父の脊索腫治療記~重粒子線治療、頚椎後方除圧固定術~転移

脊索腫で重粒子線治療を受けた父の記録です。
最初から読まれる方は、バックナンバー2011年11月からお読み下さい。

39 後方除圧固定術、再手術のお話

2013年02月01日 17時44分34秒 | 頚椎後方除圧固定術
え~と、何回目になったでしょうか?
重粒子センター病院での診察結果は、良好だったようです。
私は、この日は付き添えませんでしたので、
詳細が分かりません。。。(^^;


地元大学病院での診察がありました。

(父は頚椎の1~4には重粒子線を照射していて、
強度がなくスクリューを打てないので、
頭蓋底で2本と頚椎5~7と胸椎でのスクリューで支えています)

残念ながら、
昨年5月に手術した頚椎後方固定術で、
頭蓋底から胸椎にかけて、
インプラントを橋渡ししましたが、

頭蓋底とインプラントをつなぐスクリューが、
左右ともに、抜けかけ、
見た目にも、左右ぽっこりとスクリューが飛び出ているのが分かります。
橋渡し部分が多く、
頭蓋底2本だけのスクリューでは支えきれなかったのでしょう。

再手術とのお話でした。。。(>_<)


父を先に退室させ、
担当医と話しました。

「認知あります?理解力が。。。」
年も年ですので、
とっさの質問に、正確に答えられないのは仕方がないと思ってます。

ただ、
その場を適当にやり過ごそうとしたり、
よく理解していないために、判ったフリをしてしまう。。。
こういった事があると、
再手術をしても。。。また、やりたい放題。。。

夏に、激しい痛みに耐えかねて受診することになったのは、
退院後、
痛みがなかったために、
安静にしていない、
義肢を外してしまうことが、度々あったからです。
そのため、退院後2ヶ月目の診察で、
4ミリの隙間ができてしまいました。
こうなってしまったのは、自業自得ですが、
頑固に、家族の言うことを聞かない。

父は、「やりたいことをしたいんだ。」とイライラしていました。

この時、「再入院ハローベスト2ヶ月」と言われ、
それを断ったのも、
これ以上の入院は精神的に無理と判断したからです。

ですから、
「なるべく、手術は受けたくない。」
「再手術ハローベスト3ヶ月」となった場合、
精神科での認知症治療も並行して欲しいとお願いしました。

「その辺も含めてカンファレンスにかけてみる。」との事でした。
再手術は避けられないようです。

再手術を受け入れていましたが、父もショックなようでした。


重粒子線治療を受けて、
存命年数は伸びたはずです。
だから、希望を持って欲しい。
「まだまだ長生きするのだから、先生の言うことを守ろう。」


闘病を支えるため、
旅行などのお楽しみを企画しておこうと思います。


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