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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Joe Klein "Woody Guthrie: A Life"

2010-09-08 00:07:51 | Rock in Books
「風と雪の中、ヒッチハイクをする北部への旅は快適とは言えなかった。しかし、天候以上にひどかったのは、アーヴィン・バーリンの愛国主義的ポップソング、「ゴッド・ブレス・アメリカ」がその冬はどこへ行ってもかかっていることだった。パンパでも、コナワでも、車の中で聴くラジオからも、ダイナーでも。ウィスキーで身体を暖めようと道端の酒場に入る度に、酔った感傷的な男がジュークボックスに5セント硬貨を放り込んではその曲をかけた。・・・「ゴッド・ブレス・アメリカ」は人々にすべては神さまがうまくはからってくれているから何も心配するな、と訴える歌だったから、何らかの返答がなされるべきだった。アパラチアの霧がかった土地を通って、北東へとヒッチハイクを進めるうちに、ウディの頭の中には一連のフレーズが形を為し始めた。」 (141, 拙訳)

「ルーズリーフの1番上に、ウディは「ゴッド・ブレス・アメリカ」と記し、最初の1節を書き始めた。

この土地は君の土地 この土地は僕の土地
カリフォルニアからスタテン島まで

そこで筆を止めると、「スタテン」を線で消し、「ニューヨーク」と書き換えた。

セコイアの森からメキシコ湾まで
神はアメリカに恵みを与えた 僕のために

それから更に5節を薄汚れたホテルの部屋で書き進めた。メロディはカーター・ファミリーの「リトル・ダーリン、パル・オブ・マイン(Little Darlin', Pal of Mine)」を使ったが、この曲はもともと洗礼派の賛美歌「オー・マイ・ラヴィン・ブラザー(Oh My Lovin' Brother)」を利用したものだ。

細く長く続くハイウェイを歩きながら
僕は頭上には果てしなく空が
足元には黄金の谷が広がるのを見た 僕は言う
神はアメリカに恵みを与えた 僕のために

あてどなく放浪を続け 僕の足跡を追いかけてきた
ダイアモンドのような砂漠の輝ける砂塵を見つけるまで
そしてある声が僕を取り囲んでいた
神はアメリカに恵みを与えた 僕のために

大きく高く聳え立つ壁が僕を行かせまいとしていた
「私有地」と書かれて
だけど裏には何も書いていなかった
神はアメリカに恵みを与えた 僕のために

日が輝きながら昇り 僕は歩みを進め
小麦畑は風にそよぎ 砂煙が巻き上がる
霧が晴れてゆく中 ある声が高らかに詠う
神はアメリカに恵みを与えた 僕のために

ある晴れた朝 尖塔の影の中
救貧院の傍で僕は仲間を見た
彼らはそこで腹を空かして立ち
僕は自問した
神は僕のためにアメリカに恵みを与えたのだろうか

ページの最後には「見たものについてしか書くことはできない」と記し、「ウディ・G」というサインと1940年2月23日という日付と場所を書いた。」(144-145, ditto)


今日は前回の続きです。ブルース・スプリングスティーンは”This Land is Your Land”は”God Bless America”への怒りの返答だと言うけれど、それは一体どういう意味なのか。それが分かるのが上に引用した部分です。特にウディ・ガスリーが曲を書いていくシーンは本全体の中でも、情景がありありと目に浮かぶような魅力的な箇所だったので、長くなりましたがすべて引用しました。前回ご紹介した、完成版の”This Land is Your Land”とは歌詞も少し異なっています。

1940年というと、アメリカは第二次世界大戦参戦を目前に控えていた時期で、士気を高め、アメリカのあり方を肯定する熱烈な愛国主義が盛り上がっていた頃でした。けれども、そうした愛国主義は無理なコンフォーミズムを強いたり、排外主義を強めるという不可避の側面を持っているにも関わらず、その現実を全く省みない能天気な”God Bless America”にウディ・ガスリーはひどく心を乱されたのでした。”God Bless America”の詞はこうです:

遠く海の向こうで暗雲が垂れ込める時
忠誠を誓おうではないか 自由の国に
感謝しようではないか このように公正な国に

アメリカに神の祝福を
私の愛するこの国に
その横に立ち、お導きください
夜も天上からの光を射して
山々から草原、
白く泡の立つ海まで
神よアメリカに祝福を この素晴らしき我が家に

ENGLISH

アメリカの現実とは何なのか、「このような公正」が「私有地」と書いた壁が通せんぼをしている場所や空腹に苦しむ人々の集まる救貧院に本当に存在するのかを、ウディ・ガスリーは問いたかった。その気持ちはこの曲を作ったずっと後になるまで、ウディの心にありました。ジョー・クラインは『Woody Guthrie: A Life』(Delta, 1980)のまえがきでウディとやはりフォークシンガーになった彼の息子アーロとのこの曲をめぐる逸話について記し、その同じ話を本の最後でも繰り返しています。きっとクラインの心も強く捉えたストーリーだったのだと思います。ハンティントン舞踏病の症状が重くなってきたある日のこと、ウディはアーロを裏庭の木の下に連れて行くと、”This Land is Your Land”の詞を教えます。その頃にはフォークリバイバルのムーブメントが既に訪れていて、ウディ自身も神話的な存在として評価され、”This Land is Your Land”を始めとする幾つかの彼の作品はアメリカで広く聴かれ、学校の教科書にも載ったりするようになっていました。けれども、”This Land is Your Land”はその核心を削ぎ落とされ、”God Bless America”に類する愛国歌と解釈されることも少なくありませんでした。ウディは曲のラディカルな部分が忘れ去られてしまうことを恐れて、アーロにその部分に込めた思いを託したのです。それ以降、アーロはこの歌を歌う機会があれば必ず「私有地」の節を抜かさず、父の意思を継いだということです。


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