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あるくくまもんの居候部屋

【期間限定?】まったりとした空気を届けます

パーカッションのいないバンド

2025-08-04 10:32:43 | サザンオールスターズ
これを読んでいるあなたはバンドマンですか?
友達や仲間とバンドを組んで演奏したことがありますか?
それとも、ひねくれていて
「オイラは友達も仲間もいない、ワンマンバンドさ」
なんてつぶやいていたりしますか?
まぁ、なんでもいいですが(笑)

ちなみに、あるくくまもんは音楽心がないので、やったこともないし
やりたいと思ったことすらないですよ。
聴くだけ専門でございます。

さて
みなさんは「バンド」というと、どんな担当があるとイメージしますか?

まずはボーカルがいて
ギターがいて
ベースがいて
ドラムがいて
そんな感じですよね。
もしかしたら
キーボードもいるよ
とか言うかもしれないですね。

「最新のグループ」はさっぱり分からないので
あるくくまもんの中での「最近のグループ」で調べてみると

ミセスグリーンアップルは現在
「ボーカル、ギター、キーボード」の3人みたいですね。
緑黄色社会は
「ボーカル、ギター、キーボード、ベース」の4人みたいですね。
Official髭男dismは
「ボーカル、ギター、ベース、ドラム」の4人みたいですね。
HYは
「ギター、ベース、ドラム、キーボード」の4人みたいですね。
全部
「みたいですね」って言っているのは、知ったかぶりを防ぐためです。
4つのグループとも、あまりピンと来ていません。
ファンの方、申し訳ありません。

とまぁ
だいたい、一般的なバンドって、こういう組み合わせなんだよね。
ただ。
あるくくまもんは、いつも思うの。

「どうして、パーカッションがいないんだろう?」
って。


今まで何度も書いてきたけれど
あるくくまもんは、サザンオールスターズの大ファンなのよ。
だから
「バンド」って言われたら、まずサザンが思い浮かぶわけ。

そして、サザンのメンバーは
「ボーカル、(ギター)、ベース、キーボード、ドラム、パーカッション」
の6人なのよね。
だから
バンドには「パーカッションがいて当然」という感覚があるのさ。

探せばいるんだろうけれど
サザンの他に
「パーカッション専門がいるバンド」を知らなくてさ。
いつもいつも
「どうして、パーカッションがいないんだろう?」
って思っちゃうの。


いやね。
正直なところ
「パーカッションなんていなくて、よくね?」
って感じる人が多いのは分かるよ。
ドラムがちゃんとリズムを刻んで
サポートメンバーがタンバリンを鳴らしていればいいだろうって感じるのは。

そして、何より、普通に聴いている分には
ドラムの音ははっきり聞こえる一方で
パーカッションの音なんてほとんど聞こえないじゃん
って感じることも分かるよ。

でもさ。
よくよく意識して聴くと
「あっ、コンガのリズムが・・・」とか
「タンバリンの絶妙な音が・・・」とか
「ウインドチャイムの流れる音が」とか
いつの間にか、そういう音で心を揺さぶられていたんだって驚かされることがあるのよ。

だから、パーカッション担当がメンバーにいるバンドが
これから出てきてくれないかなぁって期待しちゃうのよ。


いやね。
分かるよ。
バンドでパーカッションを演奏するのが、あまりパッとしないってことは。
ドラムやギターみたいに目立つこともないし
ベースやキーボードみたいに裏で支えている感じもないし
おまけのネタ要因みたいなポジションに映るからね。

でも
そんなパッとしないことを乗り越えて
新しい感覚の・・・
新しくもないか
サザンがすでに実証済みだから。

言い方を変えよう。
周囲の勘違いなイメージを乗り越えて
新しい時代のバンド像を作り上げるグループに出てきてほしいなぁ。


「えっ!?パーカッションがいないの?大丈夫、そのバンド?」
って、みんなが心配するくらい
当たり前に、どこのバンドにもパーカッションがいるような世の中になってくれないかなぁ。

BOHBO No.5

2025-02-27 10:32:47 | サザンオールスターズ
さぁ。
結局、3日間熱く語っちゃいましたね。
まぁ、それだけ想いが詰まっ(以下同文)
ということで、サザンウィーク4日目開幕です(笑)

