goo blog サービス終了のお知らせ 

遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Bruce Springsteen "Youngstown"

2010-08-12 23:58:10 | The Ghost of TJ
オハイオ州北東部
1803年のこと
ジェームズとダニーのヒートン兄弟が
黄色い小川の中 鉱石を発見した
2人は溶鉱炉を造った
この湖の傍
砲弾作りに励み
南北戦争時には北軍の勝利を助けた

ここヤングスタウンで
ここヤングスタウンで
愛しいジェニーよ 俺は駄目になっていく
このヤングスタウンで

父親は溶鉱炉で働いていた
炉を地獄のような熱さに保つ仕事
俺はヴェトナムから帰り 溶接工として汗水たらして働いた
むちゃな仕事さ
タコナイトにコークス、石灰岩
子どもを養い 稼ぎを得る
煙突は神の手のごとく
煤と土ぼこりの舞う美しい空に届いた

父親はオハイオで仕事に就いた
第二次大戦から帰った後のこと
今では鉄屑と瓦礫が残るだけ
「工場のお偉方はヒトラーにできなかったことを成し遂げた」と父親は言ったのに
ここの工場で作られた戦車と爆弾が
この国を勝利に導いた
息子達を朝鮮半島やヴェトナムにやったが
一体何のための死だったのか

モノンガヒーラの谷から
メサビ鉄鉱脈
そしてアパラチアの炭坑に至るまで
どこでも常に同じことが起きている
日に700トンの生産
それが今じゃ 偉い奴は世の中は変わったと言う
俺がお前を豊かにしたが
そうなるとお前はもう俺の名前も覚えちゃいない

死んだら 天国へなんか行けなくていい
天国でなんてどうしていいか分からない
俺は悪魔が連れて行ってくれるよう祈る
地獄の燃え盛る溶鉱炉に立つために

ENGLISH

参考:
ジェニーというのは、ヤングスタウンの象徴的存在であった大型溶鉱炉の愛称だそうです。
(五十嵐正『スプリングスティーンの歌うアメリカ』(2009年・音楽出版社)より)

</object>
今日は以前からお知らせしていた通り、ブルース・スプリングスティーン『London Calling; Live in Hyde Park』(2010)における特徴的な1つの流れである"Seeds," "Johnny 99," "Youngstown"の3曲のうちの最後の1曲を取り上げます。この曲は、Working On A Dream Tourの中では先の2曲の後に常に演奏されていた訳ではなく、しばしば同じアルバム『The Ghost of Tom Joad』(1995)に収録されたタイトル曲、"The Ghost of Tom Joad"に取って代わられていました。どちらも雰囲気としては似た感じで、重厚なサウンドとニルス・ロフグレンのソロが印象的な1曲です。この3曲の流れの中では最も重い雰囲気を湛えた演奏だと思います。

この曲も私が説明するまでもなく、詞が雄弁に物語っていますが、かつては鉄鋼業が盛んだったオハイオ州のヤングスタウンという街の盛衰の歴史を扱っています。アメリカの発展や戦争の勝利のために尽くしてきたのは、底辺で地獄の責め苦とも思えるような仕事をこなしてきた底辺の人々であり、それが彼らの僅かな尊厳の源でもあった。けれども、そのことで彼らの暮らしが格段に良くなる訳でもなく、一生労働者として働き続け、時代が変わると省みられることもなく、最初に見捨てられてしまう。不況の煽りを食うのも、時代の変化のために置き去りにされるのも、こうした人々であって、救いの手が差し伸べられることもない。

悲しいことに、2009年時点のアメリカでもこの曲はまさに現在の歌として響くものでした。2008年以降、壊滅的な経済状況の下で、やはり鉄鋼業と同じくアメリカの発展を支えてきた自動車産業から多くの失業者が出たり、何の大義も見出すことのできないイラク戦争、対テロ戦争に極貧家庭の若者達が駆り出されたりしているというのに、個人主義の風潮を盾に、本気で助けの手を差し伸べようという企業家など皆無に等しい。この曲の演奏からは、そうした現実への憂いが滲み出ているように感じます。先の2曲に比べても、より焦点が定まった曲として3曲の締めくくりに相応しいと思います。(今回、記事にした順序はライブで演奏された順ではなく、ブルースが曲を作った順番にしたため、"Johnny 99"を最初にしました。)

