今回、まず佐世保に行ったのは・・・
ここ、佐世保は我がおかんの故郷なのです。
自分が元気なうちに、孫達に自分が育ったところを見せたいと、おかんが企画しました。
戦争中は疎開していたので、原爆にはあわなかったそうです。
戦後、長崎に戻り、大阪に出てくるまでの時間を過ごしていたそう。
小学生時代は、毎日海で泳ぎ、食材を調達!?水汲みに山道を20分くらい歩いたそうです。
そんな海の風景を・・・
岩の手前に見える人影は地元の子供達。
背後に彼らのおかんと見られる女性がいて、
『しっかり、夕食さがしてや!』と、激をとばしておりました
本土最西端の地の碑。
おかんが育ったのは郊外ですが、市内の海は軍港+造船所。
この、立派な建物は海上自衛隊資料館です。入場無料!
戦時中の海軍~現在の海上自衛隊の資料なんかが展示されていました。
こちらの窓から、佐世保基地を何気なく、パチリ♪
すると・・・
当日、佐世保港に入港したばかりの、アメリカ海軍の空母が写ってたんですよ!
この日に入港するのは知ってたんですが・・・
アップにしておけばよかった・・・・
画像中央に3隻の日本の護衛艦がこっち向きに並んでいます。
その3隻の一番左側の護衛艦のちょっと左上あたりの、島の前に、横向きに写っています。わかりますか~~??
2日目午前中を海やら、市内やらをぶらぶらして、さあ、2日目ランチに行きましょう♪
ここ、佐世保は我がおかんの故郷なのです。
自分が元気なうちに、孫達に自分が育ったところを見せたいと、おかんが企画しました。
戦争中は疎開していたので、原爆にはあわなかったそうです。
戦後、長崎に戻り、大阪に出てくるまでの時間を過ごしていたそう。
小学生時代は、毎日海で泳ぎ、食材を調達!?水汲みに山道を20分くらい歩いたそうです。
そんな海の風景を・・・
岩の手前に見える人影は地元の子供達。
背後に彼らのおかんと見られる女性がいて、
『しっかり、夕食さがしてや!』と、激をとばしておりました
本土最西端の地の碑。
おかんが育ったのは郊外ですが、市内の海は軍港+造船所。
この、立派な建物は海上自衛隊資料館です。入場無料!
戦時中の海軍~現在の海上自衛隊の資料なんかが展示されていました。
こちらの窓から、佐世保基地を何気なく、パチリ♪
すると・・・
当日、佐世保港に入港したばかりの、アメリカ海軍の空母が写ってたんですよ!
この日に入港するのは知ってたんですが・・・
アップにしておけばよかった・・・・
画像中央に3隻の日本の護衛艦がこっち向きに並んでいます。
その3隻の一番左側の護衛艦のちょっと左上あたりの、島の前に、横向きに写っています。わかりますか~~??
2日目午前中を海やら、市内やらをぶらぶらして、さあ、2日目ランチに行きましょう♪
すてきな場所で育たれたのですね。
被爆に合われることなく本当によかったですね。
でも辛い経験をされたお知り合いが、
おられるのではないかと心痛みます。
自然に恵まれ本当に素敵なところ
あすかちゃんの行動的な部分はおかんのDNAだね。
あるんですが・・・。
佐世保って行ったことないので
雰囲気がよくわかりました~!
なんか自然でいいな~。
お母様は、相当 泳ぎが上手そうですね♪
数年前、福岡に亡くなった主人の祖父母のルーツを辿る旅をしました
想いは、皆同じなんですよね
子供の頃に田舎で育ったから、今も病気ひとつせず元気なのだと自慢のおかんです。
おかんのおかんも、80歳で富士山に登るほどのお達者さんでした。
私はばっかりで、運動が足りないからなのだと言われています・・・
長崎市内ほど観光のお客さんはいないので、綺麗な海も独占して泳げますよ♪
とってものんびりした空気が流れています。
今回ハウステンボスの前は素通りでした・・・
海をちょっと覗くと雲丹さんがごろごろ見えます♪
黒鯛なんかも泳いでるのが見え、釣り好きの姪っ子は釣りをしたがっていました。
昔は漁業権とかなかったんでしょうね。
年をとると、次の世代に色々と伝えたくなるんでしょうね。
その気持ちを孫さんたちが理解するのは10年はかかるかな・・・。