今日、語るのは
2005年に発売された「BOHBO No.5」です。
実は、題名自体が下ネタ満載という、とんでもない歌だということは後で知りました。
PVも、水着姿の若い女の子が、意味不明なポーズで踊り続けるという、「いやらしい」をはるかに超えた「謎」の世界が展開されています。

歌詞はよくよく聞いていくと
おじさんが
「年をとっても、いつまでもエロエロなことをしていたいぜ!!!」
って叫んでいるだけの、とんでもなく卑猥な歌なんです。
苦手な人にとっては、これを聞いただけで嫌悪感が出ちゃうだろうってほどに、すごいんです。

ただ
あるくくまもんが、20年前、この曲に出会った時に
なんか、すごい衝撃を受けちゃったんだよね。

PVの最初に、パーカッションの野沢毛ガニさんが雷に打たれて感電するとか、とんでもないストーリーから始まる。
そして意味不明な展開になっていく。
見ていて
「なんかよく分かんないけど、楽しそう!!!」
って気持ちになったんだよね。
それで、歌詞とかはあまり考えないで、よく聞かないで
「曲」として楽しんでいた。

そして、実際に歌詞を見て
最初はあまり卑猥には感じなかったんだよね。
深読みするまでは。
だから、純粋に楽しめていた。

で。
卑猥なことを知って嫌いになったかって言うと。
別に、そんなの「いつものサザン」だから気にならなくて
そんなことよりも
3番のサビ前
中間部を終えた後に出てくるメッセージが、自分の中ですごく衝撃的でね。

♪人は誰もが舞台に立っている
♪輝く主役となれ

なんか、すっごく胸にずーーんって来るの。
そして、さらに

♪ひとりひとりの命にゃ意味がある
♪生きてく理由がある

もう、ずーーーんの後に、ぐさっと刺さるんだよね。
なんかもう、生きていてつらいことが沢山あるけれど
そんなこと考えていないで
「生きようぜ!!!」
って、脳の奥底にメッセージが届いてくるんだよね。

歌詞的には、その後
「だから、お姉ちゃん!俺とイチャイチャしようぜ!!」的な内容になっていくんだけど。
その言葉通りには聴こえてこなくなるんだよね。
「ボイン」とか「やらせてクイーン」とか言っているけど
「楽しく生きようぜ!!!」
って言っているように聴こえちゃう。
困ったもんだ。
くまったくまった・・・。

疲れた時に、この曲を聴いていると
じゅわわ~って何かが溶けていくような気がするんだよね。
本当に不思議な曲だと思う。


それにしても
「死ぬまで青春なんていいな」
このフレーズを実際にみんなの前で、口にしたら
「いい年して何を・・・」
って思われちゃうけれど。
それくらいの気持ちでいることって、大切なんだなぁって最近思う。
これを口にしている人は、なんか無理に若者ぶったり、若者の文化を知っているぞアピールしたりして気持ち悪くなっているように思うから
あるくくまもんは、絶対に口にはしない。
こっそり「死ぬまで青春」しちゃおうかな(笑)


はい。
ということで、4日間にわたって熱く語ってきた、あるくくまもんのサザンウィークはこれで、とりあえず閉幕です。
いやぁ、感想としては、「とても楽しかった」です。
洋楽について語る時とは、また違った感じの爽快さ。
洋楽は、翻訳に必死になっているから(笑)解釈にエネルギー割いてないような気がするしね・・。
日本語の好きな歌の、自分なりの解釈や好きな点を、読み手の気持ちとかを一切考えずに語り尽くす。
すっごい爽快感でした。

今回、「第3位」の曲がありすぎて、選べなかったものが・・・
もっと語りたかったものがあるから
また数か月くらい経ったら、いきなり第2回サザンウィークでも開催しちゃおうかな~♪

というわけで
あるくくまもんでした。

私の世紀末カルテ

2025-02-26 10:32:31 | サザンオールスターズ
さぁ。
一昨日に続いて、昨日も結局熱く語っちゃいましたね。
まぁ、それだけ想いが詰まっ(以下同文)
ということで、サザンウィーク3日目開幕です(笑)