ライブではここでかなり、雰囲気が重苦しくなったところを、間髪を入れずに陽気な”Good Lovin’”と共にリクエストタイムに雪崩れ込んで切り替えてしまうところが、エンターテイナーとしてのブルースはとても巧みです。この後の演奏に、”Youngstown”がのしかかり続けるということは、だから、殆どありません。けれども、コンサートが終わって振り返る時、やはり”Seeds,” “Johnny 99,” “Youngstown”の3曲の流れは、忘れ難く思い出される部分であって、セットリストの組み方からも伝えたいことと、エンターテインメントを両立させようとするブルースの思いが伝わる点でした。



最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (中田)
2011-05-01 17:54:14
 私が最初にasburyさんのブログを読んだとき、
ボスの歌のターゲット層になるような人が書いたと
思っていました。よく読むと、かなりギャップを
感じながら過去ログに目を通しています。
 ブログをみていると
asburyさんは良い環境で
育てられたのだろうなあ、
と思いましたね。
 私のような底辺労働者の
当たり前の事を書いた歌ですから。
ボスのソングライター、エンターテイナーとしての
腕前は別として、
それほどの意味を求めることはなかったですね。
 かといって、
市場原理主義、マネタリストがどうこうとかいうのは、
絵空事の話ですもんね。
   
 
返信する
Unknown (asbury)
2011-05-02 23:17:08
中田さん
こちらで書いていることは、かなり私の経験や考え方に引き付けたものであるし、私個人の狭い価値観に偏ったものではあると思います。きっと、納得がいかないと思われる部分も沢山あると思いますし、独善的になってしまうところも多いに違いないと今回のコメントをいただいて、1度立ち止まるきっかけになりました。
おっしゃられるように、私はこの曲の中で書かれているような境遇を直接経験している者ではないので、私の想像の及んでいない部分や深読みと中田さんが思われるような記述があれば、ぜひご指摘ください。また、中田さんはこの曲のどういった部分に深い共感を覚えるのか、(或いは覚えないのか)ということもぜひお聞きできるといいなと思います。真摯に受け留める心づもりです。
返信する
Unknown (中田)
2011-05-04 13:26:16
 asburyさん、こんにちは。

 私の娘も幼児から英語を習わせて、
ボスを聞かせたいと思っています。
ですので批判をするという意味で
書き込んでいるのではないです。

  私は音楽に政治を
持ち込むことは
どのアーティストであれ
嫌いです。
 U2であれば
THE JOSHUA TREE,RATTLE&HUMでなく、
ZOOROPAに
本当の意味での音楽性を感じます。

 ただリバータリアンと
いわれる人々は支持しません。
(肩をすくめるアトラス:アインランド著に
象徴されるような米国民)
 また米国については、
移民成金ではなくて、
英国資本スファラディ系の財閥が
動かしているという見解です。
(モルガン、ロックフェラー、メロンは
成り上がりということです。)
 ただし、これらに深く触れすぎると
タブーの領域でしょうから、
大手の新聞も記事にはできません。
(JFKの切り込み方は
典型的タブーと思います。)
 
 1980年代の新自由主義
(レーガン、サッチャー、中曽根、
小泉)の犠牲になった人々が、
その基本「思想」に触れることは
少なかったと思います。
(支配層の思想ではありません。)

 日本においても、
過剰流動性相場のツケを
庶民に転化されて、
(金融政策)
小泉政権でトドメをさされた
労働者が多いと思います。

 ボスの歌に関しては、
労働階級の生活、情景を
リアルに切り取った
歌に共感をしたことはあります。

 





   

  



 





 
返信する
Unknown (中田)
2011-05-04 16:21:40
asburyさん、こんにちは。 

 10代の頃に遡りますが、
軽音部に入っておりました。
 洋楽だと HM/HR PUNK
などを好きなやつは
多かったです。
 圧倒的に多かったのは、
ブルハ、長渕、スターリンなど
どこかで聞いたことがある和製ロックでした。
 当時、スターリン以外は
キライでした。今、聞くといいもんですけどね。
ボス、U2などは99%無反応でしたね。
  
