独白

全くの独白

矛盾

2016-10-08 15:46:26 | 日記
今年は天候のすっきりしない日が多い。なるべく爽やかな日にサイクリングに出ようと、天気予報を睨んでいたがなかなか良くならない。漸く一週間後に良い予報が出たのでその日にすべきことを遣り繰りして先に済まして手ぐすね引いていた。尤も最近の予報は精度が上がり過ぎてころころ変わる傾向にあるので疑ってもいた処、案の定前日になって雨に変わってしまった。「理不尽な。こんな事なら最初から最後まで雨の儘にして置けば良いのに。」と腹が立った。熊本の件などでも同様である。本震同様の揺れの後に本当の本震が来たかと思えば続いて大雨である。「なんと不条理な」と誰もが天を仰いだ。
だが考えてみると理不尽な不条理な状態の逆は道理に適った状態であろう。すると理不尽の理も不条理の理も道理を指す訳である。普通道理と云えば人間の精神に関して使われる言葉である。それを天や自然に関して使うのは変である。だからついそういって怒ったり嘆いたりする時に何か蟠りを感じるのであろう。道理を広く解釈して、理論の理としてみても同様である。理論も人間が捻り出したもので野菊のように路傍に勝手に咲いているようなものとは訳が違う。そんなものに天が則っていないからと、不快感を表明するのは筋違いといって良かろう。寧ろ天のありようを如実に理論化する事の出来ていない自らの不明を恥じるべきである。その上天や自然とそれらに就いての予報を出す者とを一緒くたにしてしまって非難したり嘆いたりしているのであるから、こちらの方が余程理不尽であり不条理である。要するに人間とは本来理不尽且不条理なものなのである。にも拘らず困った事に人間は又、正しい理論とその到達点としての真理や道徳的な正しさを矢鱈追究したがるものでもある。どこまで行っても不条理で矛盾した姿しか見えては来ない。だがそんな自身であると知りながらせめて「いざ棹差せよや窮理の舟に」などと歌い「厳しい冬にこそ松柏の美しい緑が目に沁みる」などと嘯く人間であって良かった。

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