さてさて。
昨日までは良かったんです。
自分にとっての1位の曲と、2位の曲をそれぞれ語っただけなので。
ここからが難しいんです。

「サザンの曲の中で、1番好きな曲は何?」と聞かれたら
「サザンの曲の中で、2番目に好きな曲は何?」と聞かれたら
ここまでは、明確なんです。
この2曲は自分の中で、他の曲と完全に分けて考えています。
別格の曲なんです。
だから、ある意味楽でした。
でも
「サザンの曲の中で、3番目に好きな曲は何?」と聞かれたら・・・
完全に、頭がショートしちゃいます。
「そ、そんなの選べないよ・・・」
となります。

ここに来て、一般的な人たちが「1番好きな曲は?」で感じるものを、あるくくまもんも感じるようになりました。
しつこいですが、それくらい2曲が自分の中で別格だからなんです。
どうかご理解ください。

正直「3位の曲」がどれくらいあるか考えてみたけれど
多分、20~30曲くらいあるんだよね。
その中で1番を選び出すのは、もう至難の業。
だから、ランキング的に選ぶのはもうやめた。
その中から、みんなに伝えたい、教えたいと思う歌について紹介することに決めたのです。

そんなこんなで、前置きが長くなったけれど
今日紹介するのは
【私の世紀末カルテ】です。

1998年に大ヒットした「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」のB面の曲です。
後に、アルバムの「さくら」の中にも収録されました。

1998年当時って、前に何度か言ったけれど
世紀末まっしぐらって感じで、「世紀末」って聞くだけでなんかどんよりしていた時代だったんだよね。
そんな時代を見事に表現していたような曲で
あるくくまもんも、まだまだ社会のことなんて、本質的に分かっていないオコチャマだったけれど
この歌は、当時から聴いていて、1つ1つの言葉たちがすっごく胸に突き刺さっていたんだよね。
そして、今でも不意にいくつかのワードが頭に、不意によぎって、そのワンフレーズを口ずさむことがあるくらい。
すっごい特殊な曲。

基本的には、桑田さんの弾き歌いな曲で
あるくくまもんは、アコースティックギターとハーモニカだけの演奏だと思っていたんだけど、実は後半にオルガンがあったって知って、ちょっとビックリしている。

最近、公式のYoutubeでもリマスター版が公開されるようになったから、知らない人はぜひとも聴いてほしい。
6分40秒もの、長い曲だけど、その曲が表現する「人生」に吸い込まれること間違いないはずだ。
たまにライブで歌われる時は、歌詞が全く違う内容になっていて、原曲が持つ「重さ」がなくなって、嬉しいような哀しいような複雑な気持ちになることもある。


そんな曲を、本当は歌詞1つ1つ丁寧に語っていきたいんだけど
それをすると著作権的に色々とマズいことになるので、我慢します。
この歌は、1番から7番まで、それぞれ同じメロディとリズムで作られています。

1番は全般的なこと
2番は全般的なこととこどもとのかかわり
3番は女性とのかかわり
4番は他者との距離感
5番は妻との距離感
6番は感情の出し方
7番は、今までの全てを踏まえて母親に泣きつく
こんな構成かなぁ?

もう、それぞれ最初の方も色々と考えさせられる歌詞ばっかりなんだけど。
その中でも、最後の2行が深いんだよね。
1番
「闘うことや傷つくことは拒むけど」
2番
「誰かにもらった自由を疑うことはなく」
3番
「キレイな女 ユカイな男 人はみな 愛と裏腹に」
4番
「歩みの遅い者を尻目に駆け抜けりゃ」
5番
「誰も知らない居場所が欲しい それなのに 愛をぶら下げて」
6番
「他人の視線と自分の評価にうろたえりゃ」
もう改めて見ても、すっごい考えさせられちゃうんだよね。

特に6番
この歌詞はね。
数か月に1回は、必ずいきなり脳内にフラッシュバック的に浮かんでくるフレーズ

あるくくまもんファン倶楽部会員だったら
いきなりこのフレーズを歌い出した姿に驚いた経験があるかもしれない。
それくらい、自分の脳の奥底に刷り込まれているフレーズ
なんかね。
あるくくまもん自身が苦しんでいる時は全然浮かんでこないんだけど
周囲にいる「自信過剰/自意識過剰な人の暴走」や
「周囲の目を気にしすぎて何もできない人」を見た時に、浮かぶ傾向が強い気がしている。
もし歌い出したら、あなたのことを心配している証拠なのかもしれないですよ(笑)


