『法の哲学』ノート§1
この『法の哲学』の緒論で、まずヘーゲルは「哲学的な法律科学」が考察の対象としているのは、「法(Recht)=正義」の「概念(Begriff)」、およびこの概念が現実に具体化してゆくその過程であることを明らかにする。
この節の中の補注で、ヘーゲルはイデー(理念)を概念と言い換えている。科学の対象である概念は、普通に人々が考えているような「悟性規定」ではなく、この概念は現実において具体化して行くものである。この概念をわかりやすく説明するために、ヘーゲルは心と身体をもった人間という表象にたとえる。概念が人間の心であるとすれば、概念の具体化されたものが身体にほかならない。
心も身体も同じ一つの生命ではあるが、しかし、心と身体は区別されてもいる。
またさらに、概念とその現実化、具体化を種子と樹木にもたとえている。
概念とは樹木の全体を観念的な力として含んでいる萌芽(種)であり、それが完全に具体化されたとき、現実の樹木全体になるのである。人間の概念は心であり、樹木の概念が種子である。
それに対して、法の概念は自由であるとヘーゲルは言う。そして、この法の概念である自由が具体化され実現されたものが、現実の国家であり憲法であり民法や刑法などの法律の体系である。ヘーゲルの「法の哲学」は、この自由の概念が具体化され必然的に展開されてゆく過程そのものを叙述し論証してゆくものである。
やはり、ここで注意しなければならないのは、ヘーゲルにおいては「概念」という用語が、普通に一般の人たちに使われているような「単なる悟性規定」の意味ではなく、概念が、やがて萌芽から樹木全体として進展してゆく可能性を秘めた観念的な種子として、理念と同義に使われていることである。
そして、それが現実に具体化されて存在と一つになった概念、それが理念である。だから理念とは単なる統一ではなく、概念と実在の二つが完全に融合したものであり、それが生命あるものである。