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Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

アントワネットの公開出産

2015-09-10 21:39:31 | つぶやき

 王族の出産は、取り違えがあってはならないので公開が原則。これは儀式でもあった。アントワネットが第1子マリー・テレーズを出産した時、フランス各地から50人の貴族がやってきて、その一部始終を見守った。

 アントワネットの公開出産について「別冊歴史読本 ハプスブルク恋物語」(新人物往来社刊)で、渡辺みどりさんが詳しく執筆している。

 こちらは王妃の寝室。出産時には特別なベッドが用意された。アントワネットの趣味の良さがうかがえる模様。

 1778年12月9日真夜中少し過ぎ、陣痛が始まった。痛みの間隔は次第に縮まる。待機していた産科侍従医のヴェルモン博士が「王妃が分娩なさりますぞ。」と高らかに告げると、フランス全土から集まっていた貴族50人が列を組み、どやどやと王妃の寝室に詰めかけた。彼らは王妃の寝室の周りで、爵位階級順に並べられている肘掛け椅子に着席する。席が取れなかった貴族は、後列の長椅子から伸び上がり、王妃の苦しむ様子や呻き声を聞き逃すまいと覗きこむ。夜を徹してルイ16世も付き添う。

 密閉された部屋は身動きができない。陣痛は約7時間続いた。昼近くになって最後の痛みに耐えた王妃は女の子を出産。生まれたばかりの王女は、体を香油で清潔に拭き上げられ、王家伝来の絹レースの産着を着せられた。21発の礼砲が響き渡る。出産立ち会い人、オーストリア大使メルシー伯爵は、産後一時間も経たぬうちにウィーンに最初の知らせを送る。国王夫妻が子をもうけることができるのを立証した今回の出産。マリア・テレジアはさぞホッとしただろう。

 1781年10月22日、1時15分、待ちに待ったお世継ぎルイ・ジョセフが誕生。ルイ16世は大役を果たしたアントワネットを労わった。王妃はルイ16世に「この子を抱いてください。この子は国家のものです。」と誇らかに言った。洗礼は午後3時、ヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂でおこなわれた。男子誕生を祝って、この時101発の礼砲が響き渡り、パリの夜空は花火が彩った。この時の出産で、アントワネットは抜け毛がひどくなった。そこで秘かにお抱え結髪師レオナールに相談。レオナールは機転を利かせ、それまで流行っていたそびえる髪型はもう古くて王妃にはふさわしくない。短い髪で結える若々しい髪型こそ王妃にふさわしいと述べた。そして王妃を傷つけることなく、新型のア・ランファン(子ども風)を考案。それは薄毛で結え、7・8歳は若く見えるスタイルだったため、アントワネットを喜ばせた。以後、巨大髪は姿を消していった。

 1785年3月、王妃は第2王子ルイ・シャルルを出産。これがその時の様子。

 王族の食事の様子も公開していた。限られた貴族だけが、至近距離から見ることができた。

 プライバシーも何もない。でもこうして「朕は国家なり」の言葉どおり、王族は他の人間とは違うのだと意図的に見せつけていたのかもしれない。絶えず人の視線を浴びることが気にならず、むしろ快感ですらあっただろう。それくらいの図太さがないと当時、王家で生きていくことはできなかった。

 アントワネットの出産には、ジャルジェ将軍やオスカルも立ち会ったのだろうか?名門貴族だからおそらく2人のどちらかは、立ち会ったのではないだろうか?50人からなる男性も含めた貴族に見守られながらの出産---羞恥心なんて言ってられない。皇后の務め---男子出産。やんごとなき姫君たちには相当なプレッシャーがあったろう。もしそれが叶わなければ、寵妃が世継ぎを生む。そして男子を出産した寵妃は、正妻より幅を利かすようになる。王家という舞台でヒロインを演じるのは本当に大変。

 読んでくださり、ありがとうございます。



10 コメント

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こんばんは (marine)
2015-09-10 23:21:43
北関東は雨の甚大な被害で大変な1日でしたね。最近の日本は各地で色んな災害がおこりますね。私は南関東在住ですが、それでも子供が休校や午後登校になったりと、バタバタの2日間でした。

アントワネットの出産は、ベルばらでも公開されると記述があり、びっくり仰天した記憶があります。せっかく大変な思いをして産んでも、自分と夫の子、というより、国家の子なんですよね。自ら授乳させることも出来ず、ほとんど乳母や教育係が育てていたのですよね。貴族など身分の高い人達は、新エピソードのジェローデルのように預けてしまい、母親はお役御免とばかりに愛人を作り…これでは子供に情愛を持つこともあまりなかったのかなと思ってしまいます。子供も、あまり母に甘えることもかなわず、でもそれが貴族なら普通だと思わざるを得なかったのでしょうね。