あと、歌詞で言うとね。
いい年をして、若い気持ちになっていて・・・
でも、自分の実際の年齢を無視せずにはいられない状況になった時に
2番の
「いくつになっても未熟な自分を~ぉお 愛しく思ってる
 そんなオトナが幼い我が子に道を説いている」
ってのも浮かんでくるね。
あぁ、偉そうに語っているけれど
本当に偉そうなだけで、全然成長していない、オトナになり切れていないダメダメな状況だよなぁって。
いけないですね(苦笑)

距離感で言うと
4番の
「人間同士も深入りするとロクなことはない
 下手に誤解や裏切りなんぞを被る筋はない」
とか
6番の
「情に流せば弱気な態度と 傍からなじられて
 腹から怒鳴ると変わり者だと あぁさけられる
 頭を下げればその場は何とかしのげるが
 見て見ぬ振りすりゃ自分が何だか惨めになってくる」
あたりは、本当にグサッとくるよね。
6番はこの後に「他人の視線と・・・」につながって終わるからね。

そして何より、この歌の怖ろしいところは
7番の最初で
「母さん・・・」と言い出して
まさかの、結婚もしているいい年齢の男が、母親に泣きつくという展開になる。
マザコン男の話だったか!!
・・・と思わせる。
「未来世紀も人の心は移ろいやすいだろう」
何を言っているんだ。
時代が変われば、世の中も変わっていくに決まっているだろう。
そんな適当な言い訳をかかげて、母親に泣きつくんじゃないよ!!!
そう思わせて終わる。
怖ろしいのは、ここじゃない。

あれから27年が経った。
「未来世紀=21世紀」に入り、今年でちょうど1/4が終わろうとしている。
だけど
本当に、あの頃と、何も変わっていなかった。
この歌で語られている内容って、本質的には何1つ変わってないんだよ。

あえて言うなら、最初の
「家に帰るとテレビがなくては」のところが
「常にスマホを触っていないと」に変えたら、2025年でも通用する歌になるってことくらいだよね。
社会の生きづらさも
男女の関係も
本当にそれ以外は何も変わっていない。

変われないのかな?
変わらないだけなのかな?
変わろうとしないだけなのかな?

この歌を思い出すたびに
人間の不思議さに
「ん?」
って気持ちにさせられます。

夕陽に別れを告げて

2025-02-25 10:32:14 | サザンオールスターズ
いやはや。
昨日は少し語るだけで終わりにしたつもりだったんだけど。
思った以上に熱く長文を書いていて、自分でもビックリしましたよ。
まぁ、それくらい想いが詰まっているってことなんだろうね。
もっともっ~と言いたいことはあるけれど
そこはちょっと抑え込んで、また別の曲に気持ちを切り替えましょう。
ということで、サザンウィーク2日目開幕です(笑)

あるくくまもんが
「サザンの曲の中で、1番好きな曲は何?」と聞かれたら
せつない胸に風が吹いてた】だということは、昨日熱く語りました。

「じゃあ、2番目は何なの?」と聞かれたら・・・
あるくくまもんは困りません。
もうハッキリ2位が決まっているからです。

それはズバリ
【夕陽に別れを告げて~ メリーゴーランド】
です。

1985年に発売された曲で、鎌倉の高校時代のことを思い出している歌です。
歌詞自体は、文字にするとすごく短くて
高校時代のことと言いながら
当時付き合っていた(?)女性を思い出して
その人に今はもう会えないんだなぁってことを、何度も何度も繰り返しているだけの歌とも言えます。
かと思いきや、サビでは「友達に」会えなくなっていることを哀しみだします。
かと思いきや、サビの後半では、やっぱり女性に会えないことを哀しんでいます。
「どっちやねん!」と、ついついツッコミたくなってしまう曲です(笑)

