昔は色々な行商を見たり、その風情のある掛け声なども聞く事が出来ました。
毎日夕方になると自転車に乗った豆腐屋さんが、「と~ぉふ~」とラッパを鳴らしながら走っているのを見かけましたし、貝売りのお姉さんもいて、「ア~サリ~、し~じみ~」と掛け声をあげながら天秤棒を担いで家の前を通り過ぎて行きました。
子供の頃にはこれを聞くと、「あっさり~、死んじめ~」などと言ってふざけては、伯母から叱られたものです。
夏になれば色々な音を楽しめました。
「きんぎょ~え~、きんぎょ~」という金魚屋さんが来ました。
風鈴売りも涼しい音を鳴らしながら屋台を引いてゆっくりと歩いていました。
また昔は一般の家庭に冷蔵庫がない時代でしたから、商店街に氷屋さんというのがあって、2、3間もある大きな冷凍庫?に氷が入っていて、その氷をリヤカーに乗せて歩いていました。
それをのこぎりを使って40cmくらいの大きさに切り取って売るのですが、その時に「シャキー、シャキー」という大きい音と共に真っ白な細かい氷が辺りに飛び散って、如何にも涼しげで見ているだけでも楽しかったものです。
今でも残っている掛け声と言えば、「い~しや~きいも~」と「た~けや~、さおだけ~」くらいのものでしょうか?
しかし昔とは違って、風情のない録音された声がスピーカーから大きな音量で聞こえて来るのですから、がっかりします。
以前から不思議に思っていた事があります。
行商の掛け声もそうなのですが、夜中に通るラーメン屋のチャルメラの音も、皆ごく普通の「自然の音」のように感じているのか、誰もうるさい騒音とは思わない事です。
行商の掛け声やチャルメラの音が騒音問題になったという話しは、未だに聞いた事がありません。
日本人はコオロギなどの虫の声を、何かを語り伝える「言葉」として受け取り、外国の人は「音」として受け取る・・・という事を何かの本で読んだ事があります。
それで日本人にとっては楽しい虫の声が、外国人にはうるさい騒音としか感じない、という事らしいのです。
確か日本人は、人間の声はもちろん虫や鳥の鳴き声、川のせせらぎや風の音まで全て「左脳」で処理し、欧米人や中国人などは意味のある言葉は「左脳」で処理するけれども、意味のとれない声や自然の音などは「右脳」で処理する。
という事だったと思います。
それでは、もしかすると・・・
行商の掛け声やチャルメラの音を、日本人は左脳で「言葉」として受け取っている為に、うるさく感じずに楽しんでいられるのでしょうか?
もしアメリカ人が聞いたら、右脳で「音」として受け取ってしまい、単にうるさい騒音としか感じないのかも知れません。
戦争中に軍隊の起床ラッパで眠いところを起こされる兵隊たちには、そのラッパのメロディーが「起きろよ起きろ~、皆起きろ~、起きないと班長さんに叱られる~」と聞こえていたそうです。
右脳で受け取る筈のメロディーまでも、日本人は左脳で「言葉」として受け取っていたという事なのでしょうか?
以前書いたエッセイ「うぐいすは何と鳴く?」でもふれましたが、日本人はうぐいすの泣き声を「ホー・ホケキョー」と聞いています。
これは仏教の「法華経」から来ているのではないか?・・・と指摘して置きましたけれども、これも言葉として受け取っている事の証拠になるかも知れません。
また日本人は漢字とひらがなを普通に使っていますけれども、これも非常に特殊な事なのだそうです。
各国で使っている「文字」について言うと、
欧米人はアルファベット・・・つまり音を表す「表音文字」だけを使い、
中国人は漢字・・・つまり意味を表す「表意文字」だけを使っています。
日本人は表音文字(ひらがな、カタカナ)と表意文字(漢字)の両方使っていますが、これは世界でも珍しい事だそうです。
こういう事も、日本人の特殊な感性を作る上で役立っている事なのかも知れません。
毎日夕方になると自転車に乗った豆腐屋さんが、「と~ぉふ~」とラッパを鳴らしながら走っているのを見かけましたし、貝売りのお姉さんもいて、「ア~サリ~、し~じみ~」と掛け声をあげながら天秤棒を担いで家の前を通り過ぎて行きました。
子供の頃にはこれを聞くと、「あっさり~、死んじめ~」などと言ってふざけては、伯母から叱られたものです。
夏になれば色々な音を楽しめました。
「きんぎょ~え~、きんぎょ~」という金魚屋さんが来ました。
風鈴売りも涼しい音を鳴らしながら屋台を引いてゆっくりと歩いていました。
また昔は一般の家庭に冷蔵庫がない時代でしたから、商店街に氷屋さんというのがあって、2、3間もある大きな冷凍庫?に氷が入っていて、その氷をリヤカーに乗せて歩いていました。
それをのこぎりを使って40cmくらいの大きさに切り取って売るのですが、その時に「シャキー、シャキー」という大きい音と共に真っ白な細かい氷が辺りに飛び散って、如何にも涼しげで見ているだけでも楽しかったものです。
今でも残っている掛け声と言えば、「い~しや~きいも~」と「た~けや~、さおだけ~」くらいのものでしょうか?