もしも、りら様のSSがずっと続き、オスカル出産(!?)となったとしたら、オスカルや姉たち同様、アンドレと2人で、手元で大事に育てるのでしょうね。ここまではさすがに無理でしょうか(^_^;)

話は変わりますが、私も先日のまい様のお話にグイグイ惹きつけられてしまいました。
親切なオーストラリア青年とはどうやって知り合い、その後は連絡などはとらなかったのでしょうか?
今のご時世、外国で悲しい事件に発展してしまうことも多いと思うので、まい様の場合は、本当に親切な方で良かった。私もむか~しロンドンに1人で行ったことがあるので、異国での思いがけない優しさは身にしみますよね。

すみません、関係のない事を書いてしまいました。長文お許し下さいませ。
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marineさま (りら)
2015-09-11 00:43:47
 コメントをありがとうございます。
鬼怒川の堤防決壊をニュースで見て、改めて自然の猛威を感じます。と同時に年々異常気象が当たり前になってきており、国内でも毎年どこかで自然災害が生じている気がします。今後もこうした傾向は続くのでしょうか?

>でもそれが貴族なら普通だと思わざるを得なかったのでしょうね。

 新作エピソードのジェローデルは幼いころ、実母と長いこと離れて暮らしていましたよね。でも当時の王侯貴族はあれが普通だったわけで---。政略結婚して跡継ぎさえ生まれれば、あとは何をしても許されていた。そういう親たちの姿を見て、子は育つわけですから,子どもも気の毒です。

 ジャルジェ将軍夫妻は、現天皇皇后両陛下のイメージと被るのです。今の天皇皇后両陛下は、それまでのしきたり(子どもを他の人に預けて育ててもらう)ではなく、自分たちの手元で育てました。一般家庭なら当たり前のことですが、皇室・王室という特殊な世界では、早くから帝王学を学ばせるためにも、子どもを厳しい環境においていた。だからルイ16世とアントワネットは革命で一家が捕えられ、タンプルの塔の狭い部屋で軟禁された時、ようやく家族らしい時間を過ごせたのですよね、皮肉なことに。

>オスカルや姉たち同様、アンドレと2人で、手元で大事に育てるのでしょうね。ここまではさすがに無理でしょうか(^_^;)

 marineさまがおっしゃるように、きっと二人で育てたと思います。アンドレは素敵なイクメンになります、きっと!オスカルが妊婦になるのは、夢が壊れるかな?

>私もむか~しロンドンに1人で行ったことがあるので、異国での思いがけない優しさは身にしみますよね。

 まいさまのお話は、実話なので感動的ですよね。本当にどうやってその方と出会ったのか?そしてmarineさまはロンドン一人旅をされたことがおありなのですね。海外では自分の身を守るため、日本にいるとき以上に緊張しますが、一方で親切な人にも出会えます。一期一会で、もう一生会うことはないかもしれない人たち。marineさまもロンドンで、親切な方に助けられた経験をお持ちでしょうか?

>関係のない事を書いてしまいました。長文お許し下さいませ

 どうかお気になさらないでください。いつでもまたお書きください。皆さまの経験談を伺うのも楽しいです。
返信する
りらさま・marineさま (まい)
2015-09-11 02:26:29
りらさま marineさま

こんばんは。先般はプチ・トリアノンの話題から思い起こしてしまった4半世紀も前のフランスでの苦くも温かな経験談を長々と綴り、本当に失礼いたしました。
他の読者の方の御迷惑になってしまったのでは?と思い当分投稿は控えるつもりでしたが、また投稿して申し訳ありません.....。
以下、marineさまの御質問に回答させてくださいませ。(りらさま、この場をお借りして本当に申し訳ありません。もう二度と書かないと宣言しておきながら。本当に今度こそ終わりです。何卒お許しください。)


 帰国便搭乗まで2時間、というときに、ホテルのタクシー乗り場に(パリに来る前のヴェネチアで母のお土産として購入した)ヴェネチアングラスを置き忘れてきてしまったことに気付いたのです。
慌てて公衆電話からホテルに電話していたら 背後から本当に一瞬にしてパスポート・搭乗券を抜き取られてしまい、急いで追いかけたけれどダメでした。もう放心状態でした・・・。
 その様子を偶然に(パリに到着したばかりという)オーストラリア人の青年が見かけて「どうしたの?」って声を掛けてくれたのです。
 再発行には盗難証明書が要るからまず警察へ行こう!って彼が率先して行動してくれて・・・運よく盗まれていなかったグラスも一緒に取りに戻ってくれて、ユースホステルのおばさんにも「同じ部屋で食事なしで可」という条件付きで交渉してくれ、4日間ただで泊まらせてもらい...。
 彼がロンドンへ発つ前日にモンマルトルのサクレクール寺院の売店で「これは君が無事に帰国できるようにとのお守りだよ」って買ってくれたキーホルダーは今でも大切にとってあります。
 彼との最後の夜、パリのレストランでの食事を終えて店を出た途端に目にしたのは、まぎれもなく日本出国前夜に見た夢の中の夜景でした。不思議さが拭えずに立ちすくんでしまい彼にもそれを伝えると「それはデジャヴっていうんだよ。」って優しく教えてくれました。

