goo blog サービス終了のお知らせ 

あるくくまもんの居候部屋

【期間限定?】まったりとした空気を届けます

オリジナルキャスト亡きアニメ

2023-02-11 11:36:58 | 仮想空間とゲームとアニメ
2023年2月
偉大なる声優、貴家堂子さんがこの世を去った。

多くの日本人が衝撃を受けたことだろう。
「貴家堂子さん」という名前を見て、名前を読めるのはよほどのアニメ好きか、雑学好きだろう。
「貴家堂子さん」は「さすが・たかこさん」と読む。

87歳でこの世を去った貴家さんの声は
おそらく日本人だったら必ず1度は聴いたことがあるだろう。
そう、サザエさんのタラちゃんだ。

30代でタラちゃんの子を出し始め、80代後半になってもなお3歳児の声を出し続けた大女優だ。

何か大きな病気を患っていたとかではないが、急に亡くなったとの報道である。
あるくくまもんも含めて、かなり驚いたけれど
彼女は、85歳を超えていたのだ。
冷静に考えれば、急に体調が悪くなってもなにもおかしくはない年齢だろう。

彼女が亡くなったことで、初回放送から出演し続けているのが、主役のサザエ役の加藤みどりさんだけになった。
加藤さんも今日時点で83歳だ。
いつかは、というか、まもなく出演が難しくなる日が来ることは哀しいけれども現実だろう。

もし、加藤さんがサザエさんの声を引退する日が来たら、いったい何が起こるのだろうか。


かつて、このブログでは
2021年9月20日の記事【ボイスライブラリー】で、「波平役の永井一郎さんや、フネ役の麻生美代子さん、マスオ役の増岡弘さんが相次いでこの世を去った」ことを述べている。

あれから1年半が経ち、貴家さんがこの世を去った。

ネットの世界では、既にタラちゃんの2代目声優が誰になるべきかで大騒ぎになっている。
さらには、加藤さん引退後の2代目サザエさんについても、様々な意見が出ている。


ただ。
正直な気持ちだけど。
「そこまでして、サザエさんを放送し続ける理由って何なんだろう?」って感じちゃう。
2代目、3代目の声優が劣っている未熟とかそういう話ではない。
ドラマでもアニメでもなんでも、出演者の1人が病気による降板をしたり、急逝したり、引退したりで変わることはよく起こっている。
そこに関しては「まぁ、しょうがないよね」と思える。

でも、出演者の多くがいなくなったのに、その番組だけを存続するのって何なんだろうって感じちゃう。

きっと、今見ている新しい幼い世代にとっては、これが現実で真実になっていくのだろう。

でも、やっぱり
あるくくまもんにとって
「矢島晶子さんが野原しんのすけを演じて、藤原啓治さんが野原ひろしを演じていた作品こそが」クレヨンしんちゃんであると思っているし
「大山のぶ代さん、小原乃梨子さん、野村道子さん、肝付兼太さん、たてかべ和也さんたちが演じていた作品こそが」ドラえもんであると思っているし
「水谷優子さんがお姉ちゃんを、富山敬さんがおじいちゃんを、キートン山田さんがナレーターを演じていた作品こそが」ちびまる子ちゃんだと思っているし
(以下略)

Youtubeを含めて、新しいキャストになった作品を聴かなければ、見なければ、思い出の中に声のイメージがハッキリと残ってくれているから、それでいいのかなぁと思っている。

ドラえもんも今になって思えば
「第2期ドラえもん」とか
「21世紀ドラえもん」とか
思い切って名前ごと変えていれば、年寄りも受け入れられたのかなぁなんて思っても見る。

キャストを変えてでも、何十年もアニメ作品を継続放送する必要があるのかどうか。
よかったら、あなたも考えてみてくれませんか?

チョモランマもチチチョビレ

2023-01-21 10:33:55 | 仮想空間とゲームとアニメ
街を歩いている時
ふと、自分がどっちの方角に向かって歩いているんだろうと思うことがある。

イマドキの若者はスマホでgoogle先生に聞くのだろうけれど
(そもそも、一般人は方角なんか気にしたりしないか・・・)
あるくくまもんは、太陽を見て判断することにしている。

昼間であれば、太陽が出ている方向が南であり、その逆が北で・・・と判断できる。
ただ
朝と夕方
太陽が昇り始めている時と、沈み始めている時
いつも、「あれ?こっちが東だっけ?いや西だっけ?」と迷って、答えが出なくなる。
すると、あの有名アニメの曲が脳内に流れてくる。

♪西から登ったお日様が、東へ沈~む~♪

1971~72年に放送されていた赤塚不二夫のアニメ
「天才バカボン」のオープニングテーマ「天才バカボン」だ。

当時を生きていた人だったら、必ず耳にはしていたフレーズだろう。
そして、当時を生きていた人は覚えたのだ。
♪西から登ったお日様が、東へ沈~む~♪
【その逆だ】と。
だから、あるくくまもんは、未だに
♪西から登ったお日様が、東へ沈~む~♪
だから、「東から登って、西に沈む・・・」
つまり「今は午前中だから、こっちが西か・・・」とか「今は午後だから、こっちが東か・・・」と考えるようになった。

それで、南に向かう予定が、実は西に向かっていることに気付いて、途中でどうにかなった・・・なんてこともあった。


天才バカボンと言えば、1990年に放映されていた3回目のアニメも思い出深い。
「平成天才バカボン」のエンディングテーマ、嘉門達夫が歌う「その日は朝から夜だった」が、何とも言えないほど奥が深いのだ。

♪アンパンにはアンが入ってる
♪ジャムパンにはジャムが入ってる
♪だけどウグイスパンにはウグイス入ってない

うん、そう。
本当にこれ。
メロンが入ってないメロンパンとかもね。

♪宇宙の果てから見下ろしたなら チョモランマもチチチョビレ くよくよするなよ
当時これを聴いた時、「チョモランマって何?チチチョビレって何?」って思ってたけれど、インターネットの発達した時代になってから調べたら
「チョモランマ」はチベット語のエベレストのこと。
「チチチョビレ」はチベット語の「背が低い」ことらしい。
つまり
「宇宙の果てから見下ろしたなら、(世界最高峰の)エベレストですらも、チッポケ(に見えるんだ、だから小さなことで)くよくよするなよ」
という意味だった。
フザけた言葉だと思っていたら、実は深い一文だった。

♪地球の上に朝が来る
♪みんなきょうだい あしただい あさってだーい

「みんな きょうだい」の「きょうだい」は「兄弟・兄妹・姉弟・姉妹」の意味だと思わせておきながら「今日だい」に代わっているという言葉遊び。

♪その日は朝から夜だった
題名にもなっているこのフレーズ
考えれば考えるほど、分かるような分からないような謎の表現
赤塚不二夫が書いたような、哲学的な表現な気もする。
あるくくまもんは、未だに解釈できない深すぎる言葉。

♪この世は天国 ナスがママなら キュウリはパパだ
これ、ずっと意味不明だったんだけど、最近になって「ナスがママ」が「為すがまま(周囲の流れに身を任せて生きていく)」から来ているってことを知って衝撃を受けた。

♪地球の上に朝が来る
♪負けてもいいから絶対勝とう
このフレーズって、本当に素晴らしい言葉だよね。
「負けてもいいから絶対に勝つ」
負けるが勝ちとかそういうレベルではない。
負けるんだけど、絶対に勝つ。
論理的には絶対にありえないんだけど、なんか「負けてもいい」って最初に言われると、どういうわけか「勝てそう」って気持ちになっちゃう。
本当に不思議なフレーズ。

♪愛は地球をすくい投げ
♪この世はパラダイス
これが、ある意味、すごい攻撃的な表現。
「愛は地球を救う」という言葉をかかげながら、芸能人と障害者を使って荒稼ぎをしている、日本テレビの偽善番組こと24時間テレビ
その言葉を言うのかと思いきや、まさかの「すくい投げ」
愛は地球を救うのではなく、投げ飛ばしてしまうのです。
これ以上の毒があるだろうか、いやない!
って感じのフレーズです。

いやぁ。
なんかいいなぁ。
こういう攻撃的かつ笑いのある歌があってもいいよね。


うーん。
色々と語ってはみたけれど、まとまりがない文章になってきてしまった。
あぁそうだ。
こういう時は、赤塚不二夫の名言で、締めることにしよう。
まぁ、中途半端でまとまりのない文章になってしまいましたが~~~

これでいいのだ!!!

ポケモンショックから25年

2022-12-15 11:50:01 | 仮想空間とゲームとアニメ
1997年12月16日

日本中が大騒ぎになったあの日から、明日で25年が経とうとしている。
正直な感想としては、
「ついこの前の出来事だと思っていたのに、もう25年も経っちゃったんだ・・・」だ。

こんなことを言っている間に、また25年経って、あるくくまもんはもう生きているのかも分からないくらいになっちゃうのかもしれない。
それくらい、時の流れる速さを実感している。


さて。
25年前にいったい何が起こったのかと言うと
題名にもある通り、「ポケモンショック」と後に呼ばれる事件が起こった。

当時を生きていた世代にとっては
「あぁ、あれね」と思う出来事だし
当時を知らない、まだ生まれていない若者からすれば
「ポケモンショック」という名前を聞いて、実際の事件とは異なる内容を想像するかもしれない。

何も知らない世代の人が、これを読んでいたら
ちょっと考えてみてほしい。

問題です。
1997年12月16日に起こったポケモンショックと呼ばれる事件は、いったいどんなものだったでしょうか?