でもね。
1番のサビ前の
「あの日々はもう帰らない 幻に染まる」
ここが、何度聴いても、ググっと胸に刺さるんだよね。
ありきたりな歌詞だし
似たような歌は、他の多くの歌手が歌っているんだけど。
この歌の、このフレーズは、本当に刺さるの。
「嬉しい思い出」とか「苦い思い出」とか
そういう特定の思い出だけじゃなくて
「あの日々」っていう、数年とか十年くらいの時間が、もう二度と帰って来ないってことを実感させられるんだよね。

2番のサビ前もそう。
「夢ばかり見てた頃に 忘られぬ女性よ」
文字で見ると「女性」だけど、実際は「ひと」って歌っているから
「夢ばかり見てた頃に 忘られぬ人よ」
になるの。
もちろん、片想いか交際していたかどっちかの女性を想定しているんだろうけれど
歌だけを聴いていると
先生でもいいんじゃない?
友達でもいいんじゃない?
先輩でも後輩でもいいんじゃない?
男でも女でもいいんじゃない?
「若い頃に自分にとって大切だった誰か」のことを想える歌詞なんじゃないかって感じるの。
だから、聴いた時によって思いつく人が微妙に違ったりする不思議なことが起こる。


不思議と言えばさ。
この歌ってね。
自分の中で、評価がちょっと変わり続けているところがあってね。
少し不思議なところがあるの。

例えば、【せつない胸に風が吹いてた】の場合
昨日も言ったけれど
若い頃から好きだったの。
そして、年を取れば取るほど、その好きって気持ちが強くなっているんだよね。
歌を聴いて「しんみり」する感覚がどんどん強くなっているの。

一方で、【夕陽に別れを告げて】の場合
10代の頃って、全然ピンと来なかったんだよ。
これは、しょうがない。
だって、10代の頃に「高校時代を懐かしく思う」感覚が分かる訳ないんだから。
そして、自分が高校を卒業して年を取る度に、「しんみり」する感覚が強くなっていったの。
この強くなる動きは、【せつない胸に風が吹いてた】と同じだったの。
でもね。
ある段階から、急にしぼんでいったの。
特に、ここ数年とかかな?
歌を聴いていて「しんみり」する感覚が、すっごく弱くなっている。
時には、何も感じないこともある。

多分、その理由らしきものは、なんとなく発覚していてさ。
2つあるんだけど
1つ目は
純粋に、過去のことが思い出せなくなっている。
これは加齢によるものね。
年々、過去のことが詳細に思い出せなくなっている。
3年半前よりも、さらに思い出せなくなっている。
だから「しんみりする対象」がなくなりつつある(涙)

2つ目は
良くも悪くも、現在が充実しているから。
「今が幸せすぎて」という意味じゃなくて
ここ数年、生きていて
なんか、本当にいいことも悪いことも含めて
色んな濃すぎるエピソードが起こり続けているんだよね。
あるくくまもんの職場関係者だったら、すぐに分かると思うんだけど
毎日のように、何かが起こっている。
1か月に1回くらい、とんでもないことが起こっている。
そういうことに脳の記憶部分が占領されて行って
数十年前を思い出す余裕がなくなっている。

だから、な気がする。
哀しいね。
いや、幸せなのかな?

よく分かんないや。
でも
なぜだろう。
やっぱり
「涙がこぼれちゃう」な・・・。

せつない胸に風が吹いてた

2025-02-24 10:32:44 | サザンオールスターズ
サザンオールスターズが大好きなことでお馴染みのあるくくまもん
とはいえ、ファンではない人には全く伝わらないことが分かっているので、たま~にしかサザンの話は語ってこなかった。
けど。
なんか、今年2025年は、サザンにとってかなり重要な年になりそうだし
折角だから、ちびちび・・・じゃなくて、がっつりと、あるくくまもんのサザンへの想いを語っちゃおうかなぁって思って
今日からの4日間は、普段のこのブログのルールを破ってサザンのことを語り続けちゃいます。
正確に言うと
サザンの数ある名曲の中から、どうしても語りたい曲を4つ選んで、1つずつ毎日語っていきます。
まぁ、たまにはいいよね?
特に興味がない人は、金曜日までは我慢していただくことになりますが、そこはご容赦くださいね。

ということで、サザンウィーク1日目開幕です(笑)


