教会史における「新しい歌」 ー賛美と礼拝の歴史神学的考察ー

「新しい歌」がどのように生み出され、受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを歴史的に検証します。

本論⑫ 19世紀のリバイバル運動における新しい歌 <2>

2005-05-17 15:24:45 | 講義
(写真はジョージ・ホイットフィールド)

2. アメリカのリバイバル運動・・<グレート・アウェイキング>  

(1) 1st グレート・アウェイキング(18世紀の中頃)・メソジスト、バプテスト、長老派を中心に

◆ピューリタン上陸から100年を経て、アメリカの教会も形式化し、霊的な命を失いはじめていた頃、1726年、敬虔主義の影響を受けた牧師スィアドー・フリーリングハイズン(オランダ改革派)によって、グレート・アウェイキング(Great Awakening 大覚醒運動)が始まり、それは1750年頃まで続いた。(ちなみに、アメリカではリバイバルよりも、アウェイキングという言葉が多く使われるようである。)
◆彼は霊的覚醒と高い生活基準を訴え、回心者が多く起こされた。敬虔主義運動とメソジスト運動の巡回伝道者の影響が大覚醒に繋がったと考えられる。その感化はペンシルバニアとニュージャージーの長老派に及び、長老派のテナント兄弟によってスコットランド系アイルランド人の間にリバイバルが起こった。
◆さらに、リバイバルの波はニューイングランドの会衆派やバプテストに広がっていった。1734年から1740年まで、会衆派の牧師ジョナサン・エドワードによって新しい霊的な命がマサチューセッツの教会に吹き込まれた。
◆エドワードの真摯な霊的態度と祈りの生活は、人々に大きな感化を与えた。神の国に入るには個人的な回心が必要であることを訴え、絶望に陥っていた教会の霊的風潮は一変した。この結果、宣教への情熱が呼び起こされ、日曜以外にもリバイバル集会が行われ、インディアンへの宣教も活発に行われた。
◆こうした集会で用いられた賛美歌は、主として、英国のウォッツの詩篇歌と賛美歌で、これをアメリカでいろいろな人が手を加えて出版し、初期のリバイバル集会での需要を満たした。
◆東海岸のリバイバルはイングランドの伝道者ジョージ・ホイットフィールド(メソディスト運動の巡回伝道者)によって、さらに刺激を受けた。1739年から1741まで彼は数回に渡ってアメリカを訪問したが、彼が到着すると人々は店を閉め、仕事を投げ出して集会に駆けつけた。そして数万人の人々が集まり涙を流して悔い改めたと言われている。彼はあるとき、電気の理論を究明するフランクリンに、「電気の神秘ばかりに熱中せず、新しく生まれることの神秘にも留意するよう」勧めたと言われている。
◆1786年南部長老派でもリバイバルが起こった。アメリカ聖書教会や超教派の宣教団体アメリカン・ボードなどが設立され、活発な宣教が行われた。この頃、長老派もリバイバル賛成派と反対派に分離した。
◆1st グレート・アウェイキングでは、メソディスト教会とバプテスト教会が特に大きく成長したが、彼らはもともと奴隷制に反対であり、黒人たちが大勢加わった。当時の黒人教会の大多数はメソジストとバプテストであった。

(2) 2nd グレート・アウェイキング・・・超教派による

◆この後、19世紀には、チャールズ・フィニーやムーディーなどにより、2nd グレート・アウェイキングが起こる。彼らは、ジョナサン・エドワードらのカルビニズムとやや異なり、地獄の火と天罰を説いて、徹底した罪の悔い改めと罪深い行動から遠ざかることを要求した。彼らの活動は超教派であり、あらゆる教派から人々が集まってきた。教会の第一の使命は、伝道、イコール、リバイバル集会を開くことと受けとめられるようになった。このように、福音を教会から路上に持ち出して、あらゆる人々に与えたその働きは大きいと言える。
◆1859年以降、このようなリバイバルの熱情を持って、明治初期の日本に、アメリカや英国の宣教団体や長老派、メソジスト、バプテストなどから数多くの宣教師がやって来て、日本のプロテスタント宣教が始まったのである。

3. クルセード(超教派的大衆伝道)の先駆け・・<ムーディとサンキーの名コンビ>

◆19世紀中期にはドワイト・L.・ムーディー(1837-1899)とアイラ・D・サンキー(1840-1908)などのリヴァイヴァリストが、準備の超教派的組織化、音楽の利用、劇場的演出、扇情的説教を取り入れてマス・エバジェリズムの新しいタイプを編み出した。今日クルセードと呼ばれるもの先駆けである。莫大な資金を注ぎ込み、それ自身は非営利的組織ではあるが、一つの企業として成立するものになっている。
◆当時、アメリカでも組織され始めたYMCA(キリスト者青年会)がリバイバル集会の中心的推進力となり、そのシカゴのYMCAの会長に就任したのが、伝道者ムーディであった。同じくYMCA主事の音楽家、サンキーとが絶妙なコンビを組んだ。彼らは、アメリカはもちろん、英国の諸都市を巡って伝道した。1893年にはフォアパウ・サーカスから大テントを借りて、シカゴ万博会場で日曜礼拝を開催したが、その参加者は1万8千人にも上ったと言われている。こうした種類の大衆伝道は、各地でさかんに開かれるようになり、そして、こうした集会用の歌集が続々と大量に出版され、やがて一種の企業となって、そこで財をなす人も少なくなかった。サンキーという音楽伝道師は、19世紀の歌を集めて「福音聖歌と聖歌独唱曲集」(脚注2)を出版した伝道集会における歌唱指導の第一人者である。

(脚注2)
◆Gospel Hymns and Sacred Solos,1875は爆発的に売れ、次第に増補され、最後には739曲を治めたものが1894年に出版され、これらは50年間に実に総計8千万冊売れ、現在もなお市販されている。


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