当たった人にはお菓子をあげますね。

ポクポクポクポク
ちーん

はい、時間切れです。

正解は
「新作のポケモンのゲームを巡って、高校生が強盗をはたらいた」
ではなく

「ポケモンカードの転売ヤーが、新作を大量買い占めした」
でもなく

「ポケモンGOを実施中の小学生が、歩きスマホをしていて車に轢かれて死亡した」
でもなく

「ポケモンのアニメを見た人が、大量に気を失った」
という事件でした。

これを、事件と呼ぶべきなのか、事故と呼ぶべきなのかは判断が難しいんだけれど
結果的に、大量に被害者が出たから、事件と呼ぶことにしよう。


どんな事件だったかというと
ポリゴンとピカチュウが闘っているシーンで、
ピカチュウが
「ぴーか、ちゅーー!」と10万ボルトを放った時の演出が
【赤の光】と【青の光】を短い時間で何度も何度も交互に出す表現だった。
その光をテレビで見ていた多くの日本人、特にこどもたちが、光で脳を攻撃されて様々なダメージを受けた。

軽い症状の人は、なんだか分からない気持ち悪さを感じるだけで済んだけれど。
重い症状の人は、頭痛や吐き気に苦しんだり、実際に気を失った人もいた。
はっきり分かっているだけで、日本国内で数百人がポケモンショックで救急車で搬送されたらしい。

当時は、NHKを始め、多くのニュース番組でこの事件に関する報道がなされていた。
特に、さっき言った赤の光と青の光のこととかを詳細に説明していた。
あるくくまもんの記憶だと、「赤と青」だけじゃなくて「赤と青と白の3色の光が交互に」だったような気がするんだけれど、今調べてみてもそんな記述は見つからないので、思い違いなのかもしれない。

いずれにしても
1996年にポケモン赤・緑が販売され、大人気になり
1997年4月からアニメが始まり、ここからだというところで、大事件を起こしてしまった。
本当に、ポケモンを批判・非難する論調は当時ヤバいくらいに過激だった。
さらには、お得意の
「アニメなんか見ているからおかしくなるんだ」
「アニメなんかなくなってしまえ」みたいな、アニメ批判もあちこちで見られていた。

今思うと、よくポケモンは、あの批判と非難の波を乗り越えてきたよね。
あそこで負けていたら、その後のポケモンシリーズもなかっただろうし
世界で日本のアニメ、ジャパニメーションが評価されるようなこともなかっただろうし。
本当に今となってみれば、よく頑張ったんだなぁと思う。


ちなみに、1997年12月16日のあるくくまもんは
実は放送が始まったばかりの、ポケモンのアニメにすっごく興味はあって、見てみたいなぁと思っていたんだけれど。
前にも書いた、アメリカのプロレスのWWFの番組が、当時、月曜日の18:00~19:00と火曜日の18:00~19:00に放送されていて、それにハマっていた時期だったので、火曜日の18:30から放送されていたポケモンを見ることができなかったんだよね。
おかげで、被害に遭わずに済んだって奇跡なんだけど(苦笑)



もう、何年もアニメを見ていないから
現在、こども向けも含めてどんなアニメが放送されているのかも分からないんだけれど。
素敵な面白いアニメが、これからも日本国内で作られ流され続けてくれたらいいなぁと思ったのでした。


・・・そんなあなたに、ヤドリギのたね・・・

ちゅぅ・・・・・

初めてのチュウ

2022-09-21 12:09:21 | 仮想空間とゲームとアニメ
問題です。

今日9月21日は、あるくくまもんが初めてキスをした日である。
○か×か・・・

チッ・・
チッ・・
チッ・・
チーン!

正解は・・・

ぶっぶー!


まぁ、今回、こういう名前の記事を書いているんだけど
別に、あるくくまもんのキス経験について語りたい訳ではない。

不意に、学生時代の男友達のことを思い出したからだ。

一定の年齢以上の人は「初めてのチュウ」という名前を聞くと、ある曲のことを思い出すことだろう。

そう
1990年に発売された「あんしんパパ」の「初めてのチュウ」だ。

1988年から1996年まで放送されていた、藤子・F・不二雄のアニメ
「キテレツ大百科」の第4期オープニングで、後に第6期エンディングテーマになった曲だ。

聴いたことのない人は、一度Youtubeで聴いてみてほしい。

「企業秘密」として、何をしたのかは公開されていないものの

ボイスチェンジャーやら何やら、様々な機械を使って歌声を加工して作成されたのが、この曲だ。
初めて聞いた人は、この意味不明な歌声に驚いたかもしれない。


さて。
このアニソンなんだけれど
恋愛に関する歌であることや、その独特な歌声から、当時カラオケ等で物真似をする人が結構いたりした。

あの独特な歌い方で
「眠れない夜~」ではなく
「ネムレナイ~ヨ~~~ル~~~~」と歌う。
それをみんなで笑っていたものだった。


だいぶ昔なので、若干記憶があいまいなんだけど
当時、男女複数人でカラオケに行った時
誰かが急に、こんなことを言い出した。
「誰でもいいから、この中にいる、誰かに対してのメッセージを、カラオケで歌え」と。
本当に意味不明な提案だった。
ただ、まだ若かった頃のノリで、なんか、実施する流れになっていった。

そして、1番手で名乗りを上げたのが
コウ(男:仮名)だった。

コウは、迷わずに「初めてのチュウ」を入れて
歌い出したのだ。
そして、その途中で、ミヨ(女:仮名)に対して
「ミヨさんに、この歌を捧げます」と宣言し
サビのところで、一気に思い込めて

♪初めてのチュウ~
♪君とチュウ~

と熱唱をした。


そして
予想できるだろう。

歌い終えると
コウはミヨの方を向いて
「好きです。僕とお付き合いしてください」
と高らかに宣言した。

ミヨは、すっごく困った顔をしてたけれど、コウは気付かないのか、気付かない振りをしているのか、ひたすらミヨを見つめている。
周囲にいたみんなは、大興奮した後で、ミヨの答えをじーっと待っている。

そして、振り絞るようにミヨは発した。
「わ、わたし、コウくんのこと、何も知らないから・・・ま、まずはお友達から始めてもらってもいいかな?」
と。

みんなは沈黙して、コウの顔を見る。
「コウは振られたな・・・」
「コウ、どんまい」
そういう顔で見ていたが
コウだけは、嬉しそうな顔で
「ありがとう!よろしくね」と返していた。


そう。
コウ以外は知っていた。
ミヨには、超ラブラブなトシオ(男:仮名)という彼氏がいたことを・・・。
絶対にミヨがコウのことを受け入れることがないことも分かっていたし、こういう空気になることも予想済みだった。
ただ、予想に反して、コウが喜んでいたことに、みんなはビックリしていた。

その後、特にコウとミヨに進展はなかった。
一方で、ミヨとトシオが破局するという驚きの展開が待っていたんだけれど、それはもっと先、数か月後の話。


ちなみに
コウが「初めてのチュウ」を熱唱している間中ずっと
その曲チョイスと、歌い方に笑いが止まらず
みんながドキドキして2人を見ている間も、ツボってしまい爆笑し続けるあるくくまもんのことを
そこにいた誰しもが、可哀想なものを見るような目でさげすんでいたのは、これまた別の話。



あなたが初めてのチュウをした日はいつですか?

大好きな人の誕生日だったり
大好きな人と何かをした記念日ってのは
なかなか忘れられないものですね。

恋愛はゲームなのか?

2022-09-14 11:41:23 | 仮想空間とゲームとアニメ
1990年代
スーパーファミコンや、プレイステーション、セガサターンといった家庭用ゲーム機の世界で、LSG、恋愛シミュレーションゲームという分野のゲームが、男性向けに超流行した時期があった。

元々は80年代以降、パソコンの世界で作られていたものが、少しずつ家庭用ゲーム機に移植されていったものでもあった。

主人公である男の子が、学校などで出会う様々な女の子たちと会話やデートを繰り返して、卒業式などで結ばれるといった設定の作品が多かった。

代表作としては、「ときめきメモリアル(通称、ときメモ)」であり、その後も続編が作られ、同じような作品が様々なメーカーから発売され続けていった。
2000年以降、恋愛シミュレーションゲームは
「男性向け」だけではなく「女性向け」の作品もどんどん作られるようになって
学校でたくさんの男の子と会話をして、卒業式にという同じようなストーリーのものや
お嬢様である私と、執事のイケメンとの恋とか
様々なシチュエーションの作品が販売されていった。

超人気作品として大ヒットしたものから、「迷作/クソゲー」と言われたものまで様々であったが、全体としては、それなりに販売実績を重ねていった。
男の中にも、女の中にも
そういう風に、ゲームを通して、恋愛の疑似体験をしたいと思っている人が、一定数いるということだろう。

ゲームの好き/嫌いはあるだろうし。
恋愛の疑似体験をゲームでするということ自体に、賛否両論はあるのだろうけれど
恋愛シミュレーションゲームの存在自体が、悪である・・・ということはさすがにないだろう。

ただ。
そういう恋愛シミュレーションゲームにハマりすぎた人たちの中に、少し歪んだ考えを持ってしまう人が、残念ながら一定数いるらしいことが分かった。

2020年代のゲームがどういう風になっているかは明確には分からないけれど。
例えば、少し前の設定で言うと

何をする?
  勉強する
  運動する
 ▶誰かをデートに誘う
  寝る

誰をデートに誘う?
 ▶夢野さくら
  坂下充希
  野原歩

どこにデートする?
  水族館
 ▶遊園地
  近所の公園

こんな感じで、いくつかある選択肢の中から選び、実際にデートに行く。
それで、遊園地に行った後で、また選択肢が現れる。

何に乗る?
 ▶観覧車
  ジェットコースター
  お化け屋敷

乗った後で、画面に映ったキャラクターがこんな質問をしてくる。
「ねぇ、今のアトラクションどうだった?」
そして、選択肢が現れる。

 ▶すっごく、たのしかったよ
  ちょっと、つまらなかったねぇ

すると、キャラクターがこんな反応を示してくる。
「え~。そうなの?私、もっと激しいのに乗りたかったのになぁ・・・」

そして、画面に数値は表示されないものの、内部データとして
「さくらとのラブラブ度 マイナス8」みたいな処理がされる。
少なくとも、恋愛シミュレーションゲームとは、そういうプログラムによって構成されている。

やがて、攻略本が売られたり、攻略サイトが作られたりするようになる。
そして、その一覧には、こんなことが書かれていく。
「充希ちゃんは、ライブハウスやジェットコースターが好き」とか
「歩攻略ルート、遊園地⇒ジェットコースターはマイナス6、遊園地⇒観覧車はプラス17(以下略)」と。
それはそれで、面白いプログラムだなぁと思えばいいだけの話。
ゲームとして、そういう細かい設定がしてあるのは、とても素晴らしいこと。


ただ
ここで気を付けなくてはいけないのは、「現実はそう単純ではない」ということなのだ。
当然、ジェットコースターが好きな人もいれば、観覧車が好きな人もいる。
遊園地自体が苦手な人もいる。
そういう人も、いるにはいる。

でも、全てのタイミングで常に同じとは限らないのだ。
どんなに「観覧車に乗るのが好き」な人であっても
その日の体調によって「乗りたい」「乗りたくない」という風に気持ちが変わることがある。