あるくくまもんが
「サザンの曲の中で、1番好きな曲は何?」
と聞かれたら、迷わず即答しちゃう歌があります。
それが
【せつない胸に風が吹いてた】
です。
1992年に発売されたアルバム「世に万葉の花が咲くなり」の3曲目に入っている楽曲です。
今はYoutubeでも聴ける状態みたいなので、興味がある人はまず1回探して聴いてみてください。
これは、学生時代に「音楽では食べていけないよ」と言っていたバンド仲間との思い出が込められている曲だそうです。

そうです。
その事実を知っていると、1つ1つの歌詞に込められた意味がよく伝わってきます。
音楽を愛して、音を奏でることを楽しんでいた。
でも、それは若い日の趣味でしかない。
生きて行くためには、音楽への想いを封じ込めて、仕事をしないといけない。
そんな感じで、夢を押し殺して生きることを選んだ仲間たちを1人、また1人と見送っていく切なさが込められています。

あるくくまもんは、別に今までバンド活動をしたことはありません。
みんなでギターやドラムを奏でて、これからもやっていけたらいいよね・・・みたいなことを語り合った経験もありません。
だから
本当の意味で
この歌に込められた想いに共感することはできないんです。

でも
この歌が伝えようとしていることって、決して「音楽への想い」だけじゃないんだろうなぁと感じることがあるんです。

高校まで野球を続けていたけれど、上手すぎる同い年の活躍を見て、野球選手になることを諦めた人が居ます。
料理が好きだったけれど、人からお金を取れるほどのものは作れないと判断して、料理人を諦めた人が居ます。
若い時代にした失恋を引きずって、自分には恋や愛をする資格がないと思い込んで、結婚を諦めた人が居ます。
毎日毎日を楽しく生きようと思っていたけれど、生きて行くために、毎日したくもない仕事をして、好きなのか大切なのか分からない家族を守るために、楽しく生きることを諦めた人が居ます。

そんな感じで
若い頃の夢を諦めた人、全てへの想いが込められているような気がするのです。


それでね。
おこがましいとは重々承知なんだけど。
あるくくまもん自身は、まだ、その「諦めた世界」に旅立ってはいないんだよなぁって感じているんです。

「普通に就職して」
「普通に結婚して」
「普通にこどもが産まれて」
そういう一般的な生活を送っていないことは、多くの人が承知の通りです。
別に何かを夢見ている訳じゃないんだけど
別に何かを諦めている訳でもない。
ちょっとふわふわした世界に生きている気がしています。

それは、あるくくまもんの職場や、職業とは直接的には関係なくて
うちの職場の人たちの多くは
「普通に就職して」
「普通に結婚して」
「普通にこどもが産まれて」
な人生を送っているように思えます。

でも、あるくくまもん(と他の何人か)は、そっちにまだ行けていないはずなんです。
行く資格がないのか。
行く気力がないのか。
行けることに気付いていないのか。
行かないように抵抗しているのかは分からないけれどね。


定期的に聴いたり
時には熱唱したりするんだけど。
2番の「激しい雨が流した人々の罪が」っていう部分の
「はげしぃぃいあぁぁぁめぇが、なんがぁしぃぃた」って歌うところ
ここがじんわりくるんだよね。
あと
3番の「ためらいがちに歩いた」っていう部分の歌い出しが
「ううううう たーめらい」って時や
「たああああああめらいがちに」って時や
色んなバージョンがあって、どれも好き。

歌詞としてはね。
1番サビの
「もう二度と戻れない時代を超えて」
2番サビの
「遠ざかる面影を抱いて眠れ」
3番サビの
「哀しみを分け合えた他人もいない」
この同じメロディーの部分
ここは、すっごく切なくなる。
本当に、自分のせつない胸に風が吹き抜ける感覚になる。
年を取れば取るほど、その感覚が強くなっていく気がしている。

そして
哀しく切ないことを歌っているけれど
きっと最後は光が降り注ぐんじゃないかなぁって期待しながら聴いていると・・・
最後は
「愛だけじゃ奪えない七色の未来」
で終わる。
「七色の未来は愛だけじゃ奪えなかった」ではない。
名詞で終わる。
歌ってみると分かるけど、体言止めだから、なんか歌っていて苦しい感じで終わる。