 彼が英国へ出発する朝、部屋で「きっと大丈夫だよ」ってきつく抱擁してくれて「ボーイフレンドはいるの?」って聞かれましたが、保守的な私は嘘をついて「いる」って答えてしまいました....。

 無事に帰国後、暫くは文通していたのですが彼も帰国後にニューヨークの大学院入学が決まっており金融ビジネスを学ぶと言っていましたし私も卒業・就職と目まぐるしく過ごすうちに互いに忙しさで疎遠になってしまいました。
パリ最終日に抱きしめられたときに嘘をついていなければ国際結婚していたかもしれませんしわかりませんが、25年前のキーホルダーを握れば今もって胸には小さな波紋が広がり爽やかだった青年の優しい瞳が浮かんできます。
(回答は以上です。)

ベルばらが多くの女性を惹きつけてやまないのは、オスカル様のように一途に愛し愛されたい....という女心を見事に掴んだからですよね。
作中でアントワネットが「女のこころをわかってもらえなかったようですね」とオスカルに伝える場面がありますが、恋愛も知らずに会ったこともない人・ましてや外国に嫁がされ出産や食事まで大勢の見物人がいるなんて、当時でも、普通の感覚では耐え難いことですね....。
私たちには日々の諸々を忘れられる「べるばら」の世界があるように、アントワネットにとっての心の安らぎがフェルゼンとの恋愛だったとしても仕方のないことだったのでは?と。

りらさま、またまた長くなった上に余談ばかりで・・・申し訳ありません。本当に今回で終わりです!
また、気になる記事が掲載されたときには、簡潔にコメントさせていただいてもよろしいでしょうか・・・?
今後とも読者のお仲間入りを続けさせて頂きたく、よろしくお願いいたします。
返信する
まいさま (りら)
2015-09-11 06:11:32
 素敵なお話をありがとうございます。
パリを舞台にした映画を見ているようです。まいさまがパスポートを盗まれてから、戻ってくるまでの間、ずっと付き添ってくれた人。パリ最後の夜、レストランを出た時に見た夜景は日本出国前夜にまいさまが見た夢と同じだったとは!何かものすごい巡り合わせを感じます。日本出国前から、この出会いを暗示していたようで---。

 外国でパスポートを盗まれてしまったという不安な状況下、四日間ずっとそばにいてくれた人って心強いですよね。まるでアンドレみたい。お二人でパリを旅行されているうちに親しみが湧き、特別な感情もあったのでは?もしあのときまいさまが「ボーイフレンドはいない。」と答えていたら、今頃違った人生を歩んでいたかもしれませんね。人生にはそういう分かれ道があります。けれどまいさまはあの時「いる。」と答えたことに、何も後悔していないと(勝手に)思っています。「あれはあれで良かったのだ。」と。

 自分が人生の節目節目で出した結論を「正しい」と信じて生きていく。

 現代はSNSの発達で、フェイスブックなどでその方のお名前を入力して検索すれば、もしかしたら近況が分かるかもしれません。そっと約25年前の美しい思い出として、胸にとどめておいてもよいし---。

>アントワネットにとっての心の安らぎがフェルゼンとの恋愛だったとしても仕方のないことだったのでは?と。

 そうですよね。フランスに嫁いでみれば、違う言語、陰謀渦巻く貴族社会、慣れない儀式の連続、オスとしての魅力を感じられない夫にアントワネットは失望したり、わが身の運命を呪ったのではないでしょうか?だから国税を湯水のように使ったり、フェルゼンとの恋に、自分の存在価値を見出していたと思います。

>またまた長くなった上に余談ばかりで・・・申し訳ありません。本当に今回で終わりです!

 そんなこと気にせず、いつでも長く語ってください。今回のまいさまのお話は、本当にじ~んときました。「今回で終わり」などとおっしゃらず、いつでもお話ししたくなったら、ぜひまたお願いいたします。お待ちしております。

>気になる記事が掲載されたときには、簡潔にコメントさせていただいてもよろしいでしょうか・・・?