「観覧車が好き」だから、ルンルン気分で乗ったけれど、実際に乗った結果として、すごく嫌な気持ちになったなんてこともある。
人間とはそういうものだ。
そこがゲームとは違う要素だったりする。

人間はそういう風に、【不確定・不安定な要素】が常に影響しているから、面白い。
けど、時にめんどくさい(笑)

でも、ゲームで疑似恋愛をしまくった人たちの中には、そういった不確定・不安定要素の存在に気付けず
現実の人間も、「AをしたらBという反応が返ってくる」という風に、一定のプログラムをされた生き物なのだ・・・と勘違いをしている人が一定数いるのだ。
そして、この傾向、実は男女の性差は関係ない。
男だろうと女だろうと、思わない人は思わないし、思っちゃう人は思っちゃうようだ。
ゲームではうまく行ったのに、生身の人間と付き合ってみたら、あまりにもうまく行かなくって、恋愛で苦しむらしい。

でもそれは
「ゲームはゲーム」「人間は人間」だと
別のものだと思って、割り切って経験を積んでいくことでしか、分からない感覚なのだ。
頑張ろう。



そして、もう1つ
今度は周囲を巻き込む、厄介なタイプのこともお話ししておこう。
今度は、主人公を女性にしよう。

恋愛シミュレーションゲームでは攻略できる対象が複数いる。
ヒロシくん、ヤスオくん、ヨウタくん、マコトくん、アキラくん

若干、昭和な名前ばかりだけど
5人のうちの誰かと付き合うことができる設定だということにしよう。

1回目のプレイ
ヒロシくんがタイプだから、ヒロシくんを狙おう。
デートに誘って・・・そして・・・
幸せなエンディングを迎えました。
「あぁ、楽しかった♪」

次はどうしようかな?
ヒロシくんのことが一番好きだけど、おんなじことしてもつまらないし、次はヤスオくんにしてみよう。
・・・そして、ヤスオくんとのエンディング

次は、マコトくん・・・
と、全員を攻略することができた。

ゲームの場合
「グラフィック回収率100% コンプリートしました!」みたいなお祝いメッセージが出てきたりする。
全部回収できたので、すっきり爽快「あぁ、楽しかった♪」おしまいおしまい。
となって、しばらく、そのゲームから遠ざかったりする。

ところが・・・
当然のことながら、現実世界ではそうはいかない。
「1人目を攻略したから、次は2人目を攻略しよう」なんて発想はおかしいし、周囲から受け入れられない考えだったりする。

だけど
あまりに、そういったゲームをやりすぎた人の中には
「恋愛とはゲームのようなものなのだ」
「1人1人攻略していくものなのだ」
と思うようになっている、間違った、不適切な、ゆがんだ考えをもってしまった人がいるのだ。

例えば、現実世界で
ヒロシくんに好意を持っているとして・・・
ヒロシくんは私に対して、何の興味も持っていなかったのに、最終的にヒロシくんが
「好きだ!好きだ!お前が好きだ!!!!」と言ってくれるようになった。

本来であれば
「私の大好きなヒロシくんがようやく私のことを好きになってくれて、両想いになれた。これから幸せになります♪」
というような、【恋愛のスタート】になるはずなんだけれど・・・

「よし!ヒロシ、クリア!!」
「じゃあ、次は誰のことを、私にメロメロな状態にさせちゃおうかな?」と思って、
ヒロシくんがメロメロになったことを確認した瞬間に、
ヒロシくんのことをポイっと捨てて
別の男に、自分のことを振り向かせようとする。
そんな感じの人がいるらしい。

1回だけだったら、ギリギリどうにかなるかもしれないけれど
2回、3回とこういったことを繰り返していくと異性だけでなく、同性の友人や家族を含めて、周囲の人からの信用を一気に失っていく。

「ゲームはゲーム」「人間は人間」だと
別のものだと思って、割り切っていけないと、いつまで経っても周囲から祝福される恋愛はできないのだ。
気を付けよう。



みなさん自身が、そういったゆがんだ気持ちを持っていないのであれば、それはそれでいい。
今の感覚のまま、一生を終えてほしい。

でも、既になってしまっているのであれば
今からでもいいから、変わろうとしてみたらいい。
まだチャンスは残っているよ。

そして
そんなゲーム感覚を引きずった男や女を相手に
現実世界で、恋愛を始める時は
気を付けよう。

自分の身体と心を傷つけてからじゃ遅いかもしれない。
危険を感じたら、早め早めに終わりを切り出して離れた方がいいかもしれない。


あるくくまもんは・・・と言うと。
・・・とりあえず、ノーコメントで♪

みなさん、幸せな恋愛しましょうね~

ぼーぐーどーらーえぼーん

2022-09-03 12:10:21 | 仮想空間とゲームとアニメ
2112年9月3日はドラえもん誕生日

つまり、後90年後に生まれることが確定している。
残念ながら、あるくくまもんはそこまで生きていられないけれど、もし、今テレビや漫画でドラえもんの存在を知っているこどもがいたら、長生きしてその誕生を見届けてほしいなぁって思う。

「あるくくまもん」と「ドラえもん」
両方とも「もん」がついている

「あるくくまもん」と「ドラえもん」
両方とも丸みのある体型をしている

もしかしたら、ドラえもんはあるくくまもんの生まれ変わりになるのかもしれない。
長生きした人はぜひとも
「ドラえもんの前世は、あるくくまもんと言ってねぇ・・・」と、あるくくまもんの伝説を語り継いでもらいたいものだ。

さて。
そんな、ドラえもんの前世に当たる、あるくくまもんは
最近、ドラえもんのDVDを集め始めている。

ドラえもんのDVD
いはゆる、「大長編ドラえもん」という映画シリーズだ。

1975年に漫画の1話として描かれた、1980年公開の第1作「のび太の恐竜」に始まり
9月から3月までコロコロコミックで連載され、春に映画が公開されるという流れになった第2作「のび太の宇宙開拓史」から、毎年続いたシリーズだ。

どうして買い始めたのかというと
急に、ずっと昔に見た、ワンシーンを思い出して
「あ、ドラえもんの映画を見たいな」と思ったからなのだ。

そう思うシーンが実は2つあった。
その2つのDVDだけを買えばいいんだけど
「折角、買うんだったら、全巻コンプリートしちゃおうかなぁ」
そう思って、近くにあるDVDを売っているお店を巡りに巡って、あるものを全て買い占めたのだ。
もしかしたら、当時「ドラえもんのDVDだけを買いまくっている怪しい熊がいるぞ」と噂になっていたかもしれない。


では、あるくくまもんが購入した一覧を発表しましょう。
のびたの恐竜(第1作 1980年 Get!)
のびたの宇宙開拓史(第2作 1981年 Get!)
のびたの大魔境(第3作 1982年 Get!)
のびたの海底鬼岩城(第4作 1983年 Get!)
のびたの魔界大冒険(第5作 1984年 Get!)
のびたの宇宙小戦争(第6作 1985年 まだ・・・)
のびたと鉄人兵団(第7作 1986年 まだ・・・)
のびたと竜の騎士(第8作 1987年 Get!)
のびたのパラレル西遊記(第★作 1988年 Get!)
のびたの日本誕生(第9作 1989年 Get!)
のびたのアニマル惑星(第10作 1990年 Get!)
のびたのドラビアンナイト(第11作 1991年 Get!)
のびたの雲の王国(第12作 1992年 Get!)
のびたのブリキの迷宮(第13作 1993年 まだ・・・)
のびたの夢幻三剣士(第14作 1994年 Get!)
のびたの創世日記(第15作 1995年 Get!)
のびたの銀河超特急(第16作 1996年 Get!)
のびたのねじ巻き都市冒険記(第17作 1997年 Get!)

残り3つなのだ。
もう、あちこち探し回ったからね。

・・・と、ここで、何かを思った方がいらっしゃることだろう。
特に20代以下の人は違和感を持たれたに違いない。

「え?最近だって、ドラえもんの映画あるじゃん」と。

うん。
知ってるよ。

でもね。
あるくくまもんにとってのドラえもんの映画って、2つ条件があるのよ。
1つ目は、ドラえもんの声優が大山のぶ代であること。
そして、2つ目は、藤子・F・不二雄先生が描かれた原作をもとに作られたものであること。

そういう定義なので
藤子先生が執筆途中で亡くなった「のびたのねじ巻き都市冒険記」をもって、あるくくまもんの中でのドラえもんの映画は終わりを迎えているんだよね。

だから、藤子先生が病気のために漫画を執筆できず
アニメ版スタッフのオリジナル作品として作られた、「のびたのパラレル西遊記」は、あるくくまもん的にも、公的にもカウントはされていない現実。


その昔
ある人から「大山のぶ代って、あの気持ち悪い声の人だよね」と言われて、ガチで殺意を抱いたことがあったけれど。
それくらい、自分の中では大切な存在。

世代間格差なんだってのは分かっているけれど
やっぱり、譲れないことは譲れない。
「さーつーいー」

別に水田わさびが嫌いなわけでもないし
水田わさびが演じるドラえもんに不満があるわけでもない。

ただ単に
自分が愛したドラえもんの映画は、20年以上前にいなくなっているというだけの話。

さて。
そんな、しんみりする話をしたくて今日はドラえもんのDVDの話題を語っているのはない。

お気づきの通り
現時点で17本の映画のうち3つだけがまだ入手できていないのだ。
「鉄人兵団」「宇宙小戦争」「ブリキの迷宮」
これは実に心苦しい。

コンプリートできていないことが気持ち悪いんじゃない。

もう一度、さっき言ったことを繰り返すね。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
急に、ずっと昔に見た、ワンシーンを思い出して
「あ、ドラえもんの映画を見たいな」と思ったからなのだ。
そう思うシーンが実は2つあった。
その2つのDVDだけを買えばいいんだけど
「折角、買うんだったら、全巻コンプリートしちゃおうかなぁ」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

実は
この2つってのが、「宇宙小戦争」と「ブリキの迷宮」なのだ。
どうして、自分が求めているもの以外のものばかり手に入るんだろう?
そんな謎めいた気持ちで胸がいっぱいなのだ。

もちろん、amazonさんの力とかを借りればすぐに手に入るんだけど。
そういうつまらない方法は取りたくないんだよね。

早く、全巻コンプリートしたいな。

そして、あの2シーンを、一人でまったりと見たいなぁ。

一体、いつになったら、その日は来るのだろうか?