しかし昔とは違って、風情のない録音された声がスピーカーから大きな音量で聞こえて来るのですから、がっかりします。
以前から不思議に思っていた事があります。
行商の掛け声もそうなのですが、夜中に通るラーメン屋のチャルメラの音も、皆ごく普通の「自然の音」のように感じているのか、誰もうるさい騒音とは思わない事です。
行商の掛け声やチャルメラの音が騒音問題になったという話しは、未だに聞いた事がありません。
日本人はコオロギなどの虫の声を、何かを語り伝える「言葉」として受け取り、外国の人は「音」として受け取る・・・という事を何かの本で読んだ事があります。
それで日本人にとっては楽しい虫の声が、外国人にはうるさい騒音としか感じない、という事らしいのです。
確か日本人は、人間の声はもちろん虫や鳥の鳴き声、川のせせらぎや風の音まで全て「左脳」で処理し、欧米人や中国人などは意味のある言葉は「左脳」で処理するけれども、意味のとれない声や自然の音などは「右脳」で処理する。
という事だったと思います。
それでは、もしかすると・・・
行商の掛け声やチャルメラの音を、日本人は左脳で「言葉」として受け取っている為に、うるさく感じずに楽しんでいられるのでしょうか?
もしアメリカ人が聞いたら、右脳で「音」として受け取ってしまい、単にうるさい騒音としか感じないのかも知れません。
戦争中に軍隊の起床ラッパで眠いところを起こされる兵隊たちには、そのラッパのメロディーが「起きろよ起きろ~、皆起きろ~、起きないと班長さんに叱られる~」と聞こえていたそうです。
右脳で受け取る筈のメロディーまでも、日本人は左脳で「言葉」として受け取っていたという事なのでしょうか?
以前書いたエッセイ「うぐいすは何と鳴く?」でもふれましたが、日本人はうぐいすの泣き声を「ホー・ホケキョー」と聞いています。
これは仏教の「法華経」から来ているのではないか?・・・と指摘して置きましたけれども、これも言葉として受け取っている事の証拠になるかも知れません。
また日本人は漢字とひらがなを普通に使っていますけれども、これも非常に特殊な事なのだそうです。
各国で使っている「文字」について言うと、
欧米人はアルファベット・・・つまり音を表す「表音文字」だけを使い、
中国人は漢字・・・つまり意味を表す「表意文字」だけを使っています。
日本人は表音文字(ひらがな、カタカナ)と表意文字(漢字)の両方使っていますが、これは世界でも珍しい事だそうです。
こういう事も、日本人の特殊な感性を作る上で役立っている事なのかも知れません。
聞いた事があります。
日本では特にヒグラシの物悲しい鳴き声?などは蝉時雨と
美しく表現しているのに…。です。
(※海外には「ヒグラシ」系の音を出す蝉がいないのでしょうか?(^-^;)
外国では蝉の鳴き声は単なる騒音・・・でしたか!
やっぱりね~!
そういえば、去年あるコンサートで初めてヒグラシの鳴き声を聞きましたよ。
「カナカナ」と鳴くと説明していましたけど、「カナカナ」ではないな・・・と思いましたね。
もっと非常に良い鳴き声でしたよ。
こんなサイトを見つけました。
虫の音WORLD
http://mushinone.cool.ne.jp/
生録 自然の音
http://mushinone.cool.ne.jp/namaroku/namarokuNS.htm
「うるさい日本の私」(中島 義道)
http://www.amazon.co.jp/dp/4101467218
近年では企業が組織的に行うようになって歯止めがきかなくなり(「スピーカーから大きな音量で」というのがまさしくそうです)、自治体への苦情も増えつつあるとか。