本当に
せつない気持ちのまま歌が終わる。

ぴゅ~

やっぱり、風が吹き抜けていく。
切ない胸がさらに切なくなっていく。
それでも、またこの歌を聴きたいと思ってしまう。
とても不思議な曲。

きっと、この曲を聴くことで
若い頃に想っていた、色んなことを
「忘れるんじゃない!」
「諦めるんじゃない!」
って気持ちが引き出されるからなんだろうね。

サザンに大森隆志は不要なのか

2025-01-09 11:32:53 | サザンオールスターズ
2024年末
「サザンオールスターズ LIVE TOUR 2025」開催の報道がなされて大騒ぎになった。

数十年来のサザンファンのあるくくまもんとしても、心が躍った。
そして同時に、ネット上に溢れる怖ろしい言葉に、心臓がきゅううっと締め付けられるような気持ちになった。

というのも
最年長メンバーである「毛ガニ」ことパーカッションの野沢秀行さんが、2024年に70歳になっていて
ベースの関口和之さんが2025年に
他のメンバーも2026年で70歳になる。
だから、もうライブができる身体ではなくなるのじゃないか・・・
これがサザン最後のライブになるんじゃないのか。
そんな噂があふれている。

サザンに限らず
あるくくまもんの中で「ライブで見る」という習慣がこれまでにないので
今年のライブに行くつもりは全くなかったんだけど
周囲から相次いで「絶対に行け!」って言われたので、ちょっと行こうとしてみようかなぁって思い始めているところ。
既に、今週末の金沢会場のは完売で、他のところもこれから順次発売されて行く。
実際、チケット購入に挑戦はするけれど、販売即完売で買えずに終わるのだろう。
でも、挑戦はしてみよう(笑)
とはいえ、平日開催のものが多くて、どうしても休めない日に開催のものばかりだから、挑戦できるライブ自体が少ないんだけどね(涙)

まぁ、行けたら、その時はまたここで書くことにしますね。


さて。
サザンファンの中で、この15年くらいずっと言われていること。
「大森隆志はいつ戻ってくることを許されるのか」
これが、また今、話題になっている。

25歳以下の若者は知らない存在
2000年の時点で、一定の年齢のサザンファンでないと知らない存在
それが、サザンのギター担当
「だった」
大森隆志さんだ。

2000年頃から、何かおかしいなぁという雰囲気を醸し出し
2001年に突如、サザンを脱退
とある宗教の信者であることを宣言し始め
2006年に覚醒剤と大麻の使用で逮捕される。

脱退後も「6人だったけれど、5人になったサザン」とメンバーは語っていたけれど
逮捕を機に「サザンは最初から5人だった」と表現するようになる。
過去の映像を流す時も、意図的に大森さんが映らないように加工されたものが使われ
存在自体がいなかったものとされ続けていた。


後になって思えば、彼のギタリストとしての位置づけがすごく難しかったんだろうなぁと感じることがある。
彼のギターの演奏は凄まじく
同じギターを使っているのに、どうしてこんなに叫ぶような音が出るんだろうと思うほど、悲痛な音を奏で続けていた。
特に、「ボディ・スペシャルⅡ」のソロパートなんかは凄すぎて、何度見ても衝撃を感じ続けてる。

25年間、サポートメンバーの斎藤誠さんがギターを弾いてくれているけど
あまりにも綺麗な音過ぎて、逆に物足りなさがどこかに感じる不思議さを持っている。

大森さんは、すごい演奏ができるのに、ボーカルでありリーダーの桑田佳祐のサブというポジションで居続ける。
そのことに苦しんでいたんじゃないかなぁって思うことがある。
「裏方でいることの楽しさ」の世界に良ければまた違う人生があったんじゃないかなぁ。
でも、それをギタリストに求めること自体に矛盾もあるんじゃないかとも感じている。
難しい問題だ。


そんな大森さん
サザンは復帰を認めていない。
過去を知るファンの多くは、ずっと待っているようだ。
完全復帰は難しくても
何らかの形でサザンにかかわってくれることを。