あぁ、我が後世のドラえもんよ。
今すぐ、未来からあるくくまもんのもとへ、この3つのDVDを送り届けてくれたまへ。

もすかう

2022-08-29 11:37:02 | 仮想空間とゲームとアニメ
先週
2004年頃に「のまのまイェイ」が流行した話を書いたけれど
当時のflash空耳動画で、のまのまと双璧をなしていたのは「もすかう」だったと思う。
のまのまに続き2005年頃に作られた動画で
あるくくまもんは2日に1回は、のまのまを
1日に2回は「もすかう」を見ていた記憶がある。

それだけ、自分の中でとても衝撃的で
すごく面白いと感じていたんだろうね。

元々は、ドイツの人気ユニット
ジンギスカン(Dschinghis Khan)のMoskauという歌で
ロシアの首都、モスクワのことをイメージして歌った曲だった。

ジンギスカンのことを語り出すと、ちょっと文章が長くなり過ぎちゃうので、また次の機械に譲るとして・・・。
日本でも1970年代から90年代にかけて、ジンギスカンの小さなブームが断続的にやってきていたこともあって、2005年頃の日本人にも耳にすぐなじんだんだと思う。

ドイツ語読めない人には意味不明かもしれないけれど
ちょっとドイツ語の歌詞と、日本語の空耳を並べて書いてみよう。

★★★★★★★★★★★★★★★
Moskau Fremd und geheimnisvoll
もすかう 塩分 毛はえるんすか?
Türme aus rotem Gold Kalt wie das Eis
爪をそっとポイッ なぶりなさい
Moskau Doch wer dich wirklich kennt
もすかう ゴスペル許せん
Der weiß, ein Feuer brennt In dir so heiß
出川さ ほいや変 インゲン崇拝

Kosaken, hey, hey, hey, leert die Gläser (Hey, hey)
お酒 へ、へ、変な事件さ
Natascha, hah, hah, hah, du bist schön (Hah, hah)
わたしゃ は、は、春です
Towarischtsch, hey, hey, hey, auf das Leben (Hey, hey)
回れ へ、へ、変なスティーブン
Auf dein Wohl, Bruder, hey, Bruder, hoh (Hey, hey, hey, hey)  
またボートでへーほらほー

Moskau, Moskau, wirf die Gläser an die Wand
もすかう もすかう 夢見るアンディさん
Russland ist ein schönes Land, ho-ho-ho-ho-ho, hey!
おっさんですか?シャアですか? ほほほほほ へい!
Moskau, Moskau, deine Seele ist so groß
もすかう もすかう 大事な一寸法師
Nachts, da ist der Teufel los, ha-ha-ha-ha-ha, hey!
無くしたりしたら大変よ ははははは へい!
Moskau, Moskau, Liebe schmeckt wie Kaviar
もすかう もすかう 指先カーリーや
Mädchen sind zum Küssen da, ho-ho-ho-ho-ho, hey!
便所戦争 決戦だ ほほほほほ へい!
Moskau, Moskau, komm, wir tanzen auf dem Tisch
もすかう もすかう とにかくあっかんべー
Bis der Tisch zusammenbricht, ha-ha-ha-ha-ha
ピザ実質3000円 ははははは
★★★★★★★★★★★★★★★

おそらく、何も知らない人は
意味不明な日本語の羅列に感じられることだろう。

ドイツ語を読めて理解できる人には
「ドイツ語に対する侮辱だ!」と思うことだろう。

そして、当時flashを見て興奮していた世代には
「あぁ、懐かしい」と思うのと同時に
「ちょっと歌詞が違うんじゃないの?」って思うことだろう。

のまのまと同じで、色んなバリエーションの作品が、様々な作者によって作られて行って
「なぶりなさい」ではなく「かえりなさい」のものもあれば
「出川さ ほいや変」ではなく「出川 散歩 いや変」というものもあれば
「とにかくあっかんべー」ではなく「とにかく開けて」というものもあった。

多分、自分が見ていたお気に入りの作品によって、自分の思う「正しい歌詞」ってのは違うんだと思う。



2005年 Youtubeが生まれ、2007年に日本語対応になり、動画がどんどん投稿されるようになり
ネットで自分の作品を見せる場所は、Youtubeへと移っていった。
同時期にYoutubeと双璧をなしていたニコニコ動画も、様々な理由で衰退していって、今ではその存在を知らない若者も多くなっている。
flashが完全に消えて、ニコニコ動画も衰退しきって、Youtubeの独り勝ちになっている。
・・・かと思いきや、今の若者の中には、Tiktokのような短い動画を見るか、Youtubeを2倍速で見るかという習慣が身についているようで、10分以上の作品をゆっくりと見ることもなくなってきているのだと聞いた。

もしかしたら
2032年頃には
「あぁ、昔はYoutubeなんで、長い動画を流していたサービスもあったねぇ」なんて思う日が来ちゃうのかもしれない。
25年前の1997年には、誰もが持っていたポケベルを、今や誰も持っていないように
2007年に始まったYoutubeも、25年後の2032年には誰も利用しないなんてことが起こらないとは言えないよね。


うーん。
「もすかう」の話をしようと思っていたのに、いつの間にかネット業界のソフトの話を語ってしまっていた。
また、いつかジンギスカンの曲について熱く語ることでどうにかしよう。

それよりも
2005年頃に、のまのまともすかうの他に、同じように少し流行していたFlash動画が・・・
何かあったような気がするんだけど。
それが思い出せないのが、ちょっと気持ち悪い。
何だったっけなぁ?
そもそも、なかったとかなのかなぁ?

ゲームを買い与えるべきか

2022-06-08 10:51:28 | 仮想空間とゲームとアニメ
数年前のこと
職場のとある女性からこんな相談をされたことがある。

「息子にゲームを買うべきかどうかで悩んでいる。どうするべきだろうか」と。

あるくくまもん自身、ここでも何度か話しているように、結構ゲームをやっていたものだった。
大人になっても、まぁそこそこやっているものの、残念ながら自由な時間が無くなってきて、集中して何時間もやることはできなくなってきている。

そんな、あるくくまもんだからこそ。
お姉様から聞かれた時に、すぐに答えた。
「買わない方がいいですよ」と。

理由を聞かれたので、率直に答えてみた。
「ゲームはなきゃないで生きていけます。でも、一度ハマると、ゲームしかやらなくなるのです。それが人間というものです。だから、買う時期が遅ければ遅いほど、依存症にならずに済みますよ。」

「早い時期にゲームの楽しさを知ってしまったら、学校から帰ったらまずゲーム。仕事から帰ったらまずゲーム。今日も明日も明後日もゲーム。
ゲームゲームゲームの人生になってしまいますよ。そして、お外で遊ばなくなって、どんどん、くまもももももももももももーんな体型になっちゃいますよ。それでもいいなら買っちゃえばいいんじゃないんですか?」

そんな、あるくくまもんの熱いトークを聞いて
彼女は「やっぱりやめるわ。聞いておいて良かった」と喜んでいた。
ただ
「やっぱり、ゲーマーの意見は信憑性があるわね」と言われたのだけは、ちょっと納得がいかなかった。
あるくくまもんの男友達に、かなりのゲーマーがいる。
仕事以外の時間はゲームに費やしているような男だ。
ゲーマーの真実を知っているので、ちょっとゲームをやっていただけで「ゲーマー」と呼ばれるのは、本物さんたちになんか申し訳ないのだ。
ちなみに、そんな彼だけど。
「俺は、本当のゲーマーになれるかなれないかの境界線まで行ったけれど、その先に行くのを踏みとどまった。今でも越えなくて良かったと思っている」
と言っていた。
どうして、本当のゲーマーになれるチャンスがあったのに行かなかったのかを問うと
「あいつらは、本当に文字通りの【廃人】なんだよ。もう、一度廃人になったら、現実世界には戻って来られないんだよ。俺はそういう廃人になったやつらをたくさん知っている・・・」
どこか遠くを見つめながら彼はそう答えていた。

そんな廃人さんたちにも申し訳なさを感じた。



そういえば。
職場でゲームと言えば・・・。
とあるおぢさん
彼は昔、ゲームというものをたいそう毛嫌いしていた。

誰かがプログラミングしたゲームを楽しむという発想自体がもう意味不明
世の中にはたくさん色んな刺激がある。
人間が作り出したプログラムしたものにはかなわない
いつ何が起こるか分からない

そんな素敵な、自然という魅力的な物の存在を見失うようなプログラミングされたゲーム
それを、やらせてはいけない。
うちのこどももゲームが欲しいって言ってるけど、絶対にゲームを買わないし、やらせたくない

そんなことを熱く語っていた。



それから数か月後のこと
最初に言った女性は、どうやら自分のこどもにゲームを買い与えたようだった。

あれほど言ったのになぁと思いつつ
彼女にゲームを買った理由を問うと
「どうしてもこどもが欲しい欲しいと強く望んでいたので買っちゃった」のだという。
そして、続けてあるくくまもんに愚痴を言ってきた。

「この子、本当に学校から家に帰ったら、ゲームゲームゲームで、ゲームばっかり。宿題もやらずにゲームばっかりやっている。もうどうしたらいいのかしら?」

あるくくまもんは困った顔で返事をした。
「だから言ったでしょ。」

とまぁ、それが真実なんだけど、母親を責めてもしょうがない。
人間の心理なんて結局は単純なのだ。
そう
人間とはそういうものなのだから。


さて
1年以上が経ったある日
とあるおぢさんが、新作のプレステを購入したという話が耳に入った。
そして、おぢさんは満面の笑みであるくくまもんに近付いてきて、こう熱く語っていた。

「あるくくまもん、知ってるか!
 新作のプレステはなぁ。こんなにリアルでこんなに面白いゲームがあるんだぞ。知らないだろう!?」
と。

あれほど、プログラムされたゲームに人間がもてあそばれることを心から拒んでいたおぢさんだったが・・・・
見事にゲームの世界に溺れてしまった。
どんな熱い教育哲学を持っていたとしても、溺れる時には欲望に溺れるのだ。
そう。
人間とはそういうものなのだから。

果たして
あの家では
おぢさんのこどもがゲームを楽しんでいるのか
それとも
あのおぢさん自身が
人間が作り上げたプログラムをしたゲームにもてあそばれているのか
一体どっちなのだろう。


