父の脊索腫治療記~重粒子線治療、頚椎後方除圧固定術~転移

脊索腫で重粒子線治療を受けた父の記録です。
最初から読まれる方は、バックナンバー2011年11月からお読み下さい。

56 やっと2度目のハローベストが外されました

2013年08月21日 18時42分37秒 | 頚椎後方除圧固定術
入院3ヶ月を過ぎ、

ハローベスト装着3ヶ月で、
ようやく外して頂きました。

主治医からは、
「しっかり固定されています。」と心強いお言葉を戴きました。


そして、新たな義肢。
アドフィットUDカラー。

ハローベストと同じように、胴体で固定するものですが、
金属部がないため、軽く、
頭に刺さっていたネジもないので、
精神的にも、
かなり楽になったようです。

アゴで頭蓋骨を支えるタイプなので、
入れ歯をしていると、痛いと言っていました。

シャワーも許可され、
シャワー中は、
以前のフィラデルフィアカラーを装着しました。


父は、すぐにでも退院したいようです。


今後、
脊索腫に浸潤された第2頚椎がどうなるのか?

さすがに、
後頭骨にスクリューを8本も入れていただいたので、
頭蓋骨が第2頚椎を押しつぶす事は、もうないと思います。

とはいえ、アドフィットUDカラーを外したら、
頭蓋骨を前方から支えるものはありません。

インプラントが折れたりすることはないとは思いますが、
撓るのか?
次回、質問してみたいと思います。




脊索腫と診断され、
2年経ちました。

重粒子線治療。
頚椎後方除圧固定術。
〃再手術。


少し、のんびりできそうです。




ままカモさん、
「iCareほっかいどう」読みましたよ~♪

55 28年前の論文から

2013年08月03日 14時11分35秒 | 脊索腫掲載のサイトから
小脳橋角部にも脊索腫があると知り、
調べていたら、
1985年の古い論文を見つけた。

頭蓋底脊索腫の細胞形態

脊索腫には3つの細胞学的特徴があり、
本症例は、悪性度の低い成熟傾向を示す脊索腫であったと考えられる。


患者は、昭和58年に入院し、
ステロイド療法などの治療を行い、
上咽頭より斜台にかけての腫瘍を摘出。
1年半後に呼吸困難で亡くなっている。
死亡後の剖検(病理解剖)による論文。


1857年にVircrowによって最初に報告され、
1858年にMullerにChordom(脊索腫)と命名された。
わが国では、
1923年に大田義一によって初めて報告されている。


この古い論文の内容が、今も支持されるとしたら、
細胞的特長によっては、
悪性度の低い脊索腫もあると考えられるのだが、

私の知る限り、
1例の陽子線のみの治療をした方を除いて、
近年、
頭蓋底、斜台、小脳橋角部の脊索腫においては、
外科的手術により、できる限りの腫瘍摘出と、
術後の陽子線治療・ガンマナイフが通例となっている。
(脳に関わらない骨部の脊索腫については、
外科的手術は行われていない。重粒子線治療のみ)

この論文は31年前のことだが、
本当に、悪性度の低い成熟傾向の脊索腫ならば、
手術をしない方が、患者は長生きできたのかも知れない。

と、つい考えたくなるが、

近年の治療を考えると、
細胞的特長による治療判断は行われていないと考えられる。



54 約20年前の斜体部脊索腫の論文から

2013年08月02日 18時35分22秒 | 脊索腫掲載のサイトから
斜体部脊索腫の治療経過中に認められた脊椎脊索腫の1例
(「CiNii 論文PDF-オープンアクセス」から全文読めます)



1994年の論文ですから、
最初の手術から、既に20年経過しています。

造影MRIで、転移腫瘍を発見していること、
完全摘出は困難だが、摘出後、放射線治療をしていること、
ゆっくり増殖する腫瘍と考えられていたが、極めて早い速度で増殖したこと、
化学療法は無効、
移植骨の腫瘍細胞への浸潤、
移植骨の放射線壊死の危険性、


これを読んで、
現在の状況と全く変わっていないことに、
憤りを感じます。

リニアックが、重粒子線・陽子線に変わったことくらいでしょうか。。。