戯言

萌えやら呟きやらたまに更新記録も混じる無駄口日記
現在ジャンルが雑穀米

愛なんていらねえよ、冬

2012年10月14日 | NO.6
 今更ですが、NO.6コミックス5巻読みました。
 どんどん展開が重くなっていく……。死体の山とか描いている作者のダメージは想像に難くない。よくあんな仰山描いたな。
 そんな5巻で印象に残った台詞↓
こんな風に真摯に労わられたくはない
本気で心配されたくない
思いやられたくない
そんなもの不要だ。なくても生きていける
生きてきた
 原作を読んだときにも思ったけれど、ここにネズミと紫苑との生い立ちの違いが如実に表れている気がしてなりません。
 労わりや心配は「愛」というカテゴリーに入れられてしまうから、と原作でネズミは言ってた。(ように記憶している)
 気まぐれで差し伸べられた手は、何の前触れもなく唐突に消えてしまうものだから、とも言ってた。(ように記憶している)
 人の愛情は無尽蔵でも永遠でもないということを、骨身に沁みて知っている。
 一度満腹を体験した子供はそうでない子に比べて空腹が何倍も辛い、とも原作ネズミは言ってた。(ように記憶している)
 それと同じなんじゃなかろうか。愛情に触れた後の手のひら返しの辛さ。
 だから人の情を信用しない。期待しない。甘っちょろいものだとレッテルをつけて排除する。
 片や紫苑は、周囲に愛情を垂れ流し惜しみなく施し自らの身を削ってでも周りに与えようとする子。力河さん曰く、天使。
 これってめいっぱい愛されて育ったからこそ出来ることだと思うのですわ。
 無条件に、無尽蔵に、無期限に与えられる愛を受けて育ってきた。それが枯渇するなんてこと考えもしない。
 限られたキャパを奪い合うんじゃなく、湧き出る泉のように惜しみなく注がれ続けるもの。
 火藍母さんは素晴らしい育て方をしたんだな。
 こういう人間は、市の復興事業には最適な人材だと思う。猜疑心と警戒心とある意味諦観が骨の髄まで沁み込んでしまったネズミには到底真似できない。生きる世界が違い過ぎるもの。

 って考えるとラストでの二人の別離は当然のことだったのかなー。
 と自分を納得させてみるテスト。


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 >M来恵様
  月一で映画鑑賞。素晴らしいっすね! いいなー! コロンビアーナ、ぐぐってみました。こんな華奢な女の子が二丁拳銃とは。かっけー! リュック・ベッソンはホント戦う女の子が好きだなぁ(笑)。ときにおばちゃんはタイバニの劇場版が見たいです。早くDVD化しないかな。 外伝、一体どの辺の話になるんでしょうね。今から楽しみでなりません。満を持しての外伝だから力河さんメインは絶対あり得ないと思う(笑)。ネズミの本名が明かされたりするんでしょうか。知りたいような知りたくないような。(2:8で知りたくない) 紫苑が知らないのに読者だけ知ってしまうのもアレな気もするしー。

 拍手のお侍様方有難うございました。あの真っ赤な禿のお陰でおサムライ熱再燃です。あの異様さと不気味さ、生きている感じの無さ、大戦時のキュウのイメージにぴったりです。


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