ゲームはとても楽しいもの
程良い距離感をもってかかわっていれば、とても意味のある素敵なツールだ。
程良く遊ぼう。

ゲーム「で」遊ぼう
ゲーム「に」遊ばれるようでは、元も子もないのだから。

どうか、この文章を読んでいる人が
廃人にならないことを心から願っていますね。

おにぎりおじさん

2022-06-04 11:15:29 | 仮想空間とゲームとアニメ
あるくくまもんが今よりも若かった頃
女の子向けの「おジャ魔女どれみ」というアニメが放送されていた。

あるくくまもんは、そのアニメを見たことがないのに、なぜ知っているかというと
何かの番組でそのオープニングの歌を耳にして、それがすっごく気になったんだよね。

で、何回かアニメのオープニングだけ見ていた時期があった。

あるくくまもんって、そういうの昔から多いんだよね。
アニメでもドラマでもそうなんだけど
主題歌が気になっちゃうと、CDを買うことはしないで、その番組のオープニングだけ見て/聞いて、本編は見ないというパターン。

その、おジャ魔女どれみっていうのも
だから、どんな話かさっぱり知らない(笑)
なんかカラフルな衣装を着た幼い女の子の魔法使いたちが活躍する物語なんでしょ?
それくらいの知識しかない。
もはや、知識じゃなくて、印象でしかない、ね。


ふと気になって調べてみたら
1999年に放送されていた「おジャ魔女カーニバル」というシリーズ第1作のオープニングだった。
・・・もう20年以上前だった。

1番のサビには
♪大きな声でピリカピリララ
♪はしゃいで騒いで歌っちゃえ
♪パパママせんせ ガミガミおじさん
♪「うるさーい」なんてね 火山が大噴火

ってところがある。
最初、テレビで見た時には字幕がついていなかったので、
「ピリカピリララ」っていう呪文(?)も聞き取れなかったし
「ガミガミおじさん」の「ガミガミ」ってところも聞き取れなかった。

当時はまだインターネット黎明期で、簡単に検索できるような時代じゃなかったから、歌詞は分からないままだった。
で、実際にアニメの字幕付きオープニングを見て
「あぁ、ピリカピリララって言ってたんだー」とか
「あぁ、ガミガミおじさんって言ってたんだー」とか思ったものだった。


さて。
今日は、この「おジャ魔女どれみ」について熱く語る訳じゃない。
というか、さっきも言ったけど、アニメ本編を1回も見たことないので、語りたくても全く語れないのだ。
もし、この記事を見ている、本当のファンの方がいたら、あらかじめ「ごめんなさい」と言っておきます。

今から話すのは、1番のサビにある「ガミガミおじさん」というところ。
さっきも言ったように、あるくくまもんは歌詞を聞き取れなかったので、未だに頭の中に「ガミガミ」という言葉がしっくりきていない。
勝手に脳内補完されてしまったために
いつの間にか
「パパママせんせ おにぎりおじさん」という歌詞が正しいものだと思っているのだ。

「おにぎりおじさん」
何とも言えないフレーズだ。
我ながら、どうしてこんな言葉を生み出してしまったのか。
実はそのきっかけは、前の職場で働いていた頃にある。

当時、実家から電車に乗って1時間以上かけて、前の職場に通っていたんだけど。
その時、いつも電車の中で近くにいたのが「おにぎりおじさん」だったのだ。

昭和を生きた人であれば、ランニングシャツを着て、「お、おにぎりが食べたいんだな」とつぶやく、放浪画家山下清を演じた蘆屋雁之助を思い出すかもしれないが、そういうことではない。

あるくくまもんの近くにいた、そのおじさんは
なんと、顔がおにぎりだったのだ。

別に顔がアンパンで出来ているアンパンマンのように、本当に米と海苔で出来ていた訳ではない。
でも・・・
🍙🍙🍙🍙🍙🍙🍙🍙🍙🍙🍙🍙
↑ここに、おにぎりの環境依存文字を大量に載せました。
見られる人だけに見られる状態になっています。
見られない機種の人はごめんなさい。

この🍙と、顔の形がまったく同じだったの。
もう、そのおじさんに一目会った瞬間から
「おにぎりおじさんだ!!!」って思っちゃったんだよね。

それから1年間くらい、おにぎりおじさんの生態系について観察する日々が続いていた。

おにぎりおじさんは、どうやら長年、その時間のその車両に乗り続けているようで
いつも同じ席に座ろうとしていた。
その席が空いていないと、少し横の別の席に
その席も埋まっているとさらに・・
といった感じで、自分なりの座る場所のルールがあるようだった。

ある日、いつもより少しだけ家を出る時間を早めて、おにぎりおじさんよりも早く駅のホームで待っていると・・・
あるくくまもんの後ろに、おにぎりおじさんが並んだ。
他の場所もすいているが、やっぱり自分の場所があるのだろう。

電車がつくと、あるくくまもんは気にせず、おにぎりおじさんが「座るべき」席に何食わぬ顔で座った。
すると、おにぎりおじさんは別の席に座りにいった。
でも、冗談抜きであるくくまもんは感じていた。
おにぎりおじさんから発せられる、殺意にも似たものを・・・。
ガチで1分くらい、視線を感じていたんだよね。
試しにやってみたこととはいえ、ちょっと恐怖だった。

もはや、おにぎりおじさんにとって、座る場所ってのはこだわりだったんだろうなぁ。
あるくくまもんがいなくなったから、きっと今は毎日安心して、あの席に座っているのかもしれない。
いや
前の職場で働ていた頃が、もうだいぶ昔だから、既に引退して余生を楽しんでいるもかもしれないなぁ。
おにぎりおじさんよ、永遠に!!!



そういえば・・・
昔、おジャ魔女どれみが大好きで、その愛を熱く語りすぎて、女子たちからドン引きされていた男の子の後輩がいたなぁ。
久し振りに思い出した。

今も、彼は元気に生きているかなぁ。
そして、今でもおジャ魔女どれみへの愛を語っているのかなぁ。

車内で手を握るカップル

2022-05-26 12:36:23 | 仮想空間とゲームとアニメ
ある夜のこと
電車に乗って帰宅の途についていたあるくくまもん

その日はどういう訳か、乗客が少なくて
車両の中に、自分を含めて6人しか乗っていなかった。

あるくくまもんの少し左には、中年の女性が2人
中年の女性の前、つまりあるくくまもんの左斜め前には20代半ば~30歳くらいの若いカップルが2人
そして、4人のはるか向こうには、見ているだけで凍えてしまいそうなくらいのミニスカートを履いた若いギャルが1人いた。

夜景を見ながら、ボーっと考え事をしていたあるくくまもん
「今夜は何を食べようか」
「明日は何をしようか」
そんな非生産的なことばかり考えて、心をリフレッシュしようとしていた。

不意に、斜め前に座っているカップルを見ると
スマホかNintendo Switchか分からないけれど、なにか携帯ゲームで遊んでいる。
どうやら、2人で連携して同じゲームに興じているようだ。

電車の中で、同じゲームをしてカップルが楽しい時間を過ごす
なんかイマドキの光景だなぁとか思っていた。
すると、おもむろに彼氏が自分の右手を彼女の方に伸ばし、彼女の左手を握った。
彼女もそれに気づき、握り返した。
そして、ぎゅ~~~~~~~~~~~っと握り合って少し、手を上下に振り回している。

そんな様子に気付いたのか
隣にいた中年女性たちが、急にクスクスケラケラと笑い出した。
そりゃそうだろう。
人が少ないとはいえ、公共交通機関の中で手を握り出している若いカップルを見たら、気になってしまうのはしょうがない。
普通の感覚だったら
「こんなとことで、イチャイチャしてんじゃねーよ!!!」
と小さい声で言うところだろう。

実際、声は聞こえなかったものの
中年女性たちは、そのようなことを言っていたんだろうなぁなんて思ってみた。

ところが、普通の人間ではない、変熊のあるくくまもん
「こんなとことで、イチャイチャしてんじゃねーよ!!!」
とは思わなかった。

もっと別のことに気持ちが向いていたからだ。

それは、握り合っていた彼氏の右手と彼女の左手ではなく。
彼氏の左手と彼女の右手だった。

そう。
ただ、電車の中でカップルが手を握ってイチャイチャしていたという話ではない。
さっきも言っていたように、2人はそれぞれ携帯ゲームを操作しながら手を握り合っていたのだ。
彼氏の左手には携帯ゲームがあるし
彼女の右手にも携帯ゲームがある。

ゲームをやっていて、途中でイチャイチャしたくなってゲームを止めてイチャイチャして・・・
満足したらまたゲームを再開・・・というのなら理解はできる。
しかし、彼氏は左手だけで操作をしながら右手でイチャイチャをして
彼女も右手だけで操作をしながら左手でイチャイチャをしていたのだ。

だから、あるくくまもんの心の中は、
「すっごーーーーーーい!!どうやって、片手でイチャイチャしながらもう片方の手でゲームができるの!?」
でいっぱいだった。


別にずーっと見続けていた訳じゃないから、実際はどうか分からないけれど
どうしても視界に入り続けたので、認識せざるをえなかったんだけど。
30分近く2人は手を握ったままゲームを続けていた。

やがて、自宅があるのか、とある駅で2人は降りていき
携帯ゲームをカバンにしまって、手をぎゅっと握って、すっごく強く振り回しながら帰られていった。
その光景は、普通の若い幸せそうなカップルだった。

あるくくまもんは心から羨しいと思っていた。

えっ?
「あんな感じで人前でイチャイチャしたいなぁ」
とかじゃないよ。

「あんな感じで、右手と左手で別の活動を同時進行できるようになりたーい!!」
だよ。

本当にそう思う。
あるくくまもん自身がとても不器用で、上手に身体を使いこなせない生命体だから。
もはや人間業に見えない。
あるくくまもんがおかしいだけで、一般人ならみんな誰でもできることなのかなぁ?
それとも
スマホを当たり前に使える若者だったら、みんな誰でもできることなのかなぁ?
それが個人的にすごく気になった。

もし、この記事を読んでいる皆さんの中で
どうしたら、この「芸」が「技」ができるようになるのか、分かる人がいたらぜひとも教えてほしいです。



そんなことを言いつつも。
今になって冷静に考えてみると
彼氏は、彼女の手を握りながらも、1分ごとくらいに車内をキョロキョロと見ていた。
そのたびに、あるくくまもんは目をそらし、隣にいた中年女性たちも声を潜めていた。
恥ずかしいとかそういう気持ちがあるなら、止めればいいのに・・・。
でも、止められないんだね。
そうだよね。
好きな人がすぐそばにいたら、触りたくなっちゃうものね。
恋だね!
若さだね!!
青春だね!!!
そんなことを考えちゃうのは、年を取った証拠(笑)

