独白

全くの独白

商品券と人間の、自家撞着

2018-03-17 21:36:42 | 日記
 曩日、本を買うのに図書券を使う事が出来て、安堵した。
10年以上前に贈られた券であり、爾来喉に刺さった小骨のように気に掛かって居たので、それが抜けたような気がしたのである。
商品券と云うのは、うっかりしていると期限付きの物があって、それが切れてしまう場合があり、そういう物を、神経質な私はさっさと使ってしまいたいのである。
 ところがそれが、他ならぬ図書券であるばかりに、ずっと使う事が出来なかった。
へそ曲がりの私は、売れている本をあまり読まないので、書店へ行っても大概取り寄せて戴く事に成る。
それで本を買う時は送料無料の所か、そこに無ければ他所で他の本と共に注文する事で無料にして、端から自身で取り寄せる事に、随分前からしている。
 求める物が文具であれば足を運ぶ事も多いが、生憎文具に図書券は使えない事に成って居る。
詰まり図書券こそ已む無く持っていたものの、他の商品券ならふた月と持っては居まい。
苛々するのである、理由には期限切れの虞れの他に、同じ紙でも紙幣ほどの存在感が無い為の過って捨ててしまう心配、というのもあるのである。
 私のように神経質な者は、斯様に気掛かりな物はさっさと片付けてしまいたいのである。
 借りた物等でも、可及的速やかに返してしまいたい。
 即ち私の様な者にとって、商品券と借りた物や金は同じ位置にある。
 換言すれば、或多くの人間にとって債務と、商品券と云う無記名債権は或面で等価である。
 いわば商品券には、債権であると同時に債務であるという、自家撞着が内在しているのである。

 而も商品券での取引に、釣銭は介在しない。
額面と同額の品を買うのは難しい。と言って額面未満に収めてしまっては、残りを無駄にしたようで勿体無い。
追い銭をしてでも使い切ろうとするのが人情である。売り手が黙っていても、当面は不要の物まで買って、売り上げに協力する羽目になる。
もし人情に反して釣の分を捨ててしまう客が在っても、心配は要らない。売られた品の価格が自動的に上がって、上がった分は総てが儲けとなる訳である。
売る方にとっては願ったり適ったりの存在である。
都合の良い物を捻り出したものであるが、抑も人間は一面では儲ける為なら何でもする、詐欺師を始めとして、詐欺師顔負けの者ばかりと云って良かろう。
 一方人間の中には、山歩き等を好む者も数多居る。汗水垂らして歩いても、報いは小さい遊びである。
その上金銭的にも、一文にもならないどころか入費さえ必要とする、そんな無益極まる事に、知恵と汗を絞って打ち込むのも人間なら、詐欺師跣に利得の為に現を抜かすのも又人間である。
 即ち商品券と云うものの生みの親たる人間がそもそも、自家撞着を内に秘めた存在なのである。