと、実物以上に美化したり、衣装やアクセサリーも豪華に描いていただろうなと容易に想像できます。パトロンを得るためにも、画家たちは仕事と割り切って実物以上に美しく描いて、顧客に気に入ってもらおうとしたのではないでしょうか?

>アントワネットは処刑の際、「はしご車」で刑場に連行されました。これは農民が使うもので、荷台についた梯子にクッションもなく座らされて、まさに「市中引き回し」状態。

 アントワネットに関するエピソードを読んでいると、いかに彼女が人々の反感や憎しみを買っていたかを感じます。だからありえない噂話ですら、まことしやかに伝えられてしまう。もう少しウィーンでお妃教育を受けてから、輿入れすれば良かったのに。マリア・テレジアは焦りすぎましたね。

>市民に寝返ったオスカルを憎んでいなかったと思います。アニメ版のように、ロザリーから話を聞いて涙を流していた…と願いたいですね。

 私もアントワネットは決してオスカルを恨んでいないと思います。オスカルの信念と選んだ道をちゃんと認めていたはず。

>こうして“誤解”は続くのです

 アントワネットの言葉に限らず、歴史上には多くの誤解がありますね。ひとたび定着してしまうと、それを撤回するのはなかなか大変です。ギロチン博士の時にも、同じことを感じました。
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non (ワイス)
2015-12-01 16:38:11
以前にお邪魔をした者です。
管理人さまが王妃アントワネットに好意的なので、批判と受け取られてしまうかもしれませんが、
(もしも)を仮定した場合、アントワネットがそこそこの貴族の令嬢としてフェルゼンの前に存在したとき、二人の恋は(結婚したとして)貴族夫婦の恋愛遊戯のレベルに落ちてしまうのではないでしょうか?(どちらも仲睦まじく暮らすという性格ではなさそう)
どなたもが語り尽くしておられるように→"オペラ座の舞踏会での謎めいた出会いは恋心を掻き立て、アントワネットがフランス王妃であったがゆえにフェルゼンは恋愛の感情を燃え上がらせた。"
だからこそ運命の恋なのでしょう。
年を重ねるにつれ二人の恋情が熱く描かれる部分に醒めてシラケてしまう自分がいます。自分を貴女の騎士(ナイト)と酔いしれるフェルゼン、おのが立場を無視し悲恋の愁嘆場よろしく泣き嘆く王妃。命をかけるというなら子どもを救って欲しかったよフェルゼン。最後の最期までおんなを捨てられず子どもも救えず挙げ句『フランスの行く末をみつめるだろう』といわれても来し方を全く見なかった人がなにをかいわんや、史実に触れ、年をとり、こういう愛の形に偏屈になってしまった自分もちょっと寂しい。


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ワイスさま (りら)
2015-12-01 20:02:40
 コメントをありがとうございます。

>アントワネットがそこそこの貴族の令嬢としてフェルゼンの前に存在したとき、二人の恋は(結婚したとして)貴族夫婦の恋愛遊戯のレベルに落ちてしまうのではないでしょうか

 21世紀に生きる私たちは史料や文献から、アントワネットやフェルゼンの人となりを想像するわけで、実際誰も本当の二人に会った人はいません。どんなふうに人物像を膨らますかは人それぞれ。ワイスさまの考え方も十分ありえます。あっさりと恋が成就してしまい、二人とも次のお相手を求めたかもしれませんね。永久にこの世では結ばれることがないとわかっていたから、あれだけ二人とも燃え上がったのでしょう。

 確かに子どもを救い出すことはできませんでしたが、ヴァレンヌ逃亡事件に際しては、資金調達し計画を練り、最初だけだったけれど御者を務めたフェルゼン。計画は成功しませんでしたが、彼は命がけだったのではないでしょうか?

 ワイスさま、オスカルとアンドレの愛には、萌えますか?「ベルばら」以外に、ワイスさまの心を捉える漫画や芸術作品はおありですか?
 
 うまくまとまらず、すみません。
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Unknown (ワイス)
2015-12-02 01:12:06
申し訳ございません。自分勝手な意見を書きなぐったような稚拙な書きよう情けなく思っております。

以前はとても感動したのですよ。フェルゼンの身を絞るような別離の選択も、フランスを離れたフェルゼンへの王妃の押さえがたい思慕も、戻ってきたフェルゼンの激しく真摯な熱情も。しかしのちの子どもの悲劇を思うと王妃としてもっと早く変わりゆく政情に目を開いてくれていればと嘆き、子を持つ親の思慮分別は絶ちがたい恋情を越えられなかったのかなと思ってしまう。
ごちゃごちゃ書きましたが要するにアントワネットが嫌いになってしまったんですね。
子どもたちの救出に苦慮した史実がありますれば浅はかな見識からの愚見お詫び申し上げます。

芸術作品ですか…ベルばらも芸術作品だと思います。(基準分類が難しいです)

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ワイスさま (りら)
2015-12-02 20:10:11
 コメントをありがとうございます。

>申し訳ございません。自分勝手な意見を書きなぐったような稚拙な書きよう情けなく思っております。

 お気になさらないでくださいね。そういうことってありますよ。また年月と共に、キャラ達に対する想いも変化していく。ワイスさま、もしお時間と興味があれば、中野京子さん著「マリー・アントワネット 運命の24時間」をお読みください。すべて史実とは思いませんが、残された史料をもとに、中野さんがヴァレンヌ逃亡の最初から最後まで、ドキュメンタリーを読んでいるかのようにまとめた本です。ここで描かれるアントワネットは、どちらかというと凡庸な夫に愛想を尽かした王妃です。

 「ベルばら」も立派な芸術作品ですよね。漫画はサブカルチャーどころか、日本を代表する、外国に誇ることのできる文化だと思います。
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Unknown (ワイス)
2015-12-03 14:29:05
ありがとうございます。

そうですね。中野さんのあの著書はルイ16世についてかなり辛口でした。
『ベルサイユのばら』と文献、史実などを重ね合わせると色褪せて見える部分、逆に色付いて見える部分、様々です。

次回、機会があればオスカルとアンドレについてもお話できたらいいなと思っております。
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ワイスさま (りら)
2015-12-03 22:19:48
 コメントをありがとうございます。

 池田先生の作品の魅力の1つとして、史実をベースに、実在した人物と架空の人物を絶妙に絡めている点があります。「巧いなあ。」といつも思います。架空の人物だからこそ、自在に動けるし、池田先生がメッセージを込めて動かしていける。

>次回、機会があればオスカルとアンドレについてもお話できたらいいなと思っております。
 
 ぜてまたお気軽にお越しくださいね。待っています。オスカルとアンドレの話も、ワイスさまとしてみたいです。
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