そして
彼女の方は、と言うと
一切周囲に目を向けることもなく、30分近くずっとゲームに集中していた。
うん。
こういう時、男と女では違いが出るよね。
男は
「触りたいなぁ。でも、触ったら怒られちゃうかなぁ。でも、触りたいなぁ」とか
「触りたいなぁ。でも、周りの人に見られちゃうかもなぁ。変な目で見られたらいやだなぁ」とか
そんなどうでもいいことを考えちゃうもの。
でも、女は
「大丈夫だよ。私もあなたと触れ合いたかったの」とか
「そんな小さいこと気にしてるんじゃないの。堂々としてなさい。ぎゅー」とか
そんな強い意志を持っているもの。
人間全員がそうであるとは限らないものの、往々にしてそんなものだと思っている。


と熱く語ってみたものの・・・。
実は、このカップル2人とも右利きで
右手が残っていた彼女は、どうにかプレイできていたけれど
左手しか残っていない彼氏は、うまく操作できずに、集中が定期的に切れていただけ・・・なのかもしれないと思えてきた。



まぁ、結局のところ、何を言いたいのかと言うと・・・
「いいなー、車内でイチャイチャできて羨ましいなー!」
でもなく
「男と女は本質的に違う感覚を持っているのである」
でもなく
「同時に2つ以上のことをできる能力が欲しいなぁ!」
なのでした。

アキバの裏の裏まで知っている?

2022-04-11 10:31:46 | 仮想空間とゲームとアニメ
秋葉原という街は
この50年間くらいの中でも、大きくその色が変わっていった街の1つだろう。

あるくくまもんが知っている限りで言うと
2000年ごろまでは明らかに「電機の街」だった。
何か新しい家電が欲しかったら
何かいい家電が欲しかったら
家電を安く買いたかったら
とりあえず秋葉原に行けば、なんでも安く手に入る。
20世紀の秋葉原はそういう街だったはずだ。

1990年ごろに流れていた、サトームセンのCMを、たまに思い出すことがある。
2頭のジャガー「じゃがお」と「じゃがこ」が歌いながら、クネクネと踊る謎のCMだ。
当時聞いていた時は
「たしかめよーみつけっよーお!すてきなさむしんグ!!!!カモン
 あなたの※KRS秋葉原さとーむ 1000! フワッ!」
何を言っているのかが分からなかった。
やがて、サトームセンが業績悪化で潰れて、CMも流れなくなったんだけど。
ある時、不意に思い出して
「確かめよう 見つけよう 素敵なSomething! Come on!
 あなたの近所の秋葉原 サトームセン! フワッ!」
ということに気付いて、自分でビックリした思い出がある。

サトームセンって名前の意味が分からなくて
「サトームってなんだろう? ストーム(嵐)と関係があるのかな?」
「サトームが1000個あるってどういう意味だろう?」
とか、そんなことを考えていたけど。
いつだか、まだ潰れる前の秋葉原に行った時に
秋葉原駅前にでかでかと「サトー ムセン」っていう看板があるのを見て
そこで切るのか!!!と驚いたのはいい思い出。
今でこそ、Wikipediaですぐ検索できるけど、当時はそんなものなかったからね。
「佐藤さんが、無線の機械を売る会社を作ったから、サトームセン」
冷静に考えれば、とっても単純な話だった。


ただ、そんな光景も今は昔
1990年代後半ごろ、おそらく、1995年に新世紀エヴァンゲリオンが放映された前後頃なんだろうけれど
あの頃から、急に秋葉原は「電機の街」ではなく「オタクの街」へと変わりつつあった。
元々、昔から「アキバ」っていう呼ばれ方はしていた気がするけれど
テレビとかで普通に「アキバ」っていう言葉が流れるようになったのも、この頃だった気がする。
どんどん街は、アニメと同人誌に染まっていき、昔からあった電機店はどんどん閉店したり、1つ2つ裏の通りに移っていった。
さっき言ったサトームセンに代表される「●●無線」みたいな名前のお店もどんどんなくなっていった。

そして、2005年
茨城県のつくば市と秋葉原をつなぐ、つくばエクスプレスが開通したことをきっかけに、秋葉原の駅前はどんどん再開発されていった。
駅前にヨドバシ電機秋葉原駅前店、つまりヨドバシアキバができた時は衝撃的だった。
もう、かつての秋葉原駅前と姿かたちが大きく変わってしまっていた。
2000年以降に生まれた人にとっては、もはや、あの姿こそが秋葉原駅前になっているのかと思うと、少し恐ろしく感じる。

その後も、定期的に古いビルが壊されて、新しいビルが作られている。
あるくくまもんは、1年に多くて2~3回くらい秋葉原に行くことがあるんだけど
行くたびに、建物が変わっていて、迷子になりかけることが続いている。
これからも、秋葉原は姿を変え続けていくのだろう。


さて。
話は一度、あるくくまもんの若い頃に移る。

あるくくまもんは学生時代、よくクラスメイト達からこんなことを言われていた。
「あるくくまもんは、秋葉原の裏道にあるお店の全部を把握している」
だとか
「あるくくまもんは、自分でPCを作ることができる」
だとか

そう。
あるくくまもんは、自分ではさっぱり分からないのだけれど
実際にあるくくまもんに会った人たちは、口をそろえて言う。
「見るからに、パソコンとか得意そう」と。

いや。
オタクオーラがぷんぷんする見た目であることは分かっているよ。
オタクなんだろうなぁって思われちゃうことは理解できるよ。

でもね。
あるくくまもんはね。
一般的な人以上に、パソコンのこととか、ネットのこととか分からないんだよ。
本当に分かってない。

時間軸を一気に2021年まで戻しちゃう。
実際には2020年か21年か忘れたけれど、ある時期から、職場のあるくくまもん専用のPCが、急に変になった。
一度起動すれば問題なく使えるんだけど
朝来て、起動ボタン(Φ←こんな感じのやつね)を押すと・・・
数年前は10秒くらいで付いていたんだけど、急に10分くらいしないと画面がつかなくなった。
すごい焦った。

で、ネット上で色んなことを調べて、ありとあらゆる方法を試し続けたものの、何をやっても直らない。
PC上のデータを大量削除して、不要なプログラムをアンインストールしまくって、中身をすっからかん寸前までにして、シャットダウンしてもう一度つけ直しても・・・
何も変わらない。

そんな日々が数か月続いていて・・・
ある時、シャットダウンするつもりが間違って、「再起動」を押しちゃったことがあった。
「あぁ、今から帰ろうと思っていたのに、再起動するのも10分かかっちゃうじゃん!帰るのが10分も遅くなるじゃん!」
・・・そう思っていたら・・・
まさかの1分くらいで急に再起動完了・・・

えっ?
何か違和感があったので、もう一度「再起動」ぽちっ
・・・1分で再起動した。
あれ?
それから、あるくくまもんの職場のPCは20秒ほどで起動するようになったのでした。

そう。
「シャットダウンをして、起動ボタンを押して起動する」と
「再起動をする」という2つの行動
これは全く同じものだと思っていたんだけど、実はまったく別のものだったのだ。
数か月前に重くなった時に、1度再起動をしていれば、きっとすぐに問題解決していたのだ。
それくらい、あるくくまもんは、パソコンに関する知識がない。

これだけ、熱く語っておいて
結局、何を言いたいかと言うと・・・。
それくらい、あるくくまもんは、パソコンに関する知識がない。
これだけは、どうかみなさん、理解してください。


この2年間
コロナの影響で、TeamsやらZoomやら、他にも数えきれないほど、様々なネット上のツールが使われるようになった。
あるくくまもんは、新しいものについていくので精いっぱいなのだ。
でも、何も知らない人が
「あるくくまもんに聞けば教えてくれる」と勘違いして聞いてくるので、本当に困った困ったなのだ。

そういうのは、本当にネット知識を知っている人に聞いてください。
よろしくです。

ネクストストップ砦岩

2022-03-26 13:41:03 | 仮想空間とゲームとアニメ
「次は~とりで~いわ~ とりで~いわ~」
「ネクスト! ストップ! トリデ・・・イワ!!!」

雨のしとしと降る日は、不意にこのアナウンスが脳内で何回もリフレインする。

ネットで調べてみると、あるくくまもんと同じように、この同じフレーズを思い出す人がそこそこいるようで、ちょっとだけ嬉しい気持ちになる。

これは
1991年に放映された、大長編ドラえもん「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」と同時上映された「ドラミちゃん アララ・少年山賊団!」の冒頭のシーンで流れる言葉だ。

セワシくんに呼ばれ、ドラミちゃんが22世紀の道を歩く
駅の巨大なエスカレーターを降りると、21エモンのゴンスケがさりげなく隣のレーンを降りている。
天井には、ドラえもんみたいなのがぐるぐる回っていて
「一家に一台、耳付きスーパードラえもんをどうぞ」と放送が流れている。
ホームで電車を待つドラミちゃんの横で
食べた直後に男の子が爆走する「SUTTOBIフレーク」のCMが流れている。
「手前川駅」からやってきた電車が「花田橋駅」に着く。
電車の中で、冒頭に行った「次は~」のアナウンスが聞こえる。
すると、雨が降ってきて、画面が引いて、22世紀東京が映り、映画の題名が現れる中、右の方で、お店の天井にある野球のユニフォームを着た人形(ホログラム?)がバットを振って、激走して、スライディングをして、またバットを構える姿に戻る。

そんなオープニング90秒のシーンだ。

話のあらすじとしては
セワシが「のび太よりも、もっとダメなご先祖様がいる。ドラミちゃん、過去に行ってそのご先祖様をどうにかしてきて」と言ったので
ドラミちゃんが、ロボットのアララと2人で1580年、戦国時代の日本へ向かう物語だ。
「のび平」「お静ちゃん」「スネ丸」「たけ蔵」といった、それぞれのご先祖様が出てくる。
領主の一人息子であるスネ丸と、平民ののび平、たけ蔵とその仲間たち
スネ丸の家で女中(今で言う家政婦やメイド)として働くお静ちゃんに、ドラミちゃんやアララがかかわって、色んな出来事が起こる。