今回のライブツアーが、もし本当にサザン最後のライブになるとしたら・・・
2025年5月29日木曜日
最後のライブの日

最終盤で「マンピーのGスポット」→「勝手にシンドバッド」という黄金の組み合わせの直前に大森さんが現れて、ギターを熱演奏
その後、全員が楽器を離れて、サポートメンバーだけの演奏の中で
「I AM YOUR SINGER」を歌い
そのまま
「旅姿六人衆」を歌って
終わるんじゃないか。

そんな妄想で胸がいっぱいになっている。


きっとメンバーの中にも、まだ許していない人がいるのだろう。
それでも
活動を終了するその日が来る前に
1回でいいから
フルメンバーで活動する姿を見てみたいと思っている。

ふっかるなブランニューデイ

2024-02-17 10:32:48 | サザンオールスターズ
3年くらい前だったかな?
ある人から、不意に
「あるくくまもんったら、本当にふっかるだよね~」
と言われたことがあった。

何を言われたのか分からなかったから
つい、悪い癖で
「え、あ、うん。はははは」
と笑ってごまかしちゃったことがあった。

でも、5秒後くらいに
「ふっかる・・・あぁ、『フットワーク軽い』の略語のあれかー!」
と気付いて
「自分では、そこまでフットワーク軽いとは思ってないんだけど~」
と言ったら、話が嚙み合って
あぁ良かった~という流れになっていったんだけど。


「ふっかる」
繰り返すけれど
「フットワーク軽い」の略語

2016年ごろに流行した言葉
だけど、既に最近では聞かなくなった、短期的に使用されていた言葉

最初にこの言葉を聞いた時には
「ふっかる」という言葉以前に
「フットワーク軽い」という言葉の意味もよく分からなかった。

「フッカル」って「フットサル」みたいな、新しい球技かなぁとか思ったこともあるし
「フットワーク軽い」って、サッカーの試合とかでボールをもって、素早く動く選手の様子とかを言っているのかなぁとか真剣に考えてた。


んで、正しい意味を知った時
あぁ、なるほどと思った。
まぁ、明確な定義があるわけではないけれど
「行動力がある」
「瞬時に判断できる」
「チャレンジする気持ちが強い」
とか、そういう意味として使われることが多かったらしい。

行動力も瞬発力もない、あるくくまもんに対して
よくもまぁ、あの人は、その言葉を使ったものだと今更ながら思わずにはいられない。


さて。
あるくくまもんは、この「ふっかる」という言葉を耳にすると、いつも思う浮かんでいた歌があった。
それが、サザンオールスターズの「ミスブランニューデイ」

一般的には、発表された1984年当時の
「流行やブランドに流されてばかりの女子大生」を批判した曲とされている。
桑田佳祐さん自身は、「流行やブランドに流されてばかりの女子大生」に惚れてしまっている男のことを歌った曲だと言っている。
歌い手と聞き手とで、解釈に意味がズレる不思議な曲だ。

そんな曲の後半
こんな歌詞がある。
♪誰のため 本当の君を捨てるの? crzay
♪しなやかと軽さを はき違えてる

♪慣れない場所で背伸び all night
♪粋な努力を ただで売る

この4行の歌詞が、いつも浮かんでくるのだ。


行動力がある人が積極的に行動することは別にいいと思う。
でも、普段そうではない人が、無理に積極的な行動をすることって、そんなに素晴らしいことなのだろうか?
ましてや、それを他者から求められ続けて、応え続けることに。
しなやかに生きて行くこと自体は素敵だけど
軽やかに生きて行くこと自体は素晴らしいけど
「軽い女」になっていいのだろうか?

ましてや
毎晩毎晩、男のために、自分の女としての価値を見せつけようとする姿勢
男のためではないと言い聞かせながらも
「男から評価されている女としての自分」を感じることによって、自分の存在価値や意義を求める生き方
場合によっては、そのために、価値もない男に抱かれる「尻軽な女」に成り下がってしまうこと。
本当にそれでいいのだろうか?

そんなことを、この歌が訴えかけてくる。
そして、「ふっかる」という言葉が、その想いを、いつも思い浮かばせて来る。
何とも言えない気持ちにさせられるのだ。


「ふっかる」という言葉が使われなくなった今だからこそ
あえて、みなさんに問いかけたい。

「ふっかる」な生き方って
本当に望ましい、好ましい生き方なんでしょうか?