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ニート

2011-08-20 | 映画

監督の意図   

高畑勲は、本作品について「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と繰り返し述べたが、反戦アニメと受け取られたことについてはやむを得ないだろうとしている。

高畑は、兄妹が2人だけの閉じた家庭生活を築くことには成功するものの、周囲の人々との共生を拒絶して社会生活に失敗していく姿は現代を生きる人々にも通じるものであると解説し、特に高校生から20代の若い世代に共感してもらいたいと語っている

 

ウィキペディアより

 

1988年5月号アニメージュより

反時代的だった清太と節子の生活

 

映画「火垂るの墓」は、昭和20年、空襲によって母を喪い、家を失った兄妹、清太と節子のふたりだけの生活を中心にすえている。この楽しくも、また哀しい”家庭生活”について、高畑勲監督にうかがった。

 

最小単位の”家庭”

 

 清太14歳、節子4歳。戦時下の日本ではやや恵まれた家庭に育ったと思われるふたりは、空襲によって母をなくし、親類の家にも居づらくなり、壕でふたりだけの生活をはじめる。それは節子の死によって終わりを告げるのだが、この映画は、そのふたりの生活を丹念に映像化している。その意図はどこにあったのか?

「はじめて原作を読んだとき、これは神話だな、と思ったんです。『神話』とは何か、ぼくもよくわからないので、いい加減なものですが、とにかく神話性のある物語は、同じ人物、同じ筋だてに様々な意味や肉づけを与えることができるんですね。どんなことをしても、簡単にはこわれてしまわない強さを物語自体がもっている。とまあ、この物語の扱い方が読者それぞれの思い入れやイメージとちがっていた場合の弁明を先にしておきたいんです。

 で、意図といわれると困るんですが、この物語はやはり”家庭”を描くことが前提だと思います。(海軍大尉である)父親のことはいつも清太の頭のなかにあったのでしょうが、現実にはいないし、空襲で母親も死んでしまって、兄妹ふたりになった。その最小単位の家族で独立した”家庭”を営もうとする。

 家庭を営むには、大きくいって衣・食・住が必要なわけですが、衣については親戚の未亡人の家にふとんや衣類を疎開しておいたので大丈夫だったとして、あと食と住の大問題があるわけです。この問題ぬきに”家庭”は成立しない。ふたりは如何にして彼らの”家庭”を築いたか----どうもこれは最小のホームドラマだと考えながら、この作品を作ってきたように思っています」(高畑勲監督。以下「」内コメントはすべて高畑監督のものです。

 とはいうものの、妹の死によってこの兄妹ふたりの家庭生活は失敗に終わってしまった、と考えられるのではないだろうか?

「そうではないんじゃないでしょうか。成功したんじゃないかと思います。成功したにもかかわらず妹が死んでしまうというところに、この物語の悲劇性、ひいては神話性があると思うんですが。

 なぜ成功だったかというと、たとえば、無人島で愛しあうふたりが生活したけれど、他人がいなくて退屈してしまい、いさかいばかりおこしていたというなら、これは失敗で、ふたりの天国を築きあげられなかったことになると思います。

 でも、清太は節子との生活のなかでイキイキしていたんじゃないでしょうか? 家庭生活を築く楽しさ、そのなかでの心のかよいあい、いうならば愛、その限りにおいて、清太は大変充実した生を生きたと思います。精一杯できる限り好きなように生きようとしたんじゃないでしょうかね。好きなようにといっても、清太が妹の世話をいやがるような少年であったならば、まったく話はちがってきたわけで、たとえば、ごく当り前のように節子をおぶい紐でおんぶしたりするところを見ても、空襲以前からそういうことに慣れていたということを感じさせますよね。病弱の母親にかわってオサンドンをするというようなことも、きっとあったんでしょう。妹への愛情だけでは”家庭”は営めませんからね」

 

反時代的な行為

 

 高畑監督は「火垂るの墓」の制作に入る前に、清太という少年と現代の少年たちが似ているということを指摘している。この家庭を営む兄妹という点から考えて、その類似はどんなところにあるのだろうか?

「清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど、”社会生活”に失敗するんですね。いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。社会生活ぬきの家庭を築きたかった。まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。お向かいの娘に、『うちらも2階の教室やからけえへん?』と誘われて『ぼくらあとでいきますさかい』と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない、置かしてもらった親類の未亡人はいやみを次々いい放つけれど、あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。清太はそれを我慢しない。壕に移り住むことを決断して清太はいいます。『ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。』そして無心に”純粋の家庭”を築こうとする。そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。

 心情的にはべつに現代の青少年たちとだけ類似があるのじゃないと思うんです。マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、おとなもみんな清太になりたがり、自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。それがある程度可能なんですね。ウォークマン、ステレオ、パソコン、みんなそれを象徴しているような気がします。清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。

 でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。清太と節子が生きた時代というのは、隣組とか、愛国婦人会、産業報国会、それにもちろん軍隊、内務班、分列行進歩調とれ! と、ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。制服はもちろん、登下校も集団で班を作っていく。社会生活の中でも最悪最低の”全体主義”がはびこっていたんです。清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。”純粋の家庭”を築く、というのはおそろしく反時代的な行為ですよね。現代の青少年が、私たちおとなが、心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせいなんです。こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします

 ところで、戦時下とはいえ、清太と節子の生活は、いわばふたりだけの天国だった。その充実した短い楽しい日々は、ふたりの死によって、かえって美しく感じられる。一種の”刹那主義”と感じられる危険性もあるのではないだろうか。

「それに対しては、死によって達成されるものはなにもないとぼくは思っているんです。清太と節子の幽霊を登場させているんですが、このふたりの幽霊は気の毒なことに、この体験をくり返すしかないわけです。それは、たとえそのふたりの生活が輝いていたとしても、うらやましいことでもなんでもない。

 人生のある時期をくり返し味わい返して生きるということは、非常に不幸なことだと思うんです。清太の幽霊を不幸といわずして、なにが不幸かということになると思います

 高畑監督といえば、これまで「アルプスの少女ハイジ」をはじめ「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」など、日常生活に密着したアニメーションを演出しつづけている。その姿勢は今回の「火垂るの墓」にも貫かれているようだ。

 原作をもとにしながらイキイキと描かれた清太と節子の生活が、現代の少年少女たちに、戦争を知っているおとなたちに、どう写るのか。高畑監督ひさびさの劇場用作品を観客のひとりとして楽しみに待ちたいと思う。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070816/hotaru

 

 

 

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