エンディングを含めて、ほんの40分なのに、2時間モノを見たかのような錯覚に陥る、濃いアニメだ。


なんで、そんな30年以上も前のアニメのシーンを詳細に覚えているかと言うと
当時、テレビ放映された時に、ビデオ録画して、何回も何十回も、何百回も見返していた。
インターネットもDVDもまだ存在しない時代
思い返せば、当時は何度も録画したものを見ていたなぁと。
おかげで、30年以上経った今でも、記憶の奥深くに詳細に刷り込まれている。

2020年代を生きるこども達の感覚で言うと
お気に入りのYoutubeを何度も何度も見る感じかな?
そもそも、今のこども達は同じものを繰り返し見るということは、するのかな?
今度、身近なこども達に聞いてみよう。



さて。
偶然、検索でやってきて、あるくくまもんと同じ感覚を共有してくれる人向けに、ちょっとだけ濃い話をしよう。
半分くらいは見たこともない人にも理解してもらえるように、頑張って補足説明をするつもりだ。

冒頭のドラミちゃんとセワシのシーン
ドラミちゃんが過去に旅立った後に、セワシはドラミちゃんが用意してくれた野菜たっぷりのご飯を食べることになる。
そして、セワシが
「椅子!テーブル!」と叫ぶと
床から椅子が出てきて、壁からテーブルが出てきて、セワシは食べ始める。

当時のあるくくまもんは、未来の世界ではこうやって口にするだけでモノが動くようになるんだなぁと思っていたものだった。
21世紀になって、スマホで音声認識システムは浸透してきたけど、まだ物がスムーズに動くまでには至っていない。
22世紀まで生きられないあるくくまもんだけど、生きているうちに、「椅子!テーブル!」は体験してみたいなぁって思う。


領主の息子のスネ丸
最初に登場した時には、20歳くらいの女中さん5人に囲まれている。
目隠しをしたスネ丸が「どこだ?捕まえてやる」と言いながら、女中さんを追いかけまわしている。
わざと転んで、5人が集まってきたところ、「捕まえた!」と言って、1人の女中に抱き着き一瞬だけ、すっごいエロ目になる。
「どこの中年のおっさんだよ」と今だったらそうツッコミが来るような場面だ。
この時の、スネ丸から逃げるふりをする女中さんのクネクネした動き

そして、中盤、両親が出かけて一人で食事をすることになって暴れるスネ丸を見て
およよおよよと、「あらあらあら」と、クネクネする女中さん。
このクネクネの動きは、何度見ても笑いしか起きなかった。


領主の館に忍び込み、蔵にある大量の米俵を盗んできた、のび平たち
秘密基地の砦に戻ってきて、米を炊いて
茶碗に超山盛りになった白飯を3秒で食べきる姿。
あれは、何度見ても涎しか出てこない。
「あぁ、白飯のうまさ・・・・」
あの場面を見たから、あるくくまもんが太ったのではない。
あの映画を見る前から、あるくくまもんは、くまももももーんな体型だったのだ。


そんな姿を見て、スネ丸が
「おまえらの食べるものなんて、きっとバッチイ!バッチイ!ブワァァァァッチイイイイイ!に決まってるー!!」
あのスローになって、「音声を変えています」で出てきた元犯罪者みたいな声が込みで出てくるバッチイ
あれは何度見ても面白い。


でも、そんなスネ丸が、ふんどし一丁の姿になって、みんなと農作業をして、できたトマトを食べて、幸せな気持ちで眠りにつく。
そして、その一連の流れの中でも、未来から来たドラミちゃんは、何も言わずに見守り続け、必要な時だけひみつ道具で支援をする。
大人になった今だと、その姿が
「これは、先生だ!理想の先生の姿だ!ドラミちゃんじゃなくて、ドラミ先生や!!」
って思うような姿に見えてくる。

でも、植えた直後に作物ができる経験をしちゃったら
今後、数か月かけて作物を育てることに苦痛を感じるようになっちゃうんじゃないかって心配をしたくもなっちゃう(笑)


その後、帰宅してスネ丸が誘拐されたことに気付いた領主が起こり
翌日、山賊の砦に向かうんだけど
のび平が乗った「一家に一台耕作くん」が、領主をひき殺す寸前まで行ったんだけど
崖の上から猛スピードでスネ丸が下りてきて、のび平がすんでのところでレバーを操作して止まるんだけど、その時の誤操作で耕作くんが暴走を始める。

最初に見た時は、自分の命を懸けてでも父親を守ろうとするスネ丸のカッコよさが目立っていたけど。
何回も繰り返してみていると
「スネ丸、崖を下りるの、速すぎだよ(笑)」
「耕作くんが山を動いている向きと、のび平が木に当たっている向きが毎回逆なのはなぜだ!」
という2点が気になりすぎて笑いが止まらなくなる。


大雨によって領主とスネ丸父子が、崖から落ちそうな大木の上に取り残され、のび平がアララを使って(勇気の素=メガネをもらうまではできなかった)ターザン行動で2人を助けるという・・・
アメリカ映画さながらの緊迫した場面なんだけど。
のび平の両親が「のび太!じゃなかった、のび平!」という小ネタをわざわざ入れてくる。
あのセリフも忘れ難い。
そして、ドラミちゃんが「てるてるぼうず」の原型になったというオチ。
純粋な子どもだったら、本気で信じこんじゃいそうだ(笑)

そして、焼き魚の焦げたにおいと煙に包まれながら、エンディングテーマが流れてくる。
「ドラミ、ドラミ、ドラミドラ、ラララ、ラララ、ミミドラミ~♪」
音感のないあるくくまもんは最初、あれって歌詞と音階の両方が「ドレミファソラシド」で合わせているのかもって思い込んでいた。
それが違うって知ったのは、実は最近になってから(笑)

あるくくまもんの好きなドラえもんの歌ランキング2位の、ドラミちゃんの歌を聞きながら、エンディングテーマを最後まで聴く。
22世紀の東京の超高層ビルのてっぺんが見え始める。
そして、夜だったはずの東京の姿が、次第に明るくなり始める。
真っ黒な雲の中から、さりげなく太陽が光を出し始める。

冒頭で、「明日ピクニックなのに、雨が降るなんて・・・」という会話がなされていたけど。
無事、セワシは晴れた空の中、ピクニックに行ったんだよと言う暗示になって番組は終わる。

さっきも言ったけれど、たった40分なのに、120分くらい見たようなお腹いっぱいの気持ちになれる不思議なアニメ。

今は、youtubeでさりげなく見られるけれど。
いつかDVDを買って、自分のこども達に見せたいなと思っている。
まぁ、こどもいないけど。



この記事を書くにあたって、ちょっと調べてみたけど。
色んな人が既に、あの40分の動画を分析していて
あるくくまもんと同じような気持ちを抱いている人が一定数いて、嬉しいんだけど。
冒頭に数秒だけ映る「花田橋駅」の名前
過去に行ったドラミちゃんが、おしずちゃんと話をした橋の名前が「花田橋」と3秒くらい映っている。
これは知らなかった。
そして、「砦岩」は、タケ蔵たちがいる砦のことを意味しているらしい。
22世紀では「花田橋駅」から隣の「砦岩駅」に移動したドラミちゃん
16世紀では「花田橋」を通って「砦」に向かったドラミちゃん
そんな細かい設定まであったとは、全然知らなかった。
きっと、まだまだ気付いていない、細かな設定や表現があるんだろう。



あるくくまもんにとって、このアニメはある意味、大切な思い出の作品
きっと、ボケて過去の記憶を思い出せなくなるようになるまでは、絶対に忘れられないし、忘れたくないもの。
きっと、こういう体験があるから、つらいことがあっても生きて行けるのだろう。

今のこども達や
今の若者たちにも
あるくくまもんんとっての、アララ・少年山賊団のような、大切なものがあってくれたらいいなぁと思う。

SFCとSNES

2021-11-20 14:48:31 | 仮想空間とゲームとアニメ
1990年11月21日
と聞いて、何の日か思い出せるだろうか。
題名を見て、なんとなく察した人もいるかもしれない。

任天堂がスーパーファミコンを発売した日だ。
明日で、丸々31年が経つことになる。

1983年にファミリーコンピュータ
いはゆるファミコンが発売され、世の中で多くの人が「家庭用ゲーム機」に熱狂した。

日本では、ファミコンはFC(Family Computer)
スーファミはSFC(Super Family Computer)と頭文字を取って記述されることが多いけれど
海外では
ファミコンはNES(Nintendo Entertainment System)
スーファミはSNES(Super Nintendo Entertainment System)
と記載される。
最近、海外にも対応できるようにと、YoutuberがFC/SFCじゃなくてNES/SNESと記載することが増えてきたので、若干自分の中でNESやSNESの方が馴染んできちゃった・・・。


表記と言えば、さすがに、20歳くらいの若い子でそんな表現を使い人はいなくなってきたけれど。
未だに、一定の年齢以上の人は
ゲームのことを「ファミコン」と言う。
ファミコン以降も、様々なゲーム機が出てきたけれど
「家庭用ゲーム機」という意味で「ファミコン」と呼ぶ世代がいる。
プレステもSwitchも3DSも全て「ファミコン」と言うものの新しいバージョンだと認識しているようだ。

まぁ、そもそも「ファミリーコンピュータ」を和訳すれば「家庭用ゲーム機」なんだから、間違いではないと言えば間違いではないんだけれどね。

さらに、もっと上の世代になると
ゲームのことを「ピコピコ」と言う。
78年に開発され大流行したインベーダーゲームや
80年に発売され流行したゲームウォッチ
あの昭和の機械が発する、いはゆる「機械音」がゲームの総称になっているのだ。

21世紀に生まれた人には分からない感覚だろうけど。
当時を知っている人間からすると
今のオーケストラ的な壮大なゲーム音よりも、単調な3和音の方がゲームらしく感じて落ち着いてしまう。

そんなことを思っていたのだけれど。
意外に、あるくくまもんの周囲の若いゲーム好きたちに聞くと
郷愁とは違う感覚で、あの3和音に好意を抱いてくれる子が結構いて嬉しくなっちゃう。

最近やたらと、ゼルダの伝説のゲームウォッチのCMを目にするけど。
あれは、昭和世代をターゲットにしているようで
もしかすると、その当時の感覚を愛せる若い層もターゲットに展開しているのかもしれないと感じた。