 もちろんです。「簡潔に」などとおっしゃらず長文大歓迎ですので、何でも語ってください。
コメント、とても嬉しいです。ありがとうございます。
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りら様 まい様 (marine)
2015-09-11 13:06:20
まずはまい様、大切な思い出をお聞かせ下さりありがとうございました。まるで映画のようで(*´▽`*)、素敵な短編小説を読ませていただいたようで、私も感動してしまいました。しばらく文通をしていたという事は、まい様が無事に帰国されたのもご存知なんですね。
海外で何かを盗まれたりは見舞われたくないトラブルですが、同時に窮地にそんなヒーローが現れるなんて、まい様は何かに守られているのですね。青春の1ページ、自分だけの生涯の大事な大事な宝物ですね。たまにそっと取り出して眺めてまた大切にしまうような…。この年齢になると、トキメキなぞどこかに埋もれてしまい、久しぶりになんだかキュンとしてしまいました。その青年が、幸せに過ごしているといいですね。
そしてりら様、ブログの内容とは違うコメントばかりで、他の読者の方にもこの場をお借りしてお詫びします。すみませんでした。
私の問いかけのせいで、まい様にも気をつかわせてしまい、重ねてすみませんでした(でもどうしてもお聞きしたかったので~)。
りら様の、節目節目で出した結論は正しいと信じる。私もその通りと思います。今自分が置かれている立場や環境に不満や不安を感じる時もありますが、日々感謝して大事にしていきたいと私も思います。

SS、食事会も済み、これからの展開も楽しみにお待ちしています。
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marineさま (りら)
2015-09-11 21:20:56
 コメントをありがとうございます。
気になさらないでくださいね。marineさまのおかげで、私もまいさまの貴重な思い出を伺うことができました。とても素敵なエピソードでした。忘れかけていた時代を、思い返すこともできましたし、marineさま、ありがとうございました。

 SS、引き続き書きますので、どうかよろしくお願いいたします。
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りらさま、marineさまへ (まい)
2015-09-11 21:40:41
私からも御礼を言わせてください。

優しい御言葉をありがとうございました!

今日、紀伊国屋でフランスのガイドブックを立ち読みして、あらためてアントワネットの離宮には是非とも行きたい!って強く思いました。
また色々と教えてくださいね!

りらさま、お忙しいと思いますので、お返事は不要ですから~(^^)v
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まいさま (りら)
2015-09-11 22:07:24
 コメントをありがとうございます。

 お返事、書かせてください。

>今日、紀伊国屋でフランスのガイドブックを立ち読みして、あらためてアントワネットの離宮には是非とも行きたい!って強く思いました。

 書店や図書館に行くと、大型本からオシャレな手帳サイズの本まで、フランス絡みのガイドブックの多さに驚きます。それだけ見どころが多い国なのでしょうね。まいさまはJTBパブリッシングから出版されている「ベルサイユのばらの街歩き」はお読みになりましたか?初版が2003年なので、写真等古めかしい感じがしますが、ベルばらの舞台になった場所や、ジャルジェ邸のモデルとなった建物、貴重な資料が展示されている博物館について書かれています。密林サイトでも扱っているかもしれません。機会があったら、一度ご覧になってみてください。

 今、エールフランスがキャンペーンをしていて、秋のお得な航空券を発売中です。確か40,000円以下だったと思います。びっくり!
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りらさま (まい)
2015-09-11 23:08:14
新しい記事等でお忙しいのにお返事ありがとうございます!恐縮しております。

ベルサイユのばら街歩き2003年版、私も、すごく前に購入して持っています。
今年度いっぱいは仕事が立て込んでいるため、来年夏あたりに行けたらいいなと思います!

あの時、彼に注意されたのです。女性が独りで外国を旅しては危ないよって。
今度は主人と一緒だと思いますので充分に気を抜かないようにします。

本当に神のような人でした。他人のことなど見てみぬ振りをする人が多い中、まして、外国人旅行者の私などに合わせてくれて。
頭も良かったので多分ニューヨークでビジネスで成功を収めていることと想像しています。

またまた余談を申し訳ありません(>o
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まいさま (りら)
2015-09-12 05:57:53
 コメントをありがとうございました。
「街歩き」、お持ちでしたか?あの中には、私がまだ訪れたことのない場所がいくつかあるので、もし次の機会があれば行きたいです。自分で機会を作らないとだめですね。ぜひ来年の夏、まいさまが旦那さまとご一緒にフランスに行けますように。応援しております。今から情報を収集し、プランを練るのも面白いですね。ルーブル美術館の近くに、18世紀のモードを展示する博物館がオープンし、当時のドレスを公開しています。写真撮影も可です。また詳細をお知らせしますね。

>本当に神のような人でした

 時々思い返しては、あの頃の自分に戻ってみる。それも幸せな時間ですよね。その方も同じように、20数年前のパリの思い出を、時々振り返っているかもしれません。

 
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