Bobby jean

利害のない友人というのは
いいものでした。 

 ただ、
さすがに10年以上たつと、
周りでは恋愛、失恋、
結婚、離婚、就職、失業など
平凡ながら
様々なドラマがありましたね。

Atlantic city
Blood brothers
Hungry heart

 などは若い頃に聞いても、
分かるようで、身にしみてまでは
分からないだろうな~と思います。
返信する
Unknown (中田)
2011-05-04 16:24:37
有名大学 → 公務員 → 専門学校 → フリーターと
信じられない人生を歩んだやつ。
 妻子を捨てて愛人に走って、「今晩、俺 夜逃げする」と
最後に言い残して本当に行方不明になったやつ。
 反対にそれなりに順調に見えるやつ。

 大阪南港のドリフト族、ハンナ道路に出没する走り屋、
そんなことやってた友達もいましたなー。
 マフラー変えてて音がうるさいし、
エアコンないし、ゴツゴツ足回りが硬いので、
あえて乗ろうとは思いませんでしたが。

 Born to run .... Racing in the street
アメ車やゼロヨンの設定は別としても、
よく分かってるし、
彼らがいいたいことを曲にしてくれたよな、
と思いましたね。


 私といえば、
今となれば良いのか悪いのか。

「ブルース好きな人に悪い人はいないというでしょ。」
え?そんなこと誰かいったのかなあ、と思いますが、
そういう人と付き合った頃もありました。

「悲しくなるのでブルースは聴きたくない。」
「あれで最後にした。」

それで二人も最後にしたんですかねえ。

 夢は叶ったのか?ですが、
叶ったと思います。

 自分の好きなこと、
経済的自立はできましたからね。

 競争社会といいますが、
知識や成果はシェアした方が
良い結果になりましたね。
 
 Asburyさんの記事を読んでいると、
ああ、そういえば
昔の仲間たちも
そういうことを考えたり、感じたり、
してたな~と思いました。

いつのまにか 
灰色に染まってしまっただけかも
知れませんが。
  
 今は、
This hard landなんかが
好きですね。
返信する
Unknown (asbury)
2011-05-05 15:14:50
中田さん
こんにちは。本当にご丁寧な返信をありがとうございました。3つのコメントを続けて読んでいると、長い時間の幅を往き来する中田さんの記憶に残っている風景の断片が垣間見える気がしました。本当は少しも知らないものなのに不思議です。

音楽と政治とは別々であるべきだという意見はミュージシャンにもリスナーにもはっきりとあると思います。私が最近、感じたのは、ある政治的主張をすると、何かそれと相容れない主張を否定することにつながりかねないという意味で、排他性が生まれてしまうという難点はあるかもしれないということでした。でも、私としては政治はすべての人が関わらざるを得ないものであるとすれば、それについて何か意見を表明するということはあって然るべきだという立場でいます。意見そのものや表明の仕方には良いと思えるものとそうでないものがあるけれど.。o○

ブルースのブルーカラーの生活を切り取ったような表現に共感された、ということですが、ブルース自身も70年代終わりから、特に80年代半ばにかけて、リバタリアニズムの台頭を肌身に感じ、それに違和感を覚えて具体的にそれとは違う世界観、価値観を打ち出したということもあったのではないかなと思います。

また、学生時代に遡ってどんな場面で、ブルースのどういった曲に共感されてきたのかというお話はとても興味深く感じました。特に私の記事が中田さんの古いお友達の気持ちを思い起こさせるものだという点は印象に残っています。私でさえ、ブルースに出会った8年前と今現在では、惹かれる楽曲や、10代の時から大好きだった曲への思いも少しずつ違ってきています。でも、もう1つ、とても心に残ったのは、たとえかつてと同じようにブルースの音楽に接していないとしても、それでも中田さんがブルースを聴き続けて、異なる曲に魅力や共感を見出し、お嬢さんにもぜひ聴いてほしいと願われているということでした。今を100%肯定できる訳ではないかもしれないけれど、中田さんのお言葉からは今のご自身に対する自負が感じられ、それにはブルースも大なり小なり貢献しているのかな、というふうに感じました。
返信する

コメントを投稿