若い層とか偉そうに言っているけれど、思えば、当時のゲームは
「子ども向け」ではなく「大人向け」の要素が強かった。
それが徐々に90年代ごろに「子ども向け」に移行しだし
21世紀になって、再び「大人向け」に戻りつつあるように思える。


自分の身近な子どもたちの様子を見ていると
Nintendo Switchをやっているorやりたがる子どもが9割
Nintendo 3DSをやっているorやりたがるこどもが1割くらいだろうか。

さらには、自分がやることと同じかそれ以上にSwitchのゲームの実況動画を見ているor見たがる子どもがとても多く感じる。

ゲームウォッチから始まり
1990年ごろのゲームボーイに続き
ゲームボーイカラー、ゲームボーイアドバンス
そして21世紀に入りDS、3DS、Switch

据え置き機と言われたゲーム機器よりも
今は携帯できるゲームの方が優勢な気がする。

やっぱり、どこかに出掛ける時に
「ゲームをやらせておけば静かになる」
というお守り感が強いんだと思う。

子育てにおけるゲームの存在価値、存在意義としては、それでいいのだと思う。
たまに、「極力ゲームは与えたくない」という親がいるけれど
最低限の勉強をしたり、
最低限の運動をしたり、
他のことにもエネルギーを注げる状況であれば、ゲームはどんどんやって構わないと思っている。


明日また少し書くけれど
今日は小学生の子どもたちがゲームに興じる様子をずっと見守っていた。

かつての自分もこうだったなぁと思いながら・・・。



「あるくくまもん、ちょっとやってみる?」
そうやって、ある男の子がコントローラーを渡してきた。

数十年前のゲーム好きの血が騒ぎ
「いざ、勝負!!!」

そして
めちゃくちゃ手を抜かれたのに、ボロ負けというオチに。


こやつを打ち負かすために、ゲーム買って練習しちゃおうかしら・・・とか考えちゃった。

将来、自分の子どもが生まれたら、年甲斐もなくそんな意地っ張りな対応をしちゃいそうな気がしてきた(苦笑)


思い出補正がされているのかもしれないけれど。
あるくくまもんの中では、やっぱりスーパーファミコンが一番だったかな?

今のリアルすぎるゲームじゃなくて、あの頃のグラフィック&音楽で、濃厚な経験のできるゲームをまたやってみたいな。

はちずまびんがえのっぴどぅ~

2021-06-17 13:40:43 | 仮想空間とゲームとアニメ
2020年末の年末商戦は、桃太郎電鉄の新シリーズが発売されて、結構盛り上がっていたという話を聞いた。

そもそも、「桃太郎電鉄」シリーズってのは、「桃太郎伝説」シリーズから生まれたおまけみたいなものだということ・・・
もはや知らない人が多いんだろうなぁ。

「桃太郎伝説」シリーズは、とても面白いRPGで、展開の仕方次第では、ドラゴンクエストや、ファイナルファンタジーと戦えるくらいのシリーズになったのになぁ・・・。
大人になってみると、そう思うことがある。

個人的に大好きだったのは、ゲームボーイで1991年に発売された
「桃太郎伝説外伝」の「夜叉姫伝説」
風神・雷神を連れて、大暴れしたっけなぁ。
その中ボスだった「はちずまびん」
なんか、個人的に、その名前が好きで未だに記憶に残っている。
「りゅうじんバラム」・「しにがみマンダラ」・「きじょランバ」・「せんしハヌマン」という、その後出てくるボスと名前の雰囲気が違ったからなのかもしれない。

ちなみに、色々調べてみると
名前のみで、どんな苦痛を味わうかは経典に記されていない
「鉢頭麻鬢処(はちずまびんしょ)」という地獄
もしくは
僧侶になったにもかかわらず、昔付き合っていた女性と、夢の中で関係を持った男が落ちる地獄である、「鉢頭摩処(はちずましょ)」という地獄
のどちらかが名前の由来なのでしょう。

ちなみに、鉢頭摩処は
「目の前にある、蓮の花が咲いた池を見た罪人が、池まで行けば救われると思って駆け寄ると、地面に敷き詰められた鉄の釘で、足を引き裂かれて、最後には番人に斧でバッサリと・・・」な地獄らしいですよ。
恐いですね。


桃太郎伝説の話に偏ってしまったので、話を戻しましょう。

桃鉄シリーズは、日本全国、もしくは世界の色んな名産品や地域の産業をいつの間にか学ぶことができちゃう不思議なゲーム。

山陰地方のことは何も知らないのに
世界遺産に興味はないのに
石見銀山を知ることができる。
就学前なのに「石見」を「いわみ」と呼べるようになる。

新潟県なんて書けないし、読めないのに
佐渡島の場所は知っているし
金山があることも知っている。

とても不思議なゲーム。

家族と友人と、みんなで楽しめるゲームだけど・・・。


あるくくまもんは、とっても嫌いである。

理由は簡単。
「自分のものを奪われるのがきらい」だからだ。

折角、どこかの都市を買い占めても
日本中、世界中の都市全てを自分のものにしても
たった1回、目的地への到着が遅れただけで
貧乏神がやってきて、勝手にお店を売ってしまう。
キングボンビーがやってきて、お金を次から次に奪っていってしまう。
恐怖というより、不快でしかない。

そんな持論を持っているので、誰かと桃鉄を楽しめたことは1度もない。


ところが
つい最近のこと

知り合いの小学生男子と、心が1つになってしまった!!

彼は、1人で桃鉄をやっていた。
1人でやる2人プレイ
A社長と、B社長
A社長は、ひたすらお金を集めて、都市を独占していく
B社長は、ひたすらマイナスのマスに行き、お金を失い、貧乏神と一生一緒にい続ける。
それをひたすら彼はやっていた。

まるで、過去のあるくくまもんのように。




そう。

だって。


だって、ゲームだもん。


現実では、無理だよ。
一度手にしたものを一生持ち続けることなんて、そうそう簡単にはできない。
お金はいつかなくなるし。
愛していた人も去っていく。
会社をクビになることもあるし。
家族もいつか消えてゆく。

だから。
ゲームの世界くらい、それでいいじゃない
って思っちゃうの。


ゲームの世界や、仮想現実の世界にまで
現実のルールを厳しく適用しようとしすぎたら

みんな疲れちゃうと思うんだよね。


ゲームの世界にのめりこみすぎちゃうのは問題だけど。
現実を忘れて、心を癒しに行くためだったら

ゲームの世界でくらい
自分の楽しみたいように楽しもうよ。

千と千尋の歓迎会

2021-04-05 13:08:06 | 仮想空間とゲームとアニメ
少し前に聞いた情報だから、もはや古いデータになってしまっているのかもしれないれど。

おそらく現在、25歳前後くらいの人たちにとって
「ジブリと言えば?」
と聞くと

多くの子が「千と千尋の神隠し」と答えるらしい。

なるほど。

自分にとって、ジブリ作品と言われると、どうしても初期作品の
「風の谷のナウシカ」や「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」、「天空の城ラピュタ」とかを思い浮かべちゃうから
正直、「へぇ~」って思っちゃう。

「千と千尋の神隠し」と言えば、当時中学生だった、柊瑠美ちゃんが千尋の声をやってて話題になっていたけど。
そんな中学生の子が、もう30歳を超えていて、結婚されているなんて・・・
長い年月が流れたことを実感せざるを得ないね。

同じ感覚は、泣き虫少女としてとんねるずにいじめられていた福原愛ちゃんが、メダリストになって、台湾人男性と結婚して、こどもを産んで、不倫騒動を・・・って時にも感じた気がするなぁ。


千と千尋の神隠しが、劇場公開された当時
「あの」タイタニックを超える興行収入を叩き出して、「日本中の誰もが見た」みたいな流れになっているのを知って
「みんなが好きで見ているものを、自分も見てたまるか!」とアマノジャク根性全開だったから、意地でも見ようとしなかった。
しばらくして、テレビ放映されている時も、まだ意地っ張りだったから見ることはなかった。


そんなあるくくまもんが、千と千尋の神隠しを見たのは・・・
本当にいつだったか思い出せない。
なんで、そこにいたのかも思い出せないんだけど。

たぶん、2003年~2013年のどこかだったと思うんだけどなぁ。
数十人のこどもを見守るアルバイトかボランティアみたいなのをしてたことがあるんだよね。
頻繁にやっていたんじゃなくて、なんか、1回きりのイベントだった気がする。
場所も思い出せない。
どこかの幼稚園か保育園の一室だったような気がしないでもない。
窓から晴れた夏空が見えていたような気はする。
それで、担当の30代くらいの女性から
「あるくくまもんさん。このこども達のお迎えが来るまで、DVDでも見させていてください。これです。じゃあ、後はお任せします。よろしくお願いします。」
そう言って、渡されたのが千と千尋の神隠しのDVDだった。

「あれほど、意地でも見なかった映画をまさか、こんな流れで見ることになるとは!!」
そう思ったことだけはハッキリと覚えている。

そして、【千尋の両親が、豚にされた】ところで、お迎えがやってきて、DVDを止めて、こども達にバイバイした。

「中途半端!お迎え来るの早すぎ!!」って感じたこともハッキリ覚えている。

本当になんで、そんなイベントに参加していたんだろう?
そして、どこでの出来事だったんだろう?
一番気持ち悪いのは、それを思い出せないってこと。
本当に、もわもわする。


そのもわもわはさておき。
映画を中途半端な場面で終わりにさせられて、気持ち悪い状態になっていて
もう、それなりに収入のある立場だったわけだから。
100円でレンタルしたり、3000円くらいでDVD購入すれば、その続きを見ることができたのに・・・
どういう訳か、見ようとしなかったんだよね。

だから、結局、千と千尋の神隠しの話はさっぱり分からない。
「ゆばーば」って目玉の大きな巨大黒柳徹子的なのが出てきたり
「坊」って巨大な赤ちゃんが出てきたり
「カオナシ」って、仮面をかぶった巨大な黒いのが出てきたり
「ハク」ってイケメンと色々あったり
そんな話なんだろうなぁ、ってイメージしか持ってない。


そういえば、2年くらい前とか
1年半くらい前とかに
千尋やカオナシのコスプレをしていた人に会ったなぁ(笑)
とか思い出すと
なんか、千と千尋の神隠しを見てみたくなった・・・
かも?


いつか、自分の家が建った時は
大音量でも問題がないようなお部屋を作って
そこで、まったりと千と千尋の神隠しのDVDを見ようかなぁ。

ふと、そんなことを思った。