Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

ハプスブルクの姫君 (3)

2015-01-22 23:13:13 | つぶやき

 1898年9月11日、シシィは警察の警護を拒み、ジュネーブに滞在中、レマン湖のほとりでアナーキストのルイジ・ルキーニによって暗殺された。享年60歳。亡くなる約10年前から引退生活に入り、親しい接触を持ち続けたのは娘のマリー・ヴァレリーのみ。マリーは日記に次のように記している。「私の母は、変わった生活を送っていました。彼女は頭の中では過去にすがる一方、心の中では未来を熱望し、実際の生活は実体のない幻から成り立っていたのです。」

 シシィについて、もっと知りたい。彼女がどんな景色を見ていたのか。何を思っていたのか。シシィとフランツの150回目の結婚記念日に当たる2004年4月24日、ホーフブルク王宮にある皇帝の部屋に「シシィ・ミュージアム」がオープンした。どうしてもこの目で見ておきたい。数年後、ウィーンに行く機会を得た。これはシシィ・ミュージアムの入り口。午前9時開館だが、開館前に多くの人が行列を作っている。ミュージアムのほかにも皇帝居館と銀食器博物館が隣接されている。

 ミュージアムには、婚礼の前の晩に着たドレス、日傘、扇子や手袋、実際に乗れる王宮サロン車、暗殺に使われたやすりのレプリカなどが展示されている。写真を撮るのは禁止されていたので、カタログ等を買ってきた。

 少しずつ、紹介していきたい。

 1854年4月24日、フランツとシシィは、アウグスティーナ教会で結婚式を挙げた。この教会は王宮からさほど遠くない場所にあるが、入り口が分かりづらかった。内部は光がたっぷり差し込みとても明るい。シシィは教会に向かう馬車を降りる時、王冠を落とし、周囲から「不吉な予感」と囁かれた。そういえばアントワネットも婚姻の署名をする時、紙にペン先をひっかけ、インクを滲ませてしまったエピソードがあった。

 読んでくださり、ありがとうございます。



2 コメント

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核心に来ましたね。 (鈴蘭の精)
2015-01-23 00:19:18
晩年は複雑な人生とは思いましたが、可愛い表情の絵のみのイメージが強く、りら様の文面より、いろいろな角度のシシーが伺えます。
幼き時はお父さんっ子な活発少女、年頃になり、ダイエットに気遣いながら、甘いお菓子″ザッハトルテ″が好きな乙女、誰にも訪れ老い、それぞれに、自分の感情のままに生き抜いた女性なのでしょうか?
☆゜続きが楽しみです☆゜
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鈴蘭の精さま (りら)
2015-01-23 07:41:38
 コメントをありがとうございます。確かにあの有名な肖像画のイメージは強烈です。実際は美貌の絶頂期を過ぎてからの期間のほうが長かったはずなのに、若く可愛い皇后がどんどん独り歩きしている。15歳---結婚が、王家と言う場がどんなところかよくわからぬまま、白馬にまたがった王子さまと一緒になり、次第に現実が見えてくる。シシィの時代になると、写真資料も多いので、彼女の実際の表情も見て取ることができます。享年60歳---早すぎる死です。けれどルドルフを失ってから、彼女は生きる屍となってしまいました。
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