1898年9月11日、シシィは警察の警護を拒み、ジュネーブに滞在中、レマン湖のほとりでアナーキストのルイジ・ルキーニによって暗殺された。享年60歳。亡くなる約10年前から引退生活に入り、親しい接触を持ち続けたのは娘のマリー・ヴァレリーのみ。マリーは日記に次のように記している。「私の母は、変わった生活を送っていました。彼女は頭の中では過去にすがる一方、心の中では未来を熱望し、実際の生活は実体のない幻から成り立っていたのです。」
シシィについて、もっと知りたい。彼女がどんな景色を見ていたのか。何を思っていたのか。シシィとフランツの150回目の結婚記念日に当たる2004年4月24日、ホーフブルク王宮にある皇帝の部屋に「シシィ・ミュージアム」がオープンした。どうしてもこの目で見ておきたい。数年後、ウィーンに行く機会を得た。これはシシィ・ミュージアムの入り口。午前9時開館だが、開館前に多くの人が行列を作っている。ミュージアムのほかにも皇帝居館と銀食器博物館が隣接されている。
ミュージアムには、婚礼の前の晩に着たドレス、日傘、扇子や手袋、実際に乗れる王宮サロン車、暗殺に使われたやすりのレプリカなどが展示されている。写真を撮るのは禁止されていたので、カタログ等を買ってきた。
少しずつ、紹介していきたい。
1854年4月24日、フランツとシシィは、アウグスティーナ教会で結婚式を挙げた。この教会は王宮からさほど遠くない場所にあるが、入り口が分かりづらかった。内部は光がたっぷり差し込みとても明るい。シシィは教会に向かう馬車を降りる時、王冠を落とし、周囲から「不吉な予感」と囁かれた。そういえばアントワネットも婚姻の署名をする時、紙にペン先をひっかけ、インクを滲ませてしまったエピソードがあった。
読んでくださり、ありがとうございます。
幼き時はお父さんっ子な活発少女、年頃になり、ダイエットに気遣いながら、甘いお菓子″ザッハトルテ″が好きな乙女、誰にも訪れ老い、それぞれに、自分の感情のままに生き抜いた女性なのでしょうか?
☆゜続きが